殿下、その婚約破棄の宣言が、すべての崩壊の始まりだと気付いていますか?

水上

文字の大きさ
96 / 100

第96話:老後の夢

しおりを挟む
「……狭くなりましたわね、この空も」

 王都を見下ろす丘の上。
 かつて瓦礫の山があった場所は、今や緑豊かな津波防災公園となり、市民たちの憩いの場となっていました。

 そのベンチに腰掛け、私は夜空を見上げて呟きました。

「狭い? これほど広い空はないだろう。星も綺麗に見える」

 隣に座るマックス様が、不思議そうに首を傾げます。
 彼も還暦を迎え、髪には白いものが混じりましたが、その背筋は鉄骨のように真っ直ぐで、瞳の力強さは衰えていません。

「いいえ、マックス様。物理的な空の広さではなく、私たちの開発領域の話です」

 私は眼下に広がる、光の海となった王都を指差しました。

 道路は整備され、下水道は完備され、建物は堅牢な石造りやレンガ造りに置き換わりました。
 郊外まで住宅地が広がり、アイゼンガルド大橋を通って毎日何千もの馬車が行き交っています。

「平面(2D)の地図は、もう埋め尽くしてしまいました。……これ以上広げるには、森を切り開くか、海を埋め立てるしかありません」

「……なるほど。開発し尽くしたというわけか。贅沢な悩みだな」

 マックス様が苦笑します。
 かつては廃墟だらけだった街が、今や土地不足に悩むほど発展したのですから……。

「ですが、建築家として、ここで満足してはいられません」

 私は眼鏡の位置を直し、夜空に一本の指を突き立てました。

「横がダメなら、縦に行けばいいのです」

「縦……?」

「ええ。摩天楼(スカイスクレイパー)計画です」

 私は懐から、一枚のスケッチを取り出しました。
 それは、従来の石造り建築とは全く異なる、細長く、雲を突くように聳え立つ塔の絵でした。

「石やレンガを積み上げる組積造には限界があります。高くすればするほど、下の壁を分厚くしなければならず、居住スペースがなくなってしまうからです」

 ピラミッドや古い大聖堂がその例です。高さはあっても、中は狭い。

「ですが、アイゼンガルドの製鉄技術があれば……、鉄骨造(スチール・フレーム)が可能です」

 私は熱っぽく語りました。

「鋼鉄の柱と梁で骨組みを作り、外壁は軽いガラスやパネルで覆う(カーテンウォール)。……そうすれば、壁の厚さを気にせず、鳥のように高く、空へと住処を伸ばすことができます」

「鉄の骨組みか……。トラス橋を縦にしたようなものか?」

「ご名答です。さすが私の夫、構造力学のセンスが抜群ですわ」

 私は嬉しくなって、彼の腕に抱きつきました。

「高さ百メートル……、いいえ、三百メートルの塔も夢ではありません。そこにオフィスや住居、空中庭園を作り、限られた土地を立体的に活用するのです」

「三百メートル……。雲の上じゃないか」

 マックス様が呆れたように、しかし楽しげに笑いました。

「だが、そんな高い場所にどうやって登る? 毎日階段を登っていたら、出勤する前に日が暮れてしまうぞ」

「ふふ。そのために、この垂直鉄道(エレベーター)を開発中です」

 私はスケッチの脇に描かれた、箱のような図を指差しました。

「滑車とカウンターウェイト、そして蒸気機関……、あるいは最新の魔導モーターを使って、人を乗せた箱を一瞬で上層階へ運びます。もちろん、落下防止装置(安全装置)付きで」

「……君の頭の中は、本当に天井知らずだな」

 マックス様が私の手を取り、その手の甲にキスをしました。
 その手は、昔と変わらず温かく、分厚いままでした。

「レイモンドたちは、見栄のために塔を建てようとした。……だが君は、人の暮らしを豊かにするために空を目指すんだな」

「ええ。高い場所から見下ろすためではありません。……限られた大地を有効に使い、より多くの人が太陽に近い場所で暮らせるようにするためです」

 私は夜空に輝く星を見つめました。

「でも、今の私の体力では、完成まで現場に立ち続けるのは難しいかもしれません」

「焦ることはない。……子供たちだっている」

 マックス様が言いました。

「レオンは製鉄所で新しい合金を研究しているし、マリアは都市計画局でバリバリ働いている。……君が描いた設計図(ゆめ)は、彼らが形にしてくれるさ」

「……そうですね。基礎は打ちました。あとは、次世代がどれだけ高く積み上げられるか」

 私たちは寄り添い、夜風に吹かれました。
 かつて泥沼だったこの国は、今や空を目指す準備を整えています。

「マックス様。……もし塔ができたら、一番上の階に私たちの部屋を作りましょうね」

「ああ。そこからなら、アイゼンガルドの山々まで見えるかもしれないな」

「ええ。……そして、私たちの作った美しい国を、二人でずっと眺めていましょう」

 老後の夢。
 それは隠居して静かに暮らすことではなく、さらに高い場所へ、新しい景色を見に行くことでした。
 私たちの冒険(プロジェクト)は、まだまだ終わりそうにありません。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

『婚約破棄された令嬢ですが、名も残さず街を支えています』

ふわふわ
恋愛
婚約破棄された伯爵令嬢コルネリア・フォン・ヴァルデン。 名誉も立場も失いかけた彼女が選んだのは、誰かに勝つことでも、名を取り戻すことでもなかった。 前に立たず、声高に語らず、ただ「判断が続く仕組み」を街に残すこと。 現場に任せ、失敗を隠さず、問いを残し、そして最後には自ら手を離す――。 名を呼ばれず、称賛もされない。 それでも街は止まらず、確かに良くなっていく。 これは、ざまぁの先で「勝たなかった令嬢」が、 静かに世界を変え、そして正しく消えていく物語。

【完結】この運命を受け入れましょうか

なか
恋愛
「君のようは妃は必要ない。ここで廃妃を宣言する」  自らの夫であるルーク陛下の言葉。  それに対して、ヴィオラ・カトレアは余裕に満ちた微笑みで答える。   「承知しました。受け入れましょう」  ヴィオラにはもう、ルークへの愛など残ってすらいない。  彼女が王妃として支えてきた献身の中で、平民生まれのリアという女性に入れ込んだルーク。  みっともなく、情けない彼に対して恋情など抱く事すら不快だ。  だが聖女の素養を持つリアを、ルークは寵愛する。  そして貴族達も、莫大な益を生み出す聖女を妃に仕立てるため……ヴィオラへと無実の罪を被せた。  あっけなく信じるルークに呆れつつも、ヴィオラに不安はなかった。  これからの顛末も、打開策も全て知っているからだ。  前世の記憶を持ち、ここが物語の世界だと知るヴィオラは……悲運な運命を受け入れて彼らに意趣返す。  ふりかかる不幸を全て覆して、幸せな人生を歩むため。     ◇◇◇◇◇  設定は甘め。  不安のない、さっくり読める物語を目指してます。  良ければ読んでくだされば、嬉しいです。

【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する

ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。 夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。 社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。 ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。 「私たち、離婚しましょう」 アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。 どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。 彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。 アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。 こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。

婚約破棄は了承済みですので、慰謝料だけ置いていってください

鍛高譚
恋愛
公爵令嬢アナスタシア・オルステッドは、第三王子アレンの婚約者だった。 しかし、アレンは没落貴族の令嬢カリーナと密かに関係を持っていたことが発覚し、彼女を愛していると宣言。アナスタシアとの婚約破棄を告げるが── 「わかりました。でも、それには及びません。すでに婚約は破棄されております」 なんとアナスタシアは、事前に国王へ婚約破棄を申し出ており、すでに了承されていたのだ。 さらに、慰謝料もしっかりと請求済み。 「どうぞご自由に、カリーナ様とご婚約なさってください。でも、慰謝料のお支払いはお忘れなく」 驚愕するアレンを後にし、悠々と去るアナスタシア。 ところが数カ月後、生活に困窮したアレンが、再び彼女のもとへ婚約のやり直しを申し出る。 「呆れたお方ですね。そんな都合のいい話、お受けするわけがないでしょう?」 かつての婚約者の末路に興味もなく、アナスタシアは公爵家の跡取りとして堂々と日々を過ごす。 しかし、王国には彼女を取り巻く新たな陰謀の影が忍び寄っていた。 暗躍する謎の勢力、消える手紙、そして不審な襲撃──。 そんな中、王国軍の若きエリート将校ガブリエルと出会い、アナスタシアは自らの運命に立ち向かう決意を固める。 「私はもう、誰かに振り回されるつもりはありません。この王国の未来も、私自身の未来も、私の手で切り拓きます」 婚約破棄を経て、さらに強く、賢くなった公爵令嬢の痛快ざまぁストーリー! 自らの誇りを貫き、王国を揺るがす陰謀を暴く彼女の華麗なる活躍をお楽しみください。

あなたが恋をしなければ

あんど もあ
ファンタジー
王立学園の卒業パーティーで婚約破棄を宣言する第一王子。 よくあるシーンだけど、それが馬鹿王子ではなく、優秀だけど人の機微に疎い王子だったら……。

断罪の準備は完璧です!国外追放が楽しみすぎてボロが出る

黒猫かの
恋愛
「ミモリ・フォン・ラングレイ! 貴様との婚約を破棄し、国外追放に処す!」 パルマ王国の卒業パーティー。第一王子アリオスから突きつけられた非情な断罪に、公爵令嬢ミモリは……内心でガッツポーズを決めていた。 (ついにきたわ! これで堅苦しい王妃教育も、無能な婚約者の世話も、全部おさらばですわ!)

【完結】私を捨てた皆様、どうぞその選択を後悔なさってください 〜婚約破棄された令嬢の、遅すぎる謝罪はお断りです〜

くろねこ
恋愛
王太子の婚約者として尽くしてきた公爵令嬢エリシアは、ある日突然、身に覚えのない罪で断罪され婚約破棄を言い渡される。 味方だと思っていた家族も友人も、誰一人として彼女を庇わなかった。 ――けれど、彼らは知らなかった。 彼女こそが国を支えていた“本当の功労者”だったことを。 すべてを失ったはずの令嬢が選んだのは、 復讐ではなく「関わらない」という選択。 だがその選択こそが、彼らにとって最も残酷な“ざまぁ”の始まりだった。

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

処理中です...