書架の蜜、指先の熱

Sina

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三話

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 図書室の柱時計が、重苦しい低音で三時を告げた。
 羽鳥圭は、窓から差し込む光の束の中に、微かな埃の舞いを見出していた。それはまるで、無数の小さな羽虫が黄金の海で踊っているかのようだ。
 カウンターに置かれたのは、昨日貸し出したばかりの詩集である。

「早かったね。もう読み終えたのかい」

 羽鳥の声に、織田准は少し決まり悪そうに鼻先を擦った。
 彼の指先には、常に運動場を駆ける熱情が宿っているはずだが、今はなぜか、借りてきた猫のように大人しい。

「……まあ、な。お前の勧める言葉は、どれも喉に引っかかる。飲み込むのに時間がかかったよ」

 織田はそれだけ言い残すと、部活動の招集がかかったのか、逃げるように立ち去った。
 羽鳥は残された詩集を手に取る。表紙の感触は、織田の体温を吸い取ったかのように微かに温かい。返却の手続きをするため、彼は無造作にページを捲った。

 そこから滑り落ちたのは、一枚の栞だった。
 薄紅色の、紫陽花を押し花にしたものだ。
 それは驚くほど丁寧に、かつ鮮やかに、本来の色彩を保っている。透き通った花びらの脈は、まるで精密な地図のようであり、あるいは極小の蝶の羽のようでもあった。

 羽鳥の指先が、その壊れやすい美しさに触れる。
 石鹸と雨の匂いしか知らないはずの織田が、このような繊細な手仕事をしていたという事実。その落差が、羽鳥の胸の奥を鋭い針で突いたかのように疼かせた。
 彼は栞を光に透かし、その完璧な形を凝視する。

「あ、悪い。忘れ物だ」

 不意に、背後から荒い息遣いが聞こえた。
 振り返れば、扉の影で肩を揺らす織田が立っている。彼の視線は、羽鳥の指の間にある薄紅色の花へと釘付けになっていた。

「これ、君が作ったのかい」
「……ああ。妹の宿題を手伝った余りだよ。柄じゃねえのはわかってる」

 織田の頬が、夕焼けを映したかのように赤らんでいる。
 羽鳥は、彼の言葉の端々に潜む「言い訳」を愛おしく感じた。強靭な肉体を持つ彼が、指先に全神経を集中させてこの小さな花を愛でる姿を想像する。
 喉が、不自然なほどに渇いた。

「返してほしければ、僕に条件がある」
「なんだよ、意地悪な司書だな」
「今度、これの作り方を僕に教えること。それが利子だ」

 羽鳥は、自分でも驚くほど柔らかな手つきで、栞を織田の掌へと返した。
 二人の指先が再び触れ合う。
 今度の熱は、昨日よりもずっと深くまで、羽鳥の血の中へと溶け込んでいった。
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