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第39話:王都の変わり果てた姿
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「……酷い。言葉が出ないな」
王都のメインストリートを進む馬車の中で、マックス様が呻くように言いました。
分厚いカーテンの隙間から見える景色は、かつての栄華を極めた花の都とは程遠い、まるで病に侵された巨人のような姿でした。
石畳は所々が剥がれて土が露出し、その穴には汚水が溜まっています。
路肩には回収されないゴミが山のように積まれ、痩せた野良犬がそれを漁っていました。
通りを行き交う人々は皆、俯き加減で、その服は煤と土埃で薄汚れています。
「半年……、たった半年で、都市というのはここまで死ぬものなのか?」
「ええ。都市は生き物ですから。血管(インフラ)が詰まれば、末端から壊死していくのです」
私はハンカチで口元を覆いながら、冷静に窓外を観察しました。
商店街のシャッターは半分以上が閉まっています。
かつては最新のドレスや宝石を飾っていたショーウィンドウは割れ、ベニヤ板で雑に塞がれていました。
「割れ窓理論(ブロークン・ウィンドウズ・セオリー)をご存知ですか? マックス様」
「いや。……窓が割れるとどうなるんだ?」
「建物の窓ガラスを一枚割れたまま放置すると、誰も管理していないと思われ、やがて全ての窓が割られ、街全体が荒廃するという犯罪学の理論です。……今の王都は、まさにその状態ですわ」
ゴミがゴミを呼び、落書きが落書きを呼ぶ。
どうせ汚いからという諦めが、住民のモラルを低下させ、さらなる荒廃を招いているのです。
「お嬢様……。見てください、あそこのカフェ。私たちがよく通った猫のあくび亭ですよ」
ロッテが指差した先には、看板が外れ、廃墟のようになった店舗がありました。
「……潰れてしまいましたか。あそこのシフォンケーキは絶品でしたのに」
「うぅ……。窓ガラスが割れて、中にカラスが巣を作ってますぅ。悲しいです……」
ロッテが涙目になります。
王都の衰退は、単なる景観の問題ではありません。
経済活動そのものが停滞している証拠です。
「原因は複合的です。アイゼンガルドへの物流依存度が高まっていたのに、王家が適切なインフラ投資を怠ったこと。そして何より、衛生環境の悪化による人口流出(ドーナツ化現象)です」
裕福な商人は、臭くて不潔な王都を逃げ出し、地方や隣国へ移住しているのでしょう。
残されたのは、逃げる金もない貧困層と、意地でしがみつく貴族だけ。
「……こんな街で、レイモンド殿下は黄金郷を夢見ているのか」
マックス様が呆れたように呟きました。
「ええ。ご自分の足元が腐っていることに気づかず、隣の芝生を妬んでいるだけです」
馬車は、貴族たちが住む高級住宅街へと差し掛かりました。
庶民の街よりはマシですが、それでも道路には馬糞が落ちたままで、かつての優雅さは見る影もありません。
すれ違う貴族の馬車も、どこか塗装が剥げ、手入れが行き届いていないように見えます。
「さて、マックス様。今夜の宿ですが」
「ああ。俺の実家(タウンハウス)があるが……、管理人が逃げ出していないか心配だな」
「いえ、そこには泊まりません。王家の監視がつきますし、何よりこの悪臭の中で普通の家に泊まるのは御免です」
私はニヤリと笑いました。
「もっと良い場所がありますわ」
「良い場所? 最高級ホテルでも取るのか?」
「いいえ。……ゴミ捨て場です」
「は?」
マックス様とロッテが同時に声を上げました。
「王城のすぐ裏手に、古い離宮があるのをご存知ですか? 先代の国王陛下が愛人のために建てたものの、古臭いと言われて打ち捨てられた場所です」
「ああ……。幽霊屋敷と呼ばれている、あそこか? 蔦が絡まって、廃墟同然だと聞いているが」
「そうです。レイモンド殿下は『あんな古ぼけた建物は王家の恥だ』と仰って、取り壊す予算も惜しんで放置していました」
私は鞄から、一通の書類を取り出しました。
それは、事前に商業ギルドを通じて手配しておいた、不動産売買契約書です。
「ここを買い取ります」
「ええっ!? 廃墟を買うんですか!? お嬢様、またですか!?」
ロッテが頭を抱えました。
「ええ。立地は最高。構造体はしっかりした石造り。ただ表面が汚れているだけ。……これぞ、リノベーション物件の極みですわ」
私は目を輝かせました。
「それに、あそこなら王宮の下水本管から独立した排水経路を持っています。独自の浄化槽を設置すれば、この悪臭地獄の中でも快適に過ごせます」
「……なるほど。王都にいながら、王都のインフラに依存しない要塞を作るわけか」
マックス様が感心したように頷きました。
「その通りです。それに……、殿下がゴミだと思って捨てた場所が、王都で一番輝く場所に生まれ変わったら、痛快だと思いませんか?」
「ハハッ、違いない。君らしい復讐だ」
馬車は進路を変え、王城の裏手にある森へと向かいました。
鬱蒼とした木々の向こうに、蔦に覆われ、窓ガラスも割れた、幽霊が出そうな洋館が見えてきます。
「ひいぃ……! お化け屋敷ですぅ! 絶対に出ますぅ!」
「出ませんよ、ロッテ。出るのはお宝の気配だけです」
私はワクワクしながら馬車を降りました。
廃墟。
それは、完成された新築よりも、私の建築家魂を激しく揺さぶるのです。
「さあ、まずは大掃除から始めますよ! アイゼンガルド流のやり方を、王都の皆様に見せつけて差し上げましょう!」
王都のメインストリートを進む馬車の中で、マックス様が呻くように言いました。
分厚いカーテンの隙間から見える景色は、かつての栄華を極めた花の都とは程遠い、まるで病に侵された巨人のような姿でした。
石畳は所々が剥がれて土が露出し、その穴には汚水が溜まっています。
路肩には回収されないゴミが山のように積まれ、痩せた野良犬がそれを漁っていました。
通りを行き交う人々は皆、俯き加減で、その服は煤と土埃で薄汚れています。
「半年……、たった半年で、都市というのはここまで死ぬものなのか?」
「ええ。都市は生き物ですから。血管(インフラ)が詰まれば、末端から壊死していくのです」
私はハンカチで口元を覆いながら、冷静に窓外を観察しました。
商店街のシャッターは半分以上が閉まっています。
かつては最新のドレスや宝石を飾っていたショーウィンドウは割れ、ベニヤ板で雑に塞がれていました。
「割れ窓理論(ブロークン・ウィンドウズ・セオリー)をご存知ですか? マックス様」
「いや。……窓が割れるとどうなるんだ?」
「建物の窓ガラスを一枚割れたまま放置すると、誰も管理していないと思われ、やがて全ての窓が割られ、街全体が荒廃するという犯罪学の理論です。……今の王都は、まさにその状態ですわ」
ゴミがゴミを呼び、落書きが落書きを呼ぶ。
どうせ汚いからという諦めが、住民のモラルを低下させ、さらなる荒廃を招いているのです。
「お嬢様……。見てください、あそこのカフェ。私たちがよく通った猫のあくび亭ですよ」
ロッテが指差した先には、看板が外れ、廃墟のようになった店舗がありました。
「……潰れてしまいましたか。あそこのシフォンケーキは絶品でしたのに」
「うぅ……。窓ガラスが割れて、中にカラスが巣を作ってますぅ。悲しいです……」
ロッテが涙目になります。
王都の衰退は、単なる景観の問題ではありません。
経済活動そのものが停滞している証拠です。
「原因は複合的です。アイゼンガルドへの物流依存度が高まっていたのに、王家が適切なインフラ投資を怠ったこと。そして何より、衛生環境の悪化による人口流出(ドーナツ化現象)です」
裕福な商人は、臭くて不潔な王都を逃げ出し、地方や隣国へ移住しているのでしょう。
残されたのは、逃げる金もない貧困層と、意地でしがみつく貴族だけ。
「……こんな街で、レイモンド殿下は黄金郷を夢見ているのか」
マックス様が呆れたように呟きました。
「ええ。ご自分の足元が腐っていることに気づかず、隣の芝生を妬んでいるだけです」
馬車は、貴族たちが住む高級住宅街へと差し掛かりました。
庶民の街よりはマシですが、それでも道路には馬糞が落ちたままで、かつての優雅さは見る影もありません。
すれ違う貴族の馬車も、どこか塗装が剥げ、手入れが行き届いていないように見えます。
「さて、マックス様。今夜の宿ですが」
「ああ。俺の実家(タウンハウス)があるが……、管理人が逃げ出していないか心配だな」
「いえ、そこには泊まりません。王家の監視がつきますし、何よりこの悪臭の中で普通の家に泊まるのは御免です」
私はニヤリと笑いました。
「もっと良い場所がありますわ」
「良い場所? 最高級ホテルでも取るのか?」
「いいえ。……ゴミ捨て場です」
「は?」
マックス様とロッテが同時に声を上げました。
「王城のすぐ裏手に、古い離宮があるのをご存知ですか? 先代の国王陛下が愛人のために建てたものの、古臭いと言われて打ち捨てられた場所です」
「ああ……。幽霊屋敷と呼ばれている、あそこか? 蔦が絡まって、廃墟同然だと聞いているが」
「そうです。レイモンド殿下は『あんな古ぼけた建物は王家の恥だ』と仰って、取り壊す予算も惜しんで放置していました」
私は鞄から、一通の書類を取り出しました。
それは、事前に商業ギルドを通じて手配しておいた、不動産売買契約書です。
「ここを買い取ります」
「ええっ!? 廃墟を買うんですか!? お嬢様、またですか!?」
ロッテが頭を抱えました。
「ええ。立地は最高。構造体はしっかりした石造り。ただ表面が汚れているだけ。……これぞ、リノベーション物件の極みですわ」
私は目を輝かせました。
「それに、あそこなら王宮の下水本管から独立した排水経路を持っています。独自の浄化槽を設置すれば、この悪臭地獄の中でも快適に過ごせます」
「……なるほど。王都にいながら、王都のインフラに依存しない要塞を作るわけか」
マックス様が感心したように頷きました。
「その通りです。それに……、殿下がゴミだと思って捨てた場所が、王都で一番輝く場所に生まれ変わったら、痛快だと思いませんか?」
「ハハッ、違いない。君らしい復讐だ」
馬車は進路を変え、王城の裏手にある森へと向かいました。
鬱蒼とした木々の向こうに、蔦に覆われ、窓ガラスも割れた、幽霊が出そうな洋館が見えてきます。
「ひいぃ……! お化け屋敷ですぅ! 絶対に出ますぅ!」
「出ませんよ、ロッテ。出るのはお宝の気配だけです」
私はワクワクしながら馬車を降りました。
廃墟。
それは、完成された新築よりも、私の建築家魂を激しく揺さぶるのです。
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