殿下、その婚約破棄の宣言が、すべての崩壊の始まりだと気付いていますか?

水上

文字の大きさ
39 / 69

第39話:王都の変わり果てた姿

しおりを挟む
「……酷い。言葉が出ないな」

 王都のメインストリートを進む馬車の中で、マックス様が呻くように言いました。
 分厚いカーテンの隙間から見える景色は、かつての栄華を極めた花の都とは程遠い、まるで病に侵された巨人のような姿でした。

 石畳は所々が剥がれて土が露出し、その穴には汚水が溜まっています。
 路肩には回収されないゴミが山のように積まれ、痩せた野良犬がそれを漁っていました。
 通りを行き交う人々は皆、俯き加減で、その服は煤と土埃で薄汚れています。

「半年……、たった半年で、都市というのはここまで死ぬものなのか?」

「ええ。都市は生き物ですから。血管(インフラ)が詰まれば、末端から壊死していくのです」

 私はハンカチで口元を覆いながら、冷静に窓外を観察しました。

 商店街のシャッターは半分以上が閉まっています。
 かつては最新のドレスや宝石を飾っていたショーウィンドウは割れ、ベニヤ板で雑に塞がれていました。

「割れ窓理論(ブロークン・ウィンドウズ・セオリー)をご存知ですか? マックス様」

「いや。……窓が割れるとどうなるんだ?」

「建物の窓ガラスを一枚割れたまま放置すると、誰も管理していないと思われ、やがて全ての窓が割られ、街全体が荒廃するという犯罪学の理論です。……今の王都は、まさにその状態ですわ」

 ゴミがゴミを呼び、落書きが落書きを呼ぶ。
 どうせ汚いからという諦めが、住民のモラルを低下させ、さらなる荒廃を招いているのです。

「お嬢様……。見てください、あそこのカフェ。私たちがよく通った猫のあくび亭ですよ」

 ロッテが指差した先には、看板が外れ、廃墟のようになった店舗がありました。

「……潰れてしまいましたか。あそこのシフォンケーキは絶品でしたのに」

「うぅ……。窓ガラスが割れて、中にカラスが巣を作ってますぅ。悲しいです……」

 ロッテが涙目になります。
 王都の衰退は、単なる景観の問題ではありません。
 経済活動そのものが停滞している証拠です。

「原因は複合的です。アイゼンガルドへの物流依存度が高まっていたのに、王家が適切なインフラ投資を怠ったこと。そして何より、衛生環境の悪化による人口流出(ドーナツ化現象)です」

 裕福な商人は、臭くて不潔な王都を逃げ出し、地方や隣国へ移住しているのでしょう。
 残されたのは、逃げる金もない貧困層と、意地でしがみつく貴族だけ。

「……こんな街で、レイモンド殿下は黄金郷を夢見ているのか」

 マックス様が呆れたように呟きました。

「ええ。ご自分の足元が腐っていることに気づかず、隣の芝生を妬んでいるだけです」

 馬車は、貴族たちが住む高級住宅街へと差し掛かりました。
 庶民の街よりはマシですが、それでも道路には馬糞が落ちたままで、かつての優雅さは見る影もありません。
 すれ違う貴族の馬車も、どこか塗装が剥げ、手入れが行き届いていないように見えます。

「さて、マックス様。今夜の宿ですが」

「ああ。俺の実家(タウンハウス)があるが……、管理人が逃げ出していないか心配だな」

「いえ、そこには泊まりません。王家の監視がつきますし、何よりこの悪臭の中で普通の家に泊まるのは御免です」

 私はニヤリと笑いました。

「もっと良い場所がありますわ」

「良い場所? 最高級ホテルでも取るのか?」

「いいえ。……です」

「は?」

 マックス様とロッテが同時に声を上げました。

「王城のすぐ裏手に、古い離宮があるのをご存知ですか? 先代の国王陛下が愛人のために建てたものの、古臭いと言われて打ち捨てられた場所です」

「ああ……。幽霊屋敷と呼ばれている、あそこか? 蔦が絡まって、廃墟同然だと聞いているが」

「そうです。レイモンド殿下は『あんな古ぼけた建物は王家の恥だ』と仰って、取り壊す予算も惜しんで放置していました」

 私は鞄から、一通の書類を取り出しました。
 それは、事前に商業ギルドを通じて手配しておいた、不動産売買契約書です。

「ここを買い取ります」

「ええっ!? 廃墟を買うんですか!? お嬢様、またですか!?」

 ロッテが頭を抱えました。

「ええ。立地は最高。構造体はしっかりした石造り。ただ表面が汚れているだけ。……これぞ、リノベーション物件の極みですわ」

 私は目を輝かせました。

「それに、あそこなら王宮の下水本管から独立した排水経路を持っています。独自の浄化槽を設置すれば、この悪臭地獄の中でも快適に過ごせます」

「……なるほど。王都にいながら、王都のインフラに依存しない要塞を作るわけか」

 マックス様が感心したように頷きました。

「その通りです。それに……、殿下がゴミだと思って捨てた場所が、王都で一番輝く場所に生まれ変わったら、痛快だと思いませんか?」

「ハハッ、違いない。君らしい復讐だ」

 馬車は進路を変え、王城の裏手にある森へと向かいました。
 鬱蒼とした木々の向こうに、蔦に覆われ、窓ガラスも割れた、幽霊が出そうな洋館が見えてきます。

「ひいぃ……! お化け屋敷ですぅ! 絶対に出ますぅ!」

「出ませんよ、ロッテ。出るのはお宝の気配だけです」

 私はワクワクしながら馬車を降りました。

 廃墟。
 それは、完成された新築よりも、私の建築家魂を激しく揺さぶるのです。

「さあ、まずは大掃除から始めますよ! アイゼンガルド流のやり方を、王都の皆様に見せつけて差し上げましょう!」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】前代未聞の婚約破棄~なぜあなたが言うの?~【長編】

暖夢 由
恋愛
「サリー・ナシェルカ伯爵令嬢、あなたの婚約は破棄いたします!」 高らかに宣言された婚約破棄の言葉。 ドルマン侯爵主催のガーデンパーティーの庭にその声は響き渡った。 でもその婚約破棄、どうしてあなたが言うのですか? ********* 以前投稿した小説を長編版にリメイクして投稿しております。 内容も少し変わっておりますので、お楽し頂ければ嬉しいです。

「予備」として連れてこられた私が、本命を連れてきたと勘違いした王国の滅亡フラグを華麗に回収して隣国の聖女になりました

平山和人
恋愛
王国の辺境伯令嬢セレスティアは、生まれつき高い治癒魔法を持つ聖女の器でした。しかし、十年間の婚約期間の末、王太子ルシウスから「真の聖女は別にいる。お前は不要になった」と一方的に婚約を破棄されます。ルシウスが連れてきたのは、派手な加護を持つ自称「聖女」の少女、リリア。セレスティアは失意の中、国境を越えた隣国シエルヴァード帝国へ。 一方、ルシウスはセレスティアの地味な治癒魔法こそが、王国の呪いの進行を十年間食い止めていた「代替の聖女」の役割だったことに気づきません。彼の連れてきたリリアは、見かけの派手さとは裏腹に呪いを加速させる力を持っていました。 隣国でその真の力を認められたセレスティアは、帝国の聖女として迎えられます。王国が衰退し、隣国が隆盛を極める中、ルシウスはようやくセレスティアの真価に気づき復縁を迫りますが、後の祭り。これは、価値を誤認した愚かな男と、自分の力で世界を変えた本物の聖女の、代わりではなく主役になる物語です。

あなたのことなんて、もうどうでもいいです

もるだ
恋愛
舞踏会でレオニーに突きつけられたのは婚約破棄だった。婚約者の相手にぶつかられて派手に転んだせいで、大騒ぎになったのに……。日々の業務を押しつけられ怒鳴りつけられいいように扱われていたレオニーは限界を迎える。そして、気がつくと魔法が使えるようになっていた。 元婚約者にこき使われていたレオニーは復讐を始める。

もう散々泣いて悔やんだから、過去に戻ったら絶対に間違えない

もーりんもも
恋愛
セラフィネは一目惚れで結婚した夫に裏切られ、満足な食事も与えられず自宅に軟禁されていた。 ……私が馬鹿だった。それは分かっているけど悔しい。夫と出会う前からやり直したい。 そのチャンスを手に入れたセラフィネは復讐を誓う――。

王妃様は死にました~今さら後悔しても遅いです~

由良
恋愛
クリスティーナは四歳の頃、王子だったラファエルと婚約を結んだ。 両親が事故に遭い亡くなったあとも、国王が大病を患い隠居したときも、ラファエルはクリスティーナだけが自分の妻になるのだと言って、彼女を守ってきた。 そんなラファエルをクリスティーナは愛し、生涯を共にすると誓った。 王妃となったあとも、ただラファエルのためだけに生きていた。 ――彼が愛する女性を連れてくるまでは。

彼女の離縁とその波紋

豆狸
恋愛
夫にとって魅力的なのは、今も昔も恋人のあの女性なのでしょう。こうして私が悩んでいる間もふたりは楽しく笑い合っているのかと思うと、胸にぽっかりと穴が開いたような気持ちになりました。 ※子どもに関するセンシティブな内容があります。

平民とでも結婚すれば?と言われたので、隣国の王と結婚しました

ゆっこ
恋愛
「リリアーナ・ベルフォード、これまでの婚約は白紙に戻す」  その言葉を聞いた瞬間、私はようやく――心のどこかで予感していた結末に、静かに息を吐いた。  王太子アルベルト殿下。金糸の髪に、これ見よがしな笑み。彼の隣には、私が知っている顔がある。  ――侯爵令嬢、ミレーユ・カスタニア。  学園で何かと殿下に寄り添い、私を「高慢な婚約者」と陰で嘲っていた令嬢だ。 「殿下、どういうことでしょう?」  私の声は驚くほど落ち着いていた。 「わたくしは、あなたの婚約者としてこれまで――」

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

処理中です...