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第28話:マックスのデレ
「……お嬢様。もう深夜二時です。そろそろ寝ないと、お肌のゴールデンタイムがロスタイムになっちゃいますよ?」
アイゼンガルド城の執務室。
ロッテが半分眠りながら、私の袖を引っ張りました。
「待ちなさい、ロッテ。ガラス工房の窯の温度管理システムについて、いいアイデアが浮かんだのです。この排熱を床暖房に回せば、エネルギー効率が十五%向上します」
私は机にかじりつき、羽根ペンを走らせ続けました。
職人たちが大量に移住してきたことで、仕事量は倍増しています。
しかし、疲労よりも楽しさが勝っている状態(ランナーズ・ハイならぬデザイナーズ・ハイ)でした。
「ジュリアンナ」
ふと、頭上から低い声が降ってきました。
いつの間にか、マックス様が机の横に立っていました。
「……マックス様。申し訳ありません、明かりが眩しかったでしょうか?」
「いや。君が根を詰めすぎているのが心配なんだ。……少し、手を休めてくれないか」
マックス様が、私の手から優しく羽根ペンを取り上げ、ペン皿に置きました。
その強引ながらも気遣わしげな動作に、私は渋々背筋を伸ばしました。
「……休憩は非効率的ですが、領主様の命令とあらば従いましょう」
「命令じゃない。頼みだ。……それに、君に渡したいものがあってな」
「渡したいもの?」
マックス様は、背中に隠していた手を出し、ごつごつした拳を私の目の前に差し出しました。
彼がゆっくりと手を開くと、その掌には、親指大の石が乗っていました。
磨かれた宝石ではありません。
切り出されたばかりの、ゴツゴツとした原石です。
しかし、その石はランプの光を受けて、内側から発光しているかのように神秘的な輝きを放っていました。
紫と緑が複雑に混じり合い、まるでオーロラを閉じ込めたような正八面体の結晶。
「……! これは、蛍石(フローライト)……!」
私は思わず身を乗り出し、その石をつまみ上げました。
「素晴らしい……! 見てください、この完全なへき開のライン! 等軸晶系の結晶構造が、これほど美しく保たれているなんて奇跡的ですわ! 成分はフッ化カルシウム……、不純物が混じることで色がつくのですが、このバイカラー(二色)のグラデーションは稀少です!」
私は職業病で、即座に成分分析と結晶構造の称賛をまくし立てました。
王都の令嬢なら「まぁ、綺麗な石!」と言うところでしょうが、私は「まぁ、綺麗な分子配列!」と言ってしまうのです。
「……ふっ。やはり、君ならそうやって分析し始めると思ったよ」
マックス様が、苦笑しながらも愛おしそうに目を細めました。
「今日、新しい鉱脈の視察に行ったとき、坑道の奥で見つけたんだ。……暗闇の中で、この石だけが微かに光っているように見えてな」
彼は、少し照れくさそうに視線を逸らし、そして再び私を見つめました。
「宝石店に並ぶような、磨き上げられたダイヤではない。泥にまみれた、ただの原石だ。……だが、俺にはどんな宝石よりも美しく見えた」
「ええ、同意します。この幾何学的な美しさは……」
「違うんだ、ジュリアンナ」
マックス様が、私の言葉を遮りました。
「俺がこれを拾ったのは、結晶構造のためじゃない。……この色が、君に似ていると思ったからだ」
「……え?」
私の思考回路が、一瞬停止しました。
「冷静で、理知的で、冷ややかな紫。……だが、その奥には、情熱的で生命力に溢れた緑が隠されている。光にかざすと表情を変えるその複雑な輝きが、図面と向き合っているときの君の瞳そのものだ」
マックス様は、私の手の中に収まった蛍石を、私の指ごとそっと包み込みました。
「俺は、君という原石に出会えてよかった。……これを見るたびに、そう思うんだ」
「――――ッ!」
ボンッ!
と音がするくらい、私の顔が一瞬で沸騰しました。
熱伝導率の計算など吹き飛ぶほどの、急激な温度上昇です。
「マ、マックス様……、それは、その……」
普段なら「それは光の屈折率の話ですか?」と切り返せるはずなのに、舌が回ります。
彼の瞳は真剣そのもので、そこには計算も駆け引きもありません。
ただ純粋な好意が、ストレートで投げ込まれてきたのです。
「……受け取ってくれるか?」
「は、はい……。大切に、標本箱に……、いえ、肌身離さず持ち歩きます」
私は蛍石を胸に抱きしめました。
石はひんやりとしているはずなのに、マックス様の手の熱が残っていて、それが胸の奥まで伝播していきます。
「よかった。……では、もう遅い。今日は休んでくれ。君が倒れたら、俺の世界が崩れてしまうからな」
マックス様は、私の頭をポンと一度撫でると、満足げに部屋を出て行きました。
残されたのは、顔を真っ赤にした私と、蛍光色に輝く石。
そして。
「…………きゃあああああああああっ!!!」
部屋の隅で空気になっていたロッテが、クッションに顔を埋めて絶叫しました。
「お、お嬢様ぁーっ! 見ました!? 聞きました!? 『君に似ている』ですって! 『俺の世界』ですってぇーっ!」
「し、静かになさいロッテ! 夜中に近所迷惑です!」
「無理です! 私が砂糖を吐きそうです! あんな無骨な旦那様が、あんな……、あんな殺し文句を! 天然記念物級のデレですよあれは!」
ロッテはバタバタと足を動かし、のたうち回っています。
「はぁ、はぁ……。お嬢様、もう図面なんて引いてる場合じゃないです。早くお孫さんの名前を考えましょう」
「気が早すぎます!」
私は熱くなった頬を、冷たい蛍石で冷やしました。
心拍数が乱れ、思考がまとまりません。
……悔しいですわ。
構造力学でも、地質学でも説明がつかない。
これが……、恋という名の、制御不能な化学反応なのですか。
机の上の図面が、少しだけ霞んで見えました。
今夜ばかりは、設計図よりも、この石の輝きを眺めて過ごすことになりそうです。
アイゼンガルドの夜は、街灯の光よりも眩しい、甘い空気に包まれて更けていきました。
アイゼンガルド城の執務室。
ロッテが半分眠りながら、私の袖を引っ張りました。
「待ちなさい、ロッテ。ガラス工房の窯の温度管理システムについて、いいアイデアが浮かんだのです。この排熱を床暖房に回せば、エネルギー効率が十五%向上します」
私は机にかじりつき、羽根ペンを走らせ続けました。
職人たちが大量に移住してきたことで、仕事量は倍増しています。
しかし、疲労よりも楽しさが勝っている状態(ランナーズ・ハイならぬデザイナーズ・ハイ)でした。
「ジュリアンナ」
ふと、頭上から低い声が降ってきました。
いつの間にか、マックス様が机の横に立っていました。
「……マックス様。申し訳ありません、明かりが眩しかったでしょうか?」
「いや。君が根を詰めすぎているのが心配なんだ。……少し、手を休めてくれないか」
マックス様が、私の手から優しく羽根ペンを取り上げ、ペン皿に置きました。
その強引ながらも気遣わしげな動作に、私は渋々背筋を伸ばしました。
「……休憩は非効率的ですが、領主様の命令とあらば従いましょう」
「命令じゃない。頼みだ。……それに、君に渡したいものがあってな」
「渡したいもの?」
マックス様は、背中に隠していた手を出し、ごつごつした拳を私の目の前に差し出しました。
彼がゆっくりと手を開くと、その掌には、親指大の石が乗っていました。
磨かれた宝石ではありません。
切り出されたばかりの、ゴツゴツとした原石です。
しかし、その石はランプの光を受けて、内側から発光しているかのように神秘的な輝きを放っていました。
紫と緑が複雑に混じり合い、まるでオーロラを閉じ込めたような正八面体の結晶。
「……! これは、蛍石(フローライト)……!」
私は思わず身を乗り出し、その石をつまみ上げました。
「素晴らしい……! 見てください、この完全なへき開のライン! 等軸晶系の結晶構造が、これほど美しく保たれているなんて奇跡的ですわ! 成分はフッ化カルシウム……、不純物が混じることで色がつくのですが、このバイカラー(二色)のグラデーションは稀少です!」
私は職業病で、即座に成分分析と結晶構造の称賛をまくし立てました。
王都の令嬢なら「まぁ、綺麗な石!」と言うところでしょうが、私は「まぁ、綺麗な分子配列!」と言ってしまうのです。
「……ふっ。やはり、君ならそうやって分析し始めると思ったよ」
マックス様が、苦笑しながらも愛おしそうに目を細めました。
「今日、新しい鉱脈の視察に行ったとき、坑道の奥で見つけたんだ。……暗闇の中で、この石だけが微かに光っているように見えてな」
彼は、少し照れくさそうに視線を逸らし、そして再び私を見つめました。
「宝石店に並ぶような、磨き上げられたダイヤではない。泥にまみれた、ただの原石だ。……だが、俺にはどんな宝石よりも美しく見えた」
「ええ、同意します。この幾何学的な美しさは……」
「違うんだ、ジュリアンナ」
マックス様が、私の言葉を遮りました。
「俺がこれを拾ったのは、結晶構造のためじゃない。……この色が、君に似ていると思ったからだ」
「……え?」
私の思考回路が、一瞬停止しました。
「冷静で、理知的で、冷ややかな紫。……だが、その奥には、情熱的で生命力に溢れた緑が隠されている。光にかざすと表情を変えるその複雑な輝きが、図面と向き合っているときの君の瞳そのものだ」
マックス様は、私の手の中に収まった蛍石を、私の指ごとそっと包み込みました。
「俺は、君という原石に出会えてよかった。……これを見るたびに、そう思うんだ」
「――――ッ!」
ボンッ!
と音がするくらい、私の顔が一瞬で沸騰しました。
熱伝導率の計算など吹き飛ぶほどの、急激な温度上昇です。
「マ、マックス様……、それは、その……」
普段なら「それは光の屈折率の話ですか?」と切り返せるはずなのに、舌が回ります。
彼の瞳は真剣そのもので、そこには計算も駆け引きもありません。
ただ純粋な好意が、ストレートで投げ込まれてきたのです。
「……受け取ってくれるか?」
「は、はい……。大切に、標本箱に……、いえ、肌身離さず持ち歩きます」
私は蛍石を胸に抱きしめました。
石はひんやりとしているはずなのに、マックス様の手の熱が残っていて、それが胸の奥まで伝播していきます。
「よかった。……では、もう遅い。今日は休んでくれ。君が倒れたら、俺の世界が崩れてしまうからな」
マックス様は、私の頭をポンと一度撫でると、満足げに部屋を出て行きました。
残されたのは、顔を真っ赤にした私と、蛍光色に輝く石。
そして。
「…………きゃあああああああああっ!!!」
部屋の隅で空気になっていたロッテが、クッションに顔を埋めて絶叫しました。
「お、お嬢様ぁーっ! 見ました!? 聞きました!? 『君に似ている』ですって! 『俺の世界』ですってぇーっ!」
「し、静かになさいロッテ! 夜中に近所迷惑です!」
「無理です! 私が砂糖を吐きそうです! あんな無骨な旦那様が、あんな……、あんな殺し文句を! 天然記念物級のデレですよあれは!」
ロッテはバタバタと足を動かし、のたうち回っています。
「はぁ、はぁ……。お嬢様、もう図面なんて引いてる場合じゃないです。早くお孫さんの名前を考えましょう」
「気が早すぎます!」
私は熱くなった頬を、冷たい蛍石で冷やしました。
心拍数が乱れ、思考がまとまりません。
……悔しいですわ。
構造力学でも、地質学でも説明がつかない。
これが……、恋という名の、制御不能な化学反応なのですか。
机の上の図面が、少しだけ霞んで見えました。
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