俺には全く関係がない。

みやりく

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そもそも彼女とは面識がない。

教室にて

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 空き教室は4組を出て右に曲がり、そこから3組を跨いだ先にある。
 
 扉をガラリと開けると、山本楓は教卓の上で頬杖をつき、屈むようにして立っていた。

 窓から差し込む光が、その横顔を一層綺麗に見せている。

 まだあどけなさの残る顔立ちに、その一方で佇まいはどこか大人びている所もあるような、矛盾にも似た不思議な印象。

 しかし俺に気が付くとすぐさま、

「あっ、待ってたよ!」

 と、子供のような笑みをこちらに向ける。
 
 その妙な不安定さに、内心動揺させられながらも、俺も彼女と向かい合うようにして机の側に立ってみせる。


 少しの間が空いた。

 俺が扉を閉めたおかげで、まだ廊下で賑わう生徒たちの声はまるでノイズキャンセルされたように、僅かにしか聞こえて来ない。

 だから二人しかいないこの空間に、自ずと緊張が走る。
 
 それと共に、自分の心臓の音も速くなっていく。
 
 これはやっぱり、もしかして。
 俺は覚悟を決めたように一度目を閉じてみる。

 そしてもう一度山本の方を見る。

 すると彼女が先ほど教室で見せた表情のまま、こちらをチラと見つめるようにして、口を開く。

「あのね...私ね」

 彼女がそう言いかけ、また鼓動が一段階速く進んでいく気がした。

「うん」

 意外にも冷静にそう言葉が出て来たが、内心は全くそんな事が無かった。

 だから心の中でもう一度一呼吸置こうとした、その瞬間。

「なんてねー」

「え?」

 たった一文字が、ほとんど無意識に口をついて出た。

 身体中をめぐりめくっていた緊張は、今ので完全に消え去った。
 ついでにさっきまであらぬ事を少し期待していた自分への恥ずかしさもどこかへ行って欲しかったが、それは無理だった。

 山本はさっきとは打って変わった表情で、俺の方を見ていた。
 口は固く結び、目はそこはかとなくこちらを睨んでいるようにも見える。

 心臓の鼓動がまたさっきとは違う調子で、嫌に速く進んでいく。
 これは緊張では無く、ただの驚きと焦りから来るものだった。

 え、いや、何これ。
 ここまで状況が読めないというのもこの人生においてはなかなか無い事なので、それがまた末恐ろしさを生んでいる。
 少しの恐怖も追加された。

 まあまず考えろ。
 こういう時に、女子に怒っている理由を聞いてはいけない。
 それを聞いた奴は、即そのままステージ2と対峙する事になるからだ。
 わざわざ難易度を上げてどうする。
 こんなのは俺にだって教科書レベルで分かる事。

 だが考えても思いつくものは何も出て来ない。
 
 そもそも彼女とは面識がない。

 「え?」からまだ一言も発していない、あるいはほとんど動いていないせいで、側から見ればバグったAIロボみたいになっている俺を見兼ねたのか、山本がふうと息をつく。

「高田くんって、何か楽しいことないの?」

 えっと趣味の話ですかねこれは。
 そうですねまあスマホゲーとかラノベとかアニメとか漫画とかでござりまするが?
 うわあ...。

「まあ趣味ならいくつかあるけど...」

   まあ内容は言わずしてこう言っておけば多分いいはず、知らんけど。

「あ、ごめんそういう事じゃなくて、学校で、って話」

 言葉の足りなかった事を謝罪しながら、山本は再度俺に聞き直す。

 ああ、そういう事ね。
 じゃあ言わなくてよかった。
 言わなくてよかった。

 なぜこんな質問をするのかはさっぱり分からない。
 だが銃口を向けられた人質の如く、言われた通りにして思案に入る。
 
 学校か。
 学校で楽しい事。
 ここはどう答えるのが良いのだろう。

 無いと言えば、それは多少嘘になるのかも知れない。
 俺が広げた最低限の人間関係に、特段不満は無かった。
 そのコミュニティの中で過ごすことは、不快では無かった。
 
 でもそれ以上は、無いんだ。

 それ以上自分を取り巻く環境を拡大させようとは思わない。
 行事は本当は出来れば全て参加したくない。
 それにかける時間や、それによって得られる価値が、俺には大して分からない。
 部活は入る気なんて勿論更々無かった。
 ついでに授業はクソつまらない。

 自分が求める範囲だけを得られれば、それで良い。
「楽しくない」と答えれば、それはただ不満のように聞こえるだろう。
 でも、不満な訳じゃない。
 求めていないのだから、何も得られない。
 それは至極当然の事だ。
 それに文句を言うのは、可笑しな話なのだ。

 だから俺もここは、少し斜めを向いた返答をしてみる事にした。

「楽しいとかそういうのは、あんまり求めてないな」

 この妙にひりついたような空気を何とか和らげようと、声音は抑えめに言ったつもりだった。
 結果、どう聞こえているのかは分からないが。
 
 だがこの言葉が、さらにこの空気を険しいものにしたのかもしれない。

 おそるおそる、山本の方を見やる。

 すると、先程まで見せていたヒロインの雰囲気はもうすっかりと無くなっていて、ただ山本はムッと睨みつけるようにこちらを見ている、ように見える。
 脇汗追加入りましたあ!

 フッと山本が、また一つ息をついた。
 そしてその吸い込まれそうな大きな瞳で真っ直ぐにこちらを見つめ、口を開く。

「高田くんは、なにか自分から行事に参加した事はある?体育祭の応援団とかさ」

「いや、無いな。基本的に任意のやつは参加したことない」

 この言葉が今流れる空気を更に悪くしそうな事は流石に分かっていたものの、特に包み隠さずそう返す。
 
 別にここで意見を戦わせたい訳では無かった。
 それでも、俺のやり方が間違っているとは思わなかった。
 やりたければやる、やりたくなければやらない。
 その単純明快な基準に、ただ従っているだけだ。
 それによって周囲に迷惑をかけた記憶は無い。

 山本は、何かを内に隠したような雰囲気を醸すようにしつつも、そのまま静かに質問を続けた。

「じゃあ、参加しなきゃいけない行事。たとえば合唱祭とか。そういうのは正直どう思ってる?」
 
 正直、と言われたので阿呆な俺は馬鹿正直に答えた。

「ああ、正直めんどいな。対して興味無いし、やってもつまらない。本気でやりたい人だけでやれば良いだろ、って思ってる」

 実際去年もあれで俺のクラスは優勝じゃなくて、その後寄せ合って泣いてる女子とか見てると、なんか変な感じになるんだよな。
 俺としては結果なんてどうでも良かったけど、流石にそれは口には出せないし、でもあっち側の気持ちに無理矢理合わせるっていうのも違うし。
 確かに、周りの数人とふざけ合ってる訳では無かったが、真面目に練習に取り組んだ訳でも無かった。
 だから、結果が出なかったのは俺たちのせいかもしれない。
 そう思うと、後味が悪くなる。
 でもそれは、完全に俺たちが悪いという訳でも無いだろ。
 無理に強制参加にして、イベントなんかにする学校側が悪い。
 最初からこうなるのなら、やる気のない奴らは出ないようにすれば良いんだ。
「やる気が無い奴は出て行け」っていう常套句、あれは自ら望んでそれを選んだ人間にしか放っては行けない。
 最初からやる気の無い奴は、本当は出来るなら最初から出ておきたいのだ。

 と、さっきから全く声になっていない言葉の数々は、自分の中だけに留めておく。
 だってこれ口にしたら、流石に今目の前にいる女子がどうなるか、分からないし。
 
 山本はこれもふうん、という風に頷き、それ以上言及する事は無かった。
 何これ今チャージ中?
 そのカウンター、受ける術がないんだけれども。

「委員会は何か入ってた?」

「いや入ってない。人数的に全員やる訳じゃないし」

「部活は?」

「入ってない」

 質問は足早になっていく。
 何かを確かめるように問い、そして頷く山本。
 言質を取るような、はたまた誘導尋問をされているような不可解さはあったが、それでも俺は聞かれた事をそのままに答えていく。
 山本が俺に対して何かあるのだという事は分かっている。
 だからここで適当な誤魔化しをしても、それは通用しないと思った。
 何より、彼女が放つ毅然とした態度に、嘘を言う気にはなれなかった。

「そういうの全部、やりたいとは思わないんだ?」

「そうだな。正直めんどくさい」

「興味ないから?」

「うん」

 なるほどね、と何かを悟ったかのように前髪を少しかき分ける仕草を見せる。
 そしてうん、と首肯し、こう言った。

「やっぱり私、高田くんみたいな人の事得意じゃない」

「お、おう...」

 得意じゃない。
 女子の言う「あの人得意じゃなーい」とか、「苦手ー」っていうのは、それすなわち「きらーい」って言ってるのと同義って、これはゼミでやった事あるとこだわ、ゼミで。
 ゼミすげえ!ショック!
 ていうかもはやそれ、オブラートでも何でも無いから、もういっその事嫌いって言ってもらっても良いすよ。

 まあ、何となくは察していた。
 彼女が俺に対して、あまり良い印象を持っていないだろうという事は。
 
 ここまで話していて、俺と彼女では生きている世界が違うのだと、そう感じる。
 ルックスも、性格も、きっと人望も学績も、俺とは何もかもがかけ離れた、そんな存在。
 隠キャと陽キャじゃ、格が違う。
 こっちが言うセリフじゃないけど。
 
 だから俺みたいな無気力根暗隠キャが鼻につくのはまあ分かる、という事だ。
 かつて誰が付けたかも分からない、この隠キャと陽キャという最早一般用語として定着しつつあるスラングに、人間がカテゴライズされるようになった黎明期から、両者の間には決して終わる事のないであろう冷戦が起こっているのである。
 お互い普段は衝突こそないが、心の何処かでお互いを誹り合っているのだ。
 ちなみに良い勝負してるような口ぶりで隠キャは陽キャをディスるが、実際はあらゆる面において陽キャのボロ勝ちである。

 当たり前に決まってんだろ。

 でもそんな俺も陽キャが得意じゃなーい、です。
 
「...で、用件は何なの」

 面と向かって言われるダメージはともかく、何で俺を呼び出したのか、その理由が全く分からなくなっていた。

 何故俺だけ、ピンポイントなのだろうか。
 それに、さっき言ったという言葉の意味も引っかかる。
 過去に俺が何か彼女にしたのだろうか。
 少なくとも、これが初対面である事は、俺の中で確かなはずなのだが。

 そして山本は変わらずこちらに顔を向けたまま、口を開いた。

「その前に、もう少し聞きたいというか、話したい事があるの」

「...?」

 んだよまたCM?長えよ。
 そんな適当なツッコミを心中で混じえ、外面はあえて渋そうな顔で彼女の方を見返してみる。

 だが陽キャとのガン飛ばし対決に勝てるはずも無く、すぐその勝負は降りる事にした。

 はあ、と肩を落とすように少し視線を外す。
 雑に消された黒板には、その消し跡が所々に残っていた。

 そのまま彼女の言葉を待つと、彼女の息遣いが聞こえる。

「私は高田くん達みたいな、何事にも全力注がないような人たちの気持ちが、分からない」

 結局それは、先刻の話の続きだった。
 俺としては、さっきの半ば嫌い発言は特にもう良かったのだ。
 
 だからまた俺の方が適当に返せば、そのまま終わらせる事も出来ると思う。
 それでも何故か、今のその言葉の方が自分の中のどこかに突っかかる感じがした。

「...どういう意味だよ」

  だから早く取っ払ってしまおうと、思わず素直な感情が口を突き出る。
  その発せられた声音は、さっきよりも、自分でも分かるくらいに暗かった。

  山本は変わらず、俺の方を前に見据えていた。
  その真剣な面持ちを、昼に射す春の光が鮮やかに映し出す。

「まだそういうのが、カッコいいとか思ってたりするの?一生懸命やってる人たちの方が、ずっとカッコいいに決まってる」

 彼女の澄んだ声が、この静閑な教室に響き渡る。
 一切の濁りの無い言葉が、俺の耳に刺さるように届いた。

 正直、そんな風に思われていても、それは仕方の無い事だと思った。

 大抵は、視覚的にも、文面的にも、色んな所を鑑みても、俺たちが間違っているように見えるだろう。

 眩くて綺麗で、触れてはいけない程の尊さで埋められた、その青春の一ページに、泥を塗る悪者たち。

 リア充のロジックは、理屈は分かってもそこに理解は無かった。
 だがそれに対して特別反論を起こそうとも思わない。
 さっきも言ったように、隠キャに勝ち目なんて無いのだ。

 だから俺は俺なりに、自分の積み上げたものを大切にさえ守れば良いと、そう思っていた。

 でも何だろう。
 こうして守ろうとしているものに、無理やり触れようとする彼女の言動が、どうにも煩わしい。

「そんな訳、無えだろ」

 俯きながら捨てるように放った言葉が、そのまま勢いなく薄汚れた教室の床へと落ちていく。

「じゃあ君たちは本当に、さっき高田君が言ったように、興味が無いだけなんだ」

 そう言った山本の表情は、どこか悲しげで、それが余計なお世話だと思った。

 ここで青春を送れない奴が悪い。

 そう、なのかもしれない。
 だけどな。

 それがどうした。
 そんな勝手に出来上がった、嘘偽りにも似た基準を満たせない事が、それほどに悪い事なのか。

「別に興味が無かろうが、それで良いんじゃねえの」

 俺はまた彼女の方を見ずに下を向いたまま、独り言のように返事をした。
 この二人だけの教室を覆う張った空気の中を、ただ言葉だけがゆっくりと両者の間を弧を描くように行き交う。

「私はそれじゃ良くないと思うんだけどな」

 私という言い回しは、どこか陽キャ一同を代表しているかのような響きに聞こえて、またそれが少し鼻についた。

 この学校という小さな箱庭において、陽キャの力は絶大。
 あいつらの関心事が、ここでは全て。
 
 周りその他も、いつの間にかそのさも正しくもない価値観に吸い寄せられるようにして、流されていく。

 万が一にもそこで溢れようなものなら、それは要するに「ノリの悪い、イケてない」グループに認定される訳だ。
 
 何もこれは学校に限った事じゃない。
 きっとこの先社会という本番環境に突入しようが、それは同じ事だ。
 学校とは、社会の縮図だ。

 広い世界があると言う大人たちがいる。
 だが多少範囲が広がろうが、きっとそれは変わらないのだ。

 それに何より、このちっぽけな空間しか知らない俺たちに、その説諭はあまり効果的ではない。
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