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第69話:残土処分の闇
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「……さて。派手に壊れたのはいいですが、問題はこの山をどうするかですわね」
新離宮の解体現場。
私は、目の前に積み上がった瓦礫と土砂の山を見上げて腕組みをしました。
アスベストの封じ込めは専門部隊に任せましたが、それ以外のコンクリート片や、基礎工事で掘り返された大量の土(残土)が、小高い丘のように残されています。
「適当に埋めればいいんじゃないか? 元々、ここの土だろう?」
マックス様が不思議そうに言います。
「いいえ、マックス様。一度掘り返された土は、産業廃棄物扱いになります。それに、見てください。……この土、黒ずんでいて異臭がします」
私は鼻をひくつかせました。
腐った卵のような、ツンとくる刺激臭。
「この新離宮の建設時、レイモンド殿下は基礎の土をどこへやったのか。……マニフェスト(記録帳)が存在しません」
「マニフェスト?」
「産業廃棄物管理票です。ゴミがどこから出て、誰が運び、どこで処分されたかを記録する書類です。……これがないということは、不法投棄された可能性が高い」
私は現場監督の男(かつて殿下の下で働いていたが、今は私に鞍替えした業者)を呼びつけました。
「正直に言いなさい。……あなたたちは、建設時の残土、どこへ捨てました?」
男は震え上がり、脂汗を流しながら白状しました。
「あ、あの……、殿下が『処分費が高い! タダで捨てられる場所に捨てろ!』と仰るので……、その、東のスラム街の裏にある谷へ……」
「……そういうことでしたか」
私は冷ややかな目を向けました。
スラム街。
そこは、昨日レイモンド殿下とシルヴィア様が追放された場所です。
「行きましょう、マックス様。……彼らの新居が、どのような環境にあるか確認しなくては」
王都の東端、スラム街。
そこは、王都の華やかさとは無縁の、薄暗くジメジメした最底辺のエリアです。
しかし、今日ここを訪れた私たちは、予想以上の光景に絶句しました。
「うぅ……、く、臭いですぅ! これ、王都の下水より強烈です!」
ロッテが涙目で鼻と口をタオルで覆っています。
スラムの裏手にあるはずの谷は、消滅していました。
代わりにそこには、どす黒い土砂が積み上げられ、巨大な黒い山ができていたのです。
「これが……、不法投棄された残土か」
マックス様が顔をしかめます。
山からは茶色い水が染み出し、スラムの路地へと流れ込んでいます。
「これはただの土ではありません。建設汚泥です」
私はハンカチで口元を覆いながら近づきました。
「コンクリートのアルカリ成分や、重金属を含んだ泥が、無造作に積み上げられています。……しかも、谷を埋めたせいで水はけが悪くなり、内部で嫌気性発酵が起きています」
「ケンキ……?」
「空気に触れない状態で菌が繁殖し、硫化水素ガスを発生させているのです」
それが、あの腐った卵の臭いの正体です。
これは猛毒ガス。
高濃度で吸い込めば死に至ります。
「ゲホッ! ゴホッ! オエェ……ッ!」
その黒い山の麓にある、傾いたあばら家から、激しい咳き込み音が聞こえてきました。
「……あら」
覗き込むと、そこにはボロボロの服を着て、顔色を土気色にしたレイモンド殿下とシルヴィア様がうずくまっていました。
彼らは昨日ここに越してきたばかりですが、すでに目は虚ろで、呼吸も浅くなっています。
「ジュ……、ジュリアンナ……?」
殿下が私に気づき、這いずってきました。
「た、助けてくれ……。ここは何なんだ……。臭くて、息が苦しくて……、頭が割れるように痛いんだ……」
「何よこれぇ! 窓を開けても臭いし、閉めても隙間から臭いが入ってくるぅ! 私を殺す気ぃ!?」
シルヴィア様も半狂乱です。
「……皮肉なものですわね」
私は冷徹に見下ろしました。
「この黒い山は、あなたが新離宮を建てる際に出たゴミです。処分費をケチって、業者に不法投棄させた結果がこれです」
「な、なんだと……?」
「あなたが『見えないところに捨てろ』と命じたゴミが、巡り巡って、今のあなたの家の裏庭に積み上げられていたのです。……これを因果応報と言わずして何と言いましょう」
「そ、そんな……。私が捨てたゴミのせいで、私が毒ガスを吸っているのか……?」
殿下は呆然と黒い山を見上げました。
コストカットの代償は、自身の健康という形で支払わされることになったのです。
「お嬢様、このままじゃスラムの人たちも病気になっちゃいます! なんとかできませんか?」
ロッテが心配そうに周囲を見回します。
スラムの住民たちも、この悪臭に悩まされ、咳をしている子供が多く見られました。
「ええ。放置できません。……これは王都再開発の第一歩です」
私は手帳を取り出しました。
「マックス様。アイゼンガルドから土壌改良プラントを呼び寄せます」
「プラント?」
「はい。この汚染された土に生石灰を混ぜて撹拌します。すると化学反応熱で水分が飛び、硫化水素も中和されます。……処理された土は、良質な地盤改良材としてリサイクルできます」
「ゴミを……、また資材に変えるのか」
「もちろんです。王都の道路を舗装するための材料として使わせていただきます。……ゴミ(負の遺産)を処理して、新しい道(インフラ)を作る。美しいサイクルだと思いませんか?」
私は咳き込む殿下に告げました。
「殿下。この山の処理が終わるまでは、そこでガスの恐怖に怯えていてください。……それが、あなたがこの国に撒き散らした毒の重さです」
「た、頼む! 早く! 早く処理してくれぇぇ!」
殿下の悲鳴を背に、私はスラム街の測量を開始しました。
この黒い山が消えた後、ここをどう変貌させるか。
私の頭の中には、すでにスラム・ジェントリフィケーション(高級化)の青写真が描かれていました。
「ロッテ、マスクを二重にしなさい。……ここからは大掃除の時間ですよ」
王都の最底辺から始まる再生計画。
その第一歩は、過去の王太子が捨てた汚点を拭い去ることから始まったのです。
新離宮の解体現場。
私は、目の前に積み上がった瓦礫と土砂の山を見上げて腕組みをしました。
アスベストの封じ込めは専門部隊に任せましたが、それ以外のコンクリート片や、基礎工事で掘り返された大量の土(残土)が、小高い丘のように残されています。
「適当に埋めればいいんじゃないか? 元々、ここの土だろう?」
マックス様が不思議そうに言います。
「いいえ、マックス様。一度掘り返された土は、産業廃棄物扱いになります。それに、見てください。……この土、黒ずんでいて異臭がします」
私は鼻をひくつかせました。
腐った卵のような、ツンとくる刺激臭。
「この新離宮の建設時、レイモンド殿下は基礎の土をどこへやったのか。……マニフェスト(記録帳)が存在しません」
「マニフェスト?」
「産業廃棄物管理票です。ゴミがどこから出て、誰が運び、どこで処分されたかを記録する書類です。……これがないということは、不法投棄された可能性が高い」
私は現場監督の男(かつて殿下の下で働いていたが、今は私に鞍替えした業者)を呼びつけました。
「正直に言いなさい。……あなたたちは、建設時の残土、どこへ捨てました?」
男は震え上がり、脂汗を流しながら白状しました。
「あ、あの……、殿下が『処分費が高い! タダで捨てられる場所に捨てろ!』と仰るので……、その、東のスラム街の裏にある谷へ……」
「……そういうことでしたか」
私は冷ややかな目を向けました。
スラム街。
そこは、昨日レイモンド殿下とシルヴィア様が追放された場所です。
「行きましょう、マックス様。……彼らの新居が、どのような環境にあるか確認しなくては」
王都の東端、スラム街。
そこは、王都の華やかさとは無縁の、薄暗くジメジメした最底辺のエリアです。
しかし、今日ここを訪れた私たちは、予想以上の光景に絶句しました。
「うぅ……、く、臭いですぅ! これ、王都の下水より強烈です!」
ロッテが涙目で鼻と口をタオルで覆っています。
スラムの裏手にあるはずの谷は、消滅していました。
代わりにそこには、どす黒い土砂が積み上げられ、巨大な黒い山ができていたのです。
「これが……、不法投棄された残土か」
マックス様が顔をしかめます。
山からは茶色い水が染み出し、スラムの路地へと流れ込んでいます。
「これはただの土ではありません。建設汚泥です」
私はハンカチで口元を覆いながら近づきました。
「コンクリートのアルカリ成分や、重金属を含んだ泥が、無造作に積み上げられています。……しかも、谷を埋めたせいで水はけが悪くなり、内部で嫌気性発酵が起きています」
「ケンキ……?」
「空気に触れない状態で菌が繁殖し、硫化水素ガスを発生させているのです」
それが、あの腐った卵の臭いの正体です。
これは猛毒ガス。
高濃度で吸い込めば死に至ります。
「ゲホッ! ゴホッ! オエェ……ッ!」
その黒い山の麓にある、傾いたあばら家から、激しい咳き込み音が聞こえてきました。
「……あら」
覗き込むと、そこにはボロボロの服を着て、顔色を土気色にしたレイモンド殿下とシルヴィア様がうずくまっていました。
彼らは昨日ここに越してきたばかりですが、すでに目は虚ろで、呼吸も浅くなっています。
「ジュ……、ジュリアンナ……?」
殿下が私に気づき、這いずってきました。
「た、助けてくれ……。ここは何なんだ……。臭くて、息が苦しくて……、頭が割れるように痛いんだ……」
「何よこれぇ! 窓を開けても臭いし、閉めても隙間から臭いが入ってくるぅ! 私を殺す気ぃ!?」
シルヴィア様も半狂乱です。
「……皮肉なものですわね」
私は冷徹に見下ろしました。
「この黒い山は、あなたが新離宮を建てる際に出たゴミです。処分費をケチって、業者に不法投棄させた結果がこれです」
「な、なんだと……?」
「あなたが『見えないところに捨てろ』と命じたゴミが、巡り巡って、今のあなたの家の裏庭に積み上げられていたのです。……これを因果応報と言わずして何と言いましょう」
「そ、そんな……。私が捨てたゴミのせいで、私が毒ガスを吸っているのか……?」
殿下は呆然と黒い山を見上げました。
コストカットの代償は、自身の健康という形で支払わされることになったのです。
「お嬢様、このままじゃスラムの人たちも病気になっちゃいます! なんとかできませんか?」
ロッテが心配そうに周囲を見回します。
スラムの住民たちも、この悪臭に悩まされ、咳をしている子供が多く見られました。
「ええ。放置できません。……これは王都再開発の第一歩です」
私は手帳を取り出しました。
「マックス様。アイゼンガルドから土壌改良プラントを呼び寄せます」
「プラント?」
「はい。この汚染された土に生石灰を混ぜて撹拌します。すると化学反応熱で水分が飛び、硫化水素も中和されます。……処理された土は、良質な地盤改良材としてリサイクルできます」
「ゴミを……、また資材に変えるのか」
「もちろんです。王都の道路を舗装するための材料として使わせていただきます。……ゴミ(負の遺産)を処理して、新しい道(インフラ)を作る。美しいサイクルだと思いませんか?」
私は咳き込む殿下に告げました。
「殿下。この山の処理が終わるまでは、そこでガスの恐怖に怯えていてください。……それが、あなたがこの国に撒き散らした毒の重さです」
「た、頼む! 早く! 早く処理してくれぇぇ!」
殿下の悲鳴を背に、私はスラム街の測量を開始しました。
この黒い山が消えた後、ここをどう変貌させるか。
私の頭の中には、すでにスラム・ジェントリフィケーション(高級化)の青写真が描かれていました。
「ロッテ、マスクを二重にしなさい。……ここからは大掃除の時間ですよ」
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