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第19話:岩綿(ロックウール)の暖炉
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「ただいま。……うおっ、なんだこの暖かさは!?」
猛吹雪の巡回から戻ってきたマックス様が、扉を開けた瞬間に目を丸くしました。
彼の鎧やマントには雪がびっしりと張り付き、眉毛も凍りついて真っ白になっています。
外の気温はマイナス二十度。
吐く息すら凍る極寒の世界です。
しかし、私が待つ執務室の中は、まるで春の陽だまりのような暖かさに包まれていました。
「お帰りなさいませ、マックス様。早くこちらへ。シチューが冷めないうちに」
私はソファから立ち上がり、彼の凍えたマントを受け取りました。
通常、石造りの城というものは、一度冷え切ると巨大な保冷庫と化します。
暖炉を焚いても、熱は冷たい壁に吸い取られ、天井の高い部屋では暖かい空気が上へ逃げてしまうからです。
けれど、今のこの部屋は違います。
「信じられん……。暖炉の火は、いつも通りチョロチョロと燃やしているだけだろう? なのに、どうしてこんなに暖かいんだ? まるで部屋全体が毛布に包まれているようだ」
マックス様が不思議そうに壁に手を触れました。
いつもなら氷のように冷たい石壁が、今はほんのりと温もりを返してきます。
「正解ですわ。実際に毛布で包みましたから」
「毛布? 壁にか?」
「ええ。ただし、羊の毛ではありません。……岩の綿です」
私は部屋の隅に置いてあった見本用の木箱を持ってきました。
中に入っているのは、灰色がかったフワフワとした繊維の塊です。
「お嬢様、これ綿菓子ですよね? でも色が灰色だから、ゴマ味ですか?」
ロッテが興味津々で指でつついています。
「食べられませんよ、ロッテ。これは岩綿(ロックウール)。この辺りに転がっている黒い岩――玄武岩を溶かして作った人工の繊維です」
「岩……、だと? 岩がこんなにフワフワになるのか?」
マックス様が恐る恐るその繊維を摘まみました。
「はい。玄武岩を高温の炉でドロドロに溶かし、遠心力で吹き飛ばすと、このように飴細工のような繊維になります。……綿菓子と同じ原理ですわね」
私は解説を続けました。
「この繊維の中には、動かない空気(デッドエア)が大量に含まれています。空気は熱を伝えにくい性質がありますから、これを壁の内側や屋根裏にびっしりと詰め込むことで、熱が逃げるのを防ぐのです」
アスベスト(石綿)は健康被害があるため論外ですが、このロックウールは安全性が高く、耐火性・断熱性に優れた建材の王様です。
火山地帯であるこの領地には、原料となる玄武岩が無限に転がっていました。
「おまけに不燃性です。万が一、暖炉の火が移っても燃え広がりません。これを、火蜥蜴(サラマンダー)の毛皮という商品名で売り出せば、王都の重要書類を守りたい貴族たちに飛ぶように売れるでしょうね」
「……君は、商魂も逞しいな」
マックス様は呆れたように笑い、そして温かいシチューを一口啜りました。
「……うまい」
彼の手が止まりました。
そして、しみじみと器を見つめます。
「いつもなら、スープは皿に盛った瞬間から冷めていく。食事の終わりには冷たい油が浮いているのが当たり前だった。……だが、これは最後まで湯気が立っている」
「ええ。室温が上がれば、料理も冷めにくいのです」
「暖かい家で、温かい食事を摂る。……こんな当たり前のことが、北の果てで叶うとはな」
マックス様の瞳が、暖炉の炎を反射して揺れていました。
彼の背負ってきた辺境伯としての重責。
毎年冬になると凍死者が出る領地を守るための、張り詰めた緊張感。
それが今、この部屋の暖かさの中で、雪解けのように緩んでいくのが分かりました。
「ジュリアンナ。君が来てくれてから、俺の城から寒さが消えた」
彼はテーブル越しに私の手を握りました。
冷え切っていた彼の手は、シチューと部屋の熱で、すっかり温かくなっていました。
「冬将軍も、物理法則(断熱材)には勝てなかったようだな」
「ふふ、そうですわね。……でもマックス様、油断は禁物です。まだ隙間風が入る箇所がありますから、明日はコーキング(隙間埋め)作業をしますわよ」
「ああ、いくらでも手伝おう。君との共同作業なら、壁の隙間埋めすら愛おしい」
「まあ……。熱気が籠もってきましたわね」
私は照れ隠しに、わざと手で顔を扇ぎました。
ロッテが「お二人とも、お顔が真っ赤ですよー! 暖炉のせいですかー?」とニヤニヤしています。
外は依然として猛吹雪。
王都のレイモンド殿下たちが、見た目ばかり豪華な大理石の部屋でガタガタ震えている頃。
私たちは、灰色の岩の綿に守られ、身も心もポカポカと温まる夜を過ごしていました。
この冬、アイゼンガルド領での凍死者はゼロになる。
私の計算式が、確信に変わった夜でした。
猛吹雪の巡回から戻ってきたマックス様が、扉を開けた瞬間に目を丸くしました。
彼の鎧やマントには雪がびっしりと張り付き、眉毛も凍りついて真っ白になっています。
外の気温はマイナス二十度。
吐く息すら凍る極寒の世界です。
しかし、私が待つ執務室の中は、まるで春の陽だまりのような暖かさに包まれていました。
「お帰りなさいませ、マックス様。早くこちらへ。シチューが冷めないうちに」
私はソファから立ち上がり、彼の凍えたマントを受け取りました。
通常、石造りの城というものは、一度冷え切ると巨大な保冷庫と化します。
暖炉を焚いても、熱は冷たい壁に吸い取られ、天井の高い部屋では暖かい空気が上へ逃げてしまうからです。
けれど、今のこの部屋は違います。
「信じられん……。暖炉の火は、いつも通りチョロチョロと燃やしているだけだろう? なのに、どうしてこんなに暖かいんだ? まるで部屋全体が毛布に包まれているようだ」
マックス様が不思議そうに壁に手を触れました。
いつもなら氷のように冷たい石壁が、今はほんのりと温もりを返してきます。
「正解ですわ。実際に毛布で包みましたから」
「毛布? 壁にか?」
「ええ。ただし、羊の毛ではありません。……岩の綿です」
私は部屋の隅に置いてあった見本用の木箱を持ってきました。
中に入っているのは、灰色がかったフワフワとした繊維の塊です。
「お嬢様、これ綿菓子ですよね? でも色が灰色だから、ゴマ味ですか?」
ロッテが興味津々で指でつついています。
「食べられませんよ、ロッテ。これは岩綿(ロックウール)。この辺りに転がっている黒い岩――玄武岩を溶かして作った人工の繊維です」
「岩……、だと? 岩がこんなにフワフワになるのか?」
マックス様が恐る恐るその繊維を摘まみました。
「はい。玄武岩を高温の炉でドロドロに溶かし、遠心力で吹き飛ばすと、このように飴細工のような繊維になります。……綿菓子と同じ原理ですわね」
私は解説を続けました。
「この繊維の中には、動かない空気(デッドエア)が大量に含まれています。空気は熱を伝えにくい性質がありますから、これを壁の内側や屋根裏にびっしりと詰め込むことで、熱が逃げるのを防ぐのです」
アスベスト(石綿)は健康被害があるため論外ですが、このロックウールは安全性が高く、耐火性・断熱性に優れた建材の王様です。
火山地帯であるこの領地には、原料となる玄武岩が無限に転がっていました。
「おまけに不燃性です。万が一、暖炉の火が移っても燃え広がりません。これを、火蜥蜴(サラマンダー)の毛皮という商品名で売り出せば、王都の重要書類を守りたい貴族たちに飛ぶように売れるでしょうね」
「……君は、商魂も逞しいな」
マックス様は呆れたように笑い、そして温かいシチューを一口啜りました。
「……うまい」
彼の手が止まりました。
そして、しみじみと器を見つめます。
「いつもなら、スープは皿に盛った瞬間から冷めていく。食事の終わりには冷たい油が浮いているのが当たり前だった。……だが、これは最後まで湯気が立っている」
「ええ。室温が上がれば、料理も冷めにくいのです」
「暖かい家で、温かい食事を摂る。……こんな当たり前のことが、北の果てで叶うとはな」
マックス様の瞳が、暖炉の炎を反射して揺れていました。
彼の背負ってきた辺境伯としての重責。
毎年冬になると凍死者が出る領地を守るための、張り詰めた緊張感。
それが今、この部屋の暖かさの中で、雪解けのように緩んでいくのが分かりました。
「ジュリアンナ。君が来てくれてから、俺の城から寒さが消えた」
彼はテーブル越しに私の手を握りました。
冷え切っていた彼の手は、シチューと部屋の熱で、すっかり温かくなっていました。
「冬将軍も、物理法則(断熱材)には勝てなかったようだな」
「ふふ、そうですわね。……でもマックス様、油断は禁物です。まだ隙間風が入る箇所がありますから、明日はコーキング(隙間埋め)作業をしますわよ」
「ああ、いくらでも手伝おう。君との共同作業なら、壁の隙間埋めすら愛おしい」
「まあ……。熱気が籠もってきましたわね」
私は照れ隠しに、わざと手で顔を扇ぎました。
ロッテが「お二人とも、お顔が真っ赤ですよー! 暖炉のせいですかー?」とニヤニヤしています。
外は依然として猛吹雪。
王都のレイモンド殿下たちが、見た目ばかり豪華な大理石の部屋でガタガタ震えている頃。
私たちは、灰色の岩の綿に守られ、身も心もポカポカと温まる夜を過ごしていました。
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私の計算式が、確信に変わった夜でした。
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