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第26話:王都での口コミ
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「……お嬢様。この数字、桁が間違っていませんか?」
アイゼンガルド城の執務室。
ロッテが、王都の商人から届いた売上報告書を覗き込み、目を丸くしています。
「いいえ、合っていますよ。ロッテ、ゼロの数を数えるときは指を使わなくても大丈夫です」
「だってぇ、いち、じゅう、ひゃく……。これじゃ、お城の修繕費が全部払えちゃいますよ!?」
私は優雅に紅茶(もちろん珪藻土濾過水で淹れたもの)を啜りました。
机の上に積み上げられているのは、金貨の袋ではありませんが、それと同じ価値を持つ追加発注書の山です。
「アイゼンガルド・ルビー(清澄ワイン)、エンジェル・スキン(滑石パウダー)、そしてホワイト・ナイト(日焼け止め)……。初回出荷分は、王都の店頭に並んで三日で完売したそうです」
「三日で!? あんなに高い値段をつけたのに?」
マックス様も、信じられないという顔で報告書を見ています。
「ええ。安売りはしません。これはブランド戦略ですもの。辺境の過酷な環境が生んだ奇跡の産物――そう物語を付加することで、石ころや泥は宝石以上の価値を持つのです」
私は窓の外、活気に満ちた街並みを見下ろしました。
「品物が良ければ、口は勝手に動くものです。……今頃、王都のサロンではあの話題で持ちきりでしょうね」
*
(※王都・某公爵夫人のサロン視点)
「まあ! 奥様、今日のお肌、まるで陶器のように艶やかですわね。何か特別な美容法でも?」
「オホホ、分かります? 実はね、これを使っているのよ」
王都の一等地にあるサロン。
昼下がりのティータイムに集まった貴婦人たちの視線が、一人の夫人の手元に釘付けになった。
彼女が取り出したのは、シンプルな灰色のラベルが貼られた、小さなガラス瓶だ。
「これはホワイト・ナイト。北の辺境、アイゼンガルド領の特産品なんですって」
「アイゼンガルド? あそこは岩と雪しかない貧乏な土地でしょう?」
「それが違うのよ! 見て、このクリーム。塗っても白くならないのに、強い日差しを浴びても全く焼けなくてよ。それに、このパウダー!」
夫人が次に自慢げに取り出したのは、純白の粉が入った小箱だ。
「エンジェル・スキン。これをはたくだけで、汗ばむ季節でもコルセットの中がサラサラなの。うちの孫のオムツかぶれも、一晩で治ってしまったわ」
「ええっ、欲しい! どこで売っていますの?」
「それがね、入荷する端から売り切れてしまうのよ。幻の化粧品と呼ばれているわ」
サロンは興奮の坩堝と化した。
そこへ、主催者の公爵夫人がワインを持って現れた。
「皆様、興奮を鎮めるために、こちらはいかが? これもアイゼンガルドから取り寄せた新作ワイン、ルビーですわ」
グラスに注がれた液体を見て、婦人たちが息を飲む。
「なんて透明なの……!」
「底に澱がひとつもないわ!」
「お味も最高よ。雑味がなくて、まるで果実そのものをかじっているみたい。それに、翌日頭が痛くならないの」
貴婦人の一人が、うっとりとワインを味わいながら呟いた。
「すごいわね、アイゼンガルド。一体誰がこんな魔法のような品々を作っているのかしら?」
「ラベルを見て。製造責任者のサインがあるわ」
全員が瓶の裏側を覗き込んだ。
そこには、流麗な筆記体でこう記されていた。
『Designed by J.V.』
「J.V.……?」
「まさか……、ジュリアンナ・フォン・ヴィクトル様?」
「ああっ! そういえば、あの方はレイモンド殿下に婚約破棄されて、辺境へ嫁がれたはず……!」
サロンに衝撃が走った。
かつて可愛げのない才女と陰口を叩かれていた公爵令嬢。
彼女が追放された先で、王都の流行を塗り替えるような最高級品を生み出している。
「……ねえ、皆様。先日の夜会で、シルヴィア様をご覧になって?」
「ええ、見たわ。……酷い肌荒れでしたわね」
「厚塗りの白粉がひび割れて、まるで古い壁画のようでしたわ。それに、ご機嫌も斜めで……」
誰かがクスクスと笑った。
「レイモンド殿下は見る目がなかったようですわね。宝石(ジュリアンナ)を捨てて、石ころ(シルヴィア)を拾うなんて」
「本当。このワインのような本物の価値が分からないなんて、王太子の資質を疑ってしまいますわ」
貴婦人たちの扇子の陰で、王家への辛辣な評価と、ジュリアンナへの称賛が囁かれる。
質の良い商品は、何よりも雄弁な復讐者となって、王都の社交界を侵食し始めていた。
*
「……くしゅん!」
「おや、噂されているな。きっと『素晴らしい商品だ』という賞賛の嵐だろう」
マックス様が笑いながら、追加発注書にサインをしていきます。
「ええ。そして同時に、これを逃した王家は愚かだという認識も広まっているはずです」
私はニヤリと笑いました。
「マックス様。商品が売れるということは、王都からお金が流れてくるということです。……次はそのお金を使って、もっと重要なものを引き抜きますよ」
「重要なもの?」
「はい。人です。王都で冷遇されている優秀な職人たちを、この豊かな辺境へご招待しましょう」
口コミは最高の宣伝です。
辺境はもはや左遷先ではなく、最先端の流行発信地へとイメージを変えつつありました。
さあ、人材獲得競争(ヘッドハンティング)の始まりです。
アイゼンガルド城の執務室。
ロッテが、王都の商人から届いた売上報告書を覗き込み、目を丸くしています。
「いいえ、合っていますよ。ロッテ、ゼロの数を数えるときは指を使わなくても大丈夫です」
「だってぇ、いち、じゅう、ひゃく……。これじゃ、お城の修繕費が全部払えちゃいますよ!?」
私は優雅に紅茶(もちろん珪藻土濾過水で淹れたもの)を啜りました。
机の上に積み上げられているのは、金貨の袋ではありませんが、それと同じ価値を持つ追加発注書の山です。
「アイゼンガルド・ルビー(清澄ワイン)、エンジェル・スキン(滑石パウダー)、そしてホワイト・ナイト(日焼け止め)……。初回出荷分は、王都の店頭に並んで三日で完売したそうです」
「三日で!? あんなに高い値段をつけたのに?」
マックス様も、信じられないという顔で報告書を見ています。
「ええ。安売りはしません。これはブランド戦略ですもの。辺境の過酷な環境が生んだ奇跡の産物――そう物語を付加することで、石ころや泥は宝石以上の価値を持つのです」
私は窓の外、活気に満ちた街並みを見下ろしました。
「品物が良ければ、口は勝手に動くものです。……今頃、王都のサロンではあの話題で持ちきりでしょうね」
*
(※王都・某公爵夫人のサロン視点)
「まあ! 奥様、今日のお肌、まるで陶器のように艶やかですわね。何か特別な美容法でも?」
「オホホ、分かります? 実はね、これを使っているのよ」
王都の一等地にあるサロン。
昼下がりのティータイムに集まった貴婦人たちの視線が、一人の夫人の手元に釘付けになった。
彼女が取り出したのは、シンプルな灰色のラベルが貼られた、小さなガラス瓶だ。
「これはホワイト・ナイト。北の辺境、アイゼンガルド領の特産品なんですって」
「アイゼンガルド? あそこは岩と雪しかない貧乏な土地でしょう?」
「それが違うのよ! 見て、このクリーム。塗っても白くならないのに、強い日差しを浴びても全く焼けなくてよ。それに、このパウダー!」
夫人が次に自慢げに取り出したのは、純白の粉が入った小箱だ。
「エンジェル・スキン。これをはたくだけで、汗ばむ季節でもコルセットの中がサラサラなの。うちの孫のオムツかぶれも、一晩で治ってしまったわ」
「ええっ、欲しい! どこで売っていますの?」
「それがね、入荷する端から売り切れてしまうのよ。幻の化粧品と呼ばれているわ」
サロンは興奮の坩堝と化した。
そこへ、主催者の公爵夫人がワインを持って現れた。
「皆様、興奮を鎮めるために、こちらはいかが? これもアイゼンガルドから取り寄せた新作ワイン、ルビーですわ」
グラスに注がれた液体を見て、婦人たちが息を飲む。
「なんて透明なの……!」
「底に澱がひとつもないわ!」
「お味も最高よ。雑味がなくて、まるで果実そのものをかじっているみたい。それに、翌日頭が痛くならないの」
貴婦人の一人が、うっとりとワインを味わいながら呟いた。
「すごいわね、アイゼンガルド。一体誰がこんな魔法のような品々を作っているのかしら?」
「ラベルを見て。製造責任者のサインがあるわ」
全員が瓶の裏側を覗き込んだ。
そこには、流麗な筆記体でこう記されていた。
『Designed by J.V.』
「J.V.……?」
「まさか……、ジュリアンナ・フォン・ヴィクトル様?」
「ああっ! そういえば、あの方はレイモンド殿下に婚約破棄されて、辺境へ嫁がれたはず……!」
サロンに衝撃が走った。
かつて可愛げのない才女と陰口を叩かれていた公爵令嬢。
彼女が追放された先で、王都の流行を塗り替えるような最高級品を生み出している。
「……ねえ、皆様。先日の夜会で、シルヴィア様をご覧になって?」
「ええ、見たわ。……酷い肌荒れでしたわね」
「厚塗りの白粉がひび割れて、まるで古い壁画のようでしたわ。それに、ご機嫌も斜めで……」
誰かがクスクスと笑った。
「レイモンド殿下は見る目がなかったようですわね。宝石(ジュリアンナ)を捨てて、石ころ(シルヴィア)を拾うなんて」
「本当。このワインのような本物の価値が分からないなんて、王太子の資質を疑ってしまいますわ」
貴婦人たちの扇子の陰で、王家への辛辣な評価と、ジュリアンナへの称賛が囁かれる。
質の良い商品は、何よりも雄弁な復讐者となって、王都の社交界を侵食し始めていた。
*
「……くしゅん!」
「おや、噂されているな。きっと『素晴らしい商品だ』という賞賛の嵐だろう」
マックス様が笑いながら、追加発注書にサインをしていきます。
「ええ。そして同時に、これを逃した王家は愚かだという認識も広まっているはずです」
私はニヤリと笑いました。
「マックス様。商品が売れるということは、王都からお金が流れてくるということです。……次はそのお金を使って、もっと重要なものを引き抜きますよ」
「重要なもの?」
「はい。人です。王都で冷遇されている優秀な職人たちを、この豊かな辺境へご招待しましょう」
口コミは最高の宣伝です。
辺境はもはや左遷先ではなく、最先端の流行発信地へとイメージを変えつつありました。
さあ、人材獲得競争(ヘッドハンティング)の始まりです。
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