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第78話:スケープゴートの不在
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「おい! パンをくれ! ツケにしておけ!」
王都の東端、スラム街のパン屋。
薄汚れた作業着を着たレイモンド(元殿下)が、焼きたてのパンの香りに引かれて怒鳴り込んでいました。
隣には、空腹でふらつくシルヴィアもいます。
「あん? ツケだぁ?」
パン屋の店主――筋肉隆々の強面の男が、のっそりと振り返りました。
「お前、誰に向かって口を利いてるんだ? ここは現金払いのみだ。金がないなら帰んな」
「無礼者! 私の顔を見忘れたか! 私はレイモンド……、この国の王太子だぞ!」
レイモンドは胸を張りました。
今までなら、この名乗りだけで相手は平伏し、最高のパンを差し出したはずです。
しかし、店主の反応は冷ややかなものでした。
「ああ、知ってるよ。……国を潰しかけた馬鹿王子だろ?」
「なっ……!?」
「お前のせいで、小麦の値段が上がって大変だったんだよ。よくもぬけぬけと俺の店に来られたもんだな」
店主は、売り物ではなく、足元にあった豚の餌用のクズパンを拾い上げ、レイモンドの顔面に投げつけました。
「ぐわっ! き、貴様……!」
「やるよ。それがお似合いだ。……二度と来るな、疫病神」
店主の冷徹な一言に、周囲の客たちからも嘲笑と罵声が浴びせられます。
「帰れ!」
「俺たちの税金を返せ!」
「ど、どうしてだ……。どうして誰も私を敬わない……」
レイモンドは震えながら、泥に落ちたパンを拾いました。
かつては、何か不手際があっても、側近たちが「ジュリアンナ嬢の差し金です」「部下のミスです」と庇ってくれました。
国民の不満も、悪役令嬢(ジュリアンナ)というスケープゴート(身代わり)が一身に背負ってくれていました。
しかし今、その盾はありません。
彼の失政、無能、そして傲慢さは、フィルターを通さずにダイレクトに民衆に伝わり、その反応(悪意)もまた、彼に直接跳ね返ってきているのです。
「……みじめね、レイモンド」
シルヴィアが、泥だらけのパンをひったくって齧り付きました。
「あんた、もう王子じゃないのよ。ただの嫌われ者のおじさんなのよ」
「だ、黙れ! 父上に言えば……、あ、そうか……、父上も廃位されたんだった……」
救いなど、どこにもありませんでした。
その日の午後。
スラム街の広場に、新政府(アイゼンガルド)からの使者が現れ、高札を掲げました。
「――通達! 前・王太子レイモンド、および前・男爵令嬢シルヴィアに関する、最終処分を言い渡す!」
使者の声に、スラムの住人たちが集まってきます。
その中には、パンをかじりながら様子を伺う二人の姿もありました。
「レイモンド。貴殿は王家の財産を私物化し、国益を損ねた。よって、本日付で王族籍を剥奪し、平民へと降格処分とする!」
「そ、そんな……! 知っている! もう破産しただろう!」
レイモンドが叫びますが、使者は無視して続けました。
「さらに! 貴殿が名乗っている家名の使用を、今後一切禁止する!」
「なっ……、名前まで奪うのか!?」
「当然だ。その名は国の象徴である。犯罪者が名乗ることは許されない」
使者は、一枚の新しい身分証を放り投げました。
地面に落ちたそれを、レイモンドが拾い上げます。
そこに書かれていた名前は――。
『 市民番号:404 氏名:レイモンド (家名なし) 』
使者は冷たく告げました。
「今日からお前は、ただのレイモンドだ。誰の息子でもなく、何の権威も持たない、一人の労働者だ。……これからは自分の腕だけで生きていくんだな」
「あ……、あぁ……」
レイモンドは、その身分証を握りしめて泣き崩れました。
家名。
それは彼が唯一持っていた、生まれながらのアイデンティティでした。
それを失った今、彼は本当に何者でもない男になってしまったのです。
*
私は報告書を読み、くすりと笑いました。
「彼にとって一番の罰は、鞭で打たれることでも、牢屋に入れられることでもありません。特別扱いされないことです」
私は窓の外、活気を取り戻しつつある王都の街並みを見下ろしました。
「これまで彼は、自分の失敗を全て他人のせいにしてきました。壁が腐れば施工者のせい、お金がなくなれば私のせい。……ですが、これからは違います」
私は手帳を閉じました。
「今日食べるパンがないのも、誰かに石を投げられるのも、全て自分自身の行動の結果です。スケープゴートはいません。……その重みに、彼は一生耐え続けなければならないのです」
「お嬢様。それってつまり、自業自得ってことですよね?」
ロッテがお菓子を齧りながら尋ねます。
「ええ。物理法則と同じです。作用には反作用がある。……彼が世界に与えた不快感が、そのまま彼に返ってきているだけですわ」
廃嫡。
それは単なる身分の剥奪ではなく、彼が大人として自分の人生の責任を負う生活の、遅すぎたスタートラインでした。
「さあ、彼らのことは忘れましょう。……私たちには、まだやるべきことがあります。王家が潰した商会の後始末がね」
次はシルヴィア様の実家、そして経済界の再編です。
情け容赦ない創造的破壊は、まだ続きます。
王都の東端、スラム街のパン屋。
薄汚れた作業着を着たレイモンド(元殿下)が、焼きたてのパンの香りに引かれて怒鳴り込んでいました。
隣には、空腹でふらつくシルヴィアもいます。
「あん? ツケだぁ?」
パン屋の店主――筋肉隆々の強面の男が、のっそりと振り返りました。
「お前、誰に向かって口を利いてるんだ? ここは現金払いのみだ。金がないなら帰んな」
「無礼者! 私の顔を見忘れたか! 私はレイモンド……、この国の王太子だぞ!」
レイモンドは胸を張りました。
今までなら、この名乗りだけで相手は平伏し、最高のパンを差し出したはずです。
しかし、店主の反応は冷ややかなものでした。
「ああ、知ってるよ。……国を潰しかけた馬鹿王子だろ?」
「なっ……!?」
「お前のせいで、小麦の値段が上がって大変だったんだよ。よくもぬけぬけと俺の店に来られたもんだな」
店主は、売り物ではなく、足元にあった豚の餌用のクズパンを拾い上げ、レイモンドの顔面に投げつけました。
「ぐわっ! き、貴様……!」
「やるよ。それがお似合いだ。……二度と来るな、疫病神」
店主の冷徹な一言に、周囲の客たちからも嘲笑と罵声が浴びせられます。
「帰れ!」
「俺たちの税金を返せ!」
「ど、どうしてだ……。どうして誰も私を敬わない……」
レイモンドは震えながら、泥に落ちたパンを拾いました。
かつては、何か不手際があっても、側近たちが「ジュリアンナ嬢の差し金です」「部下のミスです」と庇ってくれました。
国民の不満も、悪役令嬢(ジュリアンナ)というスケープゴート(身代わり)が一身に背負ってくれていました。
しかし今、その盾はありません。
彼の失政、無能、そして傲慢さは、フィルターを通さずにダイレクトに民衆に伝わり、その反応(悪意)もまた、彼に直接跳ね返ってきているのです。
「……みじめね、レイモンド」
シルヴィアが、泥だらけのパンをひったくって齧り付きました。
「あんた、もう王子じゃないのよ。ただの嫌われ者のおじさんなのよ」
「だ、黙れ! 父上に言えば……、あ、そうか……、父上も廃位されたんだった……」
救いなど、どこにもありませんでした。
その日の午後。
スラム街の広場に、新政府(アイゼンガルド)からの使者が現れ、高札を掲げました。
「――通達! 前・王太子レイモンド、および前・男爵令嬢シルヴィアに関する、最終処分を言い渡す!」
使者の声に、スラムの住人たちが集まってきます。
その中には、パンをかじりながら様子を伺う二人の姿もありました。
「レイモンド。貴殿は王家の財産を私物化し、国益を損ねた。よって、本日付で王族籍を剥奪し、平民へと降格処分とする!」
「そ、そんな……! 知っている! もう破産しただろう!」
レイモンドが叫びますが、使者は無視して続けました。
「さらに! 貴殿が名乗っている家名の使用を、今後一切禁止する!」
「なっ……、名前まで奪うのか!?」
「当然だ。その名は国の象徴である。犯罪者が名乗ることは許されない」
使者は、一枚の新しい身分証を放り投げました。
地面に落ちたそれを、レイモンドが拾い上げます。
そこに書かれていた名前は――。
『 市民番号:404 氏名:レイモンド (家名なし) 』
使者は冷たく告げました。
「今日からお前は、ただのレイモンドだ。誰の息子でもなく、何の権威も持たない、一人の労働者だ。……これからは自分の腕だけで生きていくんだな」
「あ……、あぁ……」
レイモンドは、その身分証を握りしめて泣き崩れました。
家名。
それは彼が唯一持っていた、生まれながらのアイデンティティでした。
それを失った今、彼は本当に何者でもない男になってしまったのです。
*
私は報告書を読み、くすりと笑いました。
「彼にとって一番の罰は、鞭で打たれることでも、牢屋に入れられることでもありません。特別扱いされないことです」
私は窓の外、活気を取り戻しつつある王都の街並みを見下ろしました。
「これまで彼は、自分の失敗を全て他人のせいにしてきました。壁が腐れば施工者のせい、お金がなくなれば私のせい。……ですが、これからは違います」
私は手帳を閉じました。
「今日食べるパンがないのも、誰かに石を投げられるのも、全て自分自身の行動の結果です。スケープゴートはいません。……その重みに、彼は一生耐え続けなければならないのです」
「お嬢様。それってつまり、自業自得ってことですよね?」
ロッテがお菓子を齧りながら尋ねます。
「ええ。物理法則と同じです。作用には反作用がある。……彼が世界に与えた不快感が、そのまま彼に返ってきているだけですわ」
廃嫡。
それは単なる身分の剥奪ではなく、彼が大人として自分の人生の責任を負う生活の、遅すぎたスタートラインでした。
「さあ、彼らのことは忘れましょう。……私たちには、まだやるべきことがあります。王家が潰した商会の後始末がね」
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追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
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