婚約破棄されましたので、隣国の灯りを点しに行きましょう

さんけい

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1 公開婚約破棄ですか

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 王宮の大広間は、いつになく眩しかった。
 磨き上げられた白大理石の床に、黄金の燭台の光が幾筋も揺れている。
 その中央に立たされながら、グロースベルク侯爵令嬢サーシャは心のどこかで冷静に、蝋の垂れ方まで観察していた。

(……今夜の蝋は質がいいわね。炎がほとんど揺れない)

 ……せめて関係のないことを考えてでもいないと、目の前の光景に今にも感情を持っていかれそうだった。

「本日は、隣国アストリアよりの使節団を迎える、記念すべき宴である!」

 国王の声が高らかに響く。
 客人として招かれたアストリアの使節団、その先頭には、濃紺の礼服に身を包んだ男が静かに立っていた。
 王家の一員、ルドルフ・フォン・アストリア──
 今日初めて見るはずの顔なのに、なぜか落ち着いた灰色の瞳が印象に残っている。
 この時サーシャは、王族の列の少し後ろ、王太子の婚約者として定められた位置に控えていた。
 ところがすぐ隣には、やけに華やかな色のドレスがひときわ目立つ少女がいる。
 淡い桃色のドレスに、ゆるく巻いた金の髪。
 瞳をうるませて王太子を見上げているのは――実の妹、アリーシャだ。

(……あの位置にアリーシャがいるのは、おかしいわね)

 本来なら、未婚の次女は壁際で笑っている役のはずだ。
 国王夫妻のすぐそば、王太子の隣には「公式な婚約者」である自分だけが立つ──それがこの国の慣例。
 サーシャはそう教わり、その通りに振る舞ってきた。
 だからこそ、最前列に並んだ妹の姿は、礼儀作法の上から見れば明らかな「異常」だった。

「サーシャ」

 名を呼ばれて顔を上げる。
 壇上の王太子グイドが、いつものように完璧な笑みを浮かべていた。いや、いつもより幾分か上機嫌だろうか。

「はい、殿下」

 きちんと一礼し、声も姿勢も教本通りに整える。
 幼い頃から言われ続けてきた言葉が、頭のどこかで木霊した。

『サーシャは大丈夫でしょ』『姉なんだから』『優秀でいなさい』

 両親から、国王夫妻から、褒められたことは、一度もない。
 代わりに与えられたのは、「できて当たり前」という視線ばかり。

「本日、こうして諸侯と客人の前で公にしたいことがある」

 王太子の声が広間に響くと、ざわめきが走った。
 国王も王妃も止めない…… ――ということは、事前に話は通っているのだろう。
 サーシャの胸の奥に、嫌な予感がじわりと広がった。

(まさか、この場で発表するの? だったら、事前に書類を……いえ、何も回ってこなかった)

 王太子付きの書類は、すべてサーシャのところを通る。
 通らなかったということは、意図的に外されたということだ。
 グイドは一歩前に出て、朗々と言い放った。

「これまで私の婚約者は、グロースベルク侯爵家長女、サーシャであったが――」

 その瞬間、広間の空気が張りつめる。
 サーシャは、背筋をさらに伸ばす。
 膝が笑いそうになるのを、靴の中でぐっと踏ん張る。

(ああ、やっぱり)

「……しかし、私は気づいてしまったのだ」

 王太子が、隣に立つアリーシャの手を取った。
 桃色のドレスが、白亜の大広間でひどく場違いなほど目立っている。

「私は、彼女を愛している。私の隣にふさわしいのは、この可憐なアリーシャだと!」

 歓声とも戸惑いともつかない声が、あちこちから漏れた。
 アリーシャはわざとらしく頬を染め、涙をにじませる。

「兄様……でも、私は……お姉様に悪いわ」

 その「お姉様」という言葉が、サーシャのいる方向へと視線を誘導する。
 広間の視線が一斉に突き刺さった。

(演技まで覚えたのね、アリーシャ)

 サーシャは、ほんの一瞬だけ目を伏せた。
 妹が悪いわけではない。彼女はただ「可愛がられ方」を知っているだけだ。
 大人たちは皆、アリーシャの泣き顔に弱かった。

「サーシャ」

 再び名を呼ばれる。
 王太子の声には、勝ち誇った響きすらあった。

「君は確かに優秀だ。礼儀も、学問も、政務もそつなくこなす。だが――君には可愛げがない。いつも私を正し、立場を説き、私の前で笑わない」

 広間に笑いが散った。
 聞いているのはこの国の貴族たちだけではない。
 隣国アストリアの使節団も、このやり取りをつぶさに見ている。
 ルドルフと呼ばれた使節団の長が、僅かに眉を寄せたのが見えた。

「それでは、私の心は満たされない。私は王太子である前に、一人の男だ。男として、私はアリーシャを選ぶ」

 グイドはそう言って、アリーシャの肩を抱き寄せる。
 アリーシャは小さく悲鳴を上げてから、嬉しそうに笑った。

「だから――ここに婚約破棄を宣言する。サーシャ・グロースベルク、君との婚約は今この時をもって白紙に戻す! 君には用はない!」
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