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第9話:荷造りと知的財産
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追放刑を言い渡された私が最初に向かったのは、泣き濡れて枕を濡らすための寝室でも、両親に許しを乞うための実家でもありません。
王宮の離れにある、私が勝手に占拠して施工管理室と呼んでいた執務室です。
「ロッテ、大至急、木箱を三つ用意してちょうだい。それから、防湿用の油紙も」
「ええっ? お嬢様、ドレスや宝石を入れるトランクじゃなくて、木箱ですか?」
ロッテが目を白黒させています。
私は部屋に入るなり、棚にある膨大な書類の束を、手際よく分類し始めました。
「ドレスなんて流行が過ぎればただの古布です。宝石も、換金率は高いですが重いだけ。私たちが持っていくべきは、もっと価値のある資産ですわ」
私は一枚の巨大な図面を広げました。
それは、レイモンド殿下の新居の給排水設備図です。
「ロッテ、これを見てどう思いますか?」
「ええっと……、迷路ですか? それともミミズの運動会?」
「いいえ。これは生命線です」
私は青焼きの図面を丁寧に丸め、筒に入れました。
「この屋敷は、外見重視で設計されたため、配管構造が極めて複雑怪奇になっています。しかも、手抜き工事をごまかすために、施工業者が図面と違う場所にパイプを通している箇所が、ざっと四十箇所はあります」
「よんじゅっかしょ!? それって、ダメなんじゃ……」
「ええ、ダメです。ですが、その事実が記録されているのは、私が現場で走り回って書き込んだ、この竣工図だけなのです」
本来、建物というものは建てて終わりではありません。
メンテナンスをし、消耗品を交換し、トラブルがあれば修理する。
そのために必要なのが、この正しい図面です。
もし、この図面が失われたらどうなるか。
「例えば、トイレが詰まったとします。業者が修理に来ても、壁の中のどこにパイプが通っているか分からない。図面通りに壁を壊してみたら、そこには何もなく、実は大事な柱の中にパイプが埋め込まれていた……、なんてことになります」
「うわぁ……。壁を壊したのに直らないなんて、悪夢ですね」
「そうです。この図面がない屋敷は、いわば取扱説明書の失われた時限爆弾のようなもの。どこを触れば爆発(水漏れ・ガス漏れ)するか、誰にも分からなくなるのです」
私は次々と図面を回収していきました。
電気配線図、ガス管の埋設位置図、特注した金具のメンテナンス台帳、そして壁紙の品番リスト。
これらは全て、私が個人的に調査し、作成し、管理していたものです。
王家の予算で作ったものではなく、私の私的な労働と知恵の結晶。
つまり、私の知的財産です。
「レイモンド殿下は『出ていけ』と仰いました。それはつまり、私の所有物を全て持って出ていけ、という意味に解釈できますわよね?」
私はニヤリと笑い、棚を空っぽにしました。
「あの方々は、完成した美しい箱にしか興味がありません。その箱を維持するための説明書なんて、ゴミだと思っているでしょう。ですから、私がゴミを持ち帰ったところで、文句を言われる筋合いはありませんわ」
「なるほど! 王子様にとってはゴミでも、お嬢様にとっては宝物なんですね!」
「ふふ、逆よロッテ。私にとってはただの紙切れですが、あの方々にとっては命綱だったものです。……切れてから気づくでしょうけれど」
木箱三つ分の書類を詰め終えると、部屋は見事に空っぽになりました。
これで、あの屋敷は完全にブラックボックス化しました。
どこにバルブがあるのか。
どこのフィルターをいつ交換すべきなのか。
どの壁の裏に、手抜き工事の空洞があるのか。
それを知る者は、この国からいなくなります。
「さあ、積み込みましょう。重いわよ、ロッテ」
「はい! ……うぐぐ、紙ってこんなに重いんですね。まるで石です!」
私たちは王宮の裏口から、誰にも見咎められることなく馬車に荷物を積み込みました。
夜明け前の薄暗い空の下、御者台には迎えに来てくれた辺境伯、マックス様が待っていました。
「……随分と荷物が少ないな。ドレスはいいのか?」
無骨な鎧姿のマックス様が、私の荷物の少なさに眉をひそめます。
「ええ。過去の栄華よりも、未来の設計図のほうが大事ですから」
私が木箱を叩くと、彼は少し驚いた顔をして、それから口元を緩めました。
「変わった令嬢だ。……だが、嫌いじゃない」
「光栄ですわ。合理的な女とお呼びください」
馬車が動き出します。
私は窓から、遠ざかる王宮と、建設中の新居を振り返りました。
朝日を浴びて輝く白い壁。
今はまだ美しく見えます。
ですが、私という管理者を失ったその建物は、今日から急速にエントロピーを増大させ、崩壊へと向かうでしょう。
「ごきげんよう、私の愛した欠陥住宅。……せいぜい、長持ちするといいですわね」
私は眼鏡の位置を直し、前を向きました。
視線の先には、北の空。
何もなくて、けれど全てを一から作れる、私の新しい現場が待っています。
「ロッテ、おやつは持ちましたか?」
「バッチリです! 干し肉とビスケット、樽いっぱいにあります!」
「よろしい。では、出発進行!」
こうして、王国の重要機密とも言える建物の全データを人知れず持ち出し、私は高らかに旅立ちました。
背後で時限爆弾のタイマーが動き出した音を、幻聴のように聞きながら……。
王宮の離れにある、私が勝手に占拠して施工管理室と呼んでいた執務室です。
「ロッテ、大至急、木箱を三つ用意してちょうだい。それから、防湿用の油紙も」
「ええっ? お嬢様、ドレスや宝石を入れるトランクじゃなくて、木箱ですか?」
ロッテが目を白黒させています。
私は部屋に入るなり、棚にある膨大な書類の束を、手際よく分類し始めました。
「ドレスなんて流行が過ぎればただの古布です。宝石も、換金率は高いですが重いだけ。私たちが持っていくべきは、もっと価値のある資産ですわ」
私は一枚の巨大な図面を広げました。
それは、レイモンド殿下の新居の給排水設備図です。
「ロッテ、これを見てどう思いますか?」
「ええっと……、迷路ですか? それともミミズの運動会?」
「いいえ。これは生命線です」
私は青焼きの図面を丁寧に丸め、筒に入れました。
「この屋敷は、外見重視で設計されたため、配管構造が極めて複雑怪奇になっています。しかも、手抜き工事をごまかすために、施工業者が図面と違う場所にパイプを通している箇所が、ざっと四十箇所はあります」
「よんじゅっかしょ!? それって、ダメなんじゃ……」
「ええ、ダメです。ですが、その事実が記録されているのは、私が現場で走り回って書き込んだ、この竣工図だけなのです」
本来、建物というものは建てて終わりではありません。
メンテナンスをし、消耗品を交換し、トラブルがあれば修理する。
そのために必要なのが、この正しい図面です。
もし、この図面が失われたらどうなるか。
「例えば、トイレが詰まったとします。業者が修理に来ても、壁の中のどこにパイプが通っているか分からない。図面通りに壁を壊してみたら、そこには何もなく、実は大事な柱の中にパイプが埋め込まれていた……、なんてことになります」
「うわぁ……。壁を壊したのに直らないなんて、悪夢ですね」
「そうです。この図面がない屋敷は、いわば取扱説明書の失われた時限爆弾のようなもの。どこを触れば爆発(水漏れ・ガス漏れ)するか、誰にも分からなくなるのです」
私は次々と図面を回収していきました。
電気配線図、ガス管の埋設位置図、特注した金具のメンテナンス台帳、そして壁紙の品番リスト。
これらは全て、私が個人的に調査し、作成し、管理していたものです。
王家の予算で作ったものではなく、私の私的な労働と知恵の結晶。
つまり、私の知的財産です。
「レイモンド殿下は『出ていけ』と仰いました。それはつまり、私の所有物を全て持って出ていけ、という意味に解釈できますわよね?」
私はニヤリと笑い、棚を空っぽにしました。
「あの方々は、完成した美しい箱にしか興味がありません。その箱を維持するための説明書なんて、ゴミだと思っているでしょう。ですから、私がゴミを持ち帰ったところで、文句を言われる筋合いはありませんわ」
「なるほど! 王子様にとってはゴミでも、お嬢様にとっては宝物なんですね!」
「ふふ、逆よロッテ。私にとってはただの紙切れですが、あの方々にとっては命綱だったものです。……切れてから気づくでしょうけれど」
木箱三つ分の書類を詰め終えると、部屋は見事に空っぽになりました。
これで、あの屋敷は完全にブラックボックス化しました。
どこにバルブがあるのか。
どこのフィルターをいつ交換すべきなのか。
どの壁の裏に、手抜き工事の空洞があるのか。
それを知る者は、この国からいなくなります。
「さあ、積み込みましょう。重いわよ、ロッテ」
「はい! ……うぐぐ、紙ってこんなに重いんですね。まるで石です!」
私たちは王宮の裏口から、誰にも見咎められることなく馬車に荷物を積み込みました。
夜明け前の薄暗い空の下、御者台には迎えに来てくれた辺境伯、マックス様が待っていました。
「……随分と荷物が少ないな。ドレスはいいのか?」
無骨な鎧姿のマックス様が、私の荷物の少なさに眉をひそめます。
「ええ。過去の栄華よりも、未来の設計図のほうが大事ですから」
私が木箱を叩くと、彼は少し驚いた顔をして、それから口元を緩めました。
「変わった令嬢だ。……だが、嫌いじゃない」
「光栄ですわ。合理的な女とお呼びください」
馬車が動き出します。
私は窓から、遠ざかる王宮と、建設中の新居を振り返りました。
朝日を浴びて輝く白い壁。
今はまだ美しく見えます。
ですが、私という管理者を失ったその建物は、今日から急速にエントロピーを増大させ、崩壊へと向かうでしょう。
「ごきげんよう、私の愛した欠陥住宅。……せいぜい、長持ちするといいですわね」
私は眼鏡の位置を直し、前を向きました。
視線の先には、北の空。
何もなくて、けれど全てを一から作れる、私の新しい現場が待っています。
「ロッテ、おやつは持ちましたか?」
「バッチリです! 干し肉とビスケット、樽いっぱいにあります!」
「よろしい。では、出発進行!」
こうして、王国の重要機密とも言える建物の全データを人知れず持ち出し、私は高らかに旅立ちました。
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