4 / 10
4 思わぬ申し出
しおりを挟む
「……少しだけ、古い文字の勉強をしたことがございます。ただの趣味ですわ」
「趣味、ですか。それはそれは」
ルドルフは楽しげに言いながら、革袋から一枚の紙を取り出した。
何度も折りたたまれたそれを広げると、褪せたインクで不思議な文字列が記されている。
「こちらをご覧いただけますか」
差し出された紙を受け取り、サーシャは目を落とす。
鋭い角を持つ文字と、丸みを帯びた文字が入り混じった、古い書式。
政務の合間に読み漁った古文書の中で、何度か見かけた系統だった。
(……古王朝期の、境界碑文の形式に似ているわね)
自然と、頭の中で規則をなぞる。
上段は地名と年代、下段には祝詞と警句。
一番下の、斜めに書き添えられた行は──
「“この丘より西に、神々の涙が眠る”」
無意識のうちに、口から言葉がこぼれていた。
顔を上げると、ルドルフがわずかに目を見張ってサーシャを見ていた。
「……続けていただけますか」
少しだけ、声が低い。
「“人の欲によりてこれを乱せば、黄の火が地を焼かん”」
最後まで読み上げると、紙の上の文字列が、ただの装飾ではなく、きちんとした意味を持つ文章として立ち上がってくる。
サーシャは息を吐いた。
「……このような感じでよろしいでしょうか」
「十分すぎます」
ルドルフは即答した。
そして、さきほどまでの穏やかな笑みを少しだけ引き締める。
「これは、我が国の北方で見つかった石碑の拓本です。『神々の涙』が何を指すのか、長らく議論になっていましてね」
「鉱物、か、泉……あるいは、氷河起源の湖のことかもしれませんわ」
サーシャは、紙を見つめながら思考を巡らせる。
「『黄の火が地を焼かん』という表現からすると、可燃性の鉱脈──油、あるいは硫黄を含む何か、でしょうか。いずれにせよ、“掘り出せば燃える”ものを暗示している気がいたします」
「……やはり」
ルドルフが、深く息を吐いた。
「あなたにお見せしたのは賭けでしたが、どうやら正解だったようですね」
「正解、とは?」
「我が国の王が、あなたに最も期待しているのは、その“古い文字を読み解く力”なのです」
ルドルフは紙を指で軽く叩いた。
「この碑文が示す場所に、新たな鉱脈が眠っている可能性がある。もしそれが事実なら、アストリアの未来は大きく変わるでしょう」
サーシャは、思わず唾を飲み込み、目を見開いた。
(鉱脈……)
鉱山といえば、税収と直結する。
政務の数字の中で何度も見てきた単語が、今は目の前の紙切れから立ち上がってくるようだった。
「もちろん、危険を伴う調査ではありますが。……サーシャ嬢、協力していただけますか?」
ルドルフの視線が真っ直ぐに向けられる。
婚約破棄の場で、自分の価値を「可愛げの有無」にしか見なかった男とは正反対の目だった。
このまなざしには応えたい。そうサーシャは思う。
「……わたくしで、お役に立てるのであれば」
そう口にしてみると、不思議と怖さはなかった。
むしろ、胸の奥が少しだけ軽くなる。
「喜んで、お手伝いさせていただきますわ。ルドルフ様」
ルドルフの表情が、ほんのわずかだけ和らいだ。
「心強いお言葉です。サーシャ嬢──いえ、サーシャ」
名前を呼び捨てにされて、サーシャは一瞬だけ瞬きをした。
「我が国では、共に働く仲間を敬意を込めて呼び捨てにすることがあります。……もし不快でなければ、ですが」
「慣れておりませんけれど……そういう風習なら、学ばせていただきますわ」
そう返すと、ルドルフは小さく笑った。
「ようこそ、アストリアへ。サーシャ。あなたの“趣味”が、きっと我が国を救うことになるでしょう」
馬車は東の空が白み始める草原を、ゆっくりと走っていく。
サーシャは、手帳を膝の上に開いた。
新しいページの一番上に、細い字で書き込む。
『アストリア行きの馬車の中で──古王朝期碑文の新出資料を読む』
そうしてペン先を走らせながら、彼女はようやく実感する。
(本当に、あの国を出たのね。……まあ、いいわ。ここから、わたしの新たな仕事が始まる)
これまで「優秀でいなさい」と言われ続けてきた少女は、初めて自分の意思で、新しい役目を選ぼうとしていた。
「趣味、ですか。それはそれは」
ルドルフは楽しげに言いながら、革袋から一枚の紙を取り出した。
何度も折りたたまれたそれを広げると、褪せたインクで不思議な文字列が記されている。
「こちらをご覧いただけますか」
差し出された紙を受け取り、サーシャは目を落とす。
鋭い角を持つ文字と、丸みを帯びた文字が入り混じった、古い書式。
政務の合間に読み漁った古文書の中で、何度か見かけた系統だった。
(……古王朝期の、境界碑文の形式に似ているわね)
自然と、頭の中で規則をなぞる。
上段は地名と年代、下段には祝詞と警句。
一番下の、斜めに書き添えられた行は──
「“この丘より西に、神々の涙が眠る”」
無意識のうちに、口から言葉がこぼれていた。
顔を上げると、ルドルフがわずかに目を見張ってサーシャを見ていた。
「……続けていただけますか」
少しだけ、声が低い。
「“人の欲によりてこれを乱せば、黄の火が地を焼かん”」
最後まで読み上げると、紙の上の文字列が、ただの装飾ではなく、きちんとした意味を持つ文章として立ち上がってくる。
サーシャは息を吐いた。
「……このような感じでよろしいでしょうか」
「十分すぎます」
ルドルフは即答した。
そして、さきほどまでの穏やかな笑みを少しだけ引き締める。
「これは、我が国の北方で見つかった石碑の拓本です。『神々の涙』が何を指すのか、長らく議論になっていましてね」
「鉱物、か、泉……あるいは、氷河起源の湖のことかもしれませんわ」
サーシャは、紙を見つめながら思考を巡らせる。
「『黄の火が地を焼かん』という表現からすると、可燃性の鉱脈──油、あるいは硫黄を含む何か、でしょうか。いずれにせよ、“掘り出せば燃える”ものを暗示している気がいたします」
「……やはり」
ルドルフが、深く息を吐いた。
「あなたにお見せしたのは賭けでしたが、どうやら正解だったようですね」
「正解、とは?」
「我が国の王が、あなたに最も期待しているのは、その“古い文字を読み解く力”なのです」
ルドルフは紙を指で軽く叩いた。
「この碑文が示す場所に、新たな鉱脈が眠っている可能性がある。もしそれが事実なら、アストリアの未来は大きく変わるでしょう」
サーシャは、思わず唾を飲み込み、目を見開いた。
(鉱脈……)
鉱山といえば、税収と直結する。
政務の数字の中で何度も見てきた単語が、今は目の前の紙切れから立ち上がってくるようだった。
「もちろん、危険を伴う調査ではありますが。……サーシャ嬢、協力していただけますか?」
ルドルフの視線が真っ直ぐに向けられる。
婚約破棄の場で、自分の価値を「可愛げの有無」にしか見なかった男とは正反対の目だった。
このまなざしには応えたい。そうサーシャは思う。
「……わたくしで、お役に立てるのであれば」
そう口にしてみると、不思議と怖さはなかった。
むしろ、胸の奥が少しだけ軽くなる。
「喜んで、お手伝いさせていただきますわ。ルドルフ様」
ルドルフの表情が、ほんのわずかだけ和らいだ。
「心強いお言葉です。サーシャ嬢──いえ、サーシャ」
名前を呼び捨てにされて、サーシャは一瞬だけ瞬きをした。
「我が国では、共に働く仲間を敬意を込めて呼び捨てにすることがあります。……もし不快でなければ、ですが」
「慣れておりませんけれど……そういう風習なら、学ばせていただきますわ」
そう返すと、ルドルフは小さく笑った。
「ようこそ、アストリアへ。サーシャ。あなたの“趣味”が、きっと我が国を救うことになるでしょう」
馬車は東の空が白み始める草原を、ゆっくりと走っていく。
サーシャは、手帳を膝の上に開いた。
新しいページの一番上に、細い字で書き込む。
『アストリア行きの馬車の中で──古王朝期碑文の新出資料を読む』
そうしてペン先を走らせながら、彼女はようやく実感する。
(本当に、あの国を出たのね。……まあ、いいわ。ここから、わたしの新たな仕事が始まる)
これまで「優秀でいなさい」と言われ続けてきた少女は、初めて自分の意思で、新しい役目を選ぼうとしていた。
177
あなたにおすすめの小説
妹に何度も婚約者を奪われましたので、神様の花嫁(修道女)になります。
ニノ
恋愛
伯爵令嬢であるシャーリーンの婚約者はいつでも妹のマデリーンに奪われてしまう。容姿、性格、爵位、年齢……新しく婚約する相手のステータスがどんなに違えども、マデリーンは「運命の恋に落ちてしまったのです」の一言でシャーリーンから婚約者を奪ってしまうのだ。
沢山の運命の恋に落ちる妹にも、直ぐに心変わりをする婚約者にも、面白おかしく自分達の噂をする貴族社会にもいい加減うんざりしたシャーリーンは思い立つ。
「そうだ!神様の花嫁になればもう妹に婚約者を奪われることはないんだわ!!」
※小説家になろう様でも投稿しております。
どうやら婚約者の隣は私のものではなくなってしまったようなので、その場所、全てお譲りします。
皇 翼
恋愛
侯爵令嬢という何でも買ってもらえてどんな教育でも施してもらえる恵まれた立場、王太子という立場に恥じない、童話の王子様のように顔の整った婚約者。そして自分自身は最高の教育を施され、侯爵令嬢としてどこに出されても恥ずかしくない教養を身につけていて、顔が綺麗な両親に似たのだろう容姿は綺麗な方だと思う。
完璧……そう、完璧だと思っていた。自身の婚約者が、中庭で公爵令嬢とキスをしているのを見てしまうまでは――。
断罪された公爵令嬢に手を差し伸べたのは、私の婚約者でした
カレイ
恋愛
子爵令嬢に陥れられ第二王子から婚約破棄を告げられたアンジェリカ公爵令嬢。第二王子が断罪しようとするも、証拠を突きつけて見事彼女の冤罪を晴らす男が現れた。男は公爵令嬢に跪き……
「この機会絶対に逃しません。ずっと前から貴方をお慕いしていましたんです。私と婚約して下さい!」
ええっ!あなた私の婚約者ですよね!?
【完結】婚約破棄はしたいけれど傍にいてほしいなんて言われましても、私は貴方の母親ではありません
すだもみぢ
恋愛
「彼女は私のことを好きなんだって。だから君とは婚約解消しようと思う」
他の女性に言い寄られて舞い上がり、10年続いた婚約を一方的に解消してきた王太子。
今まで婚約者だと思うからこそ、彼のフォローもアドバイスもしていたけれど、まだそれを当たり前のように求めてくる彼に驚けば。
「君とは結婚しないけれど、ずっと私の側にいて助けてくれるんだろう?」
貴方は私を母親だとでも思っているのでしょうか。正直気持ち悪いんですけれど。
王妃様も「あの子のためを思って我慢して」としか言わないし。
あんな男となんてもう結婚したくないから我慢するのも嫌だし、非難されるのもイヤ。なんとかうまいこと立ち回って幸せになるんだから!
1度だけだ。これ以上、閨をともにするつもりは無いと旦那さまに告げられました。
尾道小町
恋愛
登場人物紹介
ヴィヴィアン・ジュード伯爵令嬢
17歳、長女で爵位はシェーンより低が、ジュード伯爵家には莫大な資産があった。
ドン・ジュード伯爵令息15歳姉であるヴィヴィアンが大好きだ。
シェーン・ロングベルク公爵 25歳
結婚しろと回りは五月蝿いので大富豪、伯爵令嬢と結婚した。
ユリシリーズ・グレープ補佐官23歳
優秀でシェーンに、こき使われている。
コクロイ・ルビーブル伯爵令息18歳
ヴィヴィアンの幼馴染み。
アンジェイ・ドルバン伯爵令息18歳
シェーンの元婚約者。
ルーク・ダルシュール侯爵25歳
嫁の父親が行方不明でシェーン公爵に相談する。
ミランダ・ダルシュール侯爵夫人20歳、父親が行方不明。
ダン・ドリンク侯爵37歳行方不明。
この国のデビット王太子殿下23歳、婚約者ジュリアン・スチール公爵令嬢が居るのにヴィヴィアンの従妹に興味があるようだ。
ジュリエット・スチール公爵令嬢18歳
ロミオ王太子殿下の婚約者。
ヴィヴィアンの従兄弟ヨシアン・スプラット伯爵令息19歳
私と旦那様は婚約前1度お会いしただけで、結婚式は私と旦那様と出席者は無しで式は10分程で終わり今は2人の寝室?のベッドに座っております、旦那様が仰いました。
一度だけだ其れ以上閨を共にするつもりは無いと旦那様に宣言されました。
正直まだ愛情とか、ありませんが旦那様である、この方の言い分は最低ですよね?
お望み通り、消えてさしあげますわ
梨丸
恋愛
一国の次期王妃と言われていた子爵令嬢アマリリス。
王太子との結婚前夜、彼女は自ら火を放ち、死んだ。
国民達は彼女の死を特に気にもしなかった。それどころか、彼女の死を喜ぶ者もいた。彼女の有していた聖女の力は大したものではなかったし、優れているのは外見だけの“役立たずの聖女”だと噂されるほどだったから。
彼女の死後、すぐさま後釜として皆に好かれていた聖女が次期王妃に召し上げられた。
この国はより豊かになる、皆はそう確信した。
だが、“役立たずの聖女”アマリリスの死後──着実に崩壊は始まっていた。
※投稿してから、誤字脱字などの修正やわかりにくい部分の補足をすることがあります。(話の筋は変わらないのでご安心ください。)
※この調子だと短編になりそうです。
小石だと思っていた妻が、実は宝石だった。〜ある伯爵夫の自滅
みこと。
恋愛
アーノルド・ロッキムは裕福な伯爵家の当主だ。我が世の春を楽しみ、憂いなく遊び暮らしていたところ、引退中の親から子爵家の娘を嫁にと勧められる。
美人だと伝え聞く子爵の娘を娶ってみれば、田舎臭い冴えない女。
アーノルドは妻を離れに押し込み、顧みることなく、大切な約束も無視してしまった。
この縁談に秘められた、真の意味にも気づかずに──。
※全7話で完結。「小説家になろう」様でも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる