殿下、その婚約破棄の宣言が、すべての崩壊の始まりだと気付いていますか?

水上

文字の大きさ
72 / 100

第72話:モルタルの成分分析

しおりを挟む
「きゃあああっ! 崩れた! パン屋の壁が崩れたぞ!」

 王都のメインストリート。
 復興作業が始まったばかりの商店街で、轟音と共に土煙が上がりました。

 幸い、昨夜の嵐の影響で立ち入り禁止区域になっていたため、怪我人はいませんでしたが、築十年も経っていない煉瓦造りの建物が、まるで濡れたビスケットのように崩れ落ちたのです。

「……おかしいな。あの建物は高台にあって、浸水被害は受けていないはずだ」

 視察に来ていたマックス様が、瓦礫の山を見て眉をひそめます。

「ええ。外的な要因(水害)ではありません。……内臓疾患による突然死ですわ」

 私は現場に駆け寄り、崩れた煉瓦の間に挟まっていた繋ぎ材(モルタル)の破片を拾い上げました。
 指で軽く力を込めるだけで、ボロボロと砂のように崩れてしまいます。

「ロッテ、試薬箱を持ってきてちょうだい」

「はいっ! 科学捜査班、出動ですね!」

 ロッテが持ってきた木箱から、私は一本のガラス瓶を取り出しました。
 中に入っているのは、無色透明の液体――硝酸銀水溶液です。

「皆様、離れていてください。……この建物のを特定します」

 私は崩れたモルタルの粉末をビーカーに入れ、精製水で溶きました。
 そして、そこに硝酸銀を一滴、垂らします。

 その瞬間。
 透明だった水が、モワッ……、と白く濁り、底に白い沈殿物が溜まりました。

「……やはり。反応が出ましたわ」

「白くなった……? これはどういう意味だ?」

 集まってきた商店主たちが不安そうに覗き込みます。

「塩分です」

 私はビーカーを掲げました。

「硝酸銀は、塩素イオン(塩分)と反応すると、塩化銀という白い沈殿物を作ります。……つまり、このモルタルには大量の塩が含まれているということです」

「塩? 壁に塩が入ってるのか?」

「ええ。本来、建築用のモルタルやコンクリートには、塩分を含まない川砂を使わなければなりません。しかし、川砂は採取コストがかかります」

 私は崩れた壁の断面を指差しました。

「そこで、悪徳な業者は、海岸でタダで手に入る海砂を、洗浄もせずにそのまま混ぜ込むのです。……王都の建設ラッシュで砂が不足した際、レイモンド殿下が『砂なら海にいくらでもあるだろう!』と指示したという記録も残っています」

「海砂……」

「塩分を含んだ砂は、空気中の湿気を無限に吸い寄せます。常に壁がジメジメと湿り、冬にはその水分が凍って膨張し、内部から組織を破壊するのです」

 さらに悪いことに、と私は錆びて赤茶色になった鉄の留め具(カスガイ)を拾い上げました。

「塩分は金属を劇的に腐食させます。煉瓦を固定していた鉄が錆びて痩せ細り、支えを失った壁が、自重に耐えきれずに崩落したのです」

 商店主が顔面蒼白になりました。

「そ、そんな……。じゃあ、俺たちの店も……?」

「残念ながら、この時期に建てられた王都の建物の多くが、同じ塩害という病に侵されています。……今は立っていても、数年後には今日のように突然崩れ落ちるでしょう」

 王都全体が、時限爆弾の上に成り立っているようなものです。
 安さ(コストカット)と無知が招いた、構造的なパンデミック。

「……ジュリアンナ。どうすればいい?」

 マックス様が、深刻な顔で問います。

「治療法はありません。……全摘出しか」

 私は冷徹に宣言しました。

「塩を抜くことは不可能です。危険な建物は全て解体し、アイゼンガルド式の洗浄済み・品質管理コンクリートで建て直す必要があります」

「王都の半分を作り変えることになるぞ……」

「ええ。それが再生です。……腐った患部を残したままでは、健康な体には戻れません」

 私は集まった市民たちに向き直りました。

「皆様! これはチャンスです! ただ元に戻すのではなく、地震にも塩害にも負けない、世界一安全な街に生まれ変わるのです! そのための技術と資材は、すべて私が保証します!」

 絶望しかけた市民たちの目に、再び光が戻りました。
 壊れる恐怖に怯えて暮らすより、一時的な痛みを伴っても、安全な未来を手に入れたい。
 それが彼らの総意でした。

「お願いします、聖女様! 俺たちの街を救ってください!」

「建て直そう! 今度こそ本物の家を!」

 歓声が上がる中、私は崩れた瓦礫の陰で、こそこそと動く人影を見つけました。

「……あら?」

 そこには、軍手をして瓦礫を漁るレイモンド元殿下と、シルヴィア様の姿がありました。
 彼らは崩れた煉瓦や鉄くずを拾い集め、袋に詰めています。

「おい、シルヴィア! この鉄、売れるぞ! 屑鉄屋に持っていけばパンが買える!」

「この煉瓦も! 磨けば中古品として売れるかも!」

「……無駄ですわよ、お二人さん」

 私が声をかけると、二人はビクッとして振り返りました。

「ジュ、ジュリアンナ……!」

「その鉄は塩分でボロボロに錆びています。再利用は不可能です。煉瓦も塩を吹いていますから、どこも買い取ってくれません」

 私は憐れむように見下ろしました。

「あなたたちが拾っているのは資源ではありません。ただの産業廃棄物です」

「く、くそぉぉぉ! なんでだ! なんで私の周りにはゴミしかないんだ!」

 殿下が錆びた鉄くずを地面に叩きつけました。
 その鉄くずは、衝撃で粉々に砕け散りました。

「あなたがを選ばなかったからです」

 私は背を向けました。

「マックス様、彼らには分別作業の仕事を与えてあげてください。……せめて、自分が撒き散らしたゴミの始末くらいはさせてあげましょう」

「ああ。日当はパン二個だ」

 王都の再建は、過去の清算から始まります。
 塩に侵された脆い街は、私たちの手によって、強固で美しい石造りの都へと生まれ変わる準備を始めていました。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

『婚約破棄された令嬢ですが、名も残さず街を支えています』

ふわふわ
恋愛
婚約破棄された伯爵令嬢コルネリア・フォン・ヴァルデン。 名誉も立場も失いかけた彼女が選んだのは、誰かに勝つことでも、名を取り戻すことでもなかった。 前に立たず、声高に語らず、ただ「判断が続く仕組み」を街に残すこと。 現場に任せ、失敗を隠さず、問いを残し、そして最後には自ら手を離す――。 名を呼ばれず、称賛もされない。 それでも街は止まらず、確かに良くなっていく。 これは、ざまぁの先で「勝たなかった令嬢」が、 静かに世界を変え、そして正しく消えていく物語。

【完結】この運命を受け入れましょうか

なか
恋愛
「君のようは妃は必要ない。ここで廃妃を宣言する」  自らの夫であるルーク陛下の言葉。  それに対して、ヴィオラ・カトレアは余裕に満ちた微笑みで答える。   「承知しました。受け入れましょう」  ヴィオラにはもう、ルークへの愛など残ってすらいない。  彼女が王妃として支えてきた献身の中で、平民生まれのリアという女性に入れ込んだルーク。  みっともなく、情けない彼に対して恋情など抱く事すら不快だ。  だが聖女の素養を持つリアを、ルークは寵愛する。  そして貴族達も、莫大な益を生み出す聖女を妃に仕立てるため……ヴィオラへと無実の罪を被せた。  あっけなく信じるルークに呆れつつも、ヴィオラに不安はなかった。  これからの顛末も、打開策も全て知っているからだ。  前世の記憶を持ち、ここが物語の世界だと知るヴィオラは……悲運な運命を受け入れて彼らに意趣返す。  ふりかかる不幸を全て覆して、幸せな人生を歩むため。     ◇◇◇◇◇  設定は甘め。  不安のない、さっくり読める物語を目指してます。  良ければ読んでくだされば、嬉しいです。

【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する

ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。 夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。 社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。 ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。 「私たち、離婚しましょう」 アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。 どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。 彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。 アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。 こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。

婚約破棄は了承済みですので、慰謝料だけ置いていってください

鍛高譚
恋愛
公爵令嬢アナスタシア・オルステッドは、第三王子アレンの婚約者だった。 しかし、アレンは没落貴族の令嬢カリーナと密かに関係を持っていたことが発覚し、彼女を愛していると宣言。アナスタシアとの婚約破棄を告げるが── 「わかりました。でも、それには及びません。すでに婚約は破棄されております」 なんとアナスタシアは、事前に国王へ婚約破棄を申し出ており、すでに了承されていたのだ。 さらに、慰謝料もしっかりと請求済み。 「どうぞご自由に、カリーナ様とご婚約なさってください。でも、慰謝料のお支払いはお忘れなく」 驚愕するアレンを後にし、悠々と去るアナスタシア。 ところが数カ月後、生活に困窮したアレンが、再び彼女のもとへ婚約のやり直しを申し出る。 「呆れたお方ですね。そんな都合のいい話、お受けするわけがないでしょう?」 かつての婚約者の末路に興味もなく、アナスタシアは公爵家の跡取りとして堂々と日々を過ごす。 しかし、王国には彼女を取り巻く新たな陰謀の影が忍び寄っていた。 暗躍する謎の勢力、消える手紙、そして不審な襲撃──。 そんな中、王国軍の若きエリート将校ガブリエルと出会い、アナスタシアは自らの運命に立ち向かう決意を固める。 「私はもう、誰かに振り回されるつもりはありません。この王国の未来も、私自身の未来も、私の手で切り拓きます」 婚約破棄を経て、さらに強く、賢くなった公爵令嬢の痛快ざまぁストーリー! 自らの誇りを貫き、王国を揺るがす陰謀を暴く彼女の華麗なる活躍をお楽しみください。

あなたが恋をしなければ

あんど もあ
ファンタジー
王立学園の卒業パーティーで婚約破棄を宣言する第一王子。 よくあるシーンだけど、それが馬鹿王子ではなく、優秀だけど人の機微に疎い王子だったら……。

断罪の準備は完璧です!国外追放が楽しみすぎてボロが出る

黒猫かの
恋愛
「ミモリ・フォン・ラングレイ! 貴様との婚約を破棄し、国外追放に処す!」 パルマ王国の卒業パーティー。第一王子アリオスから突きつけられた非情な断罪に、公爵令嬢ミモリは……内心でガッツポーズを決めていた。 (ついにきたわ! これで堅苦しい王妃教育も、無能な婚約者の世話も、全部おさらばですわ!)

【完結】私を捨てた皆様、どうぞその選択を後悔なさってください 〜婚約破棄された令嬢の、遅すぎる謝罪はお断りです〜

くろねこ
恋愛
王太子の婚約者として尽くしてきた公爵令嬢エリシアは、ある日突然、身に覚えのない罪で断罪され婚約破棄を言い渡される。 味方だと思っていた家族も友人も、誰一人として彼女を庇わなかった。 ――けれど、彼らは知らなかった。 彼女こそが国を支えていた“本当の功労者”だったことを。 すべてを失ったはずの令嬢が選んだのは、 復讐ではなく「関わらない」という選択。 だがその選択こそが、彼らにとって最も残酷な“ざまぁ”の始まりだった。

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

処理中です...