婚約破棄されましたので、隣国の灯りを点しに行きましょう

さんけい

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2 婚約破棄されましたので

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 ――ああ、ついに言った。
 サーシャは、胸のどこかがすっと冷たくなるのを感じたが、不思議と涙は出なかった。

(そう…… やっと終わったのね)

 心の底から出てきたのは、安堵に近い感情だった。
 ああもうこれ以上、「優秀でいなさい」という鎖に繋がれなくて済むのだ、――と。

「サーシャ、何か言うことは?」

 王太子が、勝ち誇った笑みを向けてくる。
 アリーシャは、今にも泣き出しそうな顔を作りながら、サーシャの返答を待っている。
 サーシャは一度だけ深く息を吸い込み、頭を下げた。

「……承知いたしました、グイド殿下」

 ざわ、と今度は別種のざわめきが起こる。
 非難、嘲笑、同情。それらすべてを背に受けながら、サーシャは淡々と告げた。

「これまでの不行き届きをお詫び申し上げます。以後は、殿下とアリーシャ様が、どうぞお幸せであられますように」

 それだけ言うと、サーシャは真っ直ぐに顔を上げた。
 王太子の目を見て、微笑む。

「……以上です。失礼いたします」
「な──」

 王太子が何か言いかけたが、サーシャはその言葉を聞かずにターンした。
 裾を乱さず、ただ静かに、大広間を後にする。
 涙も、声も上げない。背筋だけを真っ直ぐに保った。
 王妃が慌てて何か言おうとした気配がしたが、サーシャは振り返らなかった。

(どうなっても、もう知らないわ)

 心の中で、ぽつりとそう呟く。
 これまで必死に積み上げてきた政務のノートも、各国の礼儀作法のメモも、もう必要ない。
 そう思うと、肩から力が抜けた。

  ◇

 大広間を出て、人気のない廊下に出たところで、サーシャは初めて足を止めた。
 吐く息が震える。
 手袋の中の指先に、遅れて冷たさが戻ってくる。

「……これで、全部終わり」

 小さく呟いたその時、背後から落ち着いた男の声がした。

「終わり、ではなく──始まりにしてみる気はありませんか、サーシャ嬢」

 振り向くと、そこには先程の隣国使節団の長――ルドルフが立っていた。
 灰色の瞳が、先程と同じように静かに、けれどまっすぐにサーシャを見つめている。

「先ほどの一幕、つぶさに拝見しておりました。……少々、興味がありましてね」

 サーシャは、思わず眉をひそめた。

「興味?」
「ええ。自国の有能な人材を、あれほど派手に手放す国があるとは思いませんでしたので」

 ルドルフの口元に、わずかな皮肉が浮かんだ。

「もしよろしければ――我がアストリアへ、いらっしゃいませんか?」

 思いもしなかった言葉に、サーシャは目を瞬いた。

(……そう来たのね)

 胸の奥で、何かが微かに綻んだ気がした。
 王太子に捨てられた「優秀すぎる婚約者」としてではなく。
 一人の人間として、役に立つ場所があるというのなら――。

「少し、お話を聞かせてくださいませんか、ルドルフ様」

 サーシャは静かに、そう返した。
 こうして彼女の運命は、予想外の方向へと転がり始める。
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