28 / 32
第六章
2. 静止の遺跡
しおりを挟む
巨城遺跡ヘルドゥラの入り口は、山肌に穿たれた巨大な洞穴のようだった。
人の手で作られた門ではない。山そのものが口を開け、何かを呑み込もうとしている──そんな錯覚を覚えさせる、闇の奥行きがあった。
背後では、戦いが続いている。
金属のぶつかる音。矢が放たれる乾いた風切り音。異形の断末魔。
そして、それらをすべて押し潰すような竜の咆哮。
だが、一歩。
また一歩と闇の中へ踏み入れるにつれ、それらの音は不自然なほど急速に遠ざかっていった。
まるで、音そのものが拒まれているかのように。
『異形』が、いない。
外ではあれほどまでに溢れていた影の群れが、ここには一体もいなかった。
城の入り口付近にすら、近づいた形跡がない。
降り注ぐ群れは、誰かに命じられたかのように、この巨城を避けている。
「……妙ね」
アディルが低く呟いた。
その声が、やけに大きく反響して聞こえる。
「静かすぎる」
「誘ってるわ」
ミリアの声は、普段よりも硬かった。
「城の中へ……来い、って」
否定できなかった。
この感覚は、偶然ではないように思えた。
足音が、やけに大きく響いた。
自分たちの呼吸の音さえ、壁にぶつかって跳ね返ってくる。
その反響のせいで、空気が澄んでいるはずなのに、胸の奥が重かった。
息を吸うたび、肺の内側に冷たいものが溜まっていく。
巨城遺跡ヘルドゥラは、人の歴史よりも古い────サルフェンの言葉。
外観は風化した岩と崩落で覆われ、ただの廃墟にしか見えない。だが一歩内部に入れば、その印象は一変する。
壁は、整然と積み上げられた巨大な石で構成されていた。
隙間はなく、苔もなく、欠けもない。
表面は磨かれたかのように平滑で、灯りを当てれば鈍い光を返す。
時間が、止まっている。
ここでは、老いも崩壊も、許されていない。
やがて、回廊は大きく開けた。
天井の高い広間。
その中央に鎮座する巨大な門を見た瞬間、ガルドは無意識に呼吸を止めていた。
石とも金属ともつかぬ質感。
表面には五芒星が刻まれ、その周囲を取り囲むように、無数の古代文字が走っている。
それが「邪神」と「封印」に関わるものであることだけは、肌で理解できた。
門は、閉じている。
だが──確かに、こちらを見ていた。
目を逸らしても、意識だけが引き戻される。
エテの坑道で見たものと、同じだ。
あの時と同じ圧迫感が、胸の奥を締めつける。
老神官の声が、脳裏をよぎる。
────邪神オーヴ。
────五柱の神による封印。
ガルドは、そこで初めてはっきりと理解した。
ここが、『ヘルドゥラの座』への門なのだと。
そして。
門の前に立つ、三つの人影を認めた瞬間、胸の奥が鈍く痛んだ。
中央に立つのは────カルラ。
白磁のような肌。
真っ直ぐに伸びた漆黒の髪。
黒に縁取られた紅い瞳。
かつて姉同然と思ったその姿は、あまりにも冷たすぎた。
人の温度が、ない。
その視線は、人を見るものではなかった。
世界を量り、秤にかける────神の目だった。
その隣に立つメドゥルは、ひどく年老いて見えた。
背筋は伸びている。
突き立てられた剣を、確かに握っている。
だが、かつて彼が放っていた〝騎士を率いる者の重み〟が、そこにはなかった。
役目を終えた器。
中身を失い、ただ立っているだけの存在に見えた。
そして────ヴァルス。
背に剣を帯び、戦場に立つ姿のままだ。
だが、その気配は、ガルドの知る友のものとは明らかに違っていた。
重い。
暗い。
胸の内側に闇を抱え込んだまま、無理に立っているような、不安定さ。
ガルドの喉が鳴った。
叫びたい衝動が喉までせり上がってきて、しかし声にはならなかった。
ここで名を呼べば、何かが壊れてしまう気がした。
友であるはずの姿が、あまりにも遠くに見えた。
ヴァルスの視線が、わずかに揺れる。
一瞬だけ、助けを求めるように。
だが、次の瞬間、その表情は硬く閉ざされた。
カルラが、口を開いた。
「来たのね」
ほんの一瞬だけ、名を呼ばれた気がした。
だが、その音は声になる前に消えた。
声は、柔らかだった。
幼い頃、夜毎に物語を語ってくれた、あの声音と同じ――
けれど、そこには感情の芯がなく、空虚だった。
「やはり、あなたがここまで辿り着いた」
一瞬、ガルドを見る視線が揺れた。
ほんの僅か。だが、確かに。
だが次の瞬間には、感情の色は完全に消えていた。
「世界の帳は下りた────
神々は、あなた方を見ている」
カルラは淡々と告げる。
「何を守り、何を捨てるのかを」
その指が、ヴァルスの肩に触れた。
所有を示す仕草。
「……ヴァルス」
ガルドの声が、掠れる。
ヴァルスは答えない。
ただ、歯を食いしばり、視線を逸らした。
メドゥルが、低く告げる。
「もう、引き返すことはできぬ」
それは命令のようでいて、同時に、自分自身へ言い聞かせるような声音だった。
剣が、石床に突き立てられる。
「カルラの意思を遂げさせる……
それが、私に残された役目だ」
カルラが、薄く微笑んだ。
「さあ、始めましょう」
巨大な門の彫刻が、微かに光を帯びる。
古の文字が脈動し、空間そのものが息を潜める。
三つの神器と門が共鳴し、その重みを増した。
神器は、彼女たちをその〝戦い〟から切り離していた。
守るために──そして、立ち入らせないために。
振り返れば、仲間たちの視線があると分かっていた。
それでも、ガルドは振り返らなかった。
「これは……俺の戦いだ」
「だから頼む。見ていてくれ」
その奥には、神々の座がある。
世界の理を定める場所が。
世界は、次の段階へ進もうとしている。
その入口に、立っていた。
逃げ場はない。
選択だけが、残されていた。
人の手で作られた門ではない。山そのものが口を開け、何かを呑み込もうとしている──そんな錯覚を覚えさせる、闇の奥行きがあった。
背後では、戦いが続いている。
金属のぶつかる音。矢が放たれる乾いた風切り音。異形の断末魔。
そして、それらをすべて押し潰すような竜の咆哮。
だが、一歩。
また一歩と闇の中へ踏み入れるにつれ、それらの音は不自然なほど急速に遠ざかっていった。
まるで、音そのものが拒まれているかのように。
『異形』が、いない。
外ではあれほどまでに溢れていた影の群れが、ここには一体もいなかった。
城の入り口付近にすら、近づいた形跡がない。
降り注ぐ群れは、誰かに命じられたかのように、この巨城を避けている。
「……妙ね」
アディルが低く呟いた。
その声が、やけに大きく反響して聞こえる。
「静かすぎる」
「誘ってるわ」
ミリアの声は、普段よりも硬かった。
「城の中へ……来い、って」
否定できなかった。
この感覚は、偶然ではないように思えた。
足音が、やけに大きく響いた。
自分たちの呼吸の音さえ、壁にぶつかって跳ね返ってくる。
その反響のせいで、空気が澄んでいるはずなのに、胸の奥が重かった。
息を吸うたび、肺の内側に冷たいものが溜まっていく。
巨城遺跡ヘルドゥラは、人の歴史よりも古い────サルフェンの言葉。
外観は風化した岩と崩落で覆われ、ただの廃墟にしか見えない。だが一歩内部に入れば、その印象は一変する。
壁は、整然と積み上げられた巨大な石で構成されていた。
隙間はなく、苔もなく、欠けもない。
表面は磨かれたかのように平滑で、灯りを当てれば鈍い光を返す。
時間が、止まっている。
ここでは、老いも崩壊も、許されていない。
やがて、回廊は大きく開けた。
天井の高い広間。
その中央に鎮座する巨大な門を見た瞬間、ガルドは無意識に呼吸を止めていた。
石とも金属ともつかぬ質感。
表面には五芒星が刻まれ、その周囲を取り囲むように、無数の古代文字が走っている。
それが「邪神」と「封印」に関わるものであることだけは、肌で理解できた。
門は、閉じている。
だが──確かに、こちらを見ていた。
目を逸らしても、意識だけが引き戻される。
エテの坑道で見たものと、同じだ。
あの時と同じ圧迫感が、胸の奥を締めつける。
老神官の声が、脳裏をよぎる。
────邪神オーヴ。
────五柱の神による封印。
ガルドは、そこで初めてはっきりと理解した。
ここが、『ヘルドゥラの座』への門なのだと。
そして。
門の前に立つ、三つの人影を認めた瞬間、胸の奥が鈍く痛んだ。
中央に立つのは────カルラ。
白磁のような肌。
真っ直ぐに伸びた漆黒の髪。
黒に縁取られた紅い瞳。
かつて姉同然と思ったその姿は、あまりにも冷たすぎた。
人の温度が、ない。
その視線は、人を見るものではなかった。
世界を量り、秤にかける────神の目だった。
その隣に立つメドゥルは、ひどく年老いて見えた。
背筋は伸びている。
突き立てられた剣を、確かに握っている。
だが、かつて彼が放っていた〝騎士を率いる者の重み〟が、そこにはなかった。
役目を終えた器。
中身を失い、ただ立っているだけの存在に見えた。
そして────ヴァルス。
背に剣を帯び、戦場に立つ姿のままだ。
だが、その気配は、ガルドの知る友のものとは明らかに違っていた。
重い。
暗い。
胸の内側に闇を抱え込んだまま、無理に立っているような、不安定さ。
ガルドの喉が鳴った。
叫びたい衝動が喉までせり上がってきて、しかし声にはならなかった。
ここで名を呼べば、何かが壊れてしまう気がした。
友であるはずの姿が、あまりにも遠くに見えた。
ヴァルスの視線が、わずかに揺れる。
一瞬だけ、助けを求めるように。
だが、次の瞬間、その表情は硬く閉ざされた。
カルラが、口を開いた。
「来たのね」
ほんの一瞬だけ、名を呼ばれた気がした。
だが、その音は声になる前に消えた。
声は、柔らかだった。
幼い頃、夜毎に物語を語ってくれた、あの声音と同じ――
けれど、そこには感情の芯がなく、空虚だった。
「やはり、あなたがここまで辿り着いた」
一瞬、ガルドを見る視線が揺れた。
ほんの僅か。だが、確かに。
だが次の瞬間には、感情の色は完全に消えていた。
「世界の帳は下りた────
神々は、あなた方を見ている」
カルラは淡々と告げる。
「何を守り、何を捨てるのかを」
その指が、ヴァルスの肩に触れた。
所有を示す仕草。
「……ヴァルス」
ガルドの声が、掠れる。
ヴァルスは答えない。
ただ、歯を食いしばり、視線を逸らした。
メドゥルが、低く告げる。
「もう、引き返すことはできぬ」
それは命令のようでいて、同時に、自分自身へ言い聞かせるような声音だった。
剣が、石床に突き立てられる。
「カルラの意思を遂げさせる……
それが、私に残された役目だ」
カルラが、薄く微笑んだ。
「さあ、始めましょう」
巨大な門の彫刻が、微かに光を帯びる。
古の文字が脈動し、空間そのものが息を潜める。
三つの神器と門が共鳴し、その重みを増した。
神器は、彼女たちをその〝戦い〟から切り離していた。
守るために──そして、立ち入らせないために。
振り返れば、仲間たちの視線があると分かっていた。
それでも、ガルドは振り返らなかった。
「これは……俺の戦いだ」
「だから頼む。見ていてくれ」
その奥には、神々の座がある。
世界の理を定める場所が。
世界は、次の段階へ進もうとしている。
その入口に、立っていた。
逃げ場はない。
選択だけが、残されていた。
0
あなたにおすすめの小説
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~
ハムえっぐ
ファンタジー
かつて魔族が降臨し、7人の英雄によって平和がもたらされた大陸。その一国、ベルガー王国で物語は始まる。
王国の第一王女ローゼマリーは、5歳の誕生日の夜、幸せな時間のさなかに王宮を襲撃され、目の前で両親である国王夫妻を「漆黒の剣を持つ謎の黒髪の女」に殺害される。母が最後の力で放った転移魔法と「魔女ディルを頼れ」という遺言によりローゼマリーは辛くも死地を脱した。
15歳になったローゼは師ディルと別れ、両親の仇である黒髪の女を探し出すため、そして悪政により荒廃しつつある祖国の現状を確かめるため旅立つ。
国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。
これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
三歩先行くサンタさん ~トレジャーハンターは幼女にごまをする~
杵築しゅん
ファンタジー
戦争で父を亡くしたサンタナリア2歳は、母や兄と一緒に父の家から追い出され、母の実家であるファイト子爵家に身を寄せる。でも、そこも安住の地ではなかった。
3歳の職業選別で【過去】という奇怪な職業を授かったサンタナリアは、失われた超古代高度文明紀に生きた守護霊である魔法使いの能力を受け継ぐ。
家族には内緒で魔法の練習をし、古代遺跡でトレジャーハンターとして活躍することを夢見る。
そして、新たな家門を興し母と兄を養うと決心し奮闘する。
こっそり古代遺跡に潜っては、ピンチになったトレジャーハンターを助けるサンタさん。
身分差も授かった能力の偏見も投げ飛ばし、今日も元気に三歩先を行く。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
妻が通う邸の中に
月山 歩
恋愛
最近妻の様子がおかしい。昼間一人で出掛けているようだ。二人に子供はできなかったけれども、妻と愛し合っていると思っている。僕は妻を誰にも奪われたくない。だから僕は、妻の向かう先を調べることににした。
役立たずと言われダンジョンで殺されかけたが、実は最強で万能スキルでした !
本条蒼依
ファンタジー
地球とは違う異世界シンアースでの物語。
主人公マルクは神聖の儀で何にも反応しないスキルを貰い、絶望の淵へと叩き込まれる。
その役に立たないスキルで冒険者になるが、役立たずと言われダンジョンで殺されかけるが、そのスキルは唯一無二の万能スキルだった。
そのスキルで成り上がり、ダンジョンで裏切った人間は落ちぶれざまあ展開。
主人公マルクは、そのスキルで色んなことを解決し幸せになる。
ハーレム要素はしばらくありません。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる