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第64話:煉瓦の記憶
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「過去の亡霊……? なんだその汚い石っころは!」
レイモンド殿下が、私が手にした赤茶色の塊を見て悪態をつきました。
崩れた壁の中から出てきた、泥にまみれた一つの煉瓦。
私はロッテからハンカチを受け取り、その表面に付着した泥とモルタルを丁寧に拭き取りました。
「殿下。煉瓦という建材は、非常に長持ちします。一千年、二千年も形を保つことも珍しくありません。……ゆえに、そこには歴史が刻まれるのです」
汚れが落ちると、煉瓦の側面に刻印された文字がはっきりと浮かび上がりました。
『 K.W. - Year 75 』
私はその刻印を、集まっていた新聞記者たちに見えるように掲げました。
「ご覧ください。この刻印。『K.W.』は『Kingdom Works(王国王立製作所)』。そして『Year 75』は、今からちょうど五十年前の製造年を示しています」
「五十年……、前?」
記者のひとりが首を傾げました。
「おかしいですね。この離宮は完全新築のはず。なぜ半世紀も前の古煉瓦が使われているのですか?」
「リサイクルですか? アンティーク風にするために?」
「いいえ」
私は冷ややかに首を横に振りました。
「これはアンティークではありません。……横流し品です」
私はマックス様を見上げました。
「マックス様。五十年前の七十五年といえば、この国で何が起きた年か覚えていらっしゃいますか?」
マックス様は少し考え込み、ハッと顔を上げました。
「……まさか。西部大洪水の年か?」
「ご名答です」
私は記者たちに向き直りました。
「五十年前、王国の西部で大規模な川の氾濫があり、多くの村が泥流に飲み込まれました。……その原因は、堤防が決壊したからだとされています」
「あ、ああ……、教科書で習いました。確か、予算不足で堤防の強度が足りなかったと……」
「そうです。当時、国は『最高強度の焼成煉瓦を使った堤防を作る』という名目で、莫大な復興予算を組みました。……ですが、実際に作られた堤防は、脆い土嚢と木枠だけのお粗末なものでした」
私は手の中にある、ずっしりと重い、硬く焼き締められた最高級の赤煉瓦を見つめました。
「では、予算で買われたはずの本物の煉瓦は、どこへ消えたのでしょう?」
会場に戦慄が走りました。
全員の視線が、崩れ落ちたレイモンド殿下の新離宮の壁、そこから露出している大量の赤煉瓦へと注がれました。
「……まさか」
「そのまさかです。当時の国王――レイモンド殿下の祖父にあたる方は、堤防に使うはずだった資材を密かに横領し、自分の別荘(この離宮の前身となる建物)の建設に使ったのです」
私は煉瓦を殿下の足元に放り投げました。
ゴトッ、と重い音が響きます。
「殿下。あなたがリノベーションのために壊した壁の中から出てきたのは、五十年前の民衆を守るはずだった堤防です。……多くの命を犠牲にして作られた、呪われた煉瓦なのです」
「ひっ……!」
シルヴィア様が悲鳴を上げて後ずさりしました。
自分が昨日まで優雅に暮らしていた壁の中身が、大洪水の原因となった横領品だったと知れば、無理もありません。
「ち、違う! 私は知らん! 祖父がやったことだ! 私は関係ない!」
レイモンド殿下が必死に弁解します。
「そうですね。直接の犯人はお祖父様でしょう。……ですが」
私は冷徹に告げました。
「あなたは、その罪の煉瓦を再利用し、さらにその上にゴミと海砂を混ぜた手抜き工事を重ねた。……王家の腐敗の歴史を、忠実に継承したのです」
「継承……、だと?」
「ええ。基礎が腐っていれば、その上に何を積んでも腐ります。……この煉瓦の刻印は、王家が三代にわたって国民を騙し、私腹を肥やしてきた動かぬ証拠です」
記者たちが一斉にペンを走らせます。
これは単なる手抜き工事スキャンダルではありません。
王家の正統性と、過去の歴史認識すら覆す、国家規模の大事件です。
「お嬢様……。煉瓦さん、泣いてますね」
ロッテが、泥にまみれた煉瓦を見つめてポツリと言いました。
「本当なら、川岸でみんなを守る英雄になりたかったはずなのに……。こんな、カビ臭い見栄っ張りの壁に閉じ込められて……、かわいそうです」
「ええ、ロッテ。……建築資材にも適材適所という運命があります。それを歪めた罪は重いのです」
私は殿下に最後通告を突きつけました。
「殿下。この瓦礫の山は、ただのゴミではありません。……王家による横領と背任の博物館です。解体して証拠隠滅することは許されませんわ」
殿下は、何も言い返せませんでした。
自分の足元に転がる無数の赤煉瓦が、かつて泥流に飲まれた民衆の怨嗟の目のように見えたのかもしれません。
「……終わりだ」
マックス様が剣を鞘に納めました。
「物理的な崩壊、経済的な破綻、そして歴史的な断罪。……もはや、王家を支持する者は一人もいないだろう」
空は晴れ渡っていますが、レイモンド殿下の頭上には、逃れようのない暗雲が立ち込めていました。
「さて、これで建物に関する検死は終了です。……ですが殿下、まだ終わりではありませんわよ?」
私はニッコリと微笑みました。
「この瓦礫の山を片付ける費用の話が残っています。……土地を売れば払えるとお思いですか? 残念ながら、そう簡単にはいきませんわ」
次なる絶望――アスベストという名の負の遺産が、彼を待ち受けているのですから……。
レイモンド殿下が、私が手にした赤茶色の塊を見て悪態をつきました。
崩れた壁の中から出てきた、泥にまみれた一つの煉瓦。
私はロッテからハンカチを受け取り、その表面に付着した泥とモルタルを丁寧に拭き取りました。
「殿下。煉瓦という建材は、非常に長持ちします。一千年、二千年も形を保つことも珍しくありません。……ゆえに、そこには歴史が刻まれるのです」
汚れが落ちると、煉瓦の側面に刻印された文字がはっきりと浮かび上がりました。
『 K.W. - Year 75 』
私はその刻印を、集まっていた新聞記者たちに見えるように掲げました。
「ご覧ください。この刻印。『K.W.』は『Kingdom Works(王国王立製作所)』。そして『Year 75』は、今からちょうど五十年前の製造年を示しています」
「五十年……、前?」
記者のひとりが首を傾げました。
「おかしいですね。この離宮は完全新築のはず。なぜ半世紀も前の古煉瓦が使われているのですか?」
「リサイクルですか? アンティーク風にするために?」
「いいえ」
私は冷ややかに首を横に振りました。
「これはアンティークではありません。……横流し品です」
私はマックス様を見上げました。
「マックス様。五十年前の七十五年といえば、この国で何が起きた年か覚えていらっしゃいますか?」
マックス様は少し考え込み、ハッと顔を上げました。
「……まさか。西部大洪水の年か?」
「ご名答です」
私は記者たちに向き直りました。
「五十年前、王国の西部で大規模な川の氾濫があり、多くの村が泥流に飲み込まれました。……その原因は、堤防が決壊したからだとされています」
「あ、ああ……、教科書で習いました。確か、予算不足で堤防の強度が足りなかったと……」
「そうです。当時、国は『最高強度の焼成煉瓦を使った堤防を作る』という名目で、莫大な復興予算を組みました。……ですが、実際に作られた堤防は、脆い土嚢と木枠だけのお粗末なものでした」
私は手の中にある、ずっしりと重い、硬く焼き締められた最高級の赤煉瓦を見つめました。
「では、予算で買われたはずの本物の煉瓦は、どこへ消えたのでしょう?」
会場に戦慄が走りました。
全員の視線が、崩れ落ちたレイモンド殿下の新離宮の壁、そこから露出している大量の赤煉瓦へと注がれました。
「……まさか」
「そのまさかです。当時の国王――レイモンド殿下の祖父にあたる方は、堤防に使うはずだった資材を密かに横領し、自分の別荘(この離宮の前身となる建物)の建設に使ったのです」
私は煉瓦を殿下の足元に放り投げました。
ゴトッ、と重い音が響きます。
「殿下。あなたがリノベーションのために壊した壁の中から出てきたのは、五十年前の民衆を守るはずだった堤防です。……多くの命を犠牲にして作られた、呪われた煉瓦なのです」
「ひっ……!」
シルヴィア様が悲鳴を上げて後ずさりしました。
自分が昨日まで優雅に暮らしていた壁の中身が、大洪水の原因となった横領品だったと知れば、無理もありません。
「ち、違う! 私は知らん! 祖父がやったことだ! 私は関係ない!」
レイモンド殿下が必死に弁解します。
「そうですね。直接の犯人はお祖父様でしょう。……ですが」
私は冷徹に告げました。
「あなたは、その罪の煉瓦を再利用し、さらにその上にゴミと海砂を混ぜた手抜き工事を重ねた。……王家の腐敗の歴史を、忠実に継承したのです」
「継承……、だと?」
「ええ。基礎が腐っていれば、その上に何を積んでも腐ります。……この煉瓦の刻印は、王家が三代にわたって国民を騙し、私腹を肥やしてきた動かぬ証拠です」
記者たちが一斉にペンを走らせます。
これは単なる手抜き工事スキャンダルではありません。
王家の正統性と、過去の歴史認識すら覆す、国家規模の大事件です。
「お嬢様……。煉瓦さん、泣いてますね」
ロッテが、泥にまみれた煉瓦を見つめてポツリと言いました。
「本当なら、川岸でみんなを守る英雄になりたかったはずなのに……。こんな、カビ臭い見栄っ張りの壁に閉じ込められて……、かわいそうです」
「ええ、ロッテ。……建築資材にも適材適所という運命があります。それを歪めた罪は重いのです」
私は殿下に最後通告を突きつけました。
「殿下。この瓦礫の山は、ただのゴミではありません。……王家による横領と背任の博物館です。解体して証拠隠滅することは許されませんわ」
殿下は、何も言い返せませんでした。
自分の足元に転がる無数の赤煉瓦が、かつて泥流に飲まれた民衆の怨嗟の目のように見えたのかもしれません。
「……終わりだ」
マックス様が剣を鞘に納めました。
「物理的な崩壊、経済的な破綻、そして歴史的な断罪。……もはや、王家を支持する者は一人もいないだろう」
空は晴れ渡っていますが、レイモンド殿下の頭上には、逃れようのない暗雲が立ち込めていました。
「さて、これで建物に関する検死は終了です。……ですが殿下、まだ終わりではありませんわよ?」
私はニッコリと微笑みました。
「この瓦礫の山を片付ける費用の話が残っています。……土地を売れば払えるとお思いですか? 残念ながら、そう簡単にはいきませんわ」
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