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第65話:アスベストの呪縛
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「……売る! この土地を売るぞ!」
泥と瓦礫の山となった新離宮の前で、レイモンド殿下が悲痛な声を上げました。
隠し部屋の不正蓄財がバレ、手抜き工事が露呈し、もはや彼に残された道は一つしかありません。
「ここは王都でも有数のオーシャンビューだ! 建物は壊れたが、土地には価値があるはずだ! これを売って、賠償金と借金を返す!」
殿下は、集まった新聞記者たちに向かって叫びました。
「誰か! 誰か買いたい者はいないか! 今なら格安で譲るぞ!」
しかし、誰も手を挙げません。
浸水リスクがあり、王太子のスキャンダルにまみれた土地など、誰も欲しがりません。
「……マックス様。殿下はまだ、コスト計算ができていないようですわ」
私は瓦礫の山に近づき、白っぽく繊維状に毛羽立っている断熱材の残骸を見つめました。
「殿下。土地を売るには、更地にする必要があります。……つまり、この瓦礫の山を撤去しなければなりません」
「ふん、そんなもの、そこのスラムの貧乏人どもを雇って、海に捨てさせればいいだろう! 金貨数枚で片付く!」
「……それが違法だと言うのです」
私はロッテに命じて、予備のマスクを持ってこさせました。
全員に着用させてから、私は瓦礫の中から一つの綿のような塊をトングで摘み上げました。
「皆様、絶対にこの粉塵を吸い込まないでください。……これは石綿(アスベスト)です」
「石綿……? 燃えない布のことか?」
「ええ。安価で、耐火性と断熱性に優れた魔法の鉱物として、一時期もてはやされました。……ですが、今は静かな時限爆弾として知られています」
私はその繊維を陽の光にかざしました。
キラキラと微細な針のような粉が舞います。
「この繊維は、髪の毛の五千分の一という細さです。吸い込むと肺の奥深くまで突き刺さり、決して排出されません。そして数十年後……、肺を硬化させ、死に至る病(中皮腫)を引き起こします」
「ひっ……!」
シルヴィア様が慌てて口を押さえました。
「殿下、あなたは建築費をケチるために、アイゼンガルドで使用している安全な岩綿(ロックウール)ではなく、在庫処分で安売りされていた青石綿(クロシドライト)を大量に使いましたね?」
「や、安いほうがいいだろう! 壁の中なんて誰も見ないんだから!」
「そのツケが回ってきました。……昨年の法改正により、アスベストを含む建物の解体には、厳格な規制が敷かれています」
私は手帳を開き、解体費用の見積もりを読み上げました。
作業員は全員、防護服と高性能マスクを着用すること。
現場を完全に密閉し、粉塵が外部に漏れないよう負圧管理すること。
除去したアスベストは、二重梱包して特別管理産業廃棄物として高額な処理場へ運ぶこと。
「……これらを踏まえた解体・撤去費用は、ざっと見積もって金貨三万枚です」
「さ、三万枚……!?」
殿下の目が飛び出そうになりました。
土地が売れても精々金貨五千枚。
つまり、解体費用が土地の価格を遥かに上回っているのです。
「これを債務超過物件と呼びます。……売れば売るほど赤字になる。かといって放置すれば、風に乗ってアスベストが王都中に飛散し、あなたは毒を撒き散らすテロリストとして訴追されるでしょう」
「そ、そんな……。捨てることもできないのか……?」
「はい。この瓦礫は、ただのゴミではありません。管理された猛毒です。……一生、維持管理費を払い続けて、封じ込めておくしかありませんわ」
殿下はその場に崩れ落ちました。
自分の身を守るはずだった安物の建材が、今や彼を経済的に窒息させる呪いの装備となって巻きついたのです。
「お嬢様……。あの綿、フワフワしててあんなに軽そうなのに、金貨より重いんですね」
ロッテがマスク越しに呟きました。
「ええ。……負の遺産とは、得てしてそういうものです」
私は瓦礫の山を見下ろしました。
不正、手抜き、安物買い。
それら全てのツケが、この処分不可能なゴミの山として具現化したのです。
「さて、殿下。……これで資産はゼロどころかマイナスです。王家の財産も差し押さえられました」
私は冷徹に告げました。
「残るは、あなたご自身の身一つ。……さあ、労働の時間ですわ」
泥と瓦礫の山となった新離宮の前で、レイモンド殿下が悲痛な声を上げました。
隠し部屋の不正蓄財がバレ、手抜き工事が露呈し、もはや彼に残された道は一つしかありません。
「ここは王都でも有数のオーシャンビューだ! 建物は壊れたが、土地には価値があるはずだ! これを売って、賠償金と借金を返す!」
殿下は、集まった新聞記者たちに向かって叫びました。
「誰か! 誰か買いたい者はいないか! 今なら格安で譲るぞ!」
しかし、誰も手を挙げません。
浸水リスクがあり、王太子のスキャンダルにまみれた土地など、誰も欲しがりません。
「……マックス様。殿下はまだ、コスト計算ができていないようですわ」
私は瓦礫の山に近づき、白っぽく繊維状に毛羽立っている断熱材の残骸を見つめました。
「殿下。土地を売るには、更地にする必要があります。……つまり、この瓦礫の山を撤去しなければなりません」
「ふん、そんなもの、そこのスラムの貧乏人どもを雇って、海に捨てさせればいいだろう! 金貨数枚で片付く!」
「……それが違法だと言うのです」
私はロッテに命じて、予備のマスクを持ってこさせました。
全員に着用させてから、私は瓦礫の中から一つの綿のような塊をトングで摘み上げました。
「皆様、絶対にこの粉塵を吸い込まないでください。……これは石綿(アスベスト)です」
「石綿……? 燃えない布のことか?」
「ええ。安価で、耐火性と断熱性に優れた魔法の鉱物として、一時期もてはやされました。……ですが、今は静かな時限爆弾として知られています」
私はその繊維を陽の光にかざしました。
キラキラと微細な針のような粉が舞います。
「この繊維は、髪の毛の五千分の一という細さです。吸い込むと肺の奥深くまで突き刺さり、決して排出されません。そして数十年後……、肺を硬化させ、死に至る病(中皮腫)を引き起こします」
「ひっ……!」
シルヴィア様が慌てて口を押さえました。
「殿下、あなたは建築費をケチるために、アイゼンガルドで使用している安全な岩綿(ロックウール)ではなく、在庫処分で安売りされていた青石綿(クロシドライト)を大量に使いましたね?」
「や、安いほうがいいだろう! 壁の中なんて誰も見ないんだから!」
「そのツケが回ってきました。……昨年の法改正により、アスベストを含む建物の解体には、厳格な規制が敷かれています」
私は手帳を開き、解体費用の見積もりを読み上げました。
作業員は全員、防護服と高性能マスクを着用すること。
現場を完全に密閉し、粉塵が外部に漏れないよう負圧管理すること。
除去したアスベストは、二重梱包して特別管理産業廃棄物として高額な処理場へ運ぶこと。
「……これらを踏まえた解体・撤去費用は、ざっと見積もって金貨三万枚です」
「さ、三万枚……!?」
殿下の目が飛び出そうになりました。
土地が売れても精々金貨五千枚。
つまり、解体費用が土地の価格を遥かに上回っているのです。
「これを債務超過物件と呼びます。……売れば売るほど赤字になる。かといって放置すれば、風に乗ってアスベストが王都中に飛散し、あなたは毒を撒き散らすテロリストとして訴追されるでしょう」
「そ、そんな……。捨てることもできないのか……?」
「はい。この瓦礫は、ただのゴミではありません。管理された猛毒です。……一生、維持管理費を払い続けて、封じ込めておくしかありませんわ」
殿下はその場に崩れ落ちました。
自分の身を守るはずだった安物の建材が、今や彼を経済的に窒息させる呪いの装備となって巻きついたのです。
「お嬢様……。あの綿、フワフワしててあんなに軽そうなのに、金貨より重いんですね」
ロッテがマスク越しに呟きました。
「ええ。……負の遺産とは、得てしてそういうものです」
私は瓦礫の山を見下ろしました。
不正、手抜き、安物買い。
それら全てのツケが、この処分不可能なゴミの山として具現化したのです。
「さて、殿下。……これで資産はゼロどころかマイナスです。王家の財産も差し押さえられました」
私は冷徹に告げました。
「残るは、あなたご自身の身一つ。……さあ、労働の時間ですわ」
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