婚約破棄されましたので、隣国の灯りを点しに行きましょう

さんけい

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4 思わぬ申し出

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「……少しだけ、古い文字の勉強をしたことがございます。ただの趣味ですわ」
「趣味、ですか。それはそれは」

 ルドルフは楽しげに言いながら、革袋から一枚の紙を取り出した。
 何度も折りたたまれたそれを広げると、褪せたインクで不思議な文字列が記されている。

「こちらをご覧いただけますか」

 差し出された紙を受け取り、サーシャは目を落とす。
 鋭い角を持つ文字と、丸みを帯びた文字が入り混じった、古い書式。
 政務の合間に読み漁った古文書の中で、何度か見かけた系統だった。

(……古王朝期の、境界碑文の形式に似ているわね)

 自然と、頭の中で規則をなぞる。
 上段は地名と年代、下段には祝詞と警句。
 一番下の、斜めに書き添えられた行は──

「“この丘より西に、神々の涙が眠る”」

 無意識のうちに、口から言葉がこぼれていた。
 顔を上げると、ルドルフがわずかに目を見張ってサーシャを見ていた。

「……続けていただけますか」

 少しだけ、声が低い。

「“人の欲によりてこれを乱せば、黄の火が地を焼かん”」

 最後まで読み上げると、紙の上の文字列が、ただの装飾ではなく、きちんとした意味を持つ文章として立ち上がってくる。
 サーシャは息を吐いた。

「……このような感じでよろしいでしょうか」
「十分すぎます」

 ルドルフは即答した。
 そして、さきほどまでの穏やかな笑みを少しだけ引き締める。

「これは、我が国の北方で見つかった石碑の拓本です。『神々の涙』が何を指すのか、長らく議論になっていましてね」
「鉱物、か、泉……あるいは、氷河起源の湖のことかもしれませんわ」

 サーシャは、紙を見つめながら思考を巡らせる。

「『黄の火が地を焼かん』という表現からすると、可燃性の鉱脈──油、あるいは硫黄を含む何か、でしょうか。いずれにせよ、“掘り出せば燃える”ものを暗示している気がいたします」
「……やはり」

 ルドルフが、深く息を吐いた。

「あなたにお見せしたのは賭けでしたが、どうやら正解だったようですね」
「正解、とは?」
「我が国の王が、あなたに最も期待しているのは、その“古い文字を読み解く力”なのです」

 ルドルフは紙を指で軽く叩いた。

「この碑文が示す場所に、新たな鉱脈が眠っている可能性がある。もしそれが事実なら、アストリアの未来は大きく変わるでしょう」

 サーシャは、思わず唾を飲み込み、目を見開いた。

(鉱脈……)

 鉱山といえば、税収と直結する。
 政務の数字の中で何度も見てきた単語が、今は目の前の紙切れから立ち上がってくるようだった。

「もちろん、危険を伴う調査ではありますが。……サーシャ嬢、協力していただけますか?」

 ルドルフの視線が真っ直ぐに向けられる。
 婚約破棄の場で、自分の価値を「可愛げの有無」にしか見なかった男とは正反対の目だった。
 このまなざしには応えたい。そうサーシャは思う。

「……わたくしで、お役に立てるのであれば」

 そう口にしてみると、不思議と怖さはなかった。
 むしろ、胸の奥が少しだけ軽くなる。

「喜んで、お手伝いさせていただきますわ。ルドルフ様」

 ルドルフの表情が、ほんのわずかだけ和らいだ。

「心強いお言葉です。サーシャ嬢──いえ、サーシャ」

 名前を呼び捨てにされて、サーシャは一瞬だけ瞬きをした。

「我が国では、共に働く仲間を敬意を込めて呼び捨てにすることがあります。……もし不快でなければ、ですが」
「慣れておりませんけれど……そういう風習なら、学ばせていただきますわ」

 そう返すと、ルドルフは小さく笑った。

「ようこそ、アストリアへ。サーシャ。あなたの“趣味”が、きっと我が国を救うことになるでしょう」

 馬車は東の空が白み始める草原を、ゆっくりと走っていく。
 サーシャは、手帳を膝の上に開いた。
 新しいページの一番上に、細い字で書き込む。

『アストリア行きの馬車の中で──古王朝期碑文の新出資料を読む』

 そうしてペン先を走らせながら、彼女はようやく実感する。

(本当に、あの国を出たのね。……まあ、いいわ。ここから、わたしの新たな仕事が始まる)

 これまで「優秀でいなさい」と言われ続けてきた少女は、初めて自分の意思で、新しい役目を選ぼうとしていた。
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