辺境の娘 英雄の娘

リコピン

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第三章(最終章)

3-1.

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3-1.

建国の日が近づき、ラギアスと二人でダーマンドル領を発った。流石に人の出入りの多いこの時期、帝都近郊の転移陣は封鎖されている。帝都より十里ほど離れた町へと転移し、後は馬での移動となった。

久しぶりに訪れた帝都は、記憶にある姿とそう変わりないが、祭りのために街中が華かな賑わいを見せている。

宿には入らずそのまま人混みを抜け、比較的落ち着いた街の中心部、宮殿にほど近い場所にある邸宅、ヂアーチの生家へと到着した。

旅装、と言うよりも領軍の略装を解くこともなく訪問することになったが、出迎えの家令に丁寧に、邸内へと案内される。

踏み入れた室内には三人の男女。

恐らく、ラギアスの母親であろう壮年の女性に、よく似た雰囲気の顔だけは既知の男性二人。国軍の最高指揮官、元帥であるラギアスの父に、ヂアーチの当主にして軍の最高権力者、軍部大臣であるラギアスの祖父だ。

「ただいま戻りました」

頭を下げるラギアスに一歩下がって、同じく頭を垂れる。生憎、淑女の礼をとれる格好ではないので、軍式になってしまうが。

「お帰りなさい」

場を柔らかくする声は、長椅子に掛けるご夫人から。

「ご挨拶が遅くなりましたが、紹介します。妻のヴィアンカです」

「ヴィアンカと申します」

短い名乗りで済ましたが、気にした風もなく、ご婦人がニコリと笑んだ。

「初めまして、ヴィアンカさん。私はアンネリエ・ヂアーチといいます。ラギアスの母よ。あなたにお会いできて、とても嬉しいわ」

言葉通りの笑顔で自己紹介をしてくれたアンネリエ。座って?という彼女の言葉に従い、向かい合うようにして二人並んで腰をおろす。微笑む彼女とは対照的に、ラギアスの父と祖父の表情は険しいままだ。

「あなた、お義父とう様」

とりなしてくれるアンネリエの言葉に、彼女の隣に座する男の口から、長いため息がこぼれる。

「…『辺境の愛し子』の娘か」

「!」

驚いた。継嗣けいしではなくなったとは言え、ラギアスはヂアーチの第一子。その縁続きになる人間について、当然、身元調査は行われるだろうとは思っていたが。

こうも簡単に行き着かれてしまったのは、さすがは『ヂアーチ』と言うべきか。

ラギアスが己との結婚を反対されたのは、平民という出自故と認識していたが、或いは、その時点で既に―

「…母を、ご存知でしたか」

「?どういう意味だ?」

言葉の意味をはかりかねて、ラギアスが自分の父と妻の顔を見比べる。

「ヴィアンカさんのお母様は、『辺境の愛し子』と呼ばれていた方なのよ」

代わりに応えたアンネリエが懐かしそうに頬を緩ませる。

「私も女学生の頃に三つ年下の士官候補生だったあなたのお母様にお会いしたことがあるわ。とても凛々しい方で、女学生達の憧れだったの。…私もあなたのお母様に憧れていた一人よ」

「ありがとうございます」

幼い自分から見ても、無茶な生き方、生き急ぎすぎだった母だったとは思う。だが彼女に確かに愛され、護られた記憶。母の娘である誇りは、例え表に出来ずとも、変わらずにこの胸にある。

「…ヴィアの出自を調べたのか?」

「ラギアスったら」

怒りを露にするラギアスに、アンネリエが困ったように微笑む。

「ラギアス、よせ。ご家族があなたや家のことを心配されるのは当然だろう?私がご家族の立場でも、同じことをする」

「…お前のことを裏で探るってのが気にくわねえんだよ」

「…ありがとう」

ラギアスが他でもない自分のために憤ってくれているのはわかる。それに今更、血筋を理由にラギアスとの縁を切れと言われても、困る。そう、困るのだ。

母の存在を持ち出した真意を知りたい。単純に母の血筋を問題としているのか。或いはその先、母が誰の子を産んだのかまで知られているとすれば―

彼らの言葉を待てば、軍部大臣がおもむろに口を開く。

「…軍とて、辺境と中央の間に妙な隔たりがある現状を良いとは思っておらん。魔物の脅威を前に、国内でのいさかいなど愚の極み」

鋭い眼光がこちらを見透かす。

「だが、ヂアーチと辺境の急な結び付きは下手な憶測を呼び込みかねん。お主の血を考えれば、ラギアスとの仲を手放しで歓迎は出来んが、」

ラギアスが身動みじろぐ。上体でこちらを庇い、挑むように己の祖父を見据える。

「…こやつがこのざまだからな」

苦々しげに吐き捨てられる。

「…首輪を着けたと、そういうことにしておこう。辺境の小僧に繋いだ手綱だ」

心許ないがと続く言葉はラギアスに向けられている。深い溜め息がラギアスの父から聞こえ、言葉を継ぐ。

「…実際のところ、辺境の次代が動いたおかげで、ラギアスの家督放棄も政治的には大きな騒ぎとはならず、疑いの目も少ない」

眉間の皺が深くなる。

「ラギアスは嘲笑の的、我々は子を溺愛する馬鹿親のそしりを受けたがな」

男の言葉に、隣のアンネリエから笑い声が溢れた。

「まあ、あなたったら。そんなの気にもしてらっしゃらないくせに。それに、本当のことじゃないですか」

コロコロと笑う婦人は心底楽しそうにラギアスを見ている。

「…北の小僧は人を食ったような男だが、為政者としては優秀な男だ。…当代のような可愛いげはないがな」

軍部大臣の言葉を拾う。

しゅとご面識が?」

どうやら問題とされているのは母の生まれ、英雄に関する疑念までは含まれないようだが。

彼の言葉に、母の兄でもある北の辺境伯に対する心安さ、己の知らないよしみを感じた。

「直接の係わりはなかったが、先の大戦でな。終わりの見えない消耗を強いられ続けたあの泥沼の地獄で、北の獅子の不撓不屈ふとうふくつの精神は多くの兵の命を救った」

―大戦の傷痕。英雄の活躍の裏で散っていった数多あまたの命。英雄譚に語られない喪われた多くのもの。それを自ら語る者は少ない。直視することさえ恐ろしい過去を、しかし決して消し去りはしない強さが、ここにある。

「この国を救ったのはカイン・アスタットだが、この国を支え続けたのはアグワナやその他、名も語られぬ者達。国を、人を思い、その身を捧げた多くの若者達だった」

同じく国を思い剣を握り続けてきた一族の、現当主の言葉。

「ヂアーチの者は、産まれた時から戦うことを宿命づけられておる。そこから逃げることは許されぬ。…ラギアスが、本当にお主に腑抜けてしまいおったら叩き斬っておるところだが」

ラギアスの目が挑発的に光る。

「全く。…護るものを得て強くなる。それもまた真理だからな」

「…お義父とう様ったら、素直にヴィアンカさんを歓迎するとおっしゃればいいのに」

「わし個人の感情などどうでも良いだろう」

ぶすりと溢す、深い皺の刻まれた顔は、未だ緩むことはない。嗜めるアンネリエの口元に微笑がのる。

―ああ、良いな

「…ラギアス、ありがとう」

「あ?」

首を傾げるラギアス。彼が繋いでくれた縁。私は彼らと家族になるのだ。

未だ完全に認めてもらえた訳ではない。私とて、彼らに語っていないことなど山ほどある。

―それでも―

赤眼を見つめる。この男を育んだ彼らと、私はいつか家族になりたい。自分に流れる血のこと、愚かに、しかし真っ直ぐに生きた母のことを、私は彼らに知ってほしい。




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