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十月十九日(水)不思議な司法書士
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水曜日の午後、白井は友人の宇佐見の紹介で、司法書士を訪ねるため横浜までやってきた。
天気は秋晴れと呼ぶにふさわしく、澄んだ青空がビル群の間からのぞいている。風は冷たさを増しつつあるが、日差しが強いせいかかえって心地よい。
平日とはいえ、横浜周辺はかなりの人混みだった。デパートのディスプレイには、ハロウィンの飾り付けがなされ、マネキンは冬物の衣服を身に着けていた。
――もうすぐ季節が一周してしまう。
どんなものに対しても、白井は自分の境遇を重ねた。去年の今頃は、母親はまだ元気だった気がする。
――やめよう。
二十四の男が、いつまで死んだ人間のことにしがみついているんだ。
「アサト!」
待ち合わせの郵便局の前で、長身の男が手を振っていた。白井は、沈んだ顔を悟られないよう、いつも以上に前髪を気にした。
「今日はありがとう、ウサさん。その先生の事務所はここから近いの?」
「少し歩くけど、すぐそこだよ。あ、そうそう」
宇佐見が白井の前髪を引っ掴むと、頬を膨らませた。
「すっごくイヤな奴だからね。弱みを見せると付け込んでくるから、アサトも堂々としなよ。そんな顔してると、相手の思うつぼだよ」
白井は軽く宇佐見の手を払うと、ため息を吐いた。
「この前も聞いたけど……どうしてそんな人が親切な法律家なんて仕事しているのさ」
「オレが聞きたいよ。えげつないことしているに違いないんだ」
「……はあ」
さらに気持ちがふさぎ込む。
白井は足取り重く、賑やかな通りを進んで行った。
『ふじいし司法書士事務所』は、繁華街とは逆側、駅から少し離れた静かな場所にあった。大きなビルも見られるが、昔からある商店街と上手く共存しているエリアだ。
三階建ての小さなビルの一階はコンビニで、事務所はそこの二階に入っている。白井と宇佐見は中へと続く階段を上っていった。二人で並ぶと、すれ違うのも難しいくらい狭い踊り場だ。
そして、目の前に現れた事務所のドアには、何やら紙がマグネットで貼りつけてあった。
――ただいま外出中です。御用の方は下記までお電話ください。
「あれ、アイツ……いないぞ」
宇佐見がスマートホンを取り出した時だった。
白井の背後に人の気配がした。
三階の住人だろうか。黄色の眼鏡をかけた中高生くらいの少年が立ち往生していた。
――。
白井は思わずその顔を見つめてしまった。
アイドルグループや雑誌モデルなどにいそうな、とても綺麗な顔立ちの少年だった。くっきりとした二重が眠そうにも不機嫌そうにも見える。その視線が向けられ、白井は無駄に狼狽した。
「す、すみません」
白井が慌てて階段の方へ避けようとすると、少年が宇佐見を見上げた。
「邪魔だ、ウサ」
その乱暴な口の利き方と、その大人びた声に白井は驚いた。
――嘘、まさか。
「あ、チビ書士!」
その瞬間、小柄な人物が宇佐見に前蹴りを喰らわせると、巨体がドアにぶち当たった。
「年長者に対する口の利き方を、小学校で教わり直してこいって言っただろうが」
中学生のような男が、舌打ちをしながら鍵穴に鍵を突っ込む。そして、白井の方を向き直ると、首を傾げるように会釈をした。
「中へどうぞ」
応接用のテーブルに、緑茶の入った湯呑が一つ、コーラの入ったグラスが一つ、それと缶チューハイが置かれた。
――。
宇佐見が缶チューハイを片手で開けながら、口を尖らせた。
「せっかくお客さんを連れて来たのに、いきなり蹴飛ばすとか、それでも大人?」
しかし、小柄な男は宇佐見を無視して、白井に名刺を差し出した。
『司法書士 藤石宏海』
「はじめまして、藤石と申します。今日は横浜までわざわざ遠くから……」
小柄な男――藤石はそう挨拶しかけたところで、白井を見つめた。
「……平気?」
「え?」
「顔、真っ青だけど」
相手の、どこか面白がるような笑い方が気に障った。それでも白井は、頭を下げながら挨拶をした。
「大丈夫です。僕は白井といいます。色白なのは生まれつきで……」
「白井」
藤石が首をかしげた。
「名は体を表すとはよく言ったもんだな。そのまんまだ」
宇佐見の前情報どおりだ。
――嫌な人だな。
友人を横目で見ると、何やらうなずいている。
――言い返せって?
いつもの白井なら、ここで聞き流してやり過ごす。下手に事態を悪化させる必要もない。子どもの頃から培ってきた、渡世術だった。ところが、なぜか今回は耐えられそうになかった。
相手の、幼げな容姿のせいだろうか。
「藤石……先生」
白井の押し殺した声に、小柄な司法書士はため息を吐いた。
「その先生ってやめて。バカにされている気がするんだよ。だいたい、まだ何も仕事をもらっていないしね」
――この人、本当にイヤだ。
白井の中で、何かが弾けた。
「それなら、フジさん……と呼んで良いですか」
コーラの氷が溶けて音を立てる。
藤石が口をひん曲げて、強い眼差しで白井を見つめている。宇佐見はうつむいて笑いをこらえていた。
白井は、急に心が寒気立った。
「あ、いや、あの」
「おもしろい」
「え」
「なるほどね。ナイス皮肉だ。頭いいな……この野郎め」
藤石は、さらに意地悪そうな顔で宇佐見を指差した。
「それじゃ、コイツはチョモランマだ。見た目も外国人みたいだし、丁度いい」
「そうさ。オレの足元にも及ばないんだよ、富士山は」
「先輩相手にくだらないシャレをほざくな」
「先に自分で言ったんでしょうよ!」
「最初に言ったのは、ここにいるシライくんだぞ」
眠そうな目が白井を見つめた。そして、首を傾げて口を開いた。
「……それで、キミは何の用で来たの?」
年長者であるから、敬語でないのは構わないのだが、ところどころで偉そうだった。少なくとも、こちらは客人としてここに――。
――いや、まだお金払ってないからお客じゃないのか。
何と言って切り出せば良いのか、白井は言葉に窮した。すると、すぐに友人が助け船を出してくれた。
「仕事の話だって、昨日連絡したのに。聞いてなかったの?」
「仕事として受けるかどうかは、俺が決める。先に用件を言ってくれりゃ、わざわざ横浜まで来なくて済んだかもしれないのに」
白井はとにかく帰りたくなってしまった。そもそも藤石の態度、最初から話を聞くつもりがないのかもしれない。
すると、(勝手に)宇佐見が白井の鞄から、例の汚れた冊子を取り出してテーブルに置いた。
ほぼ同時に、藤石が目を細めた。
「ずいぶんとまあ、古い権利証だな」
藤石が破れそうな紙に臆することなく、パラパラとめくった。
白井はそれを見つめながら口を開いた。
「これが何なのか知りたいんです」
「権利証だってば。そう書いてあるし、そう言っただろう」
「そうじゃなくて、ですね……」
「このバカチビ!中身を見て欲しいに決まっているじゃんよ」
藤石はハイハイと言ってコーラを飲み干した。この徹底した不真面目な態度、接客向きではないと白井は強く感じた。
「ところで、シライくん」
おもむろに、藤石が口を開いた。
「は、はあ」
「宇佐見とは同級生と聞いたけど」
「は、そうです」
「難儀な人生を送ってるんだろうな」
「いえ、そんな」
「……何だよ。せっかくウサを滅ぼす仲間が出来たと思ったのに」
そして口をひん曲げて笑った。
――。
その『仲間』という言葉に、白井の胸が少しだけ震えた。
それだけで、なぜか今までの藤石の酷い態度が気にならなくなった。
「フジさん」
「何だね」
普通に返事をされ、白井の口から自然と言葉が次いで出た。
「……ウサさんは、その……こんな僕を、イジメに遭うような僕と仲良くしてくれた人なんです。あまり、悪く言わないで欲しいです」
「お前がいじめられたことなんて知ったこっちゃない。この馬鹿ウサのせいで、実害が出ているんだよ。話をすり替えるな」
「……」
「俺は、自分が知らない事実などから、人となりを判断しない。ガキじゃあるまいし、イジメられていただの、親がいないだの、それがどうしたって話だ。今、起こっていることを話しやがれ」
――。
なぜかわからない。
しかし、不思議と藤石の言葉に励まされた自分がいた。
白井は、小声で謝ると、ボロボロの権利証を指差した。
「それは、母の遺品から出てきたんです」
「遺品?シロップの自宅の権利証にしちゃ、古過ぎるよな……お前の家、武家屋敷か?」
「シ、シロップ?」
謎の呼び名に白井は心から動揺した。しかも、もう『お前』呼ばわりだ。
「何ですか、それ……」
「このウサを甘やかしているのは、お前のような気がする」
よくわからないことを言いながら、藤石は慣れた手つきで権利証のページを次々と捲っていく。薄い半紙がカサカサと音を立てた。
そして最後のページに目を落としたまま藤石が言った。
「この権利証が何なのか知りたいんだな」
「は、はい」
「最初に確認だ。お袋さんの名前は?」
「え……、あ、白井美津子です」
「旧姓は」
「旧姓は……確か伊藤です」
「では当たりかな。ちょっと待ってろ」
そう言うと、小柄な司法書士は応接室を出て行った。しばらくすると、白いコピー用紙に何やら書かれたものを白井と宇佐見に見せてきた。
「これは、登記簿といって、日本中の不動産の情報が書かれたものだ。今ではネットからも取得できる。そいじゃ、シロップと馬鹿ウサのために、このボロボロ権利証について、わかりやすく説明してやろう」
藤石は、権利証をこちらに見せながら言った。
「まず、これは現在の白井家の権利証ではない。それの在り処も念のため確認しておけよ」
「え、はい」
これが実家の権利証でないなら、何だ――。
「こいつは、シロップのお袋さんが結婚する前に土地を相続した時の権利証だ。当時死んだのは誰か……まあ親父さんあたりかな。シロップのじいさん……あれ?」
違うのか、そう小声で聞こえた。
「……この時亡くなったのは柳田幸三。誰だか知っているか?」
――。
「いえ……すみません。僕、母方の親族は……誰も知らないんです」
――父方の親戚だって、葬儀の時しか会っていないくらいだし。
「え、アサト知らないの?」
宇佐見の声が裏返った。
「じいちゃん、ばあちゃんの家に遊びに行ったりしなかったわけ?」
「うん……。というか、僕が生まれた時にはもう亡くなっていたって聞かされてきたから」
自分は両親の遅い時の子だから。
それは、仕方のないことだから。
「ま、そういうこともあり得るか。たいしたことじゃないな」
藤石はそう言いながら、権利証をめくった。
白井は、中高生のような男の顔を見つめた。
「たいしたことじゃない、ですか?」
「ああ」
藤石の眠そうな目に見つめられる。
「単に、シロップが母方の家のことを知らないだけだろうよ」
「はあ……」
「だから気になって、こうしてわざわざ俺のところに来たんじゃないのか?」
「……」
藤石の顔が少しだけ意地悪いものに変わった。
「さらに、そんなお前を困惑させてやろう」
権利証の最後のページと、コピー用紙に印字された登記簿を並べて、藤石は両手の人差し指でそれぞれを指し示した。
「この権利証に書かれているのは……誰かの墓地だ」
「え?」
「墓地ぃ?」
宇佐見が変な声を上げると、藤石は舌打ちをして、うるさいと言った。
白井はコピー用紙に印字された登記の内容を見つめた。
【地目】――墓地。
「あの……墓地って、普通はお寺にあるものですよね」
「現在だと大方そうだな。でも田舎の方に行くと、たまに山道とかで小さい墓とかあるだろう。見たことないか?」
見たことあるような気もする。
宇佐見が横から口を出した。
「ねえ、チビ書士。それじゃあ、これはアサトのおじいさん、おばあさんのお墓なの?」
「知るか」
「何でさ」
「そんなことは書いてないから、だ。まあ、それでも確実なことはただ一つ。この伊藤美津子という女性がシロップの母親なら、お前は間違いなく相続人だ。この土地を手に入れる権利がキミにはある。良かったな」
畳一枚くらいだけど、藤石は付け加えた。
「あ、あの」
白井は急に心細くなった。
「母方のルーツを調べては……くれないのですか」
藤石は頬杖をつき、こちらを見た。
眠そうな目だ。
「普通はそう来るよな」
「……難しいんですか?」
「調べるのは簡単だよ。ただ、お前はこの土地のこととか何も知らなかったんだろ?今もご先祖の墓が立っているかもしれないのに」
「……それは」
「親戚付き合いがなかった話はさっき聞いた。そうじゃなくて」
「え?」
「意図的に、お前の母親が実家と距離を置いていたらどうする。要は、シロップを関わらせたくない理由が別にあったとしたら……この墓地を調べることでお前の得た情報が、喜ばしいものとは限らないだろうよ」
部屋の空気が張りつめていく。
――。
――何だろう。
急に後ろめたい気分になった。
白井の口からは、取り繕うような言葉が溢れた。
「そ、その権利証と一緒に、歌もあったんです」
「歌?」
「短歌……っていうのかわからないですけど、その歌の意味を調べるにも、母方のルーツを……その……」
途中から自分でも適当なことを言っているのがわかった。歌の解釈と墓地の秘密と関係があるとは限らない。
当然のように、藤石はため息を吐いた。
「歌、ね。なるほど」
その顔は合点がいったようには見えない。無理もなかった。
すると、突然、宇佐見が頬を膨らませながら声を上げた。
「チビ書士はさっきから何が言いたいの?手伝ってあげたっていいじゃん。どうせ仕事の依頼もなくてヒマしてるんでしょ?」
「お前、ついに言ってはいけないことを言いやがったな……」
横目で異国顔の男を睨みつけつつ、藤石は白井に向き直った。
「どんな事実が隠されてようと母方のルーツが知りたいというなら、俺も墓地の相続に関する仕事なら受けるよ」
――。
「本当ですか、フジさん」
「ついでに、白井家の土地建物も合わせて手続きしてやる。が、金は取るぞ」
「もちろんです」
「えっ!タダじゃないの?チビ書士はケチだなあ」
「いや、ウサさん、僕は平気だから。むしろそっちの方が……」
ありがたかった。
無理にお願いしている気分になるのはイヤだった。
「よろしくお願いします」
白井が藤石に頭を下げると、小柄な司法書士は黄色の眼鏡を拭きながらあくびをした。
「ただ、その歌とやらについては、俺は関係ないからな。忠告しておくぞ。きっと、今以上にお前は悩むことになる」
「え?」
「俺が示してやれるのは戸籍に載っている情報のみ。それ以外の先祖の過去を暴くような真似、俺はゴメンだ。子孫の自己満足に付き合うつもりはない」
「……」
藤石は、テーブルに散らかった紙類を片付けながら立ち上がった。
「そいじゃ、さっそく行くか」
「え?」
「どこに?」
小柄で秀麗な顔立ちの男は片目を細めて言った。
「役所だよ。書類さえ揃えりゃ、こんな仕事一日で終わる」
天気は秋晴れと呼ぶにふさわしく、澄んだ青空がビル群の間からのぞいている。風は冷たさを増しつつあるが、日差しが強いせいかかえって心地よい。
平日とはいえ、横浜周辺はかなりの人混みだった。デパートのディスプレイには、ハロウィンの飾り付けがなされ、マネキンは冬物の衣服を身に着けていた。
――もうすぐ季節が一周してしまう。
どんなものに対しても、白井は自分の境遇を重ねた。去年の今頃は、母親はまだ元気だった気がする。
――やめよう。
二十四の男が、いつまで死んだ人間のことにしがみついているんだ。
「アサト!」
待ち合わせの郵便局の前で、長身の男が手を振っていた。白井は、沈んだ顔を悟られないよう、いつも以上に前髪を気にした。
「今日はありがとう、ウサさん。その先生の事務所はここから近いの?」
「少し歩くけど、すぐそこだよ。あ、そうそう」
宇佐見が白井の前髪を引っ掴むと、頬を膨らませた。
「すっごくイヤな奴だからね。弱みを見せると付け込んでくるから、アサトも堂々としなよ。そんな顔してると、相手の思うつぼだよ」
白井は軽く宇佐見の手を払うと、ため息を吐いた。
「この前も聞いたけど……どうしてそんな人が親切な法律家なんて仕事しているのさ」
「オレが聞きたいよ。えげつないことしているに違いないんだ」
「……はあ」
さらに気持ちがふさぎ込む。
白井は足取り重く、賑やかな通りを進んで行った。
『ふじいし司法書士事務所』は、繁華街とは逆側、駅から少し離れた静かな場所にあった。大きなビルも見られるが、昔からある商店街と上手く共存しているエリアだ。
三階建ての小さなビルの一階はコンビニで、事務所はそこの二階に入っている。白井と宇佐見は中へと続く階段を上っていった。二人で並ぶと、すれ違うのも難しいくらい狭い踊り場だ。
そして、目の前に現れた事務所のドアには、何やら紙がマグネットで貼りつけてあった。
――ただいま外出中です。御用の方は下記までお電話ください。
「あれ、アイツ……いないぞ」
宇佐見がスマートホンを取り出した時だった。
白井の背後に人の気配がした。
三階の住人だろうか。黄色の眼鏡をかけた中高生くらいの少年が立ち往生していた。
――。
白井は思わずその顔を見つめてしまった。
アイドルグループや雑誌モデルなどにいそうな、とても綺麗な顔立ちの少年だった。くっきりとした二重が眠そうにも不機嫌そうにも見える。その視線が向けられ、白井は無駄に狼狽した。
「す、すみません」
白井が慌てて階段の方へ避けようとすると、少年が宇佐見を見上げた。
「邪魔だ、ウサ」
その乱暴な口の利き方と、その大人びた声に白井は驚いた。
――嘘、まさか。
「あ、チビ書士!」
その瞬間、小柄な人物が宇佐見に前蹴りを喰らわせると、巨体がドアにぶち当たった。
「年長者に対する口の利き方を、小学校で教わり直してこいって言っただろうが」
中学生のような男が、舌打ちをしながら鍵穴に鍵を突っ込む。そして、白井の方を向き直ると、首を傾げるように会釈をした。
「中へどうぞ」
応接用のテーブルに、緑茶の入った湯呑が一つ、コーラの入ったグラスが一つ、それと缶チューハイが置かれた。
――。
宇佐見が缶チューハイを片手で開けながら、口を尖らせた。
「せっかくお客さんを連れて来たのに、いきなり蹴飛ばすとか、それでも大人?」
しかし、小柄な男は宇佐見を無視して、白井に名刺を差し出した。
『司法書士 藤石宏海』
「はじめまして、藤石と申します。今日は横浜までわざわざ遠くから……」
小柄な男――藤石はそう挨拶しかけたところで、白井を見つめた。
「……平気?」
「え?」
「顔、真っ青だけど」
相手の、どこか面白がるような笑い方が気に障った。それでも白井は、頭を下げながら挨拶をした。
「大丈夫です。僕は白井といいます。色白なのは生まれつきで……」
「白井」
藤石が首をかしげた。
「名は体を表すとはよく言ったもんだな。そのまんまだ」
宇佐見の前情報どおりだ。
――嫌な人だな。
友人を横目で見ると、何やらうなずいている。
――言い返せって?
いつもの白井なら、ここで聞き流してやり過ごす。下手に事態を悪化させる必要もない。子どもの頃から培ってきた、渡世術だった。ところが、なぜか今回は耐えられそうになかった。
相手の、幼げな容姿のせいだろうか。
「藤石……先生」
白井の押し殺した声に、小柄な司法書士はため息を吐いた。
「その先生ってやめて。バカにされている気がするんだよ。だいたい、まだ何も仕事をもらっていないしね」
――この人、本当にイヤだ。
白井の中で、何かが弾けた。
「それなら、フジさん……と呼んで良いですか」
コーラの氷が溶けて音を立てる。
藤石が口をひん曲げて、強い眼差しで白井を見つめている。宇佐見はうつむいて笑いをこらえていた。
白井は、急に心が寒気立った。
「あ、いや、あの」
「おもしろい」
「え」
「なるほどね。ナイス皮肉だ。頭いいな……この野郎め」
藤石は、さらに意地悪そうな顔で宇佐見を指差した。
「それじゃ、コイツはチョモランマだ。見た目も外国人みたいだし、丁度いい」
「そうさ。オレの足元にも及ばないんだよ、富士山は」
「先輩相手にくだらないシャレをほざくな」
「先に自分で言ったんでしょうよ!」
「最初に言ったのは、ここにいるシライくんだぞ」
眠そうな目が白井を見つめた。そして、首を傾げて口を開いた。
「……それで、キミは何の用で来たの?」
年長者であるから、敬語でないのは構わないのだが、ところどころで偉そうだった。少なくとも、こちらは客人としてここに――。
――いや、まだお金払ってないからお客じゃないのか。
何と言って切り出せば良いのか、白井は言葉に窮した。すると、すぐに友人が助け船を出してくれた。
「仕事の話だって、昨日連絡したのに。聞いてなかったの?」
「仕事として受けるかどうかは、俺が決める。先に用件を言ってくれりゃ、わざわざ横浜まで来なくて済んだかもしれないのに」
白井はとにかく帰りたくなってしまった。そもそも藤石の態度、最初から話を聞くつもりがないのかもしれない。
すると、(勝手に)宇佐見が白井の鞄から、例の汚れた冊子を取り出してテーブルに置いた。
ほぼ同時に、藤石が目を細めた。
「ずいぶんとまあ、古い権利証だな」
藤石が破れそうな紙に臆することなく、パラパラとめくった。
白井はそれを見つめながら口を開いた。
「これが何なのか知りたいんです」
「権利証だってば。そう書いてあるし、そう言っただろう」
「そうじゃなくて、ですね……」
「このバカチビ!中身を見て欲しいに決まっているじゃんよ」
藤石はハイハイと言ってコーラを飲み干した。この徹底した不真面目な態度、接客向きではないと白井は強く感じた。
「ところで、シライくん」
おもむろに、藤石が口を開いた。
「は、はあ」
「宇佐見とは同級生と聞いたけど」
「は、そうです」
「難儀な人生を送ってるんだろうな」
「いえ、そんな」
「……何だよ。せっかくウサを滅ぼす仲間が出来たと思ったのに」
そして口をひん曲げて笑った。
――。
その『仲間』という言葉に、白井の胸が少しだけ震えた。
それだけで、なぜか今までの藤石の酷い態度が気にならなくなった。
「フジさん」
「何だね」
普通に返事をされ、白井の口から自然と言葉が次いで出た。
「……ウサさんは、その……こんな僕を、イジメに遭うような僕と仲良くしてくれた人なんです。あまり、悪く言わないで欲しいです」
「お前がいじめられたことなんて知ったこっちゃない。この馬鹿ウサのせいで、実害が出ているんだよ。話をすり替えるな」
「……」
「俺は、自分が知らない事実などから、人となりを判断しない。ガキじゃあるまいし、イジメられていただの、親がいないだの、それがどうしたって話だ。今、起こっていることを話しやがれ」
――。
なぜかわからない。
しかし、不思議と藤石の言葉に励まされた自分がいた。
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「それは、母の遺品から出てきたんです」
「遺品?シロップの自宅の権利証にしちゃ、古過ぎるよな……お前の家、武家屋敷か?」
「シ、シロップ?」
謎の呼び名に白井は心から動揺した。しかも、もう『お前』呼ばわりだ。
「何ですか、それ……」
「このウサを甘やかしているのは、お前のような気がする」
よくわからないことを言いながら、藤石は慣れた手つきで権利証のページを次々と捲っていく。薄い半紙がカサカサと音を立てた。
そして最後のページに目を落としたまま藤石が言った。
「この権利証が何なのか知りたいんだな」
「は、はい」
「最初に確認だ。お袋さんの名前は?」
「え……、あ、白井美津子です」
「旧姓は」
「旧姓は……確か伊藤です」
「では当たりかな。ちょっと待ってろ」
そう言うと、小柄な司法書士は応接室を出て行った。しばらくすると、白いコピー用紙に何やら書かれたものを白井と宇佐見に見せてきた。
「これは、登記簿といって、日本中の不動産の情報が書かれたものだ。今ではネットからも取得できる。そいじゃ、シロップと馬鹿ウサのために、このボロボロ権利証について、わかりやすく説明してやろう」
藤石は、権利証をこちらに見せながら言った。
「まず、これは現在の白井家の権利証ではない。それの在り処も念のため確認しておけよ」
「え、はい」
これが実家の権利証でないなら、何だ――。
「こいつは、シロップのお袋さんが結婚する前に土地を相続した時の権利証だ。当時死んだのは誰か……まあ親父さんあたりかな。シロップのじいさん……あれ?」
違うのか、そう小声で聞こえた。
「……この時亡くなったのは柳田幸三。誰だか知っているか?」
――。
「いえ……すみません。僕、母方の親族は……誰も知らないんです」
――父方の親戚だって、葬儀の時しか会っていないくらいだし。
「え、アサト知らないの?」
宇佐見の声が裏返った。
「じいちゃん、ばあちゃんの家に遊びに行ったりしなかったわけ?」
「うん……。というか、僕が生まれた時にはもう亡くなっていたって聞かされてきたから」
自分は両親の遅い時の子だから。
それは、仕方のないことだから。
「ま、そういうこともあり得るか。たいしたことじゃないな」
藤石はそう言いながら、権利証をめくった。
白井は、中高生のような男の顔を見つめた。
「たいしたことじゃない、ですか?」
「ああ」
藤石の眠そうな目に見つめられる。
「単に、シロップが母方の家のことを知らないだけだろうよ」
「はあ……」
「だから気になって、こうしてわざわざ俺のところに来たんじゃないのか?」
「……」
藤石の顔が少しだけ意地悪いものに変わった。
「さらに、そんなお前を困惑させてやろう」
権利証の最後のページと、コピー用紙に印字された登記簿を並べて、藤石は両手の人差し指でそれぞれを指し示した。
「この権利証に書かれているのは……誰かの墓地だ」
「え?」
「墓地ぃ?」
宇佐見が変な声を上げると、藤石は舌打ちをして、うるさいと言った。
白井はコピー用紙に印字された登記の内容を見つめた。
【地目】――墓地。
「あの……墓地って、普通はお寺にあるものですよね」
「現在だと大方そうだな。でも田舎の方に行くと、たまに山道とかで小さい墓とかあるだろう。見たことないか?」
見たことあるような気もする。
宇佐見が横から口を出した。
「ねえ、チビ書士。それじゃあ、これはアサトのおじいさん、おばあさんのお墓なの?」
「知るか」
「何でさ」
「そんなことは書いてないから、だ。まあ、それでも確実なことはただ一つ。この伊藤美津子という女性がシロップの母親なら、お前は間違いなく相続人だ。この土地を手に入れる権利がキミにはある。良かったな」
畳一枚くらいだけど、藤石は付け加えた。
「あ、あの」
白井は急に心細くなった。
「母方のルーツを調べては……くれないのですか」
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眠そうな目だ。
「普通はそう来るよな」
「……難しいんですか?」
「調べるのは簡単だよ。ただ、お前はこの土地のこととか何も知らなかったんだろ?今もご先祖の墓が立っているかもしれないのに」
「……それは」
「親戚付き合いがなかった話はさっき聞いた。そうじゃなくて」
「え?」
「意図的に、お前の母親が実家と距離を置いていたらどうする。要は、シロップを関わらせたくない理由が別にあったとしたら……この墓地を調べることでお前の得た情報が、喜ばしいものとは限らないだろうよ」
部屋の空気が張りつめていく。
――。
――何だろう。
急に後ろめたい気分になった。
白井の口からは、取り繕うような言葉が溢れた。
「そ、その権利証と一緒に、歌もあったんです」
「歌?」
「短歌……っていうのかわからないですけど、その歌の意味を調べるにも、母方のルーツを……その……」
途中から自分でも適当なことを言っているのがわかった。歌の解釈と墓地の秘密と関係があるとは限らない。
当然のように、藤石はため息を吐いた。
「歌、ね。なるほど」
その顔は合点がいったようには見えない。無理もなかった。
すると、突然、宇佐見が頬を膨らませながら声を上げた。
「チビ書士はさっきから何が言いたいの?手伝ってあげたっていいじゃん。どうせ仕事の依頼もなくてヒマしてるんでしょ?」
「お前、ついに言ってはいけないことを言いやがったな……」
横目で異国顔の男を睨みつけつつ、藤石は白井に向き直った。
「どんな事実が隠されてようと母方のルーツが知りたいというなら、俺も墓地の相続に関する仕事なら受けるよ」
――。
「本当ですか、フジさん」
「ついでに、白井家の土地建物も合わせて手続きしてやる。が、金は取るぞ」
「もちろんです」
「えっ!タダじゃないの?チビ書士はケチだなあ」
「いや、ウサさん、僕は平気だから。むしろそっちの方が……」
ありがたかった。
無理にお願いしている気分になるのはイヤだった。
「よろしくお願いします」
白井が藤石に頭を下げると、小柄な司法書士は黄色の眼鏡を拭きながらあくびをした。
「ただ、その歌とやらについては、俺は関係ないからな。忠告しておくぞ。きっと、今以上にお前は悩むことになる」
「え?」
「俺が示してやれるのは戸籍に載っている情報のみ。それ以外の先祖の過去を暴くような真似、俺はゴメンだ。子孫の自己満足に付き合うつもりはない」
「……」
藤石は、テーブルに散らかった紙類を片付けながら立ち上がった。
「そいじゃ、さっそく行くか」
「え?」
「どこに?」
小柄で秀麗な顔立ちの男は片目を細めて言った。
「役所だよ。書類さえ揃えりゃ、こんな仕事一日で終わる」
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