結婚式で「愛することはできない」と言った夫が、身重の女性を連れて帰ってきました。

さんけい

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31 卑怯さへの追撃

 食堂を出てから、しばらく屋敷はそれぞれの朝へ散っていった。
 グラディス夫人は執務室へ。ポーリーンは自室へ戻り、たぶん昨日より少し丁寧に自分の髪を整えたり、本棚を見たりしているのだろう。あの子なりに“もう一度会うかもしれぬ相手”のことを、ぼんやり考え始めたのかもしれない。
 私は帳場へ寄ってから、小応接間へ向かった。窓の外は、昨日よりも少し風が強かった。雲が流れ、庭木の影が石畳の上で揺れている。
 小応接間へ入ると、グラディス夫人がすでにいた。机の上には新しい便箋が置かれている。ヘイル家への手紙を書くつもりらしい。

「来たわね」
「ええ」

 私は席につく。昨日までの紙を整えていると、夫人が何でもない口調で言った。

「ポーリーンが自分から言い出すとは思わなかったわ」
「そうですね」
「でも、あれでいいのよ」

 グラディス夫人は便箋へ視線を落としたまま続ける。

「兄に失望したから、ではなく、その先で自分を立てるほうへ向いたのだから」

 私は頷く。まったくその通りだった。
 そこへ、やや遅れてアシュレイが来た。手には書付けの束。昨日より増えている。どうやら本当に書いたらしい。

「……持ってきた」

 彼が言う。

「置いて」

 グラディス夫人が答える。アシュレイは机の上へそれを置いた。
 そのまま立っていようとしたので、私はすぐに言う。

「座ってくださいな」
「またか」
「またですわ」

 私は答えた。

「今日は、昨日より長くなるかもしれませんもの」

 彼は露骨に嫌そうな顔をしたが、結局は座った。私は新しい書付けを開く。
 今度のものは、昨日よりは具体的だった。

 ――一月十五日、エラより伝言を受け聖ルーク亭へ赴く。
 ――一月十五日から二十二日まで、同宿へ七日分の前金を支払う。
 ――一月十六日、十八日、二十日、二十一日に訪問。
 ――一月二十三日、別の部屋を短く借りる――。

 私はそこを読み、指を止めた。

「別の部屋?」

 そう言うと、アシュレイが肩を強張らせる。

「三番部屋では足りなくなったからだ」
「足りなくなった?」
「……女将が、長く置くなら別にしろと」

 私は顔を上げた。

「足りなくなったというのは、滞在日数が?」
「……そうだ」

 グラディス夫人が細く息を吐く。

「つまり、あなたは最初の一週間で終わらせるつもりだったのではなく、もう一月のうちに継続していたのね」
とは」

 アシュレイが反射的に言い返す。

「違いますの?」

 静かに問う。

「別の宿へ移し、金を払い、通い続け、なおだと?」

 アシュレイは口を噤んだ。私は続きを読む。

 ――一月二十三日以降、北側の小宿“灰百合亭”に三日。
 ――一月二十七日、女医ではなく、まず薬種商に相談。
 ――二月二日、再び宿を替える。
 ――二月十日頃より、エラの具合が不安定。
 ――二月二十八日、医師へ――。

 ずいぶん細かくなった。けれど、それはそれで別のものを露わにする。

「宿を三つ替えているのね」

 グラディス夫人が言う。

「……人目を避けるためだ」

 アシュレイが答える。私はそこで紙を置いた。

人目を?」
「何だと」
「王都の人目? ロナルドの? それとも、あなたご自身の?」

 アシュレイの顔が強張る。やはり、そこは書いていない。宿を替えた理由を“人目”と丸めたまま、その主語を書いていない。

「おそらく全部でしょうね」

 グラディス夫人が淡々と言う。

「けれど、どれが一番重かったのかしら」

 アシュレイは何も言わない。
 私はもう一度、書付けへ目を落とした。そして、二つ目の止まる箇所を見つける。

「二月十日頃より、具合が不安定」

 私は読み上げた。

「この頃には、あなたはもうエラをかなり頻繁に訪ねていますね。一月の後半から二月の終わりまで、四日に一度どころではない」
「それが何だ」

 苛立たしげに言う。

「それが何だ、ではありませんわ」

 静かに返す。

「あなたは昨夜、自分がそこまで深く関わっていたことを書けなかった。今こうして日付にすると、ようやく分かる」

 アシュレイは嫌そうに目を逸らした。

「分かるって、何が」
「エラが一時的に頼っただけの相手ではなくなっていることです」

 ポーリーンはいない。今ここにいるのは、私とグラディス夫人とアシュレイだけだ。だから私は、少し言葉を選ばずに進めた。

「一月十五日に呼ばれて行った。その後も宿を替え、金を払い、通い、関係を持ち、二月の終わりまでずるずると続けている」
「…………」
「それをで済ませるには、長すぎますわ」

 グラディス夫人も頷く。

「ええ。これはもう、保護の顔をしたです」
「そんな言い方は」

 アシュレイが反発しかける。だが私は止めなかった。

「違うのですか? あなたはエラを気の毒に思った。必要とされた。そこで通うようになった。そうしているうちに、ご自分でも何をしているのか曖昧なまま、深く入っていった」

 アシュレイは椅子の肘掛けを握る。私は続けた。

「一番卑怯なのは、そこまでしておきながら、屋敷へ戻る段になると、面を選んだことです」
「……卑怯だと?」
「ええ」

 私はきっぱり言った。

「エラとの関係を、後ろめたさも欲も弱さも含んだ長い混乱としてではなく、へ削ったでしょう」

 グラディス夫人が、そこで低く息を吐く。

「本当に、そこなのよ」

 夫人は言った。

「アシュレイ。あなたはいつも、その形をの」

 アシュレイは、ようやく少し疲れたように見えた。怒るのにも力が要るのだろう。

「……それじゃ私は」

 低く言う。

「どうすればよかったんだ?」

 その問いに、私は一瞬だけ黙った。これは言い訳とも違う。本当に分からないのかもしれない。
 分からないまま、気分で進み、ここまで来て初めて、を言葉にしようとしている。
 だからこそ、答えは簡単で残酷だった。

「最初に、聞くことを聞くべきでした」

 私は言った。

「三番部屋へ呼ばれた夜に?」
「ええ」
「そんなことを、あの状態の娘に」
「聞き方はあるでしょう」

 私は静かに返す。

「全部を吐かせろという意味ではありません。けれど、父親の可能性がどこまであるのか。前の男といつ切れたのか。今、自分が何の立場で関わろうとしているのか。そのくらいは、少なくとも自分の中で曖昧にしないことです」

 アシュレイは、もう私を見ていなかった。机の上の文字を見ている。自分で書いた日付の列を。

「それから」

 私は続けた。

「もし本当に助けたいだけなら、あなたは名目を立てて、すぐどこか信頼できる婦人の家か医師の預かりへ送るべきでした」
「…………」
「でも、そうはしなかった。あなた自身が通い続けるほうを選んだ」

 そこでグラディス夫人が、最後の釘を打つように言う。

「つまり、こういうことね。あなたはエラを救うだけでは足りなかった。エラを救っている自分の物語の中へ、ずっと居たかったのよ」

 アシュレイは顔を上げた。何か言おうとして、やめる。もう、その言葉に返すだけの綺麗な理屈が残っていないのだろう。
 私はそこで少しだけ紙を揃えた。
 昨日までの問いは、誰の子か。いつからか。何を知っていたか。だった。
 けれど今、もう一つ見えてきた。アシュレイは家を捨てるほど悪辣な男ではない。
 だが、家を背負うには、外面を優先しすぎる。これは当主としてかなり致命的だ。

ここまでにしましょう」

 するとアシュレイが、わずかに顔を上げ、うんざりしたように言った。

「まだあるのか……」
「ありますわ」

 私は答えた。

「でも、今すぐでなくてもいい」
「何を」
「あなたが王都で何をしていたかは、もう少し見えました。次に見るべきは、それをこの家でどう処理するかですもの」

 グラディス夫人が頷く。

「ええ。エラの処遇、あなたの立場、そしてこれから外へどう見せるか。そこから先は、感情だけでは決められないわ」

 アシュレイは、もはや反論しなかった。
 その沈黙を見ながら、私は思う。昨日までなら、彼はここでまだ、自分が父である可能性や責任を取る意思を盾にしていたかもしれない。
 けれど今は、数字と日付と自分の足取りが、それを薄くする。形のない善意より、形のある継続のほうが雄弁なのだ。
 そしてその継続は、彼が自分で思っていたよりずっと、家と切り分けられないものになっている。

 ◇

 彼が出て行ったあと、私は机へ手を置いた。窓の外では、風が少しやわらいでいた。
 雲の切れ間から光が差し、庭の白薔薇がまた明るく見える。

「……ポーリーン、よく言ったわね」

 グラディス夫人が、不意にぽつりと言う。

「ええ」

 私は答えた。

「本当に」

 夫人は便箋を引き寄せた。たぶん、ヘイル家への手紙を書くのだろう。

「この家、どうなるかしらね」

 夫人が独り言のように言う。私は少し考え、それから答えた。

「少なくとも」

 ゆっくりと言う。

「昨日までよりは、ましな形へ行けると思います」

 グラディス夫人が私を見る。そして、ほんの少しだけ口元をやわらげた。

「そうね」

 夫人は言う。

「兄の妹ではなくなるなら、あの子は案外強いかもしれないわ」

 私は机の端に置かれたヘイルの釣書きを見た。まだ何も決まっていない。
 それでも、そこには確かに次の手が置かれている。
 この家の先を、ただアシュレイ一人の肩へ預けぬための、別の可能性として。



※いつも読んでいただきありがとうございます。
 本日から1日4回枠で、15時更新から新作
「婚約者を奪った…?妹が刺されたので、毒親を成敗いたします。」
 をはじめました。
 普段から姉・ローズのものを欲しがる妹・チェリー。とうとう婚約者はローズに婚約破棄を告げ……
 けどそのチェリーが元婚約者に……?! そんなバカな?
 悪気無く姉妹差別をしてきた両親に対し、姉妹はそれぞれどう対応するのか?
 毒親との決別を中心とした話となります。またよかったらお読みになっていただけると有り難いです。
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