殿下、その婚約破棄の宣言が、すべての崩壊の始まりだと気付いていますか?

水上

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第95話:ロッテの結婚

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「あのぉ……、お嬢様。いえ、奥様。……ご報告があります」

 ある晴れた日の午後。
 王都別邸のテラスで、いつものようにお茶を淹れていたロッテが、珍しくモジモジと指を組み合わせて切り出しました。
 彼女の手には、いつもの泡立て器ではなく、一枚の可愛らしい封筒が握られています。

「あら、どうしました? またおやつの予算増額願いですか?」

 私は図面から目を離し、眼鏡を直して彼女を見ました。

 ロッテも今や二十代半ば。
 相変わらず童顔で元気ですが、その立ち居振る舞いには、大勢のメイドを束ねるメイド長としての貫禄……、のようなものが、ほんの少しだけ漂っています。

「違いますよぉ! 私だって、たまには真面目な話をするんです!」

 ロッテは頬を膨らませ、そして意を決したように封筒を差し出しました。

「……結婚、することになりました」

「――!」

 私が持っていた羽根ペンが、カタリと音を立てて机に落ちました。
 隣で新聞を読んでいたマックス様も、バサリと紙面を閉じました。

「け、結婚? ロッテが?」

「相手は誰だ!? どこの馬の骨だ!」

 マックス様が父親のように身を乗り出します。
 私も動揺を隠せません。

 ロッテは一生、私の後ろで「お腹すきました」と言っているものだと、無意識に思っていたからです。

「えへへ……。工兵隊のエリックさんです」

「エリック……? ああ、あの若手現場監督の?」

 私は記憶のデータベースを検索しました。

 エリック。
 アイゼンガルド工科院の第一期生で、現在は王都の水道局でメンテナンス部門のチーフを務めている青年です。
 真面目で、少し不器用な、職人気質の男。

「彼、いつも言うんです。『ロッテさんの淹れてくれたお茶を飲むと、配管のつまりが取れる気がする』って」

「……随分と即物的な口説き文句ですわね」

「あと、『君の鼻歌は、いい仕事をするためのメトロノームだ』とも言ってくれました!」

 ロッテは幸せそうに顔を赤らめています。

「なるほど。……現場監督と、建物の声が聞こえるメイド。構造的相性(マッチング)は抜群ですわね」

 私は込み上げてくる寂しさをグッと飲み込み、立ち上がりました。

「認めます。……ただし、私の最終検査をパスしたら、ですが」

 結婚式は、王都のイースト・サイド(旧・スラム街)にある、レンガ倉庫を改装したカフェ・レストランで行われました。
 そこは今、若者たちに一番人気のお洒落なスポットです。

「おめでとう、ロッテちゃん!」

「エリック、幸せにしろよ!」

 集まったのは、堅苦しい貴族たちではありません。
 私たちと共に国を作ってきた職人、工兵、そしてメイド仲間たち。
 ビールとアイゼンガルド・ワインが振る舞われ、会場は笑い声と祝福の熱気に包まれていました。

「……綺麗ですよ、ロッテ」

 私は、花嫁姿のロッテの前に立ちました。
 彼女が着ているのは、私がデザインし、アイゼンガルドの織り子たちが総出で仕立てた、純白のミニドレスです。
 動きやすく、けれど彼女の愛らしさを最大限に引き出す、機能美の結晶。

「うぅ……、お嬢様ぁ……。私、お嫁に行っちゃってもいいんでしょうか……」

 ロッテが、いつものように涙目で鼻をすすります。

「ダメと言っても行くでしょう? ……それに、あなたはもう一人前の女性です。私の後ろに隠れている必要はありません」

 私はロッテの手を取り、新郎のエリックに手渡しました。
 彼は緊張でカチコチになっていましたが、その手はしっかりとロッテを支えていました。

「エリックさん。……一つだけ、講義をしておきます」

 私は眼鏡を光らせました。

「建築において、最も重要な部材の一つに、ダンパー(制振装置)があります」

「ダ、ダンパー……、ですか?」

「ええ。地震や風の揺れを吸収し、建物の倒壊を防ぐクッションのような装置です。……私の人生という巨大構造物にとって、ロッテはまさにそのダンパーでした」

 私はロッテを見つめました。

 私の理屈っぽさ、冷徹さ、そして時折暴走する知識欲。
 それらが周囲と軋轢を生みそうになった時、いつもロッテの天然さや無邪気な笑顔が衝撃を吸収し、場を和ませてくれました。

「彼女がいなければ、私の設計した国は、もっとギスギスした、冷たいコンクリートの塊になっていたでしょう。……彼女という遊び(ゆとり)があったからこそ、この国は住みやすい場所になったのです」

「お、お嬢様……。私、ただお菓子食べてただけですけど……」

「それが良いのです。……エリックさん、彼女のその柔らかさを、一生守り抜きなさい。それが、家庭という建物を長持ちさせる秘訣ですよ」

「はいっ! 肝に銘じます! ……メンテナンスは怠りません!」

 エリックが敬礼し、会場がドッと沸きました。

「……良い式だな」

 マックス様が、私の肩を抱きました。
 彼の目にも、少し光るものがあります。

「ええ。……でも、少し静かになってしまいますわね」

 明日からは、「お嬢様、おやつー!」という声が聞こえない朝が来るのです。

「そうだな。……だが、賑やかな子達がいるじゃないか」

 マックス様が視線を向けた先には、料理の山に突撃している我が家の双子、レオンとマリアの姿がありました。

「ママ! このケーキ、重心が不安定だよ! 倒れる前に食べる!」

「パパ! エリックお兄ちゃんのタキシード、通気性が悪そう!」

「……ふふ。そうでしたわね」

 私は涙を拭い、笑いました。
 ロッテが育てた見る目は、しっかりと次の世代にも受け継がれています。

「お幸せに、ロッテ。……たまには、おやつを食べに帰っていらっしゃい」

 私の言葉に、ロッテは満面の笑みで答えました。

「はいっ! タッパー持っていきますね!」

 やっぱり、彼女はブレません。
 その揺るぎなさが、私にとって一番の救いでした。

 新しい夫婦の門出に、乾杯。
 私たちの国は、こうして人と人との継手によって、より強固に繋がっていくのです。
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