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第一章 召喚巫女、お役御免となる

10.ここが、起点 (Side S)

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(っ!?)

心の臓を殴りつけられたかのような衝撃、数瞬、呼吸を忘れた。

目の前の巫女ひと見せた笑み。自嘲も苦みも伴わないそれは、だが、今にも壊れてしまいそうな危うさを感じさせるもので─

(何故…?)

何故、自分は、巫女の笑みにそのようなものを見てしまったのか。

結界の巫女とは、サイランドの歴史を紐解けば、その建国より登場する至高の存在。魔物巣くう深淵の森との境界を持つ辺境にとっては、唯一絶対の救いでもある。事実、巫女が守護結界を張り直して後の半年、東の領地に出没する魔物の数は激減した。大型種に限るならば、ほぼ皆無になったと言っていい。

だから─

巫女の召喚より一年、役目を終えた巫女が伴侶を望むという報せに、一も二もなく飛び付いた。

─お会いしたい

会って、話がしたい。

巫女の伴侶に選ばれるなど、大それた望みがあったわけではない。ただ、東の地を救いし御方に、東の民の喜びを、領主としての感謝をお伝えしたい。願わくば、どのような形でもいい、大恩に報いる何かをお返し出来たならばと、そう願っただけであった。

(それが…)

「…あの、セルジュ?」

「…」

名を呼ばれ、心臓がまた一つ、小さく跳ねた。

(…それが、まさか、巫女様がこの手をお取り下さるとは…)

望外の喜び。それ以上に、手にした幸運の大きさに恐れを抱いた。己の全てを捧げたとて、それで足るものであろうかと。

しかし─

「えーっと?セルジュ?」

「…」

落とした視線、戴く手の小ささ。

「…手?手が何?どうかした…?」

不意に納得がいった。

「…なるほど。」

「え?『なるほど』?何?何が『なるほど』なの?」

決して恵まれているとは言えない己の体格。その己の手よりも更に一回りは小さな掌。そこにある温もり。

(この方は…)

救国の巫女であらせられる、その前に─

壊れそうな笑みの正体を掴みかけた、その時、扉を叩く音が部屋に響いた。

「…巫女?ここに居るのか?」

問いかけの声とともに開かれた扉。こちらの姿を認めて一瞬驚きの表情を浮かべた人物を先頭に、彼の妃と側近が姿を現す。

「え、あ、殿下?」

王太子の入室と同時、手にしていた温もりが慌てたように離れていく。一瞬の寂寥がよぎるが、そのまま王太子へと頭を垂れた。

「…卿もここに居たか。探した。」

「私に御用が…?」

「ああ。ちょうど良い。今夜の夜会について話があった。今夜、王宮にて王太子妃主催の夜会を行うことは報せてあったと思うが…」

言って、王太子の視線が巫女へと向けられる。

「巫女が出席を拒んでいる。」

「それは…」

王太子の苦笑交じりの視線、それを向けられた巫女が下を向く。

「…夜会については、私、欠席しますって言いましたよね?」

「ああ。…だが、巫女の婚姻を祝う場でもあるのだ。肝心の巫女が欠席ではな…」

「確かに、妃殿下には申し訳ないですけど。披露宴…、婚姻のお披露目は必須じゃないって聞きましたし…」

(巫女…?)

先ほど、式の最中に見せていたのと同じ表情。何かを堪えるその瞳の暗さにハッとする。

─見世物みたい

巫女がそう評した婚姻式。巫女にとっては、夜会も同じなのだとしたら─

「…殿下、申し訳ありません。」

「卿の謝罪は、何に対してのものだ?」

「今夜の夜会、私も欠席させて頂きます。」

「…理由を聞こうか?」

「巫女様が欠席されますので…」

「!」

隣で動く気配。顔を上げた巫女の視線を感じる。向かい合う王太子の笑みが深くなった。

「それでは本末転倒だな。私としては、卿に巫女を連れ出して欲しかったのだが?」

「申し訳ありません。」

「…駄目だ。認められない。」

「…」

強い視線、「否」を認めない王太子の笑みに、首を振る。

「巫女はご気分がすぐれません。」

「…なに?」

「お気づきになられませんでしたか?式典の最中から、かなり無理をされていらっしゃいます。」

王太子の視線が、巫女の顔色を窺う。

「妃殿下の夜会が巫女様の祝いの席と仰るなら、巫女様がその場でお倒れにでもなれば、それこそ本末転倒。巫女様にそこまでのご負担を強いる必要がございますか?」

「…」

逡巡を見せる王太子の視線が、隣の妃へと向けられた。視線を受けた王太子妃が鷹揚に頷く。

「巫女様の体調がそこまでお悪いのでしたら、仕方ありませんわね?」

「…良いのか?」

「ええ。…私としては、巫女様の新たなお幸せを皆様と共にお祝いしたかったのですが…」

言って、周囲に巡らされた王太子妃の視線。

(…?)

含むもののあるそれに込められた真意が分からずに、沈黙を守る。

「…どうやら、巫女様の新たな庇護者様はとても頼りになるご様子。…安心して巫女様をお任せ出来るのではなくて?」

向けられた言葉に、王太子が苦く笑った。

「…シルヴィアがそれで良いのならば。」

「ええ。問題ありません。」

王太子妃が一歩、巫女へと距離を縮めた。

「巫女様、私、安心しましたわ。」

「安心、ですか…?」

「ええ。アンブロス辺境伯の元であれば、王都のように巫女様のお心を惑わすような者もおりませんでしょうから。」

「…」

下ろされていた巫女の手を、王太子妃の両手がすくい上げる。

「巫女様、この国をお救い頂き、誠にありがとうございました。巫女様の今日までのご献身に、心から感謝申し上げます。」

「…」

「これからは、かの地で、どうぞ心安らかにお過ごしくださいませ。」

柔らかく笑んだ王太子妃。対する巫女の瞳が、静かに伏せられていく。








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