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第10話:残された刻印
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馬車がガタゴトと音を立てて、石畳の街道を進んでいきます。
窓の外を流れる王都の景色は、朝靄に包まれて幻想的でしたが、私にとっては過去の遺物に過ぎません。
「……随分と機嫌が良さそうだな。故郷を追われたというのに」
向かいの席に座る辺境伯、マックス様が不思議そうな顔で私を見ていました。
彼は無骨な鎧を身につけていますが、その瞳には理知的な光が宿っています。
私が泣き言を言わない令嬢であることが、彼にとっては新鮮なようです。
「ええ。とても清々しい気分ですわ。それに、王都には私の生きた証をしっかりと刻み込んでおきましたから」
「生きた証? ……ああ、あの屋敷のことか?」
マックス様が、遠ざかる建設中の新居の方角へ顎をしゃくりました。
「ですが、あそこはもうレイモンド王太子のものだろう? 君が設計に関わったという記録も、彼なら握り潰して、自分が考えたと吹聴しかねない」
「ふふ、仰る通りです。殿下は見栄っ張りですから、きっと『この美しいデザインは私が考案した』と宣伝するでしょうね」
私は膝の上で手を組み、意地悪く微笑みました。
「ですが、それが私の狙いです」
「どういうことだ?」
「お嬢様、また何か仕掛けたんですか? 今度は爆発するとか?」
隣で干し肉をかじっていたロッテが、怯えたように身を引きました。
「爆発なんて野蛮なことはしません。……サインを残したのです」
私は窓ガラスに息を吹きかけ、指で文字を書きました。
「かつて石工たちは、自分が加工した石に独自の刻印を打ちました。それは仕事への誇りであり、給金を受け取るための証明でもありました。私はそれを、もっと構造的な形で組み込んだのです」
「構造的な形?」
「ええ。例えば、あの屋敷のメインバルコニー。殿下とシルヴィア様が民衆に手を振るための、最も目立つ場所です」
私は空中に指で図形を描きました。
「あのバルコニーの手すりは、鉄を曲線加工した美しいロートアイアン(鍛鉄)で作られています。植物のツタを模した優雅なデザインですが……、その曲線の組み合わせをよく見ると、ある文字が浮かび上がるように設計しました」
唐草模様のように絡み合う鉄の曲線。
一見するとただの装飾ですが、ある角度から見ると、それは明確に二つのアルファベットを描き出しています。
「『J』と『V』。……ジュリアンナ・フォン・ヴィクトルの頭文字です」
マックス様が目を見開きました。
「まさか……。あいつらが毎日手を振るバルコニーが、君の名前になっているのか?」
「はい。しかも、ただの飾りではありません。その『J』と『V』の形状自体が、バルコニーの荷重を支えるトラス(三角形)の一部として機能しているのです。つまり、その文字を削り取ろうとすれば、バルコニーごと崩落します」
これぞ、構造一体型著作権表示。
デザインと構造を不可分にすることで、署名の抹消を物理的に不可能にしたのです。
「ぷっ……、あははは!」
ロッテが吹き出しました。
「すごいですお嬢様! つまり、あの王子様たちは、『私はジュリアンナの手のひらの上にいます!』って書いてある柵の中で、毎日偉そうにふんぞり返るってことですね!?」
「ええ、その通りです。彼らが私の悪口を言えば言うほど、彼らを支えているのが私であるという皮肉な構図が完成します」
マックス様も、堪えきれないように口元を歪め、そして低く笑いました。
「くくっ……。恐ろしい女だ。彼らが『自分たちでデザインした』と主張すればするほど、将来その事実が発覚した時、言い逃れができなくなるわけか」
「はい。もし彼らが『自分たちの独創だ』と言い張るなら、『ではなぜ、あなたの独創的なデザインの中に、元婚約者のイニシャルが構造材として組み込まれているのですか?』と問われた時、彼らは詰みます」
盗作の証拠は、消せない場所に、消せない形で刻まれている。
彼らがその屋敷に住み続ける限り、私の名前は彼らの生活を支え続け、そしていつか、彼らの嘘を暴く決定的なナイフとなるでしょう。
「……俺は、とんでもない才女を拾ってしまったようだな」
マックス様は、呆れたように、けれどどこか嬉しそうに私を見つめました。
「安心しろ。辺境の開拓では、君の名前を隠す必要はない。好きなだけ、俺の領地に君の刻印を刻んでくれ」
その言葉は、どんな甘い愛の言葉よりも、私の胸をときめかせました。
「はい、マックス様。……辺境を、私のイニシャルで埋め尽くす勢いで設計させていただきますわ」
「お手柔らかに頼むよ」
馬車は峠を越え、王都は完全に見えなくなりました。
私の署名が刻まれた檻の中で、あの二人がどのような喜劇を演じるのか。
それはもう、遠い国の物語です。
目の前には、広大な大地と、白紙の図面(これから)が待っています。
「さあ、ロッテ。おやつの時間はおしまいです。地質図を広げなさい。最初の仕事は、泥沼の街道を舗装することですよ」
「はいっ! お嬢様!」
私たちの馬車は、希望という名の新しい基礎に向かって、軽やかに加速していきました。
窓の外を流れる王都の景色は、朝靄に包まれて幻想的でしたが、私にとっては過去の遺物に過ぎません。
「……随分と機嫌が良さそうだな。故郷を追われたというのに」
向かいの席に座る辺境伯、マックス様が不思議そうな顔で私を見ていました。
彼は無骨な鎧を身につけていますが、その瞳には理知的な光が宿っています。
私が泣き言を言わない令嬢であることが、彼にとっては新鮮なようです。
「ええ。とても清々しい気分ですわ。それに、王都には私の生きた証をしっかりと刻み込んでおきましたから」
「生きた証? ……ああ、あの屋敷のことか?」
マックス様が、遠ざかる建設中の新居の方角へ顎をしゃくりました。
「ですが、あそこはもうレイモンド王太子のものだろう? 君が設計に関わったという記録も、彼なら握り潰して、自分が考えたと吹聴しかねない」
「ふふ、仰る通りです。殿下は見栄っ張りですから、きっと『この美しいデザインは私が考案した』と宣伝するでしょうね」
私は膝の上で手を組み、意地悪く微笑みました。
「ですが、それが私の狙いです」
「どういうことだ?」
「お嬢様、また何か仕掛けたんですか? 今度は爆発するとか?」
隣で干し肉をかじっていたロッテが、怯えたように身を引きました。
「爆発なんて野蛮なことはしません。……サインを残したのです」
私は窓ガラスに息を吹きかけ、指で文字を書きました。
「かつて石工たちは、自分が加工した石に独自の刻印を打ちました。それは仕事への誇りであり、給金を受け取るための証明でもありました。私はそれを、もっと構造的な形で組み込んだのです」
「構造的な形?」
「ええ。例えば、あの屋敷のメインバルコニー。殿下とシルヴィア様が民衆に手を振るための、最も目立つ場所です」
私は空中に指で図形を描きました。
「あのバルコニーの手すりは、鉄を曲線加工した美しいロートアイアン(鍛鉄)で作られています。植物のツタを模した優雅なデザインですが……、その曲線の組み合わせをよく見ると、ある文字が浮かび上がるように設計しました」
唐草模様のように絡み合う鉄の曲線。
一見するとただの装飾ですが、ある角度から見ると、それは明確に二つのアルファベットを描き出しています。
「『J』と『V』。……ジュリアンナ・フォン・ヴィクトルの頭文字です」
マックス様が目を見開きました。
「まさか……。あいつらが毎日手を振るバルコニーが、君の名前になっているのか?」
「はい。しかも、ただの飾りではありません。その『J』と『V』の形状自体が、バルコニーの荷重を支えるトラス(三角形)の一部として機能しているのです。つまり、その文字を削り取ろうとすれば、バルコニーごと崩落します」
これぞ、構造一体型著作権表示。
デザインと構造を不可分にすることで、署名の抹消を物理的に不可能にしたのです。
「ぷっ……、あははは!」
ロッテが吹き出しました。
「すごいですお嬢様! つまり、あの王子様たちは、『私はジュリアンナの手のひらの上にいます!』って書いてある柵の中で、毎日偉そうにふんぞり返るってことですね!?」
「ええ、その通りです。彼らが私の悪口を言えば言うほど、彼らを支えているのが私であるという皮肉な構図が完成します」
マックス様も、堪えきれないように口元を歪め、そして低く笑いました。
「くくっ……。恐ろしい女だ。彼らが『自分たちでデザインした』と主張すればするほど、将来その事実が発覚した時、言い逃れができなくなるわけか」
「はい。もし彼らが『自分たちの独創だ』と言い張るなら、『ではなぜ、あなたの独創的なデザインの中に、元婚約者のイニシャルが構造材として組み込まれているのですか?』と問われた時、彼らは詰みます」
盗作の証拠は、消せない場所に、消せない形で刻まれている。
彼らがその屋敷に住み続ける限り、私の名前は彼らの生活を支え続け、そしていつか、彼らの嘘を暴く決定的なナイフとなるでしょう。
「……俺は、とんでもない才女を拾ってしまったようだな」
マックス様は、呆れたように、けれどどこか嬉しそうに私を見つめました。
「安心しろ。辺境の開拓では、君の名前を隠す必要はない。好きなだけ、俺の領地に君の刻印を刻んでくれ」
その言葉は、どんな甘い愛の言葉よりも、私の胸をときめかせました。
「はい、マックス様。……辺境を、私のイニシャルで埋め尽くす勢いで設計させていただきますわ」
「お手柔らかに頼むよ」
馬車は峠を越え、王都は完全に見えなくなりました。
私の署名が刻まれた檻の中で、あの二人がどのような喜劇を演じるのか。
それはもう、遠い国の物語です。
目の前には、広大な大地と、白紙の図面(これから)が待っています。
「さあ、ロッテ。おやつの時間はおしまいです。地質図を広げなさい。最初の仕事は、泥沼の街道を舗装することですよ」
「はいっ! お嬢様!」
私たちの馬車は、希望という名の新しい基礎に向かって、軽やかに加速していきました。
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