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余生の始まり

3.揺れる

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 馬車といってもキャンピングカーのような広さの車内。真紘の自室より明らかに広く、この空間ごと外を移動しているのが不思議なくらいであった。
 タイムスリップしたかのようなレトロな装飾。ベロア生地の深いワインレッドのふかふかな椅子。地球でも味わえそうで味わえない、絶妙なラインの非日常感に真紘の心は踊った。
 魔法や身体的変化の方が余程非日常ではあるのだが、気軽に楽しめる範疇を超えてしまっている。
 心が落ち着いてきた真紘の隣で、重盛は意外にも大人しく自身の尻尾を抱えていた。
「重盛、酔ったの?」
「ん? ぜーんぜんへーき。こうも揺られるとねぇ、ちょっと眠くって。さっきから小難しい話しばっかりだし……」
 王都に向かう道中、二人はマルクスから簡単な説明を受けた。
 説明の最中にも真紘は積極的に質問を投げ、それにマルクスが答えていく。初めはへぇだの、ふーんだの相槌を打っていた重盛だが、途中から手遊びを始め、ついに限界を迎えて船を漕ぎ出した。
 敵意がないとはいえ、今日初めて会話したと言っても良いほど交流のなかった同級生と、一回り以上年上の貴族を前に油断しすぎではないだろうか。一文無しの今、知識は何よりも必要なはずだ。
 肩に頭を預けられた真紘は苦笑いを浮かべた。
「重盛様は隣の教会から一人で真紘様のいた教会へ来られたのですから、お疲れでしょう。他の教会へは別部隊がお迎えにあがっているのですが、一カ所で済んだ我々に比べて時間がかかると思います。ゆっくり走らせていますので、真紘様もお休みになってください」
 そう言うとマルクスは大きな体を曲げて立ち上がった。
「ありがとうございます。僕たちの元に来てくれたのがマルクスさんで良かったです」
「はっはっは! おっと……。それは私の台詞ですな」
 笑い声に反応した重盛に配慮して小声になったマルクスは、そろりそろりと馬車を降りて行った。
 寝息を立てる重盛を起こさないように、真紘はゆったりした動きで深く座り直した。
 ベルベットの滑らかでしっとりした触り心地は確かに眠気を誘う。
 首が垂れそうになった時、肩に重盛の頭が乗った。重みを感じながらも嫌な気分ではなかった。真紘も視界を半分ぼやけさせながら、先ほどまで話していた内容を追考していく。

 姿勢を正したマルクスは体の厚みもあり迫力がある。真紘と重盛も背筋を伸ばし、彼の言葉を待った。
「真紘様、重盛様には我々の世界の核である神木に魔力を注いでいただきたいのです」
「神木に魔力を注ぐ?」
「はい。過去の三回の記録を見ても命を落とすような作業ではないと判断できますし、死亡したといった記録もありません。魔力を必要としない地球から来た若者は、この星に生まれた者とは比べ物にならない膨大な魔力を内に秘めています。神木はその地球で育った純度の高い魔力を得て、この星に魔力を巡らせていきます。元々はこの星にも魔力があったのですが、三百年よりもっと前の戦争で愚かにも人々はこの星の魔力を使い果たし、今ではその入れ物であった空の魔石や、生まれながらにして体内に宿る僅かな魔力しか残っていません」
「神木が魔力を得られないとどうなるんですか?」
「すぐに枯れることはないと思いますが、魔力が枯渇するとこの星に命が生まれなくなると云われています。大体百年周期で召喚されるのですが、二十年程遅れた時は水が亡くなり、大地は枯れ、人々の争いが激化したと記録があります」
 ステータスにあったMPを神木に注ぐこと、たったそれだけ。魔法を使えることや、ゲームのようなステータス画面から、てっきり魔王討伐なんて無理難題を命じられるとばかり思っていた真紘はすっかり毒気を抜かれた。
 真紘達はこの星を回す動力のために召喚された。危険がないのであれば協力しない理由がない。真紘と重盛は揃って快諾した。
「役割を終えたら、地球に帰ることはできるのでしょうか」
 冷静を装っていたが真紘の声は少し震えた。
「それは……。帰った、という記録は王都にはありません。ですが、神木への魔力補填を終えた後、一つだけ願いが叶うと云われています。そもそもお二人や救世主様方をこの世界に呼んだのは我々の召喚術などではないのです。遠い昔、戦争による貧困から民を救うため、一人の魔術師が命をかけて施したとされる禁術で、未だ解明されていません。時の流れを司る神が役割を果たした時に現れるとされています。それもこの世界でできることなら、に限定されているそうですが……。何せ数百年に一度のことで、確証を以て説明できない上、こちらの都合で呼び出しておきながら、誠に申し訳ない……」
「いえ、マルクスさんのせいではありませんから……」
 帰れない。
 今でも夢であってほしいと願いながら、真紘は家族の姿を思い描いて瞳をぎゅっと閉じた。
 いつも優しい尊敬する父、明朗闊達でいつも背中を押してくれた母、同じ顔をしているのに自分とは真逆の豪胆な姉、ヒロちゃんヒロちゃんといつも背中を追いかけてくる可愛い妹。もう会えないという現実にとてもじゃないが耐えられそうになかった。
 嗚咽が漏れそうになった時、幼い頃から苦楽を共にしてきた愛犬の尻尾が頬を掠めた気がした。
 そんなわけがない。それもそのはず、目の前で揺れるそれは愛犬のものではなく、同級生の狐の尻尾なのだ。
「真紘ちゃん、今だけサービスしてあげる」
「……やだ」
 大粒の涙が長いまつ毛を伝って落ちる。ワインレッドのベロア生地はじゅわりとそれを吸い込んでさらに深い色になった。
「やだぁって、汚くないし! 俺、朝シャンして夜も風呂に入る派だから大丈夫」
「ふふっ、何それ」
 二度と見せてくれるなと言ったはずの毛ダマリに真紘は顔を埋めた。
 ふわりと薫る太陽を吸い込んだそれはやはり稲穂のようだ。家族で囲んだ食卓を思い出して余計に目の奥が熱くなった。
「取り乱してすみませんでした。続きをお願いします」
 時間としては一分も経っていないが、真紘が鼻を啜りながら顔を上げると、マルクスは眉を下げて困ったように微笑んだ。それは優しい父親の顔だった。
「いいえ、もっと反発されることも想定していましたから。私にも年頃の息子がいます。同じ状況でお二人のように振舞えるとは思えません」
「マジ? 照れんね」
「……重盛」
「はいはい、で、魔力補填とやらをした後はどうしたらいいんすか?」
 バイトの面接くらいのテンションの重盛に真紘は眉を顰めるが、鼻を赤くした自分が問いかけるよりも、スムーズに事が進むのもまだ事実だ。
 そして、軽いノリの質問に返ってきた回答も予想以上に軽いものであった。
「それで終了です。あとはお好きに過ごしてもらって構わないとのことです」
「そうですか。魔力補填というのはそんなに長期任務なんですか?」
「いえ、救世主様がお揃いになった翌々日には決行予定です」
「えっと……。そこそこ魔力を使って数ヶ月起き上がれないとか……?」
「そのような記録はありませんが、その際もご安心ください。僭越ながら我がタルハネイリッカ家がお二人のサポート役を仰せつかっておりますので、休養したい、騎士団に入隊したい、旅をしたい、ギルドに登録したい等、できる限り希望に添いたいと考えています!」
 目を輝かせるマルクスは力強く腕を掲げた。「おお~」と重盛は呑気に歓声を上げ、手を叩いた。
「それはありがたいです。役割を終えたら自由かぁ。新卒で入社したのにすぐに定年とは……。もう余生のようなものですね、どうしようかな」
「うははっ! 余生って! 爺さんみたいな見た目して爺さんみたいなこというじゃん」
 長い銀色の髪を掬うとケラケラと重盛は笑った。
「ちょっと、だからこれ白髪じゃないから! 多分……。まあ、第二の仕事を見つけて生きていくしかないよね」
「え~、リアースこっちの都合で呼ばれたんだからたっぷり退職金貰えるんじゃなぁーいの? どうしようかな、俺の余生。真紘ちゃんと旅に出るのもいいな」
 否定的なじっとりした目を向けると重盛はさらに笑った。白い八重歯にすら苛立ちを覚え、真紘は少々湿っている尻尾を反対に投げ飛ばした。
「冗談じゃん! いや遊ぼうよってのはホントだけど。せっかく話せたんだからさ、仲良くしようよ。実はずっと真紘ちゃんと話してみたかったんだよね」
 宥められているようで悔しいが、重盛も同じように以前から自分を認識してくれていたと知り、少し嬉しかった。高校では必要以上に深い人付き合いをしてこなかったが、新しいことだらけのこの世界に来たのだから、この機会に一歩踏み出してみるのも悪くないだろう。
 真紘は投げた尻尾に向かって「いいよ」と微笑んだ。


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