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第24話:滑石(タルク)のコスメ
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「かゆい……。うぅ、かゆいですぅ」
アイゼンガルド領に初夏が訪れたある日。
執務室でロッテが首筋をボリボリと掻きむしっていました。
「ロッテ、そんなに掻いては皮膚が傷つきますよ」
「だってお嬢様ぁ、最近急に暑くなったせいで、汗疹ができちゃったんです。首も背中も、カユカユ地獄ですぅ」
ロッテが涙目で襟元を広げて見せると、確かに赤く炎症を起こしたポツポツができていました。
辺境の夏は短くとも日差しは強く、労働量も多いため、汗による肌トラブルは深刻です。
「……ふむ。これは衛生面の問題というより、摩擦と湿気の問題ですね」
私は手帳にメモを取りました。
コルセットで締め付ける貴族女性や、おむつをつけた赤ん坊にとって、汗による蒸れは大敵。
放置すれば化膿してしまいます。
「何か塗る薬はないのか? 油でも塗っておくか?」
心配そうに覗き込んだマックス様が提案しましたが、私は首を横に振りました。
「油では余計に毛穴を塞いでしまいます。必要なのは、湿気を吸い取り、肌をサラサラに保つ粉(パウダー)です」
「粉? 小麦粉か?」
「小麦粉は腐りますし、虫が湧きます。……鉱物の粉が必要ですわ」
私は立ち上がりました。
「マックス様、以前鉱山を視察した際、坑道の入り口付近で『ツルツル滑って危ない岩場』がありましたよね?」
「ああ。あの白い岩か? 脆いくせに足を取られるから、坑夫たちからは転び石と呼ばれて嫌われているが」
「その転び石こそが、ロッテの肌を救う救世主です。……採掘に行きますよ!」
鉱山の入り口には、確かにその岩脈が露出していました。
白く、蝋のような光沢を持ち、触ると石鹸のようにヌルリとした感触があります。
「これです。鉱物名は滑石(タルク)。モース硬度1という、世界で一番柔らかい鉱物です」
私は落ちていた欠片を拾い、自分の爪で引っ掻きました。
キィッ、という音もなく、爪の跡が簡単につきます。
「見ての通り、爪よりも柔らかいのです。これを粉砕すれば、肌を傷つけない微細なパウダーになります」
「石を……、肌に塗るのか?」
マックス様が信じられないという顔をしています。
王都では、白粉といえば鉛や水銀を含むものが主流です(これが後にシルヴィア様の肌を破壊する原因になりますが、それはまた別の話)。
しかし、この滑石は化学的に安定しており、人体に無害です。
「ただし、不純物(石綿など)が混じっていない良質な鉱脈を選ぶ必要があります。……ふむ、ここの層は純度が高いですね。最高級品ですわ」
私は選別した滑石を袋一杯に詰め込み、城へ持ち帰りました。
「ロッテ、すり鉢で徹底的に挽きなさい! 親の仇のように!」
「はいっ! かゆみの仇ーっ!」
城の工房で、ゴリゴリという音が響きます。
砕かれた滑石は、すぐに真っ白な粉末になりました。
それを目の細かい絹の布で何度も振るいにかけ、粒子の大きさを揃えます。
最後に、乾燥させたラベンダーの花を粉末にしたものを、香り付けとしてほんの少し混ぜ合わせます。
「完成です。アイゼンガルド・シルクパウダー」
出来上がったのは、片栗粉よりもさらにきめ細かく、触れると指紋の間に入り込んで消えてしまうような、純白の粉でした。
「さあ、ロッテ。これを汗疹ができている部分にパタパタとはたいてみなさい」
私は大きなパフ(羊毛で作りました)を渡しました。
ロッテは恐る恐る、自分の首筋に粉をつけました。
ポン、ポン。
舞い上がる白い煙。
その瞬間、ロッテの表情がとろけるように緩みました。
「……はわぁ」
「どうですか?」
「すごいですお嬢様! つけた瞬間、サラサラになりました! あんなにベタベタしてかゆかったのに、まるで赤ちゃんの肌みたいにスベスベですぅ!」
ロッテが自分の首を撫で回しています。
滑石の粒子が余分な汗を吸着し、さらに層状の構造が皮膚の上を滑ることで、服との摩擦を劇的に軽減しているのです。
「どれ、俺にも貸してくれ」
マックス様が、剣の稽古で汗ばんだ首元にパウダーをはたきました。
「おおっ……! これは快適だ。鎧の擦れる不快感が消えた。それに、ほのかに花の香りがして……、なんだか優雅な気分になるな」
「ええ。汗臭さも抑えてくれますから、騎士団の皆様にも支給しましょう」
私は白い粉の入った容器を掲げました。
「これは売れますわ。王都の貴婦人たちは、重いドレスとコルセットの中で、常に汗とあせもに悩まされています。しかも、既存の白粉は肌に悪いものばかり」
「なるほど。安全で、肌を守り、着心地を良くする粉か……」
マックス様がニヤリと笑いました。
「転び石が、貴婦人を魅了する魔法の粉に変わったわけだな」
「ええ、そのとおりです。……商品名は天使の肌(エンジェル・スキン)にしましょうか。ターゲットは貴婦人と、その赤ちゃんです」
赤ちゃんのデリケートなお尻のかぶれ(おむつかぶれ)防止にも、このパウダーは絶大な威力を発揮します。
一度使えば、もう手放せなくなるでしょう。
「お嬢様、これ背中にも塗ってください! あと脇の下も!」
「はいはい。自分でおやりなさい」
工房には、ラベンダーの香りと共に、平和な笑い声が響きました。
辺境の岩山から生まれたこの白い粉が、やがて王都の美容業界を席巻し、シルヴィア様が愛用する毒入りの白粉を駆逐することになるのです。
それは、美しさの基準が厚塗りによる隠蔽から素材による健康美へと変わる、静かな革命の始まりでした。
アイゼンガルド領に初夏が訪れたある日。
執務室でロッテが首筋をボリボリと掻きむしっていました。
「ロッテ、そんなに掻いては皮膚が傷つきますよ」
「だってお嬢様ぁ、最近急に暑くなったせいで、汗疹ができちゃったんです。首も背中も、カユカユ地獄ですぅ」
ロッテが涙目で襟元を広げて見せると、確かに赤く炎症を起こしたポツポツができていました。
辺境の夏は短くとも日差しは強く、労働量も多いため、汗による肌トラブルは深刻です。
「……ふむ。これは衛生面の問題というより、摩擦と湿気の問題ですね」
私は手帳にメモを取りました。
コルセットで締め付ける貴族女性や、おむつをつけた赤ん坊にとって、汗による蒸れは大敵。
放置すれば化膿してしまいます。
「何か塗る薬はないのか? 油でも塗っておくか?」
心配そうに覗き込んだマックス様が提案しましたが、私は首を横に振りました。
「油では余計に毛穴を塞いでしまいます。必要なのは、湿気を吸い取り、肌をサラサラに保つ粉(パウダー)です」
「粉? 小麦粉か?」
「小麦粉は腐りますし、虫が湧きます。……鉱物の粉が必要ですわ」
私は立ち上がりました。
「マックス様、以前鉱山を視察した際、坑道の入り口付近で『ツルツル滑って危ない岩場』がありましたよね?」
「ああ。あの白い岩か? 脆いくせに足を取られるから、坑夫たちからは転び石と呼ばれて嫌われているが」
「その転び石こそが、ロッテの肌を救う救世主です。……採掘に行きますよ!」
鉱山の入り口には、確かにその岩脈が露出していました。
白く、蝋のような光沢を持ち、触ると石鹸のようにヌルリとした感触があります。
「これです。鉱物名は滑石(タルク)。モース硬度1という、世界で一番柔らかい鉱物です」
私は落ちていた欠片を拾い、自分の爪で引っ掻きました。
キィッ、という音もなく、爪の跡が簡単につきます。
「見ての通り、爪よりも柔らかいのです。これを粉砕すれば、肌を傷つけない微細なパウダーになります」
「石を……、肌に塗るのか?」
マックス様が信じられないという顔をしています。
王都では、白粉といえば鉛や水銀を含むものが主流です(これが後にシルヴィア様の肌を破壊する原因になりますが、それはまた別の話)。
しかし、この滑石は化学的に安定しており、人体に無害です。
「ただし、不純物(石綿など)が混じっていない良質な鉱脈を選ぶ必要があります。……ふむ、ここの層は純度が高いですね。最高級品ですわ」
私は選別した滑石を袋一杯に詰め込み、城へ持ち帰りました。
「ロッテ、すり鉢で徹底的に挽きなさい! 親の仇のように!」
「はいっ! かゆみの仇ーっ!」
城の工房で、ゴリゴリという音が響きます。
砕かれた滑石は、すぐに真っ白な粉末になりました。
それを目の細かい絹の布で何度も振るいにかけ、粒子の大きさを揃えます。
最後に、乾燥させたラベンダーの花を粉末にしたものを、香り付けとしてほんの少し混ぜ合わせます。
「完成です。アイゼンガルド・シルクパウダー」
出来上がったのは、片栗粉よりもさらにきめ細かく、触れると指紋の間に入り込んで消えてしまうような、純白の粉でした。
「さあ、ロッテ。これを汗疹ができている部分にパタパタとはたいてみなさい」
私は大きなパフ(羊毛で作りました)を渡しました。
ロッテは恐る恐る、自分の首筋に粉をつけました。
ポン、ポン。
舞い上がる白い煙。
その瞬間、ロッテの表情がとろけるように緩みました。
「……はわぁ」
「どうですか?」
「すごいですお嬢様! つけた瞬間、サラサラになりました! あんなにベタベタしてかゆかったのに、まるで赤ちゃんの肌みたいにスベスベですぅ!」
ロッテが自分の首を撫で回しています。
滑石の粒子が余分な汗を吸着し、さらに層状の構造が皮膚の上を滑ることで、服との摩擦を劇的に軽減しているのです。
「どれ、俺にも貸してくれ」
マックス様が、剣の稽古で汗ばんだ首元にパウダーをはたきました。
「おおっ……! これは快適だ。鎧の擦れる不快感が消えた。それに、ほのかに花の香りがして……、なんだか優雅な気分になるな」
「ええ。汗臭さも抑えてくれますから、騎士団の皆様にも支給しましょう」
私は白い粉の入った容器を掲げました。
「これは売れますわ。王都の貴婦人たちは、重いドレスとコルセットの中で、常に汗とあせもに悩まされています。しかも、既存の白粉は肌に悪いものばかり」
「なるほど。安全で、肌を守り、着心地を良くする粉か……」
マックス様がニヤリと笑いました。
「転び石が、貴婦人を魅了する魔法の粉に変わったわけだな」
「ええ、そのとおりです。……商品名は天使の肌(エンジェル・スキン)にしましょうか。ターゲットは貴婦人と、その赤ちゃんです」
赤ちゃんのデリケートなお尻のかぶれ(おむつかぶれ)防止にも、このパウダーは絶大な威力を発揮します。
一度使えば、もう手放せなくなるでしょう。
「お嬢様、これ背中にも塗ってください! あと脇の下も!」
「はいはい。自分でおやりなさい」
工房には、ラベンダーの香りと共に、平和な笑い声が響きました。
辺境の岩山から生まれたこの白い粉が、やがて王都の美容業界を席巻し、シルヴィア様が愛用する毒入りの白粉を駆逐することになるのです。
それは、美しさの基準が厚塗りによる隠蔽から素材による健康美へと変わる、静かな革命の始まりでした。
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