殿下、その婚約破棄の宣言が、すべての崩壊の始まりだと気付いていますか?

水上

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第46話:沸石(ゼオライト)のデトックス

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「毒があると分かれば、解毒剤を用意するのが技術者の流儀ですわ」

 決戦の前夜。
 王都別邸(元・廃墟)のサロンには、招待状を受け取った王都の有力貴婦人たちが集まっていました。
 彼女たちは一様に、厚塗りの白粉の下に疲れと肌荒れを隠し、不安げな表情を浮かべています。

「ようこそ、皆様。……私たちの実験室へ」

 私はレンガ剥き出しの壁を背に、怪しげな微笑みで出迎えました。
 手には、灰色の泥が入ったガラスのボウルを持っています。

「ジュリアンナ様……。その、お招きいただき光栄ですわ。このお屋敷、噂通りとても……、退廃的で素敵ですこと」

 伯爵夫人が扇子で口元を隠しながら言いました。
 しかし、その扇子の隙間から見える肌は、鉛色にくすんでいます。

「お世辞は結構ですわ、夫人。……皆様のお肌、悲鳴を上げているのではありませんか?」

 私の直球な指摘に、貴婦人たちがビクリと震えました。

「王都で流行している真珠の白雪……。白くはなりますが、使えば使うほど肌が黒ずみ、それを隠すために更に厚塗りをする。……終わりのない悪循環に陥っていらっしゃる」

 図星を突かれ、沈黙が流れます。
 私はボウルの中の泥をスプーンで掬い上げました。

「そこで、これです」

「……泥、ですか?」

「いいえ。これはアイゼンガルドの火山地帯で採掘された沸石(ゼオライト)の粉末を、精製水で練ったものです」

 私は解説を始めました。

「沸石は、顕微鏡レベルの微細な穴(細孔)を無数に持つ鉱物です。この穴は、特定の物質を吸着する性質を持っています。……例えば、重金属やアンモニア、そしてお肌に蓄積した毒素などをね」

「毒素を……、吸い取るのですか?」

「ええ。イオン交換作用によるデトックスです。……論より証拠。どなたか、試してみたい方は?」

 貴婦人たちは顔を見合わせました。
 泥を顔に塗るなど、常識では考えられません。
 しかし、背に腹は代えられないのか、一人の勇敢な子爵令嬢が手を挙げました。

「わ、私がやります! もう……、顔が痒くて夜も眠れないんです!」

 私は彼女を椅子に座らせ、灰色のペーストを彼女の頬に塗りました。

「……っ! あ、温かい?」

「はい。ゼオライトは水を吸着するときに吸着熱を出します。この温もりが毛穴を開き、奥底に詰まった汚れと毒を強力に引き抜くのです」

 数分後。
 乾いたパックを濡れたスポンジで拭き取ると――。

「まあっ……!」

 周囲から驚嘆の声が上がりました。
 泥を落とした部分だけ、くすんだ鉛色が消え、血色の良い健康的なピンク色の肌が現れたのです。

「軽い……! 顔がすごく軽いです! あの、虫が這うようなムズムズ感が消えました!」

 令嬢が鏡を見て、涙を流して喜びました。

「すごいわ! 私も! 私もお願いします!」

「ジュリアンナ様、その泥、おいくらですの!?」

 サロンは一転して、バーゲン会場のような熱気に包まれました。
 私はロッテに合図を送り、用意していた小瓶を配らせました。

「皆様に行き渡るよう用意してございます。商品名はリセット・クレイ。……これを使って、今まで塗り固めてきた嘘と毒を洗い流してください」

 貴婦人たちは小瓶を宝物のように抱きしめました。

「ありがとうございます……! ああ、もっと早くこれに出会っていれば!」

「もうあの白雪なんて使いませんわ! あれを使うと、頭が痛くなっていたのですもの」

 彼女たちは気づき始めました。
 自分たちが王家御用達だと信じて使っていたものが、実は体を蝕む毒であり、アイゼンガルドの商品こそが救済であったことに。

「……恐ろしい手腕だな」

 部屋の隅で様子を見ていたマックス様が、感心したように囁きました。

「これで、明日の法廷に現れる貴族たちは、全員肌ツヤが良くなっているわけか」

「ええ。そして、ゼオライトを使っていないのは……」

 私は王城の方角を見ました。

「私の警告を無視し、私の商品を使用していないただ一人だけになります」

 シルヴィア様。
 彼女は今夜も、痒みと不安に耐えかねて、あのヒ素入りの白粉を厚塗りしていることでしょう。
 周囲の貴族たちが健康を取り戻す中、彼女だけが病的なまでに白く、そして内側から崩れていく。

 その視覚的な対比は、どんな証言よりも雄弁に王家の過ちを物語るはずです。

「お嬢様、この泥パック、余った分食べていいですか? 温かくて美味しそうです」

「ロッテ、胃の中の食い意地を吸着したいなら止めませんが、お勧めはしませんよ」

 夜が更けていきます。
 王都の貴族たちの顔から毒が消え、同時に王家への信仰も剥がれ落ちていく夜でした。

 さあ、明日は法廷。
 美しくなった貴婦人たちを証人席に並べ、最高のショーを始めましょう。
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