殿下、その婚約破棄の宣言が、すべての崩壊の始まりだと気付いていますか?

水上

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第6話:伝聞証拠の排除

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 レイモンド殿下が崩れ落ち、会場が静寂に包まれたのも束の間。
 今度は、シルヴィア様の取り巻きである令嬢たちが、金切り声を上げて私に詰め寄ってきました。

「ひ、卑怯よ、ジュリアンナ様! こんな仕掛けでシルヴィア様を辱めるなんて!」

 先陣を切ったのは、派手な縦ロールの髪をした子爵令嬢でした。
 彼女は震える指で私を指差しながら、周囲の貴族たちに聞こえるように叫びます。

「皆様、騙されないでください! この女は、以前から陰湿な手口でシルヴィア様をいじめていたのです! 教科書を破ったり、ドレスにワインをかけたり、階段から突き落とそうとしたり……。今日のこれも、そのいじめの延長に過ぎませんわ!」

 彼女の言葉に、会場が再びざわつきます。

「そういえば、そんな噂を聞いたことがある」

「やはり公爵令嬢は嫉妬深いのか?」

 人々の心に、疑念の種が撒かれました。
 レイモンド殿下も、藁にもすがる思いで顔を上げます。

「そ、そうだ……! 貴様がいじめるから、シルヴィアもついあんな悪態を吐いてしまったに違いない。原因は貴様にある!」

 私は眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、小さく嘆息しました。
 感情論とすり替え。
 議論における最も低俗な手法です。

「……なるほど。いじめですか」

 私はゆったりとした足取りで、告発者の子爵令嬢の目の前に立ちました。
 彼女は私の威圧感に一瞬怯みましたが、すぐに気丈に睨み返してきます。

「そ、そうよ! 私は知っているんだから!」

「その『知っている』という点について、少し確認させていただけますか?」

 私は、淡々と尋ねました。

「あなたが仰った『教科書破り』や『ドレスへのワイン』。……それは、いつ、どこで行われたことですか? そして、あなたはその現場を、ご自身の目で見ましたか?」

「えっ?」

 彼女は虚を突かれたように口を開けました。

「い、いつって……、それは、学園の教室とか、食堂とか……」

「日時を特定できないのですね。では質問を変えましょう。あなたは私がシルヴィア様の教科書を破っている瞬間を、直接目撃したのですか? イエスかノーでお答えください」

「わ、私は見ていないけれど……、でも! シルヴィア様が泣きながらそう言っていたのよ! 『ジュリアンナ様にやられた』って!」

「なるほど。シルヴィア様から聞いた、と」

 私は会場全体を見渡しました。

「皆様、お聞きになりましたか? 彼女の証言のソースは、被害者を自称するシルヴィア様の言葉のみ。客観的な目撃証言ではありません」

「だ、だから何よ! 被害者の証言こそが真実でしょう!?」

「いいえ。それはただの伝聞です」

 私は杖の先で、床をコツンと叩きました。

「伝聞証拠は原則として証拠能力を持ちません。なぜなら、その内容が真実かどうかを検証できないからです」

 私は子爵令嬢に一歩踏み込みました。

「あなたは見ていない。では、ここにいるどなたか、私がシルヴィア様を害する現場を直接目撃した方はいらっしゃいますか? 聞いたではなく、見た方です」

 数百人の貴族が集まるホールは、水を打ったように静まり返りました。

 誰も手を挙げません。
 挙げられるはずがないのです。
 私は一度たりとも、そのような非効率的で野蛮な行為をしたことがないのですから。

「……おや? おかしいですね。『皆様が知っている』はずのいじめなのに、目撃者が一人もいないとは。透明人間になって犯行に及んだとでも?」

 私の皮肉に、子爵令嬢は顔を赤くして反論を試みます。

「で、でも、火のないところに煙は立たないって言うじゃない!」

 その時、背後でロッテがぷっと吹き出しました。

「あ! それ、私の田舎のお祖母ちゃんもよく言ってました! 『隣の村のヤギが喋ったらしい』って噂を信じて、一日中ヤギ小屋の前で待ってたんです。結局、ヤギは『メェ』としか言わなかったんですけど、お祖母ちゃんは『今日は機嫌が悪いんだ』って言い張ってました!」

 会場のあちこちから、堪えきれない忍び笑いが漏れました。
 高尚な夜会の場で、突然ヤギの話が出たことで、張り詰めた空気が一気に弛緩したのです。

「ロッテ、絶妙な援護射撃です。……そうですわね。確かめもせずに噂を信じるのは、ヤギに話しかけるのと同じくらい滑稽なことです」

 私は子爵令嬢に向き直り、冷徹に告げました。

「あなたが信じているのは煙ではなく、誰かが人工的に焚いた演出用のスモークです。一次情報の欠如した告発など、学術論文なら査読を通る以前にゴミ箱行きですわ」

 子爵令嬢は唇を震わせ、後ずさりしました。

「私が……、嘘をついているって言うの……?」

「嘘つきとは申しません。ただ、リテラシーが著しく欠如している、とだけ申し上げましょう」

 これで勝負ありです。
 いじめの事実は立証できず、逆に、シルヴィア様が嘘の被害を吹聴していたという可能性だけが濃厚に残りました。

 さらに悪いことに、頭上からはまだ『あーあ、泣いたふりするのも疲れるんだよね~』という、シルヴィア様ご本人のが降り注ぎ続けています。

 どちらが真実か。
 もはや、誰の目にも(そして耳にも)明らかでした。
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