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19 強いから平気だと思ったの
「アマンダ様、私は」
「泣くなら、ヘンリーの前で泣いて」
シャーリーンは口を閉じる。
「あなた、自分の手紙に何度も自分のことを書いたわね。本当の愛。女として生きたい。惨めにしないで。幸せになりたい」
私は銀のがらがらを指で押さえる。
「でもヘンリーのことは、ついでみたいにしか書かなかった」
「あの子は、ウィリアム様が」
「兄さんが何?」
「ウィリアム様なら、ちゃんと育ててくださるわ。あの方は優しいもの」
「だから置いていったの?」
返事がない。
「優しい人なら、何をしてもいいの?」
「違います!」
「退屈な人なら、傷つけてもいいの?」
「そんなつもりでは」
「強い女なら、婚約者を取られても平気?」
今度はクリスを見る。彼は言葉を探している。探している時点で、もう遅い。
「アマンダ、僕は君を傷つけたかったわけじゃない」
「結果として傷つけたなら同じよ」
「君は、僕がいなくても大丈夫だと思ったんだ」
「便利ね」
「便利?」
「兄さんは優しいから大丈夫。ヘンリーは赤ん坊だから分からない。私は強いから大丈夫。ジェイ様は有能だから代わりになる。あなたたちは、そうやって全部、人に押しつけて逃げたのね」
クリスの目が揺れる。そこへ、ジェイが一歩前に出た。
「兄上」
「ジェイ、私は」
「父上からの書状です」
ジェイは懐から封書を出す。クリスの顔色が変わる。
「父上が?」
「はい。あなたがこのまま帰還せず、またフェンウィック家の名を使って逃亡を続けるなら、長男としての権利を停止する。私を暫定代理とする。すでに主な宿と駅馬車には通達済みです」
「待て。そんな馬鹿な」
「馬鹿なことをしたのは兄上です」
ジェイの声は静かだ。静かすぎて、部屋の中でよく通る。
「あなたは父上の金時計を馬代にしました。フェンウィック家の名で駅馬車を借りようとしました。私なら代わりを務められると手紙に書いた。では、務めます」
「ジェイ、お前は弟だろう」
「だから止めに来ました」
「私の恋を邪魔するのか」
「いいえ」
ジェイは一度、クリスを見る。それからシャーリーンを見る。
「恋をなさるのはご自由に。ただし、家名と他人の財産と赤ん坊を踏んで進むのはやめていただきます」
私はそこで、少しだけ息を吸う。それだ。それを言いに来た。
「シャーリーン様」
鞄から紙を出す。
「離縁の同意書よ。まだ正式なものではないけれど、あなたがエルフォード子爵夫人として戻る意思がないこと、ヘンリーの養育をウィリアムに任せること、持ち出したものを返還すること、今後エルフォード家の名で金品を受け取らないこと。まずそれに署名して」
シャーリーンが青くなる。
「そんな」
「逃げたかったのでしょう?」
「でも、私は」
「自由になりたいのよね」
「……」
「なら、家政鍵を返して。夫の父の形見を返して。子供のがらがらを返して。兄さんの妻という名も返して」
シャーリーンはテーブルの上に並んだものを見る。ひとつずつ。けれど、ヘンリーのがらがらのところで目が止まらない。
それで十分だった。
「アマンダ様、私はただ」
「ただ?」
「愛されたかっただけなのです」
「ヘンリーもよ」
シャーリーンの肩が、小さく動く。
「ヘンリーも、母親に愛されたかったでしょうね」
今度こそ、シャーリーンの目から涙が落ちる。遅い。遅すぎる。
「泣いていいのはあなたじゃない」
私はペンを出す。
「署名して」
クリスが声を上げる。
「アマンダ、やめてくれ。彼女を追い詰めないでくれ」
「ではあなたが先に書く?」
「何を」
「婚約破棄の同意書。あなたが私との婚約を一方的に破棄し、私の兄嫁であるシャーリーン様と出奔したこと。フェンウィック家とエルフォード家の名を使って金品を得たこと。私から贈られた品を勝手に馬代にしたこと」
「そんなものを書いたら」
「書いたら?」
クリスは口を閉じる。分かっているのだ。書けば終わる。
自分がしたことが、紙の上に残る。
今までは、手紙にも私の名を書かなかった。シャーリーンの名も書かなかった。自分のしたことを、ぼかして逃げてきた。
ここで初めて、文字にされる。
「クリス」
私は初めて、様をつけずに呼ぶ。クリスの目がこちらへ戻る。
「あなた、私が強いから大丈夫だと思ったのね」
「……」
「ええ。大丈夫よ」
言いながら、クラヴァットピンの箱を押す。
「だから、あなたをきちんと捨てられる」
クリスの喉が動く。ジェイが静かに紙を置く。
「兄上。署名を」
「ジェイ」
「ここで書かなければ、父上の名で捕らえます」
「弟が兄を脅すのか」
「兄が弟に、代わりを務めろと書きました」
ジェイはペンを持つ。
「だから、務めています」
部屋の外で、馬の音がする。フェンウィック家の使いか。エルフォードの使いか。あるいは両方か。
もう、この小さな離れ宿は、二人だけの逃げ場所ではない。
追いついた。ようやく。
私はシャーリーンの前に紙を置く。
「書いて」
シャーリーンはペンを見る。クリスを見る。ジェイを見る。
最後に、私を見る。
「……私が、そんなに憎いのですか」
「憎いわ」
すぐ答える。
「でも今しているのは、憎しみで殴ることではない」
家政鍵を押さえる。
「返すものを返してもらっているだけよ」
「泣くなら、ヘンリーの前で泣いて」
シャーリーンは口を閉じる。
「あなた、自分の手紙に何度も自分のことを書いたわね。本当の愛。女として生きたい。惨めにしないで。幸せになりたい」
私は銀のがらがらを指で押さえる。
「でもヘンリーのことは、ついでみたいにしか書かなかった」
「あの子は、ウィリアム様が」
「兄さんが何?」
「ウィリアム様なら、ちゃんと育ててくださるわ。あの方は優しいもの」
「だから置いていったの?」
返事がない。
「優しい人なら、何をしてもいいの?」
「違います!」
「退屈な人なら、傷つけてもいいの?」
「そんなつもりでは」
「強い女なら、婚約者を取られても平気?」
今度はクリスを見る。彼は言葉を探している。探している時点で、もう遅い。
「アマンダ、僕は君を傷つけたかったわけじゃない」
「結果として傷つけたなら同じよ」
「君は、僕がいなくても大丈夫だと思ったんだ」
「便利ね」
「便利?」
「兄さんは優しいから大丈夫。ヘンリーは赤ん坊だから分からない。私は強いから大丈夫。ジェイ様は有能だから代わりになる。あなたたちは、そうやって全部、人に押しつけて逃げたのね」
クリスの目が揺れる。そこへ、ジェイが一歩前に出た。
「兄上」
「ジェイ、私は」
「父上からの書状です」
ジェイは懐から封書を出す。クリスの顔色が変わる。
「父上が?」
「はい。あなたがこのまま帰還せず、またフェンウィック家の名を使って逃亡を続けるなら、長男としての権利を停止する。私を暫定代理とする。すでに主な宿と駅馬車には通達済みです」
「待て。そんな馬鹿な」
「馬鹿なことをしたのは兄上です」
ジェイの声は静かだ。静かすぎて、部屋の中でよく通る。
「あなたは父上の金時計を馬代にしました。フェンウィック家の名で駅馬車を借りようとしました。私なら代わりを務められると手紙に書いた。では、務めます」
「ジェイ、お前は弟だろう」
「だから止めに来ました」
「私の恋を邪魔するのか」
「いいえ」
ジェイは一度、クリスを見る。それからシャーリーンを見る。
「恋をなさるのはご自由に。ただし、家名と他人の財産と赤ん坊を踏んで進むのはやめていただきます」
私はそこで、少しだけ息を吸う。それだ。それを言いに来た。
「シャーリーン様」
鞄から紙を出す。
「離縁の同意書よ。まだ正式なものではないけれど、あなたがエルフォード子爵夫人として戻る意思がないこと、ヘンリーの養育をウィリアムに任せること、持ち出したものを返還すること、今後エルフォード家の名で金品を受け取らないこと。まずそれに署名して」
シャーリーンが青くなる。
「そんな」
「逃げたかったのでしょう?」
「でも、私は」
「自由になりたいのよね」
「……」
「なら、家政鍵を返して。夫の父の形見を返して。子供のがらがらを返して。兄さんの妻という名も返して」
シャーリーンはテーブルの上に並んだものを見る。ひとつずつ。けれど、ヘンリーのがらがらのところで目が止まらない。
それで十分だった。
「アマンダ様、私はただ」
「ただ?」
「愛されたかっただけなのです」
「ヘンリーもよ」
シャーリーンの肩が、小さく動く。
「ヘンリーも、母親に愛されたかったでしょうね」
今度こそ、シャーリーンの目から涙が落ちる。遅い。遅すぎる。
「泣いていいのはあなたじゃない」
私はペンを出す。
「署名して」
クリスが声を上げる。
「アマンダ、やめてくれ。彼女を追い詰めないでくれ」
「ではあなたが先に書く?」
「何を」
「婚約破棄の同意書。あなたが私との婚約を一方的に破棄し、私の兄嫁であるシャーリーン様と出奔したこと。フェンウィック家とエルフォード家の名を使って金品を得たこと。私から贈られた品を勝手に馬代にしたこと」
「そんなものを書いたら」
「書いたら?」
クリスは口を閉じる。分かっているのだ。書けば終わる。
自分がしたことが、紙の上に残る。
今までは、手紙にも私の名を書かなかった。シャーリーンの名も書かなかった。自分のしたことを、ぼかして逃げてきた。
ここで初めて、文字にされる。
「クリス」
私は初めて、様をつけずに呼ぶ。クリスの目がこちらへ戻る。
「あなた、私が強いから大丈夫だと思ったのね」
「……」
「ええ。大丈夫よ」
言いながら、クラヴァットピンの箱を押す。
「だから、あなたをきちんと捨てられる」
クリスの喉が動く。ジェイが静かに紙を置く。
「兄上。署名を」
「ジェイ」
「ここで書かなければ、父上の名で捕らえます」
「弟が兄を脅すのか」
「兄が弟に、代わりを務めろと書きました」
ジェイはペンを持つ。
「だから、務めています」
部屋の外で、馬の音がする。フェンウィック家の使いか。エルフォードの使いか。あるいは両方か。
もう、この小さな離れ宿は、二人だけの逃げ場所ではない。
追いついた。ようやく。
私はシャーリーンの前に紙を置く。
「書いて」
シャーリーンはペンを見る。クリスを見る。ジェイを見る。
最後に、私を見る。
「……私が、そんなに憎いのですか」
「憎いわ」
すぐ答える。
「でも今しているのは、憎しみで殴ることではない」
家政鍵を押さえる。
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