ヘルドゥラの神々:漆黒の女王

渡弥和志

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第二章

2. 影の残滓

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 クレストルを発って二日目。一行はレシャンク国境を越えた。王都レシャンクレイまでへの道のりの半ばであった。


 ダインがアディルを見据えて言う。

「昨日泊まったエデルテ村──相変わらずアディル様は大人気だったな」

「あはは……」

 アディルは黄金の髪を掻いて苦笑いする。

「半年ほど前の──俺たち傭兵団の獲物だったんだぞ。謝礼はどうしたんだよ」

「ああ、あの魔獣のこと?……謝礼?」

 アディルは首を傾げる。

「まさか受け取ってねえのか!あいつらめ……」

 ダインは苦虫を噛んだような顔をした。

「しかし──あのでかい魔犬を本当にひとりでやったのか?」

「うん、剣の腕試しにはちょうど良かったよ。すごく素早くって少しは手こずったけどね」

 ダインはまだ信じられない様子で首を振った。


 ガルドは少し落ち着かない様子でミリアに話しかける。

「昔の……フィレアルの庭園でのことだけど──どれくらい覚えてる?」

「うーん、ぼんやりとだけ。まだ五歳だったから。ガルドは十歳だったよね」

「……じゃあ、君が言ったは覚えてないか」

「約束……?」

「い、いや。何でもない。覚えてないなら良かった」

 ガルドは横に目を流した。

「ふぉふぉ……の話じゃの」

 老人が白髭に手をやりながらガルドに囁いた。

「サルフェン……!」

「……どうしたの?」

 ミリアはきょとんとした。


 ────


 日が遠くの山にその姿を隠し始めた頃、空に暗雲が差しかかってきた。

「雲行きが怪しいのう。一雨きますぞ。急ぎ野営を──」

 サルフェンが言いかけた、その時。街道のはずれに小さな集落の灯りが見え、一行はそこに向かうことにした。


 村はしんと静まり帰っており、家々に囲まれた広場にも人の歩く気配はない。中央には簡素な見張り台が作られていた。
 ガルドが声を上げる。

「どなたか!八司祭議会特使、一泊の屋根をお借りしたく!」

 ──しばらくすると、一軒から一人の壮年の男が出てきて、荷馬車の旗章を見据えた。

「こ、これはこれは……特使どの。わしはここの村長むらおさ

 そわそわと落ち着かない様子の村長。

「粗末なあばら家でよろしければ……こちらへ」


 ──村長に案内された藁屋根の簡素な家に灯りは灯っておらず、人気ひとけも無かった。

「我々はここで見張りを」

 八司祭騎士二人を軒下に残して中にはいると、家財が荒らされており、壊れた家具や食器が散乱していた。
 砕けた椀の破片が、風に揺れて微かに鳴った。

「ここは空き家ゆえ……自由にして頂いて構いませぬ」

「こ、ここで寝るの……?」

 顔が引きつるミリアをアディルがたしなめる。

「屋根があるだけでも有難いって! これくらい慣れてこ、ね?」


 ──不意に。
 窓が明るく光ったかと思うと、雷鳴が地鳴りのように響く。強い雨が家の屋根を激しく叩き始めた。

「感謝します」

 ガルドが礼をすると、村長はばつの悪そうな顔をした。

「いや……こんなところですみませぬ」

「何かあったのか?」

 村長は口ごもりながらも話し出した。

「実は……ここの主は先日、『魂喰い』に殺されたのです……」

「『魂喰い』……『異形』か。上等だ」

 ダインが眉を顰め、サルフェンは唸る。

「『魔境エヴィラ』から遠い内地では、まだ出現の話は聞かんが……」


 その時だった。
 外でけたたましい鐘の音が鳴り響く。

「『魂喰い』だ!『魂喰い』が出たぞ!!」

「いかん──」

 村長が呟き、そして叫ぶ。

「や、やつがやって来おった!ここは潜んで様子を──」

 言う間に家を飛び出した五人は、激しい雨の中、村の端に佇む影を見た。
 人の腰程の大きさの、丸く黒い影。

「ああっ──!」

 村長が声を上げるのと同時に、アディルが疾風のごとく陰に向かって駆け出し、剣を抜きながら距離を詰めた。
 影は蠢いたかと思うと、その丈が伸び上がり、人の形を呈した。
 ガルドは戦慄する。

「──!人型がまさかこんなところまで……!
 アディル!剣はそのままでは効かない!」

「えっ!?」

 アディルは躊躇い、その足を止めた。
 サルフェン、ミリアが術を詠唱し、ガルドとダインは両側から挟撃を図って近づいた。

 しかし、影はがさがさと後方に下がったかと思うと、茂みにその姿を隠した。
 稲光と雷鳴が耳をつんざく。


「──妙じゃ」

サルフェンがつぶやくと、

「──!」

 何かに気づいたアディルは屈んで茂みに近づき、腕を差し込む。

「何してる!あぶねえぞ!!」

 ダインは叫ぶが、アディルが腕を引き出すと──黒い人の形をしたかたまりの、腕を掴んでいた。

「これは、人間よ」

 頭の黒頭巾が剥がされ、人の顔があらわになった。


 窓から様子を伺っていた村人たちが飛び出し、口々に叫ぶ。

「な、なんだと!」
「どういう事よ!!」

 黒ずくめの男がアディルの手を振り払い、村長に駆け寄った。

「お、親父……!何なんだこいつらは……聞いてねえ!」

「父ちゃん!もうだめだ……!」

 監視台から降りた少年も走って寄る。


「──そういうことか」

村人の一人が歩み出る

「あんた、化け物退治に傭兵を雇うからと金を集めようとしてたな。あんたは金目当てで──」

 村長は青ざめ、首を横に振る。

「──ち、違う! ロブルは本当に『魂喰い』にやられたんだ!
 それを誰も信じず金を出さんから……!」

 村人たちの冷ややかな視線が浴びせられる。

「やつは外で危ねえ仕事に手を出してやがった。それでやられたに違えねえよ」
「あんたはそれを化け物のせいに……!」
「ロブルの死を利用するなんぞ──」
「欲のために妙な芝居を打つなんて──」

 村長は雨で泥となった地面に膝をつき、激しく頭を振った。

「違う、違う……!わしは……わしはロブルが死ぬのを見たんだ!本当にあの黒い影に魂を啜られるのを!
 いつまた腹を空かせて現れるか分からんのだぞ……!」

 彼の目には、狂気にも似た恐怖と焦燥が浮かび、涙が泥水に混じった。

「誰も信じてくれなかった!だからわしは、傭兵を雇って里を守るために恐怖を作るしかなかったのだ!」

 しかし村人たちの怒号は収まらず、ついに一人が拳を挙げた。

「それくらいにしとけ」

 村人の腕をダインが掴み、睨みをきかせると、静まり返った。


 雨がふっと止み、月明かりが差し込んだ。

「──サルフェン」

 ガルドは老神官に視線を送る。

「あの家へ。真実を確かめねば」

 老神官は深く頷いた。

「ミリア様もお助けくだされ」

 サルフェンとミリアは、雨が止んだばかりの泥にまみれた元家主の家へ駆け戻り、光の術を展開した。

 ミリアは、人の苦しみと、昏き闇の〝残り香〟を感じ、胸の底が震えた。
 魂が無理矢理引き剥がされた叫びの余韻ような、悍ましい程の昏い影の残滓──
 ──頬を一筋の涙が流れた。
 サルフェンが肩にそっと手を置く。


「ガルド……村長が言ったことは、真実よ。ロブルは本当に『異形』に……」

 ミリアは唇を噛み、胸の奥を影に掴まれているかのような声で言った。
 ガルドは言葉を失った。村長に悪意はなく、真実を知るがゆえの苦肉の策だったのだ。

 あたりが水を打ったように静まり返る。
 夜風が、濡れた身体をつめたく冷やした。

 ──その時。
 風に混じって、低い唸り声のような音が響く。
 ひた、ひた、と足音が近づいた。

 そして、村を囲む木陰からゆっくりとそれは姿を現した。
 人の腰丈ほどもある四本脚の『異形』。
 村長はそれを見て恐れおののく。

「や、やつが、もう戻ってきおった……!」

 ミリアとサルフェンが詠唱を始め、ダインが双剣を構える。

「──魔犬型か。速いぞ。
 だが、剣で斬れるはずだ」

 騎士が村人を一所に集めさせ、それを守るように立ちはだかった。

エルケス・出でよ、レドゥア!」

 サルフェンが唱えると、村人たちが淡い光の壁に包まれた。
 怒号をあげていた人々の声は、ただならぬ事態に不安のざわめきへと変わっていた。
 こちらとの間合いをはかるように、影はじりじりと近づいた。低く下げた頭に灯る二つの紅い光がこちらを見据える。

 一瞬の静寂の後。
 それは突如跳び上がり、ミリアにその影が落ちた。
 アディルが『異形』の動きに合わせ跳躍し、空中でその斬撃を見舞わせる。剣を受けた影は、何の生物とも似つかぬ奇妙な呻き声を上げると、その場に着地した。

エルケス・出でよ、サトスメトゥ光の矢!」

 ミリアが唱えると、その頭上に輝く光の矢が四本現れ、空気を切り裂くように解き放たれる。それは『異形』の動きを追うように飛ぶと、その身体に命中し、大きく怯ませた。

 ダインは脚を狙って左の剣を薙ぎ払い、右の剣をその胴体に振り下ろす。
 影が地にのたうち、ガルドの胸の奥に鋭い光が走った。

「……これ以上、誰も傷つけさせない」

 彼は踏み込み、影の頭へ剣を突き入れる。
 恐ろしい断末魔が轟き渡った。

 影が、黒いもやとなって消えていくのを、人々はただ啞然と眺めていた。


 ────


 夜明け前の薄明が訪れる。
 サルフェンとミリアは、夜通し村の周囲に術式を張り巡らせていた。
 最後の杭に杖をかざし、呪文を唱えると、村を囲った縄が淡い光を帯びる。

「簡素じゃが、光の結界を張った。半月ほどはもつじゃろう」

 ダインは金貨を一枚、村長へ投げて渡した。

「クレストルのギルドを通じて『禿鷹の傭兵団』へ護衛を依頼しろ。当面はそれを足しにしな」


「この『魔境エヴィラ』から離れた内地にまで『異形』が現れるとは……クレストルに現れるのも時間の問題やもしれぬ」

 白ひげに手を置き、眉をひそめるサルフェンに頷くと、ガルドは皆に目をやった。

「急ごう。王都レシャンクレイへ」


 山の谷間に顔をのぞかせた眩い朝日を横目に、荷馬車を出発した。
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