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二話
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空は不意に、鉛色の蓋を閉じた。
校門を出るか出ないかのうちに、アスファルトの熱を叩き出すような大粒の雨が降り始める。羽鳥圭は、鞄から折り畳み傘を取り出した。深い紺色の布地を広げると、パッと乾いた音が弾け、自分だけの小さな雨宿りの空間が出来上がる。
その傘の端から、雨を避けて校門の軒下に佇む影が見えた。
「弱ったな。これじゃ、駅に着くまでに全身水浸しだ」
織田准だった。彼は濡れた前髪を無造作にかき上げ、灰色に煙る通学路を恨めしそうに眺めている。
羽鳥は一瞬、足を止めた。心臓の奥が、図書室で蜜柑を受け取った時と同じ律動を刻み始める。彼は傘の柄を握り直し、織田の隣へと歩み寄った。
「……入れよ。駅までだろう?」
「お、恩にきるよ、羽鳥。助かった」
織田が傘の下へと滑り込んでくる。
その瞬間、羽鳥の視界は織田の存在で埋め尽くされた。石鹸の香りに、湿った土と雨の匂いが混じり合い、肺の奥まで重く沈み込んでくる。
二人の肩が、歩くたびに微かに触れ合った。制服の薄い布地越しに伝わるのは、羽鳥が今まで知らずにいた、他者の圧倒的な熱量である。
「お前、傘の持ち方が几帳面だな。垂直に、一分も狂わせないつもりか?」
「濡れないようにするには、これが最も合理的だからだ」
「ははっ、相変わらずだな。でも、そんなに俺の方に寄せたら、お前の左肩が濡れるだろ。ほら、もっとこっちに来い」
織田の逞しい腕が、羽鳥の肩を引き寄せた。
不意の接触に、羽鳥は息を呑む。眼鏡の奥で瞳が激しく揺れ、喉の奥が引き攣るように熱くなった。横目で見る織田の横顔は、雨粒を弾いて彫刻のように美しい。
「……近い」
「傘が小さいんだ。辛抱しろ。それとも、俺の体温が移るのが嫌か?」
「嫌じゃない。ただ、慣れていないだけだ」
羽鳥は、自分の声が雨音に紛れて震えていないことを願った。
足元では水飛沫が上がり、アスファルトからは鉄の匂いが立ち昇っている。世界は雨に閉ざされ、紺色の傘の下だけが、二人だけの隔離された宇宙となった。
駅のホームへ辿り着いた時、二人の肩口は等しく濡れていた。
羽鳥は傘を閉じ、滴り落ちる雨水を眺める。織田は、濡れた自分の肩を気にする風もなく、どこか満足げに羽鳥を見つめていた。
「また明日、図書室でな。次は何か、もっと明るい話の本を勧めてくれよ」
「努力はする」
織田が改札へと消えていく。
羽鳥は自分の肩に残る、まだ消えない熱の余韻に触れた。
それは雨の冷たさとは対極にある、ひどく甘酸っぱく、そして切実な温度だった。
校門を出るか出ないかのうちに、アスファルトの熱を叩き出すような大粒の雨が降り始める。羽鳥圭は、鞄から折り畳み傘を取り出した。深い紺色の布地を広げると、パッと乾いた音が弾け、自分だけの小さな雨宿りの空間が出来上がる。
その傘の端から、雨を避けて校門の軒下に佇む影が見えた。
「弱ったな。これじゃ、駅に着くまでに全身水浸しだ」
織田准だった。彼は濡れた前髪を無造作にかき上げ、灰色に煙る通学路を恨めしそうに眺めている。
羽鳥は一瞬、足を止めた。心臓の奥が、図書室で蜜柑を受け取った時と同じ律動を刻み始める。彼は傘の柄を握り直し、織田の隣へと歩み寄った。
「……入れよ。駅までだろう?」
「お、恩にきるよ、羽鳥。助かった」
織田が傘の下へと滑り込んでくる。
その瞬間、羽鳥の視界は織田の存在で埋め尽くされた。石鹸の香りに、湿った土と雨の匂いが混じり合い、肺の奥まで重く沈み込んでくる。
二人の肩が、歩くたびに微かに触れ合った。制服の薄い布地越しに伝わるのは、羽鳥が今まで知らずにいた、他者の圧倒的な熱量である。
「お前、傘の持ち方が几帳面だな。垂直に、一分も狂わせないつもりか?」
「濡れないようにするには、これが最も合理的だからだ」
「ははっ、相変わらずだな。でも、そんなに俺の方に寄せたら、お前の左肩が濡れるだろ。ほら、もっとこっちに来い」
織田の逞しい腕が、羽鳥の肩を引き寄せた。
不意の接触に、羽鳥は息を呑む。眼鏡の奥で瞳が激しく揺れ、喉の奥が引き攣るように熱くなった。横目で見る織田の横顔は、雨粒を弾いて彫刻のように美しい。
「……近い」
「傘が小さいんだ。辛抱しろ。それとも、俺の体温が移るのが嫌か?」
「嫌じゃない。ただ、慣れていないだけだ」
羽鳥は、自分の声が雨音に紛れて震えていないことを願った。
足元では水飛沫が上がり、アスファルトからは鉄の匂いが立ち昇っている。世界は雨に閉ざされ、紺色の傘の下だけが、二人だけの隔離された宇宙となった。
駅のホームへ辿り着いた時、二人の肩口は等しく濡れていた。
羽鳥は傘を閉じ、滴り落ちる雨水を眺める。織田は、濡れた自分の肩を気にする風もなく、どこか満足げに羽鳥を見つめていた。
「また明日、図書室でな。次は何か、もっと明るい話の本を勧めてくれよ」
「努力はする」
織田が改札へと消えていく。
羽鳥は自分の肩に残る、まだ消えない熱の余韻に触れた。
それは雨の冷たさとは対極にある、ひどく甘酸っぱく、そして切実な温度だった。
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