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第4話:断罪の音響設計
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王宮の星の間は、その名の通り、天井に無数の宝石が埋め込まれたドーム状の大ホールです。
今夜、この場所は国中の貴族たちの視線を集める処刑台となり、そして同時に、物理学の実験場となろうとしていました。
「……位置よし。座標、誤差修正なし」
私はホールのちょうど中央、床のモザイク模様が星の形を描いている一点に立ち、革靴のつま先をコンコンと鳴らしました。
ここが第一の焦点。
そして、私の視線の先、頭上五メートルほどの高さに張り出したバルコニー席が、第二の焦点です。
「お嬢様、なんだか皆様、私たちのことを見てヒソヒソ言ってますよ……。胃が痛くなってきました」
「胸を張りなさい、ロッテ。彼らは観客で、私たちはこれから始まる喜劇の演出家なのですから」
私のドレスは、今夜の主役にしては地味な濃紺色です。
対照的に、バルコニー席に現れたシルヴィア様は、目が痛くなるようなショッキングピンクのドレスを纏い、扇子片手に下界を見下ろしています。
彼女は高みの見物を決め込むつもりなのでしょう。
レイモンド殿下が私を断罪する様を、特等席で楽しむために。
その時、ファンファーレが鳴り響きました。
音楽が止み、静まり返ったホールに、レイモンド殿下の足音が響きます。
彼は壇上に立つと、悲劇のヒーローのような面持ちで私を指差しました。
「ジュリアンナ・フォン・ヴィクトル! 前へ出ろ!」
私は表情を崩さず、計算通り第一焦点の位置から動かずに、優雅に一礼しました。
「はい、殿下」
「今日、この場に貴様を呼んだのは他でもない。貴様の、シルヴィアに対する陰湿な嫌がらせ……、そして、未来の国母としてあるまじき可愛げのなさを断罪するためだ!」
会場がざわめきます。
「嫌がらせ?」
「あの公爵令嬢が?」
殿下は勢いづいて言葉を続けました。
「貴様は、シルヴィアの純粋な心を傷つけた! 建設中の私の屋敷で、彼女が愛した美しい柱を破壊したそうだな! あれは彼女の心を砕いたも同然だ!」
――いいえ、あれはただのスタッコです。
と訂正したいところですが、私は沈黙を守ります。
なぜなら、今まさに第二焦点」であるバルコニー席で、シルヴィア様が扇子で口元を隠し、隣に控える友人の令嬢に向かって口を開いたのが見えたからです。
距離にして約二十メートル。
通常なら声が届くはずもありません。
しかし、このドーム天井の曲率は、私の計算通りならば完璧な音響レンズとして機能するはずです。
その瞬間。
まるで、私のすぐ耳元で囁かれているかのようなクリアな声が、ホールの中心に降り注ぎました。
『――ぷっ、あはは! 見てあのレイモンド様の顔、超ウケるんだけど!』
「……え?」
殿下の熱弁に聞き入っていた周囲の貴族たちが、一斉に顔を上げました。
声は天井から降ってきたようにも、隣で誰かが喋ったようにも聞こえました。
あまりに鮮明な、悪意に満ちた嘲笑。
レイモンド殿下は気づいていません。
彼は自分の演説に陶酔しています。
「沈黙は肯定とみなす! 貴様のような冷徹な女に、王太子の婚約者は務まらない! 私はここに、婚約の破棄を宣言す……」
『ていうかさぁ、あの王子、ホント単純でチョロいよね~。ちょっと「凄ぉい!」って言っとけば、ダイヤでも屋敷でも何でも買ってくるんだもん。あーあ、早くあのお堅いメガネ女、追放されないかな~』
ホールが、凍りつきました。
断罪の言葉を叫んでいたレイモンド殿下も、さすがに言葉を詰まらせました。
自分の声に被さるように、愛する婚約者の、あまりに品のない本音が響き渡ったのですから。
「な……、なんだ? 今のは……」
殿下がキョロキョロと周囲を見回します。
しかし、声の主は遥か頭上。
バルコニー席のシルヴィア様は、自分たちの内緒話が筒抜けになっているとは夢にも思わず、手すりにもたれて足をブラブラさせています。
『ねえ見て見て、あのジュリアンナの顔! 澄ましちゃってさ、マジむかつく。どうせ中身は空っぽのガリ勉のくせに。……あー、笑いすぎて化粧崩れたかも。ねえ、私の白粉直して?』
その声は、第一焦点にいる私と、私を取り囲んでいた宰相や高位貴族たちの耳に、痛いほど明瞭に届いていました。
「これは……、シルヴィア嬢の声、ですな?」
「間違いありません。しかし、どこから……?」
宰相が呆然と呟きます。
私は眼鏡の位置を直し、冷静に解説を加えました。
「皆様、恐れ入ります。これはウィスパリング・ギャラリー(囁きの回廊)と呼ばれる物理現象です。このドーム天井の楕円構造が、バルコニーでの微かな音声を反射・集音し、幾何学的にこの一点へと届けているのです」
私は視線をバルコニーに向けました。
「つまり、あそこで話されている内容は、全てここにいる皆様への放送となっているわけでございます」
会場の空気が、困惑から戦慄、そして軽蔑へと変わっていきます。
レイモンド殿下だけが、状況を飲み込めずに壇上で口をパクパクさせていました。
「う、嘘だ……。シルヴィアが、そんなことを言うはずがない! これは何かの罠だ!」
「罠、でございますか?」
私は静かに微笑みました。
「殿下。もしこれを私が仕組んだ罠だと仰るのならば、今聞こえてきた言葉は、紛れもなくシルヴィア様の本心であると認めることになりますが、よろしいのですか?」
「なっ……!?」
殿下の顔が赤くなり、そして青ざめていきます。
物理法則は嘘をつきません。
そして、計算された空間において、秘密は存在し得ないのです。
「さあ、実験は成功です。ロッテ、ハンカチを用意なさい。……笑いすぎて涙が出るかもしれませんから」
私の冷徹な合図とともに、断罪劇は誰も予想しなかった方向へと転がり始めました。
今夜、この場所は国中の貴族たちの視線を集める処刑台となり、そして同時に、物理学の実験場となろうとしていました。
「……位置よし。座標、誤差修正なし」
私はホールのちょうど中央、床のモザイク模様が星の形を描いている一点に立ち、革靴のつま先をコンコンと鳴らしました。
ここが第一の焦点。
そして、私の視線の先、頭上五メートルほどの高さに張り出したバルコニー席が、第二の焦点です。
「お嬢様、なんだか皆様、私たちのことを見てヒソヒソ言ってますよ……。胃が痛くなってきました」
「胸を張りなさい、ロッテ。彼らは観客で、私たちはこれから始まる喜劇の演出家なのですから」
私のドレスは、今夜の主役にしては地味な濃紺色です。
対照的に、バルコニー席に現れたシルヴィア様は、目が痛くなるようなショッキングピンクのドレスを纏い、扇子片手に下界を見下ろしています。
彼女は高みの見物を決め込むつもりなのでしょう。
レイモンド殿下が私を断罪する様を、特等席で楽しむために。
その時、ファンファーレが鳴り響きました。
音楽が止み、静まり返ったホールに、レイモンド殿下の足音が響きます。
彼は壇上に立つと、悲劇のヒーローのような面持ちで私を指差しました。
「ジュリアンナ・フォン・ヴィクトル! 前へ出ろ!」
私は表情を崩さず、計算通り第一焦点の位置から動かずに、優雅に一礼しました。
「はい、殿下」
「今日、この場に貴様を呼んだのは他でもない。貴様の、シルヴィアに対する陰湿な嫌がらせ……、そして、未来の国母としてあるまじき可愛げのなさを断罪するためだ!」
会場がざわめきます。
「嫌がらせ?」
「あの公爵令嬢が?」
殿下は勢いづいて言葉を続けました。
「貴様は、シルヴィアの純粋な心を傷つけた! 建設中の私の屋敷で、彼女が愛した美しい柱を破壊したそうだな! あれは彼女の心を砕いたも同然だ!」
――いいえ、あれはただのスタッコです。
と訂正したいところですが、私は沈黙を守ります。
なぜなら、今まさに第二焦点」であるバルコニー席で、シルヴィア様が扇子で口元を隠し、隣に控える友人の令嬢に向かって口を開いたのが見えたからです。
距離にして約二十メートル。
通常なら声が届くはずもありません。
しかし、このドーム天井の曲率は、私の計算通りならば完璧な音響レンズとして機能するはずです。
その瞬間。
まるで、私のすぐ耳元で囁かれているかのようなクリアな声が、ホールの中心に降り注ぎました。
『――ぷっ、あはは! 見てあのレイモンド様の顔、超ウケるんだけど!』
「……え?」
殿下の熱弁に聞き入っていた周囲の貴族たちが、一斉に顔を上げました。
声は天井から降ってきたようにも、隣で誰かが喋ったようにも聞こえました。
あまりに鮮明な、悪意に満ちた嘲笑。
レイモンド殿下は気づいていません。
彼は自分の演説に陶酔しています。
「沈黙は肯定とみなす! 貴様のような冷徹な女に、王太子の婚約者は務まらない! 私はここに、婚約の破棄を宣言す……」
『ていうかさぁ、あの王子、ホント単純でチョロいよね~。ちょっと「凄ぉい!」って言っとけば、ダイヤでも屋敷でも何でも買ってくるんだもん。あーあ、早くあのお堅いメガネ女、追放されないかな~』
ホールが、凍りつきました。
断罪の言葉を叫んでいたレイモンド殿下も、さすがに言葉を詰まらせました。
自分の声に被さるように、愛する婚約者の、あまりに品のない本音が響き渡ったのですから。
「な……、なんだ? 今のは……」
殿下がキョロキョロと周囲を見回します。
しかし、声の主は遥か頭上。
バルコニー席のシルヴィア様は、自分たちの内緒話が筒抜けになっているとは夢にも思わず、手すりにもたれて足をブラブラさせています。
『ねえ見て見て、あのジュリアンナの顔! 澄ましちゃってさ、マジむかつく。どうせ中身は空っぽのガリ勉のくせに。……あー、笑いすぎて化粧崩れたかも。ねえ、私の白粉直して?』
その声は、第一焦点にいる私と、私を取り囲んでいた宰相や高位貴族たちの耳に、痛いほど明瞭に届いていました。
「これは……、シルヴィア嬢の声、ですな?」
「間違いありません。しかし、どこから……?」
宰相が呆然と呟きます。
私は眼鏡の位置を直し、冷静に解説を加えました。
「皆様、恐れ入ります。これはウィスパリング・ギャラリー(囁きの回廊)と呼ばれる物理現象です。このドーム天井の楕円構造が、バルコニーでの微かな音声を反射・集音し、幾何学的にこの一点へと届けているのです」
私は視線をバルコニーに向けました。
「つまり、あそこで話されている内容は、全てここにいる皆様への放送となっているわけでございます」
会場の空気が、困惑から戦慄、そして軽蔑へと変わっていきます。
レイモンド殿下だけが、状況を飲み込めずに壇上で口をパクパクさせていました。
「う、嘘だ……。シルヴィアが、そんなことを言うはずがない! これは何かの罠だ!」
「罠、でございますか?」
私は静かに微笑みました。
「殿下。もしこれを私が仕組んだ罠だと仰るのならば、今聞こえてきた言葉は、紛れもなくシルヴィア様の本心であると認めることになりますが、よろしいのですか?」
「なっ……!?」
殿下の顔が赤くなり、そして青ざめていきます。
物理法則は嘘をつきません。
そして、計算された空間において、秘密は存在し得ないのです。
「さあ、実験は成功です。ロッテ、ハンカチを用意なさい。……笑いすぎて涙が出るかもしれませんから」
私の冷徹な合図とともに、断罪劇は誰も予想しなかった方向へと転がり始めました。
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