君よ、土中の夢を詠え

ヒロヤ

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十月十九日(水)不思議な司法書士

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 水曜日の午後、白井は友人の宇佐見の紹介で、司法書士を訪ねるため横浜までやってきた。

 天気は秋晴れと呼ぶにふさわしく、澄んだ青空がビル群の間からのぞいている。風は冷たさを増しつつあるが、日差しが強いせいかかえって心地よい。

 平日とはいえ、横浜周辺はかなりの人混みだった。デパートのディスプレイには、ハロウィンの飾り付けがなされ、マネキンは冬物の衣服を身に着けていた。

 ――もうすぐ季節が一周してしまう。

 どんなものに対しても、白井は自分の境遇を重ねた。去年の今頃は、母親はまだ元気だった気がする。

 ――やめよう。

 二十四の男が、いつまで死んだ人間のことにしがみついているんだ。

「アサト!」

 待ち合わせの郵便局の前で、長身の男が手を振っていた。白井は、沈んだ顔を悟られないよう、いつも以上に前髪を気にした。

「今日はありがとう、ウサさん。その先生の事務所はここから近いの?」

「少し歩くけど、すぐそこだよ。あ、そうそう」

 宇佐見が白井の前髪を引っ掴むと、頬を膨らませた。

「すっごくイヤな奴だからね。弱みを見せると付け込んでくるから、アサトも堂々としなよ。そんな顔してると、相手の思うつぼだよ」

 白井は軽く宇佐見の手を払うと、ため息を吐いた。

「この前も聞いたけど……どうしてそんな人が親切な法律家なんて仕事しているのさ」

「オレが聞きたいよ。えげつないことしているに違いないんだ」

「……はあ」

 さらに気持ちがふさぎ込む。

 白井は足取り重く、賑やかな通りを進んで行った。



 『ふじいし司法書士事務所』は、繁華街とは逆側、駅から少し離れた静かな場所にあった。大きなビルも見られるが、昔からある商店街と上手く共存しているエリアだ。

 三階建ての小さなビルの一階はコンビニで、事務所はそこの二階に入っている。白井と宇佐見は中へと続く階段を上っていった。二人で並ぶと、すれ違うのも難しいくらい狭い踊り場だ。


 そして、目の前に現れた事務所のドアには、何やら紙がマグネットで貼りつけてあった。


  ――ただいま外出中です。御用の方は下記までお電話ください。


「あれ、アイツ……いないぞ」

 宇佐見がスマートホンを取り出した時だった。

 
 白井の背後に人の気配がした。


 三階の住人だろうか。黄色の眼鏡をかけた中高生くらいの少年が立ち往生していた。

 ――。

 白井は思わずその顔を見つめてしまった。
 
 アイドルグループや雑誌モデルなどにいそうな、とても綺麗な顔立ちの少年だった。くっきりとした二重が眠そうにも不機嫌そうにも見える。その視線が向けられ、白井は無駄に狼狽した。

「す、すみません」

 白井が慌てて階段の方へ避けようとすると、少年が宇佐見を見上げた。


「邪魔だ、ウサ」

 その乱暴な口の利き方と、その大人びた声に白井は驚いた。

 ――嘘、まさか。

「あ、チビ書士!」

 その瞬間、小柄な人物が宇佐見に前蹴りを喰らわせると、巨体がドアにぶち当たった。

「年長者に対する口の利き方を、小学校で教わり直してこいって言っただろうが」

 中学生のような男が、舌打ちをしながら鍵穴に鍵を突っ込む。そして、白井の方を向き直ると、首を傾げるように会釈をした。

「中へどうぞ」



 応接用のテーブルに、緑茶の入った湯呑が一つ、コーラの入ったグラスが一つ、それと缶チューハイが置かれた。

 ――。

 宇佐見が缶チューハイを片手で開けながら、口を尖らせた。

「せっかくお客さんを連れて来たのに、いきなり蹴飛ばすとか、それでも大人?」

 しかし、小柄な男は宇佐見を無視して、白井に名刺を差し出した。

 『司法書士 藤石宏海』

「はじめまして、藤石と申します。今日は横浜までわざわざ遠くから……」

 小柄な男――藤石はそう挨拶しかけたところで、白井を見つめた。

「……平気?」

「え?」

「顔、真っ青だけど」

 相手の、どこか面白がるような笑い方が気に障った。それでも白井は、頭を下げながら挨拶をした。

「大丈夫です。僕は白井といいます。色白なのは生まれつきで……」

「白井」

 藤石が首をかしげた。

「名は体を表すとはよく言ったもんだな。そのまんまだ」

 宇佐見の前情報どおりだ。

 ――嫌な人だな。

 友人を横目で見ると、何やらうなずいている。

 ――言い返せって?

 いつもの白井なら、ここで聞き流してやり過ごす。下手に事態を悪化させる必要もない。子どもの頃から培ってきた、渡世術だった。ところが、なぜか今回は耐えられそうになかった。

 相手の、幼げな容姿のせいだろうか。

「藤石……先生」

 白井の押し殺した声に、小柄な司法書士はため息を吐いた。

「その先生ってやめて。バカにされている気がするんだよ。だいたい、まだ何も仕事をもらっていないしね」

 ――この人、本当にイヤだ。

 白井の中で、何かが弾けた。

「それなら、フジさん……と呼んで良いですか」

 コーラの氷が溶けて音を立てる。

 藤石が口をひん曲げて、強い眼差しで白井を見つめている。宇佐見はうつむいて笑いをこらえていた。

 白井は、急に心が寒気立った。

「あ、いや、あの」

「おもしろい」

「え」

「なるほどね。ナイス皮肉だ。頭いいな……この野郎め」

 藤石は、さらに意地悪そうな顔で宇佐見を指差した。

「それじゃ、コイツはチョモランマだ。見た目も外国人みたいだし、丁度いい」

「そうさ。オレの足元にも及ばないんだよ、は」

「先輩相手にくだらないシャレをほざくな」

「先に自分で言ったんでしょうよ!」

「最初に言ったのは、ここにいるシライくんだぞ」

 眠そうな目が白井を見つめた。そして、首を傾げて口を開いた。

「……それで、キミは何の用で来たの?」

 年長者であるから、敬語でないのは構わないのだが、ところどころで偉そうだった。少なくとも、こちらは客人としてここに――。

 ――いや、まだお金払ってないからお客じゃないのか。

 何と言って切り出せば良いのか、白井は言葉に窮した。すると、すぐに友人が助け船を出してくれた。

「仕事の話だって、昨日連絡したのに。聞いてなかったの?」

「仕事として受けるかどうかは、俺が決める。先に用件を言ってくれりゃ、わざわざ横浜まで来なくて済んだかもしれないのに」

 白井はとにかく帰りたくなってしまった。そもそも藤石の態度、最初から話を聞くつもりがないのかもしれない。

 すると、(勝手に)宇佐見が白井の鞄から、例の汚れた冊子を取り出してテーブルに置いた。

 ほぼ同時に、藤石が目を細めた。

「ずいぶんとまあ、古い権利証だな」

 藤石が破れそうな紙に臆することなく、パラパラとめくった。

 白井はそれを見つめながら口を開いた。

「これが何なのか知りたいんです」

「権利証だってば。そう書いてあるし、そう言っただろう」

「そうじゃなくて、ですね……」

「このバカチビ!中身を見て欲しいに決まっているじゃんよ」

 藤石はハイハイと言ってコーラを飲み干した。この徹底した不真面目な態度、接客向きではないと白井は強く感じた。

「ところで、シライくん」

 おもむろに、藤石が口を開いた。

「は、はあ」

「宇佐見とは同級生と聞いたけど」

「は、そうです」

「難儀な人生を送ってるんだろうな」

「いえ、そんな」

「……何だよ。せっかくウサを滅ぼす仲間が出来たと思ったのに」

 そして口をひん曲げて笑った。

 ――。

 その『仲間』という言葉に、白井の胸が少しだけ震えた。
 それだけで、なぜか今までの藤石の酷い態度が気にならなくなった。

「フジさん」

「何だね」

 普通に返事をされ、白井の口から自然と言葉が次いで出た。

「……ウサさんは、その……こんな僕を、イジメに遭うような僕と仲良くしてくれた人なんです。あまり、悪く言わないで欲しいです」

「お前がいじめられたことなんて知ったこっちゃない。この馬鹿ウサのせいで、実害が出ているんだよ。話をすり替えるな」

「……」

「俺は、自分が知らない事実などから、人となりを判断しない。ガキじゃあるまいし、イジメられていただの、親がいないだの、それがどうしたって話だ。今、起こっていることを話しやがれ」

 ――。

 なぜかわからない。

 しかし、不思議と藤石の言葉に励まされた自分がいた。

 白井は、小声で謝ると、ボロボロの権利証を指差した。

「それは、母の遺品から出てきたんです」

「遺品?シロップの自宅の権利証にしちゃ、古過ぎるよな……お前の家、武家屋敷か?」

「シ、シロップ?」

 謎の呼び名に白井は心から動揺した。しかも、もう『お前』呼ばわりだ。

「何ですか、それ……」

「このウサを甘やかしているのは、お前のような気がする」

 よくわからないことを言いながら、藤石は慣れた手つきで権利証のページを次々と捲っていく。薄い半紙がカサカサと音を立てた。

 そして最後のページに目を落としたまま藤石が言った。

「この権利証が何なのか知りたいんだな」

「は、はい」

「最初に確認だ。お袋さんの名前は?」

「え……、あ、白井美津子です」

「旧姓は」

「旧姓は……確か伊藤です」

「では当たりかな。ちょっと待ってろ」

 そう言うと、小柄な司法書士は応接室を出て行った。しばらくすると、白いコピー用紙に何やら書かれたものを白井と宇佐見に見せてきた。

「これは、登記簿といって、日本中の不動産の情報が書かれたものだ。今ではネットからも取得できる。そいじゃ、シロップと馬鹿ウサのために、このボロボロ権利証について、わかりやすく説明してやろう」

 藤石は、権利証をこちらに見せながら言った。

「まず、これは現在の白井家の権利証ではない。それの在り処も念のため確認しておけよ」

「え、はい」

 これが実家の権利証でないなら、何だ――。

「こいつは、シロップのお袋さんが結婚する前に土地を相続した時の権利証だ。当時死んだのは誰か……まあ親父さんあたりかな。シロップのじいさん……あれ?」

 違うのか、そう小声で聞こえた。

「……この時亡くなったのは柳田幸三。誰だか知っているか?」

 ――。

「いえ……すみません。僕、母方の親族は……誰も知らないんです」

 ――父方の親戚だって、葬儀の時しか会っていないくらいだし。

「え、アサト知らないの?」

 宇佐見の声が裏返った。

「じいちゃん、ばあちゃんの家に遊びに行ったりしなかったわけ?」

「うん……。というか、僕が生まれた時にはもう亡くなっていたって聞かされてきたから」

 自分は両親の遅い時の子だから。
 それは、仕方のないことだから。

「ま、そういうこともあり得るか。たいしたことじゃないな」

 藤石はそう言いながら、権利証をめくった。

 白井は、中高生のような男の顔を見つめた。

「たいしたことじゃない、ですか?」

「ああ」

 藤石の眠そうな目に見つめられる。

「単に、シロップが母方の家のことを知らないだけだろうよ」

「はあ……」

「だから気になって、こうしてわざわざ俺のところに来たんじゃないのか?」

「……」

 藤石の顔が少しだけ意地悪いものに変わった。

「さらに、そんなお前を困惑させてやろう」

 権利証の最後のページと、コピー用紙に印字された登記簿を並べて、藤石は両手の人差し指でそれぞれを指し示した。

「この権利証に書かれているのは……誰かの墓地だ」

「え?」
「墓地ぃ?」

 宇佐見が変な声を上げると、藤石は舌打ちをして、うるさいと言った。

 白井はコピー用紙に印字された登記の内容を見つめた。


 【地目】――墓地。


「あの……墓地って、普通はお寺にあるものですよね」

「現在だと大方そうだな。でも田舎の方に行くと、たまに山道とかで小さい墓とかあるだろう。見たことないか?」

 見たことあるような気もする。

 宇佐見が横から口を出した。

「ねえ、チビ書士。それじゃあ、これはアサトのおじいさん、おばあさんのお墓なの?」

「知るか」

「何でさ」

「そんなことは書いてないから、だ。まあ、それでも確実なことはただ一つ。この伊藤美津子という女性がシロップの母親なら、お前は間違いなく相続人だ。この土地を手に入れる権利がキミにはある。良かったな」

 畳一枚くらいだけど、藤石は付け加えた。

「あ、あの」

 白井は急に心細くなった。

「母方のルーツを調べては……くれないのですか」

 藤石は頬杖をつき、こちらを見た。

 眠そうな目だ。

「普通はそう来るよな」

「……難しいんですか?」

「調べるのは簡単だよ。ただ、お前はこの土地のこととか何も知らなかったんだろ?今もご先祖の墓が立っているかもしれないのに」

「……それは」

「親戚付き合いがなかった話はさっき聞いた。そうじゃなくて」

「え?」

「意図的に、お前の母親が実家と距離を置いていたらどうする。要は、シロップを関わらせたくない理由が別にあったとしたら……この墓地を調べることでお前の得た情報が、喜ばしいものとは限らないだろうよ」

 部屋の空気が張りつめていく。

 ――。
 ――何だろう。

 急に後ろめたい気分になった。

 白井の口からは、取り繕うような言葉が溢れた。

「そ、その権利証と一緒に、歌もあったんです」

「歌?」

「短歌……っていうのかわからないですけど、その歌の意味を調べるにも、母方のルーツを……その……」

 途中から自分でも適当なことを言っているのがわかった。歌の解釈と墓地の秘密と関係があるとは限らない。

 当然のように、藤石はため息を吐いた。

「歌、ね。なるほど」

 その顔は合点がいったようには見えない。無理もなかった。

 すると、突然、宇佐見が頬を膨らませながら声を上げた。

「チビ書士はさっきから何が言いたいの?手伝ってあげたっていいじゃん。どうせ仕事の依頼もなくてヒマしてるんでしょ?」

「お前、ついに言ってはいけないことを言いやがったな……」

 横目で異国顔の男を睨みつけつつ、藤石は白井に向き直った。

「どんな事実が隠されてようと母方のルーツが知りたいというなら、俺も墓地の相続に関する仕事なら受けるよ」

 ――。

「本当ですか、フジさん」

「ついでに、白井家の土地建物も合わせて手続きしてやる。が、金は取るぞ」

「もちろんです」

「えっ!タダじゃないの?チビ書士はケチだなあ」

「いや、ウサさん、僕は平気だから。むしろそっちの方が……」

 ありがたかった。
 無理にお願いしている気分になるのはイヤだった。

「よろしくお願いします」

 白井が藤石に頭を下げると、小柄な司法書士は黄色の眼鏡を拭きながらあくびをした。

「ただ、その歌とやらについては、俺は関係ないからな。忠告しておくぞ。きっと、今以上にお前は悩むことになる」

「え?」

「俺が示してやれるのは戸籍に載っている情報のみ。それ以外の先祖の過去を暴くような真似、俺はゴメンだ。子孫の自己満足に付き合うつもりはない」

「……」

 藤石は、テーブルに散らかった紙類を片付けながら立ち上がった。

「そいじゃ、さっそく行くか」

「え?」

「どこに?」

 小柄で秀麗な顔立ちの男は片目を細めて言った。

「役所だよ。書類さえ揃えりゃ、こんな仕事一日で終わる」
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