妹に婚約者を奪われた上に断罪されていたのですが、それが公爵様からの溺愛と逆転劇の始まりでした

水上

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第18話:見えないメッセージ

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 雑誌、糸と論理の成功により、クロード公爵家の名は王都中に轟いていた。
 だが、光が強くなればなるほど、落ちる影もまた濃くなるのが世の常だ。

 ある日の午後。
 執事のセバスチャンが、銀のトレイに載った一通の封筒を執務室へ持ってきた。

「旦那様。差出人不明の奇妙な郵便が届いております」

「差出人不明? ファンレターか、あるいは脅迫状か」

 アレックスは書類から目を離さず、ペーパーナイフで封を切った。

 中から出てきたのは、手紙ではなかった。
 一枚の、真っ白な布切れだ。
 大きさはハンカチ程度。
 文字は一文字も書かれておらず、汚れ一つない純白の布だった。

「……何でしょうか、これ。ただの白い布に見えますが」

 ソフィアが布を透かして見る。

「手触りは……、少し硬いです。絹のようですが、どこかプラスチックのような、人工的な質感があります」

「ふむ。ただの布を送りつけるなど、非合理的な嫌がらせだ。……だが」

 アレックスは布を机の上に置き、モノクルを光らせた。
 彼の直感が、何らかの違和感を捉えていた。

「ソフィア。この布には織り目がない」

「えっ? 本当だわ……。不織布(フエルト)でしょうか? いいえ、透明なフィルムを何層にも重ねたような……」

「これはセロハンに近い、透明な再生セルロースフィルムだ。一見するとただの透明な膜だが、分子が一定方向に引き伸ばされている(配向している)」

 アレックスは引き出しから、黒っぽいガラス板のようなものを二枚取り出した。

「アレックス様、それは?」

「偏光板だ。特定の方向に振動する光だけを通すフィルターだよ」

 彼は二枚の板を重ね合わせ、窓からの光に透かした。
 二枚の向きを九十度ずらすと、光が遮断され、真っ暗になる。

「光は波だ。縦や横、あらゆる方向に振動している。この偏光板は、例えるなら縦の格子がついた柵だ。縦に振動する光しか通さない」

 アレックスは解説しながら、実験の準備を始めた。

 まず、机の上にライトを置き、その上に一枚目の偏光板を敷く。
 そして、送られてきた謎の白い布をその上に置いた。
 最後に、二枚目の偏光板を、角度を変えて上から重ねる。

「いいか、ソフィア。この布(フィルム)の分子がある方向に並んでいると、そこを通る光の振動方向がねじ曲げられる(複屈折)。すると、本来なら遮断されるはずの光が、二枚目の偏光板を通り抜け、色や模様となって浮かび上がる」

 彼はソフィアに上から覗き込むよう促した。

「見てみろ。光の屈折率が生み出す、隠された言葉を」

 ソフィアはゴクリと喉を鳴らし、偏光板越しに布を覗き込んだ。

 肉眼ではただの白い布だったものが、偏光板を通すと、まるでステンドグラスのように虹色に輝き出した。
 そして、その虹色の干渉縞の中に、黒くくっきりと浮かび上がる文字があった。

「……っ!」

 ソフィアは息を呑んだ。
 そこに書かれていたのは、短く、不穏な警告だった。

 『壁に耳あり 裏切り者に注意せよ』

「……壁に耳あり?」

「なるほど。誰かが特殊な方法でフィルムに圧力をかけ、分子配列を乱すことで文字を焼き付けたのか。高度な技術だ」

 アレックスの声には感心が含まれていたが、その瞳は氷のように冷えていた。

「このメッセージを送ってきた人物は、相当な科学知識を持っている。敵か味方かは分からんが、少なくとも我々の現状を正確に把握しているようだ」

「裏切り者って……、まさか、屋敷の中に?」

 ソフィアは青ざめて周囲を見渡した。

 執務室には、信頼できる執事のセバスチャンしかいない。
 だが、この屋敷には多くの使用人が働いている。
 事業が拡大するにつれて、新しく雇った者も多い。
 その中に、敵の手先が紛れ込んでいるというのか。

「怯えるな、ソフィア」

 アレックスは偏光板を置き、震えるソフィアの肩を抱いた。

「警告は鳴らされた。ならば対処すればいいだけの話だ。見えない敵がいるのなら、論理と科学の力で炙り出せばいい」

「あぶり出す……、どうやって?」

「文字通り音を捕まえるのさ。……壁に耳があるなら、その耳を引きちぎってやる」

 アレックスは不敵な笑みを浮かべた。
 その目はすでに、次なる実験――スパイ狩りのための罠を構築し始めていた。

 謎のメッセージは、平穏に見えた屋敷に潜む闇の存在を告げていた。
 ソフィアは虹色に光る布を見つめ、ギュッと拳を握った。
 ここでの生活を、誰にも壊させはしない。
 
 見えないインクよりも鮮明な光の暗号が、二人を新たな事件へと導いていくのだった……。
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