殿下、その婚約破棄の宣言が、すべての崩壊の始まりだと気付いていますか?

水上

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第41話:リノベーションの奇跡

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「……ふふ。完璧ですわ」

 翌日の午後。
 元・廃墟、現在はアイゼンガルド王都別邸と名付けた館のホールに立ち、私は満足げに頷きました。

「お、お嬢様……。これ、本当にあのお化け屋敷ですか? なんだか、すごくとがったお店みたいです」

 ロッテがポカンと口を開けて、キョロキョロと周囲を見回しています。
 昨夜の大掃除と、職人(王都に潜伏させていたアイゼンガルドの先行部隊)による突貫工事の結果、この館は劇的な変貌を遂げていました。

 まず、壁。
 崩れかけたレンガや剥がれ落ちた漆喰は、あえて修復していません。
 その代わり、表面に特殊な透明樹脂(松脂を精製したもの)をコーティングし、粉塵が落ちないように固めてあります。

 剥き出しになった荒々しいレンガの赤と、石材のグレーが、独特の重厚感を醸し出しています。

 そして、天井。
 腐り落ちていた屋根の一部を撤去し、代わりにアイゼンガルド特産の強化ガラスをはめ込みました。
 そこから降り注ぐ自然光が、薄暗かった廃墟を美術館のように照らし出しています。

「インダストリアル・シック(工業的洗練)……。これこそが、最新の建築トレンドです」

 私は解説しました。

「新品のクロスを貼ってボロ隠しをするのは、三流の仕事。一流は、時間の経過(ダメージ)すらもデザインとして取り込むのです」

 そこへ、玄関の鐘がけたたましく鳴り響きました。
 予約していたお客様――いえ、招かれざる客の到着です。

「ああ……。やっぱりボロボロじゃないか」

 馬車から降りたレイモンド殿下は、館の外観を見て鼻で笑いました。
 外壁の蔦はそのまま残してありますし、屋根の一部がガラスになっていることは下からは見えません。外から見れば、相変わらずの幽霊屋敷です。

「キャハハ! 見てレイモンド様、玄関の柱なんて苔むしてますよぉ! ジュリアンナってば、こんなところに住んでるんだぁ!」

 シルヴィア様も、これ見よがしに派手な(しかし流行遅れの)ドレスを着て、勝ち誇った顔をしています。

「おい、ジュリアンナ! いるのだろう! 元婚約者が、その惨めな暮らしぶりを見舞いに来てやったぞ!」

 殿下が叫びながら、錆びついた(ように見える加工を施した)鉄の扉を押し開けました。

「ごきげんよう、殿下。シルヴィア様。……靴の泥は落としてからお入りくださいね」

 私はホールの中央で、優雅に出迎えました。
 二人が土足で踏み込んできたその瞬間――彼らの嘲笑が、喉の奥で凍りつきました。

「……は?」

「えっ……?」

 二人は目をパチクリさせて、言葉を失いました。
 彼らの予想していたカビ臭い、薄暗い、雨漏りする廃墟は、そこにはありませんでした。

 高い天井からは、さんさんと陽光が降り注ぎ、空調(断熱と換気システム)の効いた空気は、森のような清々しい香りに満ちています。

 剥き出しのレンガ壁の前には、アイゼンガルドの職人が作った、シンプルだけれど洗練された鉄と革の家具が配置され、壁には前衛的なアートのように巨大な古地図が飾られていました。

「な、なんだこれは……? 壁が壊れているのに……、なぜこんなに……」

 殿下が震える手で、コーティングされたレンガ壁に触れました。
 ザラリとした質感なのに、決して汚れない。計算された朽ち方です。

「殿下、これぞ廃墟の美学です」

 私はグラス(もちろん極薄のクリスタル)に入れた冷たい水を差し出しました。

「王都の皆様は、ピカピカの金箔や、ツルツルの偽大理石(スタッコ)がお好きなようですが……、少々、子供っぽくはありませんか? 大人の贅沢とは、素材そのものの歴史を楽しむことですのよ」

「れ、歴史だと……?」

「ええ。この壁の傷一つ一つが、百年の時を刻んでいます。それを隠さず、あえて見せる。……自分に自信がない者ほど、厚化粧で隠したがるものですからね」

 私の皮肉に、厚化粧のシルヴィア様がピクリと反応しました。
 しかし、彼女は悔しそうな顔をしつつも、視線はキョロキョロと室内を物色しています。

「な、なによこれ……。なんか……、悔しいけど、お洒落じゃない……」

「えっ?」

「だってぇ! 王都のカフェとか、みんなキラキラしてるだけで飽きちゃったし……。こういう退廃的な感じ? なんか悪いことしてるみたいで、ドキドキするっていうか……」

 シルヴィア様は、無知ゆえに直感的です。
 彼女は、この空間が持つ最先端の空気感を本能的に感じ取ってしまったのです。

「ば、バカを言うなシルヴィア! これはただのボロ屋だ! 金がないから直せなかった言い訳に決まっている!」

 殿下が必死に否定します。

「言い訳? ……では殿下、そちらのソファにお掛けになってみては?」

 私は、マックス様が座っている革張りのソファを勧めました。
 殿下は不承不承、ドカリと腰を下ろしました。

「ふん、どうせ中のバネが飛び出して……、うおっ!?」

 殿下の予想に反し、ソファは彼の体を包み込むように、しっとりと受け止めました。
 アイゼンガルドの職人が、人間工学に基づいて設計した最高級のクッションです。

「な、なんだこの座り心地は……。王宮の椅子より快適ではないか……」

「見た目はヴィンテージ、中身はハイテクノロジー。……それが私の流儀です」

 私はニヤリと笑いました。

「見栄えだけ良くて、中身がスカスカの柱とは真逆ですわね」

「ぐぬっ……!」

 殿下は顔を真っ赤にして立ち上がりました。
 惨めな生活を見下しに来たはずが、王都のどの屋敷よりも洗練された空間で、最高級の家具と飲み物を見せつけられたのです。
 敗北感は明白でした。

「か、帰るぞシルヴィア! こんな……、こんなカビの生えたような場所、長居したら病気になる!」

「えーっ、でもぉ、このガラスの天井、映えるから肖像画描かせたいんですけどぉ」

「うるさい! 行くぞ!」

 殿下はシルヴィア様の手を引いて、逃げるように出て行きました。
 扉が閉まる直前、殿下の捨て台詞が聞こえました。

「覚えていろ! 明日の法廷で、その余裕を剥ぎ取ってやるからな!」

 二人が去った後、ロッテがほうきを持って現れました。

「あーあ。お土産一つも置いていきませんでしたね。……でもお嬢様、あのシルヴィア様がお洒落って言いましたよ?」

「ええ。彼女の感性は敏感ですからね」

 私は窓の外、去っていく馬車を見送りました。
 シルヴィア様が認めたということは、明日には王都中の貴婦人に噂が広まるということです。

 ジュリアンナ様の新しいお屋敷は、古くて新しい、見たこともないサロンだ、と。

「さて、と。……これで会場の準備は整いました。あとはメインイベント、法廷闘争ですわ」

 私は優雅にソファに座り直しました。

 廃墟の美学。
 それは、崩れかけた王家に対する、強烈なアンチテーゼでもあったのです。
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