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第2話:スタッコ(化粧漆喰)の嘘
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「見て見て、レイモンド様ぁ! すごぉい! この柱、ツルツルでピカピカですぅ!」
建設中のホールの中心で、シルヴィア様が黄色い声を上げてはしゃいでいました。
彼女が抱きつこうとしているのは、ホールを支える(ように見える)、直径一メートルはあろうかという巨大な白亜の円柱です。
「ああ、美しいだろう。我が国の最高級大理石、カッラーラ・ビアンコを惜しみなく使わせたんだ。君の純白の肌にふさわしい」
「うれしいぃ! 私、この柱大好き!」
レイモンド殿下が自慢げに胸を張り、シルヴィア様がドレスの裾を翻して、その柱の周りをくるくると回り始めました。
まるで求愛ダンスです。
私はその光景を、数メートル離れた場所から冷ややかに見つめていました。
私の手には、水平器の代わりに、護身用(兼、検査用)の樫の木の杖が握られています。
「……お嬢様。あんなに高そうな大理石、本当に使われているんですね。王子様ってば、意外とお金持ちなんですね」
隣でロッテが感心したように呟きました。
私は眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、小さく首を横に振りました。
「ロッテ。あなたはメッキと純金の区別がつきますか?」
「えっ? 噛んでみて柔らかいほうが金ですよね?」
「野性味あふれる判別法ですね。……ですが、建築物は噛むわけにはいきません。叩いて音を聞くのです」
私は音もなく二人に近づきました。
シルヴィア様は、はしゃぎすぎて足元がふらついています。
「キャッ!」
バランスを崩したシルヴィア様が、勢いよくその柱にぶつかりそうになりました。
彼女の細い体が、その硬い石に激突すれば、怪我では済みません――普通の大理石ならば。
「危ない!」
レイモンド殿下が叫ぶより早く、私は踏み込みました。
しかし、シルヴィア様を抱き止めるためではありません。
そんなことをすれば、私が巻き添えを食らってドレスが汚れてしまいます。
私は手に持っていた樫の木の杖を、フェンシングの突きのように鋭く繰り出しました。
――カツン。
杖の先端が、シルヴィア様がぶつかる寸前の柱に当たりました。
制止するための、ほんの軽い一撃です。
小石を投げる程度の衝撃しか与えていません。
しかし。
「えっ……?」
シルヴィア様が目を丸くして立ち止まった目の前で、信じられない現象が起きました。
私の杖が当たった一点を中心に、蜘蛛の巣のような亀裂が走り、次の瞬間、バラバラと白い破片が剥がれ落ちたのです。
そして、剥がれた大理石の下から現れたのは――粗悪な赤レンガと、空洞でした。
「きゃあああっ! は、柱が崩れたぁ!?」
シルヴィア様が悲鳴を上げて尻餅をつきます。
レイモンド殿下が顔色を変えて駆け寄りました。
「貴様! 何をしたんだジュリアンナ! シルヴィアを助けるふりをして、私の最高級の柱を破壊するとは!」
殿下の怒声がホールに響きます。
私は杖を優雅に引き戻し、剥がれ落ちた白い破片を一つ拾い上げました。
そして、それを指先で軽く捻ります。
破片はあっけなく粉になって崩れました。
「破壊? いいえ、殿下。私は検品をしただけですわ」
「なんだと?」
「ご覧ください。これは大理石ではありません。スタッコ(化粧漆喰)……、いえ、もっと質の悪い、石膏と石粉を糊で固めただけの模造品です」
私は指についた白い粉を払い落としました。
「本物の大理石ならば、私の杖ごときで砕けるはずがありません。これはレンガ積みの中空柱に、表面だけそれっぽく化粧を施しただけの張りボテです。構造耐力なんて皆無。シルヴィア様が勢いよくぶつかっていたら、柱ごと倒れて下敷きになっていたかもしれませんわよ?」
本物の大理石の柱一本分の予算があれば、このスタッコの柱なら十本は作れるでしょう。
予算を中抜きした業者がいるのか、それとも殿下が「安くても豪華に見えればいい」と指示したのか。
おそらく後者でしょうけれど。
「なっ……、張りボテ、だと……?」
レイモンド殿下は口をパクパクさせて、剥がれ落ちた柱の断面を見つめています。
「つまり、お嬢様。これって……」
ロッテがおずおずと口を挟みました。
「エビフライだと思ってかじったら、中身が全部衣だった、みたいなことですか?」
「……ええ、ロッテ。相変わらず食欲をそそる例えですが、その通りです。しかも、揚げてから三日は経った湿気た衣です」
私は殿下に向き直り、ニッコリと微笑みました。
「殿下、これがあなたの仰る夢の正体です。表面だけを取り繕い、中身は空虚で、少しの衝撃でボロが出る。……まるで、今の私たちのご関係そのもののようですわね」
「き、貴様……!」
「この程度の衝撃で崩れる柱に、屋根(国)を支えることはできません。早急に設計変更をお勧めしますわ。――それでは、ごきげんよう」
私は反論する隙も与えず、踵を返しました。
背後で「この柱、偽物なのぉ!? ヤダーッ!」というシルヴィア様の喚き声と、殿下の言い訳が聞こえてきます。
「……お嬢様、かっこよかったです!」
「あら、そうですか? ただ事実を突きつけただけですわ」
私は杖の先についた漆喰の粉をハンカチで拭き取りました。
この屋敷は、完成する前から既に廃墟への道を歩み始めています。
その崩壊の序曲が、数日後の夜会でクライマックスを迎えることになるとは、この時の殿下はまだ知る由もなかったのです。
建設中のホールの中心で、シルヴィア様が黄色い声を上げてはしゃいでいました。
彼女が抱きつこうとしているのは、ホールを支える(ように見える)、直径一メートルはあろうかという巨大な白亜の円柱です。
「ああ、美しいだろう。我が国の最高級大理石、カッラーラ・ビアンコを惜しみなく使わせたんだ。君の純白の肌にふさわしい」
「うれしいぃ! 私、この柱大好き!」
レイモンド殿下が自慢げに胸を張り、シルヴィア様がドレスの裾を翻して、その柱の周りをくるくると回り始めました。
まるで求愛ダンスです。
私はその光景を、数メートル離れた場所から冷ややかに見つめていました。
私の手には、水平器の代わりに、護身用(兼、検査用)の樫の木の杖が握られています。
「……お嬢様。あんなに高そうな大理石、本当に使われているんですね。王子様ってば、意外とお金持ちなんですね」
隣でロッテが感心したように呟きました。
私は眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、小さく首を横に振りました。
「ロッテ。あなたはメッキと純金の区別がつきますか?」
「えっ? 噛んでみて柔らかいほうが金ですよね?」
「野性味あふれる判別法ですね。……ですが、建築物は噛むわけにはいきません。叩いて音を聞くのです」
私は音もなく二人に近づきました。
シルヴィア様は、はしゃぎすぎて足元がふらついています。
「キャッ!」
バランスを崩したシルヴィア様が、勢いよくその柱にぶつかりそうになりました。
彼女の細い体が、その硬い石に激突すれば、怪我では済みません――普通の大理石ならば。
「危ない!」
レイモンド殿下が叫ぶより早く、私は踏み込みました。
しかし、シルヴィア様を抱き止めるためではありません。
そんなことをすれば、私が巻き添えを食らってドレスが汚れてしまいます。
私は手に持っていた樫の木の杖を、フェンシングの突きのように鋭く繰り出しました。
――カツン。
杖の先端が、シルヴィア様がぶつかる寸前の柱に当たりました。
制止するための、ほんの軽い一撃です。
小石を投げる程度の衝撃しか与えていません。
しかし。
「えっ……?」
シルヴィア様が目を丸くして立ち止まった目の前で、信じられない現象が起きました。
私の杖が当たった一点を中心に、蜘蛛の巣のような亀裂が走り、次の瞬間、バラバラと白い破片が剥がれ落ちたのです。
そして、剥がれた大理石の下から現れたのは――粗悪な赤レンガと、空洞でした。
「きゃあああっ! は、柱が崩れたぁ!?」
シルヴィア様が悲鳴を上げて尻餅をつきます。
レイモンド殿下が顔色を変えて駆け寄りました。
「貴様! 何をしたんだジュリアンナ! シルヴィアを助けるふりをして、私の最高級の柱を破壊するとは!」
殿下の怒声がホールに響きます。
私は杖を優雅に引き戻し、剥がれ落ちた白い破片を一つ拾い上げました。
そして、それを指先で軽く捻ります。
破片はあっけなく粉になって崩れました。
「破壊? いいえ、殿下。私は検品をしただけですわ」
「なんだと?」
「ご覧ください。これは大理石ではありません。スタッコ(化粧漆喰)……、いえ、もっと質の悪い、石膏と石粉を糊で固めただけの模造品です」
私は指についた白い粉を払い落としました。
「本物の大理石ならば、私の杖ごときで砕けるはずがありません。これはレンガ積みの中空柱に、表面だけそれっぽく化粧を施しただけの張りボテです。構造耐力なんて皆無。シルヴィア様が勢いよくぶつかっていたら、柱ごと倒れて下敷きになっていたかもしれませんわよ?」
本物の大理石の柱一本分の予算があれば、このスタッコの柱なら十本は作れるでしょう。
予算を中抜きした業者がいるのか、それとも殿下が「安くても豪華に見えればいい」と指示したのか。
おそらく後者でしょうけれど。
「なっ……、張りボテ、だと……?」
レイモンド殿下は口をパクパクさせて、剥がれ落ちた柱の断面を見つめています。
「つまり、お嬢様。これって……」
ロッテがおずおずと口を挟みました。
「エビフライだと思ってかじったら、中身が全部衣だった、みたいなことですか?」
「……ええ、ロッテ。相変わらず食欲をそそる例えですが、その通りです。しかも、揚げてから三日は経った湿気た衣です」
私は殿下に向き直り、ニッコリと微笑みました。
「殿下、これがあなたの仰る夢の正体です。表面だけを取り繕い、中身は空虚で、少しの衝撃でボロが出る。……まるで、今の私たちのご関係そのもののようですわね」
「き、貴様……!」
「この程度の衝撃で崩れる柱に、屋根(国)を支えることはできません。早急に設計変更をお勧めしますわ。――それでは、ごきげんよう」
私は反論する隙も与えず、踵を返しました。
背後で「この柱、偽物なのぉ!? ヤダーッ!」というシルヴィア様の喚き声と、殿下の言い訳が聞こえてきます。
「……お嬢様、かっこよかったです!」
「あら、そうですか? ただ事実を突きつけただけですわ」
私は杖の先についた漆喰の粉をハンカチで拭き取りました。
この屋敷は、完成する前から既に廃墟への道を歩み始めています。
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