書架の蜜、指先の熱

Sina

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四話

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 校庭には、焦げ付いた石灰の匂いと、獣めいた咆哮が渦巻いていた。
 体育祭の熱気は、初夏の光を乱反射させ、遠くの校舎を陽炎の向こう側へと追いやっている。羽鳥圭は、救護係の腕章を巻き、テントの影で冷えたペットボトルを握りしめていた。
 
「おい、羽鳥。そんなところで化石になるつもりか?」

 不意に、泥と汗を纏った熱風が吹き込んできた。
 織田准だ。短距離走の予選を終えたばかりの彼は、剥き出しの肩を激しく上下させ、額から滴る汗を無造作に拭っている。

「僕は救護係だ。怪我人がいなければ、化石のように静止しているのが義務だよ」
「相変わらず理屈っぽいな。ほら、その冷たいの、俺に寄越せ」

 織田は羽鳥の手から強引にボトルを奪い取ると、一気に中身を喉へと流し込んだ。隆起する喉仏が、律動的に上下する。羽鳥はその無防備な生命力の発露に、当てられたような眩暈を覚えた。

「……次は決勝だろう。あまり無駄に動き回らない方がいい」
「お前に見られてると思うとな、じっとしてられねえんだよ」

 織田は悪戯っぽく笑い、空になったボトルを羽鳥に投げ返した。
 ピストルの音が響く。決勝の招集だ。織田は軽く足首を回すと、真っ直ぐに羽鳥を見据えた。

「羽鳥。俺が一番でテープを切ったら、今日の帰りに蜜柑より甘いもん、食わせてくれ」
「何を言っているんだ。早く行け」

 羽鳥は突き放すように言ったが、握りしめたペットボトルの、織田の指先が触れていた部分だけが、異常なほどに熱を帯びていることに気づいていた。

 スタートの合図とともに、織田が爆ぜた。
 彼の身体は、周囲の風景を切り裂く一筋の稲妻のようだった。土を蹴り、空気を掴み、ただ一点を目指して疾走するその姿。
 羽鳥はいつの間にか、テントの影から一歩踏み出していた。
 視界が、織田の背中だけで埋まる。
 心臓の鼓動が耳の奥で鐘のように鳴り響き、肺が乾いた熱気を求めて喘いだ。走っているのは自分ではないはずなのに、喉の奥が血の匂いを含んで熱い。

 ゴールテープを切り、勢い余って転倒しそうになる織田を、羽鳥は無意識に目で追っていた。
 砂煙の中で笑う織田と、一瞬だけ視線が重なる。
 それは、書架の陰で交わす沈黙よりもずっと、羽鳥の規律正しい内面を乱暴にかき乱すものだった。

「……眩しすぎるんだ、君は」

 独り言は、勝利を祝う歓声にかき消された。
 羽鳥は、自分の指先が小刻みに震えているのを隠すように、白衣のポケットに深く手を入れた。
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