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第99話:永遠の礎
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王都別邸のリビングルーム。
暖炉の中でパチパチと薪が爆ぜる音だけが、静かな夜に響いていました。
「……ふぅ。やはり、歳には勝てませんね」
私は深々とソファに体を沈め、愛用の杖を傍らに置きました。
昼間の散歩で少し張り切りすぎたのか、膝の関節がキシキシと悲鳴を上げています。
「無理をするからだ。……ほら、足を出せ」
向かいのソファに座っていたマックス様が、自然な動作で私の足を自分の膝に乗せ、慣れた手つきでマッサージを始めました。
ごつごつとした大きな手。
かつては大剣を振るい、つるはしを握ったその手は、今は驚くほど優しく、私の痛みを和らげてくれます。
「……恐れ入ります、元・摂政閣下。老いた妻の足を揉ませるなんて、国中の技術者が泣きますわ」
「構わんさ。俺にとっての最優先任務は、いつだって君のメンテナンスだ」
マックス様が白髪混じりの髭を揺らして笑います。
その温かさに、私は目を細めました。
「……ねえ、マックス様」
「ん?」
「私たちは、良い家を建てられましたでしょうか?」
私は天井を見上げました。
この家も、私たちがリノベーションしてから数十年が経ちました。
壁のレンガは角が取れ、床の革は飴色に変わり、柱には子供や孫たちが背比べをした傷跡が刻まれています。
新築の頃のピカピカした輝きはありません。
けれど、どこを見ても生活の記憶が染み込んでいて、新築の時よりもずっと愛おしく、美しく感じられます。
「ああ。……最高の傑作だ」
マックス様は、私の足をさすりながら答えました。
「雨漏りもしない。隙間風も吹かない。……そして何より、中にはいつも笑顔があった。これ以上の家がどこにある?」
「ふふ。……そうですね。構造計算書には表れない居住性能、満点ですわ」
私は左手を上げ、暖炉の火にかざしました。
薬指には、あの時の蛍石(フローライト)の指輪。
長い年月を経て、銀の台座には細かな傷がつき、石の表面も少し摩耗しています。
でも、その内側から放たれる紫と緑の光は、出会ったあの日と同じように、いや、それ以上に深みを増して輝いていました。
「……不思議ですわね」
私は指輪を見つめながら呟きました。
「コンクリートは百年で劣化します。鉄もいずれ錆びます。形あるものは、エントロピーの法則に従って、必ず崩壊へと向かうはずです。……なのに」
私はマックス様を見つめました。
「あなたへの想いだけは、風化するどころか、年々強度を増している気がします。……物理法則に反していますわ」
「ハハッ。それは君の計算式が間違っているんじゃないか?」
マックス様が私の手を握りました。
「愛というのは、コンクリートというより生きた樹木に近いのかもしれないな。……年輪を重ねるごとに太くなり、根を深く張り、嵐が来ても揺るがなくなる」
「……なるほど。有機的な成長モデルですか。……一理あります」
私は彼の手に頬を寄せました。
レイモンド殿下との関係は、表面だけを飾り立てた張りボテでした。
だから、少しの衝撃で崩れ去りました。
でも、マックス様との関係は違います。
泥にまみれ、石を運び、共に汗を流して基礎から作り上げた関係。
見えない地下深くに、太くて強い杭が何本も打ち込まれているのです。
「お待たせしましたー! 特製アップルパイ、焼き上がりましたよー!」
そこへ、ロッテが湯気の立つお皿を運んできました。
彼女もすっかりお婆ちゃんになりましたが、その足取りの軽さと、甘い匂いを運んでくる笑顔は、少女の頃と変わりません。
「あら、ロッテ。……また砂糖を多めに入れましたね?」
「バレました? でも、甘いほうが元気が出るじゃないですか! エリックさんも『甘すぎて目が覚める』って喜んでましたよ!」
「それは皮肉ですわよ……」
私たちは笑い合い、熱い紅茶と共にパイをいただきました。
甘くて、酸っぱくて、温かい。
それは、私たちが歩んできた人生の味そのものでした。
「……おいしい」
「ああ。……悪くない人生だったな」
マックス様が、食べ終わった皿を置き、静かに言いました。
「ジュリアンナ。……もし、来世というものがあるなら」
「あら、気が早いですね。まだ竣工していませんよ?」
「仮定の話だ。……もし次の人生があったら、また俺の設計図を引いてくれるか?」
私は紅茶を飲み干し、カップを置きました。
そして、にっこりと微笑みました。
「条件次第ですわ」
「条件?」
「ええ。……また、私に更地を用意してくれるなら。そして、私の無茶な注文に、一生文句を言わずに付き合ってくれるなら」
「……ハハッ。厳しい条件だな」
マックス様は、私の肩を抱き寄せました。
「だが、望むところだ。……何度生まれ変わっても、俺は君の基礎になる」
「契約成立ですわ」
私たちは暖炉の前で、静かに寄り添いました。
窓の外には、私たちが作り上げた美しい王都の夜景が広がっています。
その光の一つ一つが、私たちの生きた証。
私の人生という名の建築物。
基礎よし、構造よし、内装よし。
そして何より、共に住まうパートナーよし。
「……完璧な仕上がりです」
私は目を閉じ、愛する人の温もりの中で、幸せな微睡へと落ちていきました。
それは、どんな強固な要塞よりも安心できる、永遠の安らぎの場所でした。
暖炉の中でパチパチと薪が爆ぜる音だけが、静かな夜に響いていました。
「……ふぅ。やはり、歳には勝てませんね」
私は深々とソファに体を沈め、愛用の杖を傍らに置きました。
昼間の散歩で少し張り切りすぎたのか、膝の関節がキシキシと悲鳴を上げています。
「無理をするからだ。……ほら、足を出せ」
向かいのソファに座っていたマックス様が、自然な動作で私の足を自分の膝に乗せ、慣れた手つきでマッサージを始めました。
ごつごつとした大きな手。
かつては大剣を振るい、つるはしを握ったその手は、今は驚くほど優しく、私の痛みを和らげてくれます。
「……恐れ入ります、元・摂政閣下。老いた妻の足を揉ませるなんて、国中の技術者が泣きますわ」
「構わんさ。俺にとっての最優先任務は、いつだって君のメンテナンスだ」
マックス様が白髪混じりの髭を揺らして笑います。
その温かさに、私は目を細めました。
「……ねえ、マックス様」
「ん?」
「私たちは、良い家を建てられましたでしょうか?」
私は天井を見上げました。
この家も、私たちがリノベーションしてから数十年が経ちました。
壁のレンガは角が取れ、床の革は飴色に変わり、柱には子供や孫たちが背比べをした傷跡が刻まれています。
新築の頃のピカピカした輝きはありません。
けれど、どこを見ても生活の記憶が染み込んでいて、新築の時よりもずっと愛おしく、美しく感じられます。
「ああ。……最高の傑作だ」
マックス様は、私の足をさすりながら答えました。
「雨漏りもしない。隙間風も吹かない。……そして何より、中にはいつも笑顔があった。これ以上の家がどこにある?」
「ふふ。……そうですね。構造計算書には表れない居住性能、満点ですわ」
私は左手を上げ、暖炉の火にかざしました。
薬指には、あの時の蛍石(フローライト)の指輪。
長い年月を経て、銀の台座には細かな傷がつき、石の表面も少し摩耗しています。
でも、その内側から放たれる紫と緑の光は、出会ったあの日と同じように、いや、それ以上に深みを増して輝いていました。
「……不思議ですわね」
私は指輪を見つめながら呟きました。
「コンクリートは百年で劣化します。鉄もいずれ錆びます。形あるものは、エントロピーの法則に従って、必ず崩壊へと向かうはずです。……なのに」
私はマックス様を見つめました。
「あなたへの想いだけは、風化するどころか、年々強度を増している気がします。……物理法則に反していますわ」
「ハハッ。それは君の計算式が間違っているんじゃないか?」
マックス様が私の手を握りました。
「愛というのは、コンクリートというより生きた樹木に近いのかもしれないな。……年輪を重ねるごとに太くなり、根を深く張り、嵐が来ても揺るがなくなる」
「……なるほど。有機的な成長モデルですか。……一理あります」
私は彼の手に頬を寄せました。
レイモンド殿下との関係は、表面だけを飾り立てた張りボテでした。
だから、少しの衝撃で崩れ去りました。
でも、マックス様との関係は違います。
泥にまみれ、石を運び、共に汗を流して基礎から作り上げた関係。
見えない地下深くに、太くて強い杭が何本も打ち込まれているのです。
「お待たせしましたー! 特製アップルパイ、焼き上がりましたよー!」
そこへ、ロッテが湯気の立つお皿を運んできました。
彼女もすっかりお婆ちゃんになりましたが、その足取りの軽さと、甘い匂いを運んでくる笑顔は、少女の頃と変わりません。
「あら、ロッテ。……また砂糖を多めに入れましたね?」
「バレました? でも、甘いほうが元気が出るじゃないですか! エリックさんも『甘すぎて目が覚める』って喜んでましたよ!」
「それは皮肉ですわよ……」
私たちは笑い合い、熱い紅茶と共にパイをいただきました。
甘くて、酸っぱくて、温かい。
それは、私たちが歩んできた人生の味そのものでした。
「……おいしい」
「ああ。……悪くない人生だったな」
マックス様が、食べ終わった皿を置き、静かに言いました。
「ジュリアンナ。……もし、来世というものがあるなら」
「あら、気が早いですね。まだ竣工していませんよ?」
「仮定の話だ。……もし次の人生があったら、また俺の設計図を引いてくれるか?」
私は紅茶を飲み干し、カップを置きました。
そして、にっこりと微笑みました。
「条件次第ですわ」
「条件?」
「ええ。……また、私に更地を用意してくれるなら。そして、私の無茶な注文に、一生文句を言わずに付き合ってくれるなら」
「……ハハッ。厳しい条件だな」
マックス様は、私の肩を抱き寄せました。
「だが、望むところだ。……何度生まれ変わっても、俺は君の基礎になる」
「契約成立ですわ」
私たちは暖炉の前で、静かに寄り添いました。
窓の外には、私たちが作り上げた美しい王都の夜景が広がっています。
その光の一つ一つが、私たちの生きた証。
私の人生という名の建築物。
基礎よし、構造よし、内装よし。
そして何より、共に住まうパートナーよし。
「……完璧な仕上がりです」
私は目を閉じ、愛する人の温もりの中で、幸せな微睡へと落ちていきました。
それは、どんな強固な要塞よりも安心できる、永遠の安らぎの場所でした。
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