殿下、その婚約破棄の宣言が、すべての崩壊の始まりだと気付いていますか?

水上

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第21話:バイオエタノールの灯火

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 アイゼンガルド領の夜は、漆黒の闇に包まれます。
 日が沈めば、人々は活動を止め、家に引き籠もるしかありません。

 明かりといえば、高価な鯨油のランプか、煤が出る松明、あるいは暖炉の微かな炎だけ。

「……暗いな。これでは、夜回りの兵士たちも足元がおぼつかない」

 城のバルコニーで、マックス様が沈んだ街並みを見下ろして嘆きました。
 月明かりだけが頼りの街は、まるで死んだように静まり返っています。

「王都なら、夜会のために大量の蝋燭が消費されていますが……、ここではそうもいきませんね」

「ああ。特に今年は冬が早い。薪の備蓄も、暖房用に優先しなければならない。照明に回す燃料など、どこにもないんだ」

 マックス様が手すりを握りしめます。

 エネルギー不足。
 これは貧しい辺境が抱える慢性的な病巣でした。

「燃料がないなら、作ればよろしいのですわ」

「作る? 木を育てるには十年かかるぞ」

「いいえ。もっと手っ取り早い燃料源があります」

 私はバルコニーから、城の裏手にある廃棄物置き場を指差しました。

「あそこにあるゴミの山です」

「ゴミ……? あそこには、家畜も食わない腐った芋や、麦の搾りかす、雑草が捨ててあるだけだぞ」

「ええ。それこそが宝の山ですわ」

 翌日、私は城の広場に奇妙な装置を設置させました。

 銅で作った巨大な釜と、そこから伸びる螺旋状の管(冷却管)。
 錬金術師が使う蒸留器(アランビック)の特大版です。

「お嬢様、何が始まるんですか? あの臭い芋の山を持ってきて……、うぅ、酸っぱい匂いがしますぅ」

 ロッテが鼻をつまんで顔をしかめています。
 私たちの目の前には、農家から回収してきた廃棄野菜や、売り物にならないクズ芋が山積みにされていました。

「ロッテ、この匂いは腐敗ではありません。発酵です」

 私は腐った芋を指差しました。

「植物に含まれる糖分やデンプンは、酵母菌の働きによって分解され、アルコールと二酸化炭素になります。……このドロドロの液体の中には、燃える水(エタノール)が眠っているのです」

「燃える水? お酒のことですか? ……飲めますか?」

「飲めなくはないですが、不純物が多いのでお腹を壊しますよ。それに、今回はあくまで燃料として精製します」

 私は作業員たちに指示を出し、発酵した液体を蒸留釜に投入させました。
 釜の下で薪を燃やし、温度を上げていきます。

「いいですか、水の沸点は百度ですが、アルコールの沸点は約七十八度。この温度差を利用して、アルコール分だけを先に気化させ、管の中で冷やして液体に戻すのです」

 グツグツと釜が煮える音がします。
 やがて、螺旋状の管の先から、ポタリ、ポタリと透明な液体が滴り落ちてきました。

「おおっ! 泥のような液から、透明な水が出てきたぞ!」

 見守っていたマックス様が身を乗り出します。

「これがバイオエタノール――高純度のアルコール燃料です」

 私は滴り落ちた液体をビーカーに受け、少量を小皿に移しました。
 そして、マッチで火をつけます。

 瞬間、青白い炎が揺らめきながら立ち上りました。

 煤も煙も出ない、美しくクリーンな炎です。

「燃えた……! 水なのに燃えている!」

「しかも、嫌な匂いが全くしません! お嬢様、これならお部屋で燃やしても目が痛くなりませんね!」

 ロッテが拍手します。

「ええ。薪のように煙たがられることも、油のようにベタつくこともありません。これを使えば……」

 私は用意していた、ガラス製のランタンにこの液体を注ぎました。
 芯に火を灯すと、ガラスの中で炎が安定し、周囲を明るく照らし出します。

「……明るい。松明とは比べ物にならないほど、光が透き通っている」

 マックス様がランタンを掲げました。
 その光は、彼の驚きに満ちた顔をくっきりと浮かび上がらせました。

「原料は、今まで捨てていたゴミです。つまり、原料費はタダ。毎年畑で作物が取れる限り、永久になくならない再生可能エネルーですわ」

「永久に……」

「はい。これがあれば、夜の街道に街灯を並べることも可能です。物流は二十四時間動かせるようになり、夜間の治安も劇的に向上するでしょう」

 私は自信満々に宣言しました。

「マックス様。この領地から夜の闇を駆逐します。これからは、アイゼンガルドこそが眠らない光の都となるのです」

 その夜。
 城下町のメインストリートに、試験的に設置された十基のエタノール街灯が一斉に点灯されました。

 漆黒だった通りに、温かい光の道が浮かび上がります。
 窓から顔を出した領民たちが、「おおっ……」「星が降りてきたみたいだ」と歓声を上げました。

「綺麗ですねぇ、お嬢様。まるで地上に天の川ができたみたいです」

 ロッテがうっとりと光の列を見つめています。

「ええ。それに、この燃料は冬の暖房の補助にもなります。薪不足で凍える心配もありません」

 私は王都の方角を見やりました。
 あちらでは今頃、レイモンド殿下たちが枯渇し始めた薪を巡って、高騰する燃料費に頭を抱えている頃でしょう。
 森を切り尽くせば薪はなくなりますが、私たちの燃料はゴミから無限に湧いてくるのですから。

「ジュリアンナ」

 マックス様が、光に照らされた横顔で私を見つめました。

「君は、俺の領地に道を作り、水を与え、今度は光まで灯してくれた。……本当に、君は女神なんじゃないか?」

「ふふ。ただの醸造家兼化学者ですわ。……さあ、祝杯をあげましょう。もちろん、飲む方は飲用の極上ワインでね」

 光り輝く街を見下ろしながら、私たちはグラスを合わせました。
 エネルギー革命の鐘の音は、静かに、しかし力強く夜空に響き渡りました。
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