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第11話:人生は織物
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輸送馬車の事故から数日が経ち、クロード領には再び活気が戻りつつあった。
妨害工作を受けたものの、無事に王都へ到着した第一陣の商品――ソフィア・クロスとクロード・ウォームは、市場で好意的な反応を得ているとの報告が入ったからだ。
だが、執務室のアレックスの表情は険しかった。
「……小手先の妨害は防げても、根本を断たねばイタチごっこだな」
彼は王都からの報告書を机に放り投げた。
オライオン商会をはじめとする既得権益層は、クロード領の製品を田舎者の粗悪品と吹聴し、流通ルートを締め付けようとしているらしい。
「彼らは市場の自由競争を恐れている。ならば、我々が直接王都へ乗り込み、製品の優位性を証明するしかない」
アレックスは決断した。
自ら王都へ赴き、大規模な展示会を開いて貴族や商人の度肝を抜くのだ。
「ソフィア。来週、私と共に王都へ行くぞ。準備をしておけ」
「えっ……?」
給仕をしていたソフィアの手が止まり、ティーカップが音を立ててソーサーにぶつかった。
顔色がさっと青ざめる。
「王都へ……、私も、ですか?」
「当然だ。君は開発アドバイザーであり、商品の顔だ。君の布に対する情熱と説明能力がなければ、あの頭の固い連中を説得できない」
「で、ですが……、私は……」
ソフィアの声が震える。
脳裏に蘇るのは、あのパーティーでの光景だ。
濡れ衣を着せられ、婚約者に罵倒され、軽蔑の視線を浴びたあの日。
追放された自分がのこのこと戻れば、アレックスの名誉に傷がつくかもしれない。
マリアンヌたちがまた何か仕掛けてくるかもしれない。
「……無理です。私が行けば、きっとアレックス様のご迷惑になります」
「迷惑? 何を根拠に?」
「私は泥棒猫で嘘つきのレッテルを貼られた女ですから……。そんな私が隣にいては、商品のイメージまで……」
ソフィアは言葉を続けられず、逃げるように執務室を出て行ってしまった。
深夜。
屋敷の工房には、規則的な機織りの音だけが響いていた。
眠れないソフィアは、一心不乱に機を織っていた。
無心になれば、不安が消える気がしたからだ。
「……こんな夜更けに、精が出ることだ」
不意に背後から声をかけられ、ソフィアはビクリと肩を震わせた。
振り返ると、ガウンを羽織ったアレックスが立っていた。
手には二つのマグカップを持っている。
「アレックス様……。すみません、うるさかったでしょうか」
「いや。君が織る音はリズムが一定で心地いい。……少し、隣いいか?」
彼は返事も待たずに近くの木箱に腰を下ろし、温かいミルクティーが入ったカップを差し出した。
ソフィアはおずおずとそれを受け取る。
「……やはり、王都へ行くのは怖いか?」
「……はい」
ソフィアはカップの湯気を見つめながら、正直に打ち明けた。
「怖いです。また否定されるのが。私のせいで、アレックス様や、領民のみんなが頑張って作った布が悪く言われるのが……。私は、ここに隠れていたいです」
弱気な言葉。
アレックスなら、「非合理的だ」と呆れるだろうか。
しかし、彼は静かに機織り機の経糸に指を這わせた。
「ソフィア。機織りにおいて、経糸とは何だ?」
「え? ……経糸は、織機に最初に張る糸です。これがなければ織物は始まりません」
「そうだ。経糸はあらかじめ決められ、ピンと張られ、動かすことはできない。これは運命のようなものだ」
アレックスは、今度はソフィアが手に持っている緯糸を通すシャトル(杼)を指差した。
「対して、緯糸はどうだ? これは君が自由に選べる。色も、素材も、太さも。そして、右から左へ、左から右へ、君の意思で通していくものだ」
彼はソフィアの目を真っ直ぐに見つめた。
「人生は織物だ、ソフィア」
夜の静寂に、その言葉が染み渡る。
「生まれや過去、他人から貼られたレッテル……。そういった経糸(運命)は、残念ながら変えることはできない。君がかつて不遇だったことも、追放されたことも、すでに張られてしまった糸だ」
アレックスはソフィアの手を取り、シャトルを握らせた。
「だが、これから通す緯糸(選択)は、君自身が選べる。過去の経糸に怯えて、地味な色で目立たないように織り続けるのか。それとも、鮮やかな色を通して、過去さえも美しい模様の一部に変えてしまうのか」
「鮮やかな、色……」
「私は君に、私の隣という一番目立つ場所を用意した。だが、そこにどんな糸を通すかは君次第だ」
アレックスは少しだけ目を細め、優しく微笑んだ。
「君はどんな色を織り込む? ……私は、君の選ぶ色なら、どんな奇抜な色でも受け入れる準備はできているぞ」
その言葉を聞いた瞬間、ソフィアの中で何かが解けた。
過去は変えられない。
でも、未来はまだ織られていない。
この人が用意してくれた舞台で、逃げずに新しい糸を通したい。
そう思えた。
「……私、行きます」
ソフィアは顔を上げ、涙を拭って言った。
「王都へ行って、証明したいです。私たちが作った布が、どれほど素晴らしいか。そして、私を選んでくれたアレックス様が、間違っていなかったことを」
「ああ。それでこそ私の助手だ」
アレックスは満足げに頷き、ミルクティーを一口飲んだ。
「それに、安心していい。君が王都でどんな嘘や悪意に晒されようと、私がすべて論理的に分解してやる。君はただ、胸を張って布の話をしていればいい」
「ふふっ。頼もしいです、アレックス様」
二人は顔を見合わせて笑った。
工房の窓から、夜明け前の薄明かりが差し込んでいた。
妨害工作を受けたものの、無事に王都へ到着した第一陣の商品――ソフィア・クロスとクロード・ウォームは、市場で好意的な反応を得ているとの報告が入ったからだ。
だが、執務室のアレックスの表情は険しかった。
「……小手先の妨害は防げても、根本を断たねばイタチごっこだな」
彼は王都からの報告書を机に放り投げた。
オライオン商会をはじめとする既得権益層は、クロード領の製品を田舎者の粗悪品と吹聴し、流通ルートを締め付けようとしているらしい。
「彼らは市場の自由競争を恐れている。ならば、我々が直接王都へ乗り込み、製品の優位性を証明するしかない」
アレックスは決断した。
自ら王都へ赴き、大規模な展示会を開いて貴族や商人の度肝を抜くのだ。
「ソフィア。来週、私と共に王都へ行くぞ。準備をしておけ」
「えっ……?」
給仕をしていたソフィアの手が止まり、ティーカップが音を立ててソーサーにぶつかった。
顔色がさっと青ざめる。
「王都へ……、私も、ですか?」
「当然だ。君は開発アドバイザーであり、商品の顔だ。君の布に対する情熱と説明能力がなければ、あの頭の固い連中を説得できない」
「で、ですが……、私は……」
ソフィアの声が震える。
脳裏に蘇るのは、あのパーティーでの光景だ。
濡れ衣を着せられ、婚約者に罵倒され、軽蔑の視線を浴びたあの日。
追放された自分がのこのこと戻れば、アレックスの名誉に傷がつくかもしれない。
マリアンヌたちがまた何か仕掛けてくるかもしれない。
「……無理です。私が行けば、きっとアレックス様のご迷惑になります」
「迷惑? 何を根拠に?」
「私は泥棒猫で嘘つきのレッテルを貼られた女ですから……。そんな私が隣にいては、商品のイメージまで……」
ソフィアは言葉を続けられず、逃げるように執務室を出て行ってしまった。
深夜。
屋敷の工房には、規則的な機織りの音だけが響いていた。
眠れないソフィアは、一心不乱に機を織っていた。
無心になれば、不安が消える気がしたからだ。
「……こんな夜更けに、精が出ることだ」
不意に背後から声をかけられ、ソフィアはビクリと肩を震わせた。
振り返ると、ガウンを羽織ったアレックスが立っていた。
手には二つのマグカップを持っている。
「アレックス様……。すみません、うるさかったでしょうか」
「いや。君が織る音はリズムが一定で心地いい。……少し、隣いいか?」
彼は返事も待たずに近くの木箱に腰を下ろし、温かいミルクティーが入ったカップを差し出した。
ソフィアはおずおずとそれを受け取る。
「……やはり、王都へ行くのは怖いか?」
「……はい」
ソフィアはカップの湯気を見つめながら、正直に打ち明けた。
「怖いです。また否定されるのが。私のせいで、アレックス様や、領民のみんなが頑張って作った布が悪く言われるのが……。私は、ここに隠れていたいです」
弱気な言葉。
アレックスなら、「非合理的だ」と呆れるだろうか。
しかし、彼は静かに機織り機の経糸に指を這わせた。
「ソフィア。機織りにおいて、経糸とは何だ?」
「え? ……経糸は、織機に最初に張る糸です。これがなければ織物は始まりません」
「そうだ。経糸はあらかじめ決められ、ピンと張られ、動かすことはできない。これは運命のようなものだ」
アレックスは、今度はソフィアが手に持っている緯糸を通すシャトル(杼)を指差した。
「対して、緯糸はどうだ? これは君が自由に選べる。色も、素材も、太さも。そして、右から左へ、左から右へ、君の意思で通していくものだ」
彼はソフィアの目を真っ直ぐに見つめた。
「人生は織物だ、ソフィア」
夜の静寂に、その言葉が染み渡る。
「生まれや過去、他人から貼られたレッテル……。そういった経糸(運命)は、残念ながら変えることはできない。君がかつて不遇だったことも、追放されたことも、すでに張られてしまった糸だ」
アレックスはソフィアの手を取り、シャトルを握らせた。
「だが、これから通す緯糸(選択)は、君自身が選べる。過去の経糸に怯えて、地味な色で目立たないように織り続けるのか。それとも、鮮やかな色を通して、過去さえも美しい模様の一部に変えてしまうのか」
「鮮やかな、色……」
「私は君に、私の隣という一番目立つ場所を用意した。だが、そこにどんな糸を通すかは君次第だ」
アレックスは少しだけ目を細め、優しく微笑んだ。
「君はどんな色を織り込む? ……私は、君の選ぶ色なら、どんな奇抜な色でも受け入れる準備はできているぞ」
その言葉を聞いた瞬間、ソフィアの中で何かが解けた。
過去は変えられない。
でも、未来はまだ織られていない。
この人が用意してくれた舞台で、逃げずに新しい糸を通したい。
そう思えた。
「……私、行きます」
ソフィアは顔を上げ、涙を拭って言った。
「王都へ行って、証明したいです。私たちが作った布が、どれほど素晴らしいか。そして、私を選んでくれたアレックス様が、間違っていなかったことを」
「ああ。それでこそ私の助手だ」
アレックスは満足げに頷き、ミルクティーを一口飲んだ。
「それに、安心していい。君が王都でどんな嘘や悪意に晒されようと、私がすべて論理的に分解してやる。君はただ、胸を張って布の話をしていればいい」
「ふふっ。頼もしいです、アレックス様」
二人は顔を見合わせて笑った。
工房の窓から、夜明け前の薄明かりが差し込んでいた。
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