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第38話:旅立ち
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「いってらっしゃーい! 領主様ー! 聖女様ー!」
「王都の連中に、俺たちの凄さを見せつけてやってくれー!」
「お土産は王子の泣きっ面で頼むぞー!」
アイゼンガルド城の門前は、さながら凱旋パレードのような熱気に包まれていました。
本来なら、国家反逆罪の疑いで連行される悲壮な旅立ちのはずです。
しかし、集まった領民たちの顔に不安の色は微塵もありません。
彼らは知っているのです。
この半年間で泥沼を街道に変え、汚水を清水に変えた私たちが、言いがかりのような罪状に負けるはずがないと。
「……人気者だな、俺たちは」
馬車の中で、マックス様が苦笑しながら窓の外に手を振り返しました。
彼は今日、いつもの実務的な服ではなく、領主としての正装――漆黒の鎧に、アイゼンガルド家の紋章が入ったマントを纏っています。
その姿は、まさに北の守護神といった威圧感です。
「ええ。民衆の信頼こそが、最も強固な地盤ですわ」
私は優雅に足を組み、窓のカーテンを少し開けました。
私の対面に座るロッテは、リュックサックを膝に抱え、鼻息を荒くしています。
「お嬢様! 私、王都に着いたら一番に何をすればいいですか? やっぱり、シルヴィア様に『イーッ!』ってすることですか?」
「ふふ、ロッテ。挑発は品がありません。私たちはあくまで、無実を訴える哀れな被害者として振る舞うのです。……もっとも、手には証拠書類という名の棍棒を持っていますが」
馬車が動き出しました。
王宮から来た使者の兵士たちが前後を固めていますが、彼らの馬よりも、私たちの馬車を引くアイゼンガルド産の馬のほうが毛並みが良く、足取りも力強いのは皮肉なことです。
馬車は城下町を抜け、街道に入りました。
かつて泥沼で立ち往生したあの道は、今やローマン・コンクリートで舗装され、どこまでも平坦で滑らかです。
馬車の揺れはほとんどなく、ティーカップの水面すら揺らぎません。
「快適だな。この道なら、王都まで通常の半分の時間で着く」
マックス様が満足げに言いました。
「ええ。物流効率の勝利ですわ」
私たちは流れる景色を楽しみながら、優雅な旅を続けました。
しかし、その快適さは、領境を越えた瞬間に終わりを告げました。
「あだっ! ……ううぅ、またこれですかぁ」
ロッテが座席から跳ね上がり、お尻を押さえました。
馬車の車輪が、舗装路から王国の旧街道に入った途端、激しい振動を拾い始めたのです。
「……酷いな。半年見ない間に、さらに道が荒れている」
マックス様が顔をしかめました。
窓の外を見ると、街道は轍だらけで、所々に雨水が溜まった水たまりが口を開けています。
路肩の草は伸び放題で、排水溝が詰まっているのが一目で分かりました。
「メンテナンス不足ですわね」
私は揺れる馬車の中で、冷静に分析しました。
「道路は生き物です。一度作れば終わりではありません。日々の補修を怠れば、小さな亀裂から水が染み込み、路盤を侵食し、やがて崩壊します。……今の王家の政治そのものですわ」
「耳が痛い話だ。だが、これが現実か」
私たちはガタガタと揺れる馬車に耐えながら、南へと進みました。
道行く人々も、アイゼンガルド領内では皆、身なりが良く活気がありましたが、領境を越えた途端、服は薄汚れ、疲れた顔をした者が目立つようになりました。
「見てください、お嬢様。あそこの畑、作物が枯れてます」
「水路が詰まっているのでしょう。……これでは、国力が衰退するのも当然です」
王都に近づくにつれて、その荒廃ぶりは顕著になっていきました。
かつて私が整備を提案しても「予算がない」と却下された橋は欄干が朽ち落ち、宿場町は活気を失っています。
そして、出発から三日後。
王都の外壁が見えてきた時、私たちは異変に気づきました。
「……なんだ? 空が黄色いぞ」
マックス様が空を指差しました。
夕暮れ時ではありません。
真昼間だというのに、王都の上空にだけ、どんよりとした黄色い靄のようなものが掛かっているのです。
「あれは……、スモッグ? いえ、それにしては有機的な……」
馬車が城門に近づくにつれて、その正体が判明しました。
視覚よりも先に、嗅覚が悲鳴を上げたのです。
「うっ……、く、臭いですぅ!」
ロッテが慌てて鼻をつまみました。
腐った卵と、アンモニア、そして生ゴミを煮詰めたような強烈な悪臭。
風に乗って漂ってくるそれは、間違いなく王都の中から発せられていました。
「これが、花の都と呼ばれた王都の成れの果てか……」
マックス様もハンカチで口元を覆いました。
「下水処理能力の限界を超えたようですね」
私は眼鏡の位置を直し、冷静に、しかし冷ややかな目で巨大な城門を見上げました。
「都市の代謝(メタボリズム)が機能不全に陥っています。排出できない毒素が、街全体を腐らせているのです」
門番の兵士たちも、生気のない顔で槍を持っています。
彼らの制服は薄汚れ、その目にはアイゼンガルドの兵士たちのような規律も誇りもありません。
「止めろ! ……む、アイゼンガルド辺境伯の馬車か」
門番が気だるげに合図をし、重い門が軋みながら開かれました。
その隙間から、ドッと濃厚な悪臭を含んだ熱風が吹き出してきます。
「……行きましょう、マックス様。ここが、私たちが正すべき現場です」
「ああ。……息を止めて突入だ」
馬車は、黄色い靄に覆われた王都へと足を踏み入れました。
かつて私が愛し、そして私を追放した場所。
そこは今や、物理的にも政治的にも腐敗臭に満ちた、巨大な廃墟予備軍となっていました。
私たちの凱旋は、歓声ではなく、街の悲鳴に出迎えられて始まったのです……。
「王都の連中に、俺たちの凄さを見せつけてやってくれー!」
「お土産は王子の泣きっ面で頼むぞー!」
アイゼンガルド城の門前は、さながら凱旋パレードのような熱気に包まれていました。
本来なら、国家反逆罪の疑いで連行される悲壮な旅立ちのはずです。
しかし、集まった領民たちの顔に不安の色は微塵もありません。
彼らは知っているのです。
この半年間で泥沼を街道に変え、汚水を清水に変えた私たちが、言いがかりのような罪状に負けるはずがないと。
「……人気者だな、俺たちは」
馬車の中で、マックス様が苦笑しながら窓の外に手を振り返しました。
彼は今日、いつもの実務的な服ではなく、領主としての正装――漆黒の鎧に、アイゼンガルド家の紋章が入ったマントを纏っています。
その姿は、まさに北の守護神といった威圧感です。
「ええ。民衆の信頼こそが、最も強固な地盤ですわ」
私は優雅に足を組み、窓のカーテンを少し開けました。
私の対面に座るロッテは、リュックサックを膝に抱え、鼻息を荒くしています。
「お嬢様! 私、王都に着いたら一番に何をすればいいですか? やっぱり、シルヴィア様に『イーッ!』ってすることですか?」
「ふふ、ロッテ。挑発は品がありません。私たちはあくまで、無実を訴える哀れな被害者として振る舞うのです。……もっとも、手には証拠書類という名の棍棒を持っていますが」
馬車が動き出しました。
王宮から来た使者の兵士たちが前後を固めていますが、彼らの馬よりも、私たちの馬車を引くアイゼンガルド産の馬のほうが毛並みが良く、足取りも力強いのは皮肉なことです。
馬車は城下町を抜け、街道に入りました。
かつて泥沼で立ち往生したあの道は、今やローマン・コンクリートで舗装され、どこまでも平坦で滑らかです。
馬車の揺れはほとんどなく、ティーカップの水面すら揺らぎません。
「快適だな。この道なら、王都まで通常の半分の時間で着く」
マックス様が満足げに言いました。
「ええ。物流効率の勝利ですわ」
私たちは流れる景色を楽しみながら、優雅な旅を続けました。
しかし、その快適さは、領境を越えた瞬間に終わりを告げました。
「あだっ! ……ううぅ、またこれですかぁ」
ロッテが座席から跳ね上がり、お尻を押さえました。
馬車の車輪が、舗装路から王国の旧街道に入った途端、激しい振動を拾い始めたのです。
「……酷いな。半年見ない間に、さらに道が荒れている」
マックス様が顔をしかめました。
窓の外を見ると、街道は轍だらけで、所々に雨水が溜まった水たまりが口を開けています。
路肩の草は伸び放題で、排水溝が詰まっているのが一目で分かりました。
「メンテナンス不足ですわね」
私は揺れる馬車の中で、冷静に分析しました。
「道路は生き物です。一度作れば終わりではありません。日々の補修を怠れば、小さな亀裂から水が染み込み、路盤を侵食し、やがて崩壊します。……今の王家の政治そのものですわ」
「耳が痛い話だ。だが、これが現実か」
私たちはガタガタと揺れる馬車に耐えながら、南へと進みました。
道行く人々も、アイゼンガルド領内では皆、身なりが良く活気がありましたが、領境を越えた途端、服は薄汚れ、疲れた顔をした者が目立つようになりました。
「見てください、お嬢様。あそこの畑、作物が枯れてます」
「水路が詰まっているのでしょう。……これでは、国力が衰退するのも当然です」
王都に近づくにつれて、その荒廃ぶりは顕著になっていきました。
かつて私が整備を提案しても「予算がない」と却下された橋は欄干が朽ち落ち、宿場町は活気を失っています。
そして、出発から三日後。
王都の外壁が見えてきた時、私たちは異変に気づきました。
「……なんだ? 空が黄色いぞ」
マックス様が空を指差しました。
夕暮れ時ではありません。
真昼間だというのに、王都の上空にだけ、どんよりとした黄色い靄のようなものが掛かっているのです。
「あれは……、スモッグ? いえ、それにしては有機的な……」
馬車が城門に近づくにつれて、その正体が判明しました。
視覚よりも先に、嗅覚が悲鳴を上げたのです。
「うっ……、く、臭いですぅ!」
ロッテが慌てて鼻をつまみました。
腐った卵と、アンモニア、そして生ゴミを煮詰めたような強烈な悪臭。
風に乗って漂ってくるそれは、間違いなく王都の中から発せられていました。
「これが、花の都と呼ばれた王都の成れの果てか……」
マックス様もハンカチで口元を覆いました。
「下水処理能力の限界を超えたようですね」
私は眼鏡の位置を直し、冷静に、しかし冷ややかな目で巨大な城門を見上げました。
「都市の代謝(メタボリズム)が機能不全に陥っています。排出できない毒素が、街全体を腐らせているのです」
門番の兵士たちも、生気のない顔で槍を持っています。
彼らの制服は薄汚れ、その目にはアイゼンガルドの兵士たちのような規律も誇りもありません。
「止めろ! ……む、アイゼンガルド辺境伯の馬車か」
門番が気だるげに合図をし、重い門が軋みながら開かれました。
その隙間から、ドッと濃厚な悪臭を含んだ熱風が吹き出してきます。
「……行きましょう、マックス様。ここが、私たちが正すべき現場です」
「ああ。……息を止めて突入だ」
馬車は、黄色い靄に覆われた王都へと足を踏み入れました。
かつて私が愛し、そして私を追放した場所。
そこは今や、物理的にも政治的にも腐敗臭に満ちた、巨大な廃墟予備軍となっていました。
私たちの凱旋は、歓声ではなく、街の悲鳴に出迎えられて始まったのです……。
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