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第22話:酸っぱいワインの再利用
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「……すまない、ジュリアンナ。やはり、この領地でまともなワインを作ろうなどというのは、土台無理な話だったんだ」
夕食の席。
マックス様が、グラスに注がれた赤黒い液体を見つめながら、深々と肩を落としていました。
「お嬢様……、これ、罰ゲームですか? 匂いだけで鼻の奥がツンとします。まるで、運動した後の騎士様のブーツの中敷きをレモン汁で煮込んだような……」
ロッテが顔をしかめて、鼻をつまんでいます。
相変わらず独創的かつ食欲を減退させる比喩表現です。
私はグラスを軽く回し、その強烈な刺激臭を確認してから、一口だけ舌に乗せました。
「んっ……!」
強烈な酸味。
喉が焼けるような刺激。
確かに、これをワインとして出されたら、レストランのシェフを呼びつけて決闘を申し込むレベルです。
「原因は明白ですわ。コルクの密閉不足による酸化。そして、醸造過程での温度管理ミスにより、酢酸菌(アセトバクター)が繁殖しています」
「酢酸菌……? 菌が入っているのか!?」
マックス様が青ざめます。
「ええ。空気中の酸素とアルコールが反応し、さらに菌が働くことで、エタノールが酢酸(お酢の成分)に変化してしまっているのです」
アイゼンガルド領のワインは、元々のブドウの糖度が低い上に、貯蔵庫の環境が悪く、大半がこの酸っぱい失敗作になってしまうとのこと。
毎年、樽ごとの大量廃棄が行われているそうです。
「もったいない話だ。農民たちが丹精込めて育てたブドウを、ドブに捨てるしかないなんて……」
マックス様が悔しそうに拳を握ります。
しかし、私はその酸っぱい液体が入ったグラスを、光にかざしてニヤリと笑いました。
「捨てる? とんでもない。マックス様、この失敗作の樽、すべて買い取りますわ」
「は? 買い取るって……、飲むつもりか? 腹を壊すぞ」
「いいえ。ワインとして失敗したのなら、ワインであることを辞めさせればいいのです」
私は厨房の料理長を呼びつけました。
「料理長、この酸っぱいワインをさらに空気(酸素)に晒し、表面に白い膜が張るまで放置してください」
「は、はい? 白い膜って……、カビですか?」
「いいえ。酢酸菌のコロニーです。それが育てば育つほど、美味しいワインビネガーになります」
そうら失敗したワインは、最高級のお酢の原料なのです。
王都では、酸っぱくなったワインは恥ずべきものとして捨てられます。
だからこそ、良質なビネガーは希少で高価。
「さらに、このビネガーを鍋で煮詰め、ハチミツと香草を加えてトロトロになるまで濃縮します。……ロッテ、そこの焼いたお肉にかけてみなさい」
数十分後。
私は即席で作ったバルサミコ風ソースを、ただ焼いただけの硬い鹿肉のステーキにかけました。
黒く艶やかなソースが、肉の上で輝きます。
「えぇ~……。酸っぱい匂いがしますけどぉ……」
ロッテが恐る恐る肉を口に運びました。
そして、カッと目を見開きます。
「んんっ!? 美味しいっ!!」
「ほう?」
「酸っぱいけど、甘いです! お肉の脂っこさが消えて、すごくサッパリしてるのに、コクがあります! 何これ、魔法のソースですか!?」
ロッテが猛烈な勢いでナイフとフォークを動かし始めました。
マックス様も、半信半疑で一口食べ……、そして唸りました。
「……うまい。あの腐りかけのようなワインが、こんな芳醇な調味料になるとは」
「ええ。酸味は、料理の輪郭を引き締めます。肉料理のソースに、サラダのドレッシングに、あるいは炭酸水で割って健康ドリンクに。……使い道は無限大です」
私はグラスに残ったビネガーソースを舐めました。
「王都の貴族たちは、甘いワインばかり好みます。ですが、美食を追求すれば必ず酸味に行き着くもの。このアイゼンガルド・ビネガーは、間違いなく王都のシェフたちが喉から手が出るほど欲しがる逸品になりますわ」
「失敗作が、特産品に……」
マックス様が、呆然と、しかし希望に満ちた目で私を見つめました。
「ジュリアンナ。君にかかると、世の中に無駄なものなど一つもないように思えてくるな」
「ふふ。適材適所ですわ。……人間も、菌もね」
私は王都の方角を思い出しました。
レイモンド殿下とシルヴィア様。
あの二人の関係も、今頃は酸化して酸っぱくなっている頃でしょう。
残念ながら、彼らの関係を美味しく熟成させる知恵(レシピ)を、彼らは持っていませんが……。
「さあ、忙しくなりますよ! ラベルのデザインを考えましょう。失敗は成功の母、……いえ、貴婦人の涙なんてどうかしら?」
「採用だ。……君の涙ではなく、君を逃した誰かさんの涙という意味でな」
マックス様のウィットに富んだジョークに、私たちは顔を見合わせて笑いました。
酸っぱいワインは、私たちの食卓を豊かに彩る黄金の調味料へと生まれ変わったのです。
夕食の席。
マックス様が、グラスに注がれた赤黒い液体を見つめながら、深々と肩を落としていました。
「お嬢様……、これ、罰ゲームですか? 匂いだけで鼻の奥がツンとします。まるで、運動した後の騎士様のブーツの中敷きをレモン汁で煮込んだような……」
ロッテが顔をしかめて、鼻をつまんでいます。
相変わらず独創的かつ食欲を減退させる比喩表現です。
私はグラスを軽く回し、その強烈な刺激臭を確認してから、一口だけ舌に乗せました。
「んっ……!」
強烈な酸味。
喉が焼けるような刺激。
確かに、これをワインとして出されたら、レストランのシェフを呼びつけて決闘を申し込むレベルです。
「原因は明白ですわ。コルクの密閉不足による酸化。そして、醸造過程での温度管理ミスにより、酢酸菌(アセトバクター)が繁殖しています」
「酢酸菌……? 菌が入っているのか!?」
マックス様が青ざめます。
「ええ。空気中の酸素とアルコールが反応し、さらに菌が働くことで、エタノールが酢酸(お酢の成分)に変化してしまっているのです」
アイゼンガルド領のワインは、元々のブドウの糖度が低い上に、貯蔵庫の環境が悪く、大半がこの酸っぱい失敗作になってしまうとのこと。
毎年、樽ごとの大量廃棄が行われているそうです。
「もったいない話だ。農民たちが丹精込めて育てたブドウを、ドブに捨てるしかないなんて……」
マックス様が悔しそうに拳を握ります。
しかし、私はその酸っぱい液体が入ったグラスを、光にかざしてニヤリと笑いました。
「捨てる? とんでもない。マックス様、この失敗作の樽、すべて買い取りますわ」
「は? 買い取るって……、飲むつもりか? 腹を壊すぞ」
「いいえ。ワインとして失敗したのなら、ワインであることを辞めさせればいいのです」
私は厨房の料理長を呼びつけました。
「料理長、この酸っぱいワインをさらに空気(酸素)に晒し、表面に白い膜が張るまで放置してください」
「は、はい? 白い膜って……、カビですか?」
「いいえ。酢酸菌のコロニーです。それが育てば育つほど、美味しいワインビネガーになります」
そうら失敗したワインは、最高級のお酢の原料なのです。
王都では、酸っぱくなったワインは恥ずべきものとして捨てられます。
だからこそ、良質なビネガーは希少で高価。
「さらに、このビネガーを鍋で煮詰め、ハチミツと香草を加えてトロトロになるまで濃縮します。……ロッテ、そこの焼いたお肉にかけてみなさい」
数十分後。
私は即席で作ったバルサミコ風ソースを、ただ焼いただけの硬い鹿肉のステーキにかけました。
黒く艶やかなソースが、肉の上で輝きます。
「えぇ~……。酸っぱい匂いがしますけどぉ……」
ロッテが恐る恐る肉を口に運びました。
そして、カッと目を見開きます。
「んんっ!? 美味しいっ!!」
「ほう?」
「酸っぱいけど、甘いです! お肉の脂っこさが消えて、すごくサッパリしてるのに、コクがあります! 何これ、魔法のソースですか!?」
ロッテが猛烈な勢いでナイフとフォークを動かし始めました。
マックス様も、半信半疑で一口食べ……、そして唸りました。
「……うまい。あの腐りかけのようなワインが、こんな芳醇な調味料になるとは」
「ええ。酸味は、料理の輪郭を引き締めます。肉料理のソースに、サラダのドレッシングに、あるいは炭酸水で割って健康ドリンクに。……使い道は無限大です」
私はグラスに残ったビネガーソースを舐めました。
「王都の貴族たちは、甘いワインばかり好みます。ですが、美食を追求すれば必ず酸味に行き着くもの。このアイゼンガルド・ビネガーは、間違いなく王都のシェフたちが喉から手が出るほど欲しがる逸品になりますわ」
「失敗作が、特産品に……」
マックス様が、呆然と、しかし希望に満ちた目で私を見つめました。
「ジュリアンナ。君にかかると、世の中に無駄なものなど一つもないように思えてくるな」
「ふふ。適材適所ですわ。……人間も、菌もね」
私は王都の方角を思い出しました。
レイモンド殿下とシルヴィア様。
あの二人の関係も、今頃は酸化して酸っぱくなっている頃でしょう。
残念ながら、彼らの関係を美味しく熟成させる知恵(レシピ)を、彼らは持っていませんが……。
「さあ、忙しくなりますよ! ラベルのデザインを考えましょう。失敗は成功の母、……いえ、貴婦人の涙なんてどうかしら?」
「採用だ。……君の涙ではなく、君を逃した誰かさんの涙という意味でな」
マックス様のウィットに富んだジョークに、私たちは顔を見合わせて笑いました。
酸っぱいワインは、私たちの食卓を豊かに彩る黄金の調味料へと生まれ変わったのです。
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