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第67話:不可視の境界線
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「み、認めんぞ……。余は認めん! 絶対に認めんぞ!」
レイモンドとシルヴィアがスラム街へ連行されていった数時間後。
王城の玉座の間では、国王陛下が最後の抵抗を試みていました。
「いいか? よく聞け! もう一度言うぞ! 余はこの国の王だ! ここは余の城だ! 誰にも渡さん!」
陛下は玉座にしがみつき、広間に集まった貴族たちや、私とマックス様を睨みつけています。
隠し部屋での横領発覚、国債の暴落、そして民衆の反乱。
もはや王家を支持する者は一人もいません。
衛兵たちでさえ、槍を下ろして遠巻きに様子を伺っています。
「陛下。……見苦しいですわ」
私は測量技師(アイゼンガルドから連れてきた職人)と共に、玉座の前の床に三脚を立て、測量機器を覗き込みました。
「な……、何をしている! 余の目の前で!」
「境界確定測量です」
私はレンズから目を離し、手元の図面と照らし合わせました。
「陛下。あなたは先ほど『ここは余の城だ』と仰いましたね?」
「当然だ! 王城は王家の私有地! 聖域不可侵の領域だ!」
「……それが、実はそうでもないのです」
私は一枚の巨大な地図を床に広げました。
それは、最新の測量技術によって作成された王都権利関係図です。
「先日、国債がデフォルト(債務不履行)を起こしましたね。……その際、担保に入っていた王家直轄領の所有権が、債権者団に移転したことはご存知で?」
「うっ……、あ、ああ……、知っている。だ、だが、この城の建物自体は担保に入っておらん!」
「ええ。建物はそうです。……ですが、土地はどうでしょう?」
私は地図上の赤い線を指でなぞりました。
「古代の法律では、王城の敷地の境界線は、王都の中央広場から半径五百メートルと定められています。……ここまではよろしいですか?」
「だからどうした! 玉座の間はど真ん中だ!」
「それが、違うのです」
私はニヤリと笑いました。
「地球は丸く、大陸プレートは動いています。そして何より、千年前の測量技術はいい加減でした。……最新の三角測量で厳密に再計算した結果、法的な半径五百メートルのラインは、実はここを通っていることが判明しました」
私はチョークを取り出し、玉座の間の豪華な絨毯の上に、スーッと一本の白い線を引きました。
その線は、陛下の座る玉座の、わずか数メートル手前を横切っています。
「……は?」
「この白い線より手前(入り口側)は、確かに王家の土地でした。しかし、債務不履行により没収されました」
そして、私は玉座のある奥側を指差しました。
「そして、この線より奥。……つまり、陛下が今しがみついている玉座がある場所。ここは法的には王城の敷地外……、すなわち、国有保安林(ただの森)に該当します」
「な、な、なん……、だと……!?」
「千年前の測量ミスか、地殻変動か。……いずれにせよ、あなたは今、王城ではなく国有林の中に椅子を置いて座っているだけの、不法占拠者です」
会場の貴族たちが、「ぷっ」と吹き出しました。
王の権威を象徴する玉座が、実は法律上森の中にあったなどという喜劇。
権威というものが、いかに曖昧な定義の上に成り立っていたかが露呈した瞬間です。
「ば、バカな! そんな線一本で!」
「法とは線引きです。……そして、不可視の境界線を可視化するのが、測量士の仕事でございます」
私は冷徹に告げました。
「その線から向こう側は、国有地です。王家の私有地ではありません。……したがって、そこに私物を置いて居座るなら、不法投棄として強制撤去の対象になります」
「余が……、ゴミ扱いか!?」
「あら、ご自分でおっしゃったのでは? 『余は王だ』と。……王としての責務を果たさず、借金も返さず、国有地に居座る老人。……社会通念上、それを粗大ゴミと呼びます」
陛下は顔を真っ赤にし、そして青ざめ、パクパクと口を開閉させました。
物理的な居場所(土地)の正当性すら失った彼に、もはや縋るものは何もありません。
「……もう、潮時だ」
それまで黙っていたマックス様が、静かに進み出ました。
彼は、私が引いたチョークの線を堂々と踏み越え、陛下の目の前に立ちました。
「境界線を越えましたね、マックス様」
「ああ。……ここからは開拓の時間だ」
マックス様は、腰の剣を抜くことなく、ただその威圧感だけで陛下を見下ろしました。
「国王陛下。……いや、元・国王。あんたの統治は、この線のように断絶した。民は見捨てられ、国土は荒れ果てた。……その責任を取って、退場してもらう」
そして、一枚の羊皮紙――退位詔書を突きつけました。
「サ、サインなどせんぞ! 余の次は誰がやるんだ! レイモンドもいないのに!」
「俺がやる」
マックス様は即答しました。
「王にはなれんかもしれん。だが、摂政として、この国を立て直すことはできる。……ジュリアンナと共に、基礎から作り直す」
会場の貴族たちが、一斉に膝をつきました。
それは、腐敗した王家への決別と、新たな指導者への忠誠の証。
「アイゼンガルド辺境伯万歳!」
「新摂政、マックス様に栄光あれ!」
その声は、玉座の間(という名の国有林)に雷鳴のように響き渡りました。
「……あ、あぁ……」
陛下は震える手で羽根ペンを取りました。
彼を支えていた権威という名の地盤は、私の引いた一本の線によって完全に崩落したのです。
「……分かった。書こう。書けばいいのだろう……」
サラサラと、弱々しい署名がなされました。
その瞬間、数百年にわたる王家の支配は終わりを告げました。
「お疲れ様でした、元・陛下。……隠居先はご用意してあります」
私はニッコリと微笑みました。
「レイモンド殿下と同じ、スラム街の長屋です。……親子水入らずで、一から人生の測量をやり直してくださいませ」
玉座から引きずり下ろされた老人は、衛兵に連れられて退場していきました。
残されたのは、空っぽになった玉座と、床に引かれた白いチョークの線だけ。
「……終わったな」
マックス様が、誰もいない玉座を見つめました。
「ええ。これより、王都再建フェーズに移行します」
私は手帳を開き、新しいページに大きく書き込みました。
『プロジェクト・ニュー・キングダム』。
破壊の時間は終わりました。
ここからは、私とマックス様の、本当の国造りの始まりです。
レイモンドとシルヴィアがスラム街へ連行されていった数時間後。
王城の玉座の間では、国王陛下が最後の抵抗を試みていました。
「いいか? よく聞け! もう一度言うぞ! 余はこの国の王だ! ここは余の城だ! 誰にも渡さん!」
陛下は玉座にしがみつき、広間に集まった貴族たちや、私とマックス様を睨みつけています。
隠し部屋での横領発覚、国債の暴落、そして民衆の反乱。
もはや王家を支持する者は一人もいません。
衛兵たちでさえ、槍を下ろして遠巻きに様子を伺っています。
「陛下。……見苦しいですわ」
私は測量技師(アイゼンガルドから連れてきた職人)と共に、玉座の前の床に三脚を立て、測量機器を覗き込みました。
「な……、何をしている! 余の目の前で!」
「境界確定測量です」
私はレンズから目を離し、手元の図面と照らし合わせました。
「陛下。あなたは先ほど『ここは余の城だ』と仰いましたね?」
「当然だ! 王城は王家の私有地! 聖域不可侵の領域だ!」
「……それが、実はそうでもないのです」
私は一枚の巨大な地図を床に広げました。
それは、最新の測量技術によって作成された王都権利関係図です。
「先日、国債がデフォルト(債務不履行)を起こしましたね。……その際、担保に入っていた王家直轄領の所有権が、債権者団に移転したことはご存知で?」
「うっ……、あ、ああ……、知っている。だ、だが、この城の建物自体は担保に入っておらん!」
「ええ。建物はそうです。……ですが、土地はどうでしょう?」
私は地図上の赤い線を指でなぞりました。
「古代の法律では、王城の敷地の境界線は、王都の中央広場から半径五百メートルと定められています。……ここまではよろしいですか?」
「だからどうした! 玉座の間はど真ん中だ!」
「それが、違うのです」
私はニヤリと笑いました。
「地球は丸く、大陸プレートは動いています。そして何より、千年前の測量技術はいい加減でした。……最新の三角測量で厳密に再計算した結果、法的な半径五百メートルのラインは、実はここを通っていることが判明しました」
私はチョークを取り出し、玉座の間の豪華な絨毯の上に、スーッと一本の白い線を引きました。
その線は、陛下の座る玉座の、わずか数メートル手前を横切っています。
「……は?」
「この白い線より手前(入り口側)は、確かに王家の土地でした。しかし、債務不履行により没収されました」
そして、私は玉座のある奥側を指差しました。
「そして、この線より奥。……つまり、陛下が今しがみついている玉座がある場所。ここは法的には王城の敷地外……、すなわち、国有保安林(ただの森)に該当します」
「な、な、なん……、だと……!?」
「千年前の測量ミスか、地殻変動か。……いずれにせよ、あなたは今、王城ではなく国有林の中に椅子を置いて座っているだけの、不法占拠者です」
会場の貴族たちが、「ぷっ」と吹き出しました。
王の権威を象徴する玉座が、実は法律上森の中にあったなどという喜劇。
権威というものが、いかに曖昧な定義の上に成り立っていたかが露呈した瞬間です。
「ば、バカな! そんな線一本で!」
「法とは線引きです。……そして、不可視の境界線を可視化するのが、測量士の仕事でございます」
私は冷徹に告げました。
「その線から向こう側は、国有地です。王家の私有地ではありません。……したがって、そこに私物を置いて居座るなら、不法投棄として強制撤去の対象になります」
「余が……、ゴミ扱いか!?」
「あら、ご自分でおっしゃったのでは? 『余は王だ』と。……王としての責務を果たさず、借金も返さず、国有地に居座る老人。……社会通念上、それを粗大ゴミと呼びます」
陛下は顔を真っ赤にし、そして青ざめ、パクパクと口を開閉させました。
物理的な居場所(土地)の正当性すら失った彼に、もはや縋るものは何もありません。
「……もう、潮時だ」
それまで黙っていたマックス様が、静かに進み出ました。
彼は、私が引いたチョークの線を堂々と踏み越え、陛下の目の前に立ちました。
「境界線を越えましたね、マックス様」
「ああ。……ここからは開拓の時間だ」
マックス様は、腰の剣を抜くことなく、ただその威圧感だけで陛下を見下ろしました。
「国王陛下。……いや、元・国王。あんたの統治は、この線のように断絶した。民は見捨てられ、国土は荒れ果てた。……その責任を取って、退場してもらう」
そして、一枚の羊皮紙――退位詔書を突きつけました。
「サ、サインなどせんぞ! 余の次は誰がやるんだ! レイモンドもいないのに!」
「俺がやる」
マックス様は即答しました。
「王にはなれんかもしれん。だが、摂政として、この国を立て直すことはできる。……ジュリアンナと共に、基礎から作り直す」
会場の貴族たちが、一斉に膝をつきました。
それは、腐敗した王家への決別と、新たな指導者への忠誠の証。
「アイゼンガルド辺境伯万歳!」
「新摂政、マックス様に栄光あれ!」
その声は、玉座の間(という名の国有林)に雷鳴のように響き渡りました。
「……あ、あぁ……」
陛下は震える手で羽根ペンを取りました。
彼を支えていた権威という名の地盤は、私の引いた一本の線によって完全に崩落したのです。
「……分かった。書こう。書けばいいのだろう……」
サラサラと、弱々しい署名がなされました。
その瞬間、数百年にわたる王家の支配は終わりを告げました。
「お疲れ様でした、元・陛下。……隠居先はご用意してあります」
私はニッコリと微笑みました。
「レイモンド殿下と同じ、スラム街の長屋です。……親子水入らずで、一から人生の測量をやり直してくださいませ」
玉座から引きずり下ろされた老人は、衛兵に連れられて退場していきました。
残されたのは、空っぽになった玉座と、床に引かれた白いチョークの線だけ。
「……終わったな」
マックス様が、誰もいない玉座を見つめました。
「ええ。これより、王都再建フェーズに移行します」
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