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第45話:ヒ素中毒の指摘
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「……毒だと? ジュリアンナ、それは比喩表現か?」
馬車が揺れる中、マックス様が深刻な顔で尋ねてきました。
先ほどの私の捨て台詞――「色々な意味で毒が溜まる」という言葉が気にかかっているようです。
「いいえ、物理的な意味での毒物です」
私は馬車の小窓から、王都の街並みを眺めました。
すれ違う貴婦人たちは皆、競うように顔を白く塗っています。
その白さが、不健康な青白さであることに気づきもせずに……。
「シルヴィア様の肌をご覧になりましたか? 厚塗りした白粉の下に、黒ずんだシミ(色素沈着)と、赤くただれた炎症がありました。そして何より、手の震えと、情緒不安定なヒステリー症状」
「ああ。……酷い顔色だったな。それに、あんなにキーキー叫ぶ女だったか?」
「以前はもう少しマシでしたわ。……あれは典型的な慢性ヒ素中毒の症状です」
「ヒ素……!?」
マックス様が息を飲みました。
私たちが滞在する王都別邸(元・廃墟)に戻ると、私はすぐにロッテに命じて、王都で市販されている化粧品を買ってこさせました。
ほどなくしてロッテが持ち帰ってきたのは、金色の装飾が施された豪華な小瓶です。
「王宮御用達・真珠の白雪……。今、王都で一番人気の高級白粉ですって。シルヴィア様が使っていたのもこれです」
ロッテが小瓶を机に置きます。
「見た目はキラキラしてて綺麗ですねぇ。でも、これが毒なんですか?」
「調べてみましょう。……実験の時間です」
私は実験用のアルコールランプに火を点けました。
そして、小瓶から白粉をスプーン一杯すくい取り、炎にかざします。
「ロッテ、少し離れていなさい。吸い込むと体に障ります」
炎に炙られた白粉が、チリチリと音を立てて焦げ始めました。
すると、そこから白い煙が立ち上り、部屋の中に奇妙な臭いが漂い始めました。
「んっ? ……お嬢様、なんだか美味しそうな匂いがします」
ロッテが鼻をヒクヒクさせます。
「ステーキの付け合わせに出てくる……、ガーリックの匂いです!」
「正解です。……ですが、ここにはニンニクなど一切ありませんよ」
私はすぐにランプの火を消し、換気のために窓を開けました。
「これはニンニク臭。……ヒ素化合物(亜ヒ酸)を加熱した時に発生する特有の臭気です」
私はハンカチで口元を覆いながら解説しました。
「この白粉の主成分は、おそらく鶏冠石(リアルガー)や硫砒鉄鉱(りゅうひてっこう)から精製された鉱物粉末です。これらは美しい白色や光沢を出しますが、主成分は猛毒のヒ素です」
「なぜ、そんな危険なものを肌に塗るんだ?」
マックス様が信じられないという顔をしています。
「白さへの執着ですわ。ヒ素は血管を収縮させ、肌の血の気を引かせます。それを貴族たちは『透き通るような白さになった』と勘違いして喜ぶのです」
私は窓辺に立ち、新鮮な空気を取り込みました。
「最初は美白効果があるように見えます。しかし、皮膚から吸収された毒は徐々に体内に蓄積し、やがて皮膚を黒く変色させ(黒皮症)、神経を侵します」
シルヴィア様の震える指先。
レイモンド殿下の異常なほどの短気と被害妄想。
それらは単なる性格の問題ではなく、この毒によって増幅された神経症状である可能性が高いのです。
「皮肉な話です。……彼らは美しくなりたいと願って毒を塗り、その毒によって肌を壊し、その壊れた肌を隠すためにさらに厚塗りをする。……悪循環ですわ」
「……無知とは、罪だな」
マックス様が、金色の小瓶を忌々しげに見下ろしました。
「アイゼンガルドで作ったエンジェル・スキン(滑石)やホワイト・ナイト(酸化チタン)が、なぜ安全なのか。……その理由すら理解せずに、ただ手に入らないからという理由で、こんな毒物に手を出しているのか」
「ええ。本質を見ようとせず、表面的な輝きだけに囚われた結果です」
私はその毒入りの小瓶を、証拠品袋(密閉できるガラス瓶)に入れました。
「これも明日の法廷に持参します。彼らが正常な判断力を失っていることの、科学的な証明になりますから」
「……ジュリアンナ。君は、彼らを助けるつもりはあるのか?」
マックス様が静かに尋ねてきました。
「助ける?」
私は小首を傾げました。
「私は医者ではありませんし、彼らは私の忠告(カビの件など)をことごとく無視してきました。……ですが」
私は窓の外、王城の方角を見つめました。
「解毒の機会は与えます。明日、公衆の面前で、彼らが依存しているものが毒であることを白日の下に晒します。……それを信じて使用を止めるか、それとも私の言葉を嫉妬と捉えて塗り続けるか。それは彼らの選択です」
「……厳しいな。だが、それが君なりの慈悲か」
「慈悲ではありません。リスク開示です」
私はロッテに向き直りました。
「ロッテ、今夜はニンニク料理は禁止ですよ。この臭いを嗅いだ後では、食欲が湧きませんから」
「ええーっ! ガーリックトースト楽しみにしてたのにぃ!」
ロッテが頬を膨らませ、私たちが笑い合う。
そんな穏やかな夜の向こうで、毒に侵された王子と令嬢は、今も互いを罵り合いながら、震える手で毒を塗り重ねているのでしょう。
明日は決戦の日。
私のシナリオに、狂いはありません。
馬車が揺れる中、マックス様が深刻な顔で尋ねてきました。
先ほどの私の捨て台詞――「色々な意味で毒が溜まる」という言葉が気にかかっているようです。
「いいえ、物理的な意味での毒物です」
私は馬車の小窓から、王都の街並みを眺めました。
すれ違う貴婦人たちは皆、競うように顔を白く塗っています。
その白さが、不健康な青白さであることに気づきもせずに……。
「シルヴィア様の肌をご覧になりましたか? 厚塗りした白粉の下に、黒ずんだシミ(色素沈着)と、赤くただれた炎症がありました。そして何より、手の震えと、情緒不安定なヒステリー症状」
「ああ。……酷い顔色だったな。それに、あんなにキーキー叫ぶ女だったか?」
「以前はもう少しマシでしたわ。……あれは典型的な慢性ヒ素中毒の症状です」
「ヒ素……!?」
マックス様が息を飲みました。
私たちが滞在する王都別邸(元・廃墟)に戻ると、私はすぐにロッテに命じて、王都で市販されている化粧品を買ってこさせました。
ほどなくしてロッテが持ち帰ってきたのは、金色の装飾が施された豪華な小瓶です。
「王宮御用達・真珠の白雪……。今、王都で一番人気の高級白粉ですって。シルヴィア様が使っていたのもこれです」
ロッテが小瓶を机に置きます。
「見た目はキラキラしてて綺麗ですねぇ。でも、これが毒なんですか?」
「調べてみましょう。……実験の時間です」
私は実験用のアルコールランプに火を点けました。
そして、小瓶から白粉をスプーン一杯すくい取り、炎にかざします。
「ロッテ、少し離れていなさい。吸い込むと体に障ります」
炎に炙られた白粉が、チリチリと音を立てて焦げ始めました。
すると、そこから白い煙が立ち上り、部屋の中に奇妙な臭いが漂い始めました。
「んっ? ……お嬢様、なんだか美味しそうな匂いがします」
ロッテが鼻をヒクヒクさせます。
「ステーキの付け合わせに出てくる……、ガーリックの匂いです!」
「正解です。……ですが、ここにはニンニクなど一切ありませんよ」
私はすぐにランプの火を消し、換気のために窓を開けました。
「これはニンニク臭。……ヒ素化合物(亜ヒ酸)を加熱した時に発生する特有の臭気です」
私はハンカチで口元を覆いながら解説しました。
「この白粉の主成分は、おそらく鶏冠石(リアルガー)や硫砒鉄鉱(りゅうひてっこう)から精製された鉱物粉末です。これらは美しい白色や光沢を出しますが、主成分は猛毒のヒ素です」
「なぜ、そんな危険なものを肌に塗るんだ?」
マックス様が信じられないという顔をしています。
「白さへの執着ですわ。ヒ素は血管を収縮させ、肌の血の気を引かせます。それを貴族たちは『透き通るような白さになった』と勘違いして喜ぶのです」
私は窓辺に立ち、新鮮な空気を取り込みました。
「最初は美白効果があるように見えます。しかし、皮膚から吸収された毒は徐々に体内に蓄積し、やがて皮膚を黒く変色させ(黒皮症)、神経を侵します」
シルヴィア様の震える指先。
レイモンド殿下の異常なほどの短気と被害妄想。
それらは単なる性格の問題ではなく、この毒によって増幅された神経症状である可能性が高いのです。
「皮肉な話です。……彼らは美しくなりたいと願って毒を塗り、その毒によって肌を壊し、その壊れた肌を隠すためにさらに厚塗りをする。……悪循環ですわ」
「……無知とは、罪だな」
マックス様が、金色の小瓶を忌々しげに見下ろしました。
「アイゼンガルドで作ったエンジェル・スキン(滑石)やホワイト・ナイト(酸化チタン)が、なぜ安全なのか。……その理由すら理解せずに、ただ手に入らないからという理由で、こんな毒物に手を出しているのか」
「ええ。本質を見ようとせず、表面的な輝きだけに囚われた結果です」
私はその毒入りの小瓶を、証拠品袋(密閉できるガラス瓶)に入れました。
「これも明日の法廷に持参します。彼らが正常な判断力を失っていることの、科学的な証明になりますから」
「……ジュリアンナ。君は、彼らを助けるつもりはあるのか?」
マックス様が静かに尋ねてきました。
「助ける?」
私は小首を傾げました。
「私は医者ではありませんし、彼らは私の忠告(カビの件など)をことごとく無視してきました。……ですが」
私は窓の外、王城の方角を見つめました。
「解毒の機会は与えます。明日、公衆の面前で、彼らが依存しているものが毒であることを白日の下に晒します。……それを信じて使用を止めるか、それとも私の言葉を嫉妬と捉えて塗り続けるか。それは彼らの選択です」
「……厳しいな。だが、それが君なりの慈悲か」
「慈悲ではありません。リスク開示です」
私はロッテに向き直りました。
「ロッテ、今夜はニンニク料理は禁止ですよ。この臭いを嗅いだ後では、食欲が湧きませんから」
「ええーっ! ガーリックトースト楽しみにしてたのにぃ!」
ロッテが頬を膨らませ、私たちが笑い合う。
そんな穏やかな夜の向こうで、毒に侵された王子と令嬢は、今も互いを罵り合いながら、震える手で毒を塗り重ねているのでしょう。
明日は決戦の日。
私のシナリオに、狂いはありません。
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