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第19話:壁に耳あり
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壁に耳ありという警告メッセージを受け取った翌日。
アレックスはいつもと変わらぬ涼しい顔で、屋敷の使用人たちを集めた。
「本日午後、応接室にて極秘会議を行う。次なる新商品の配合レシピについてだ。外部への漏洩は許されない。部屋には誰も近づけるな」
その声はよく通り、使用人たちの緊張感を煽った。
だが、これはアレックスが仕掛けた罠だった。
午後二時。
アレックスとソフィアは、重厚な扉を閉ざし、密室となった応接室に向かい合って座っていた。
部屋の窓には分厚いベルベットのカーテンが引かれ、床には毛足の長い絨毯が敷き詰められている。
本来なら、外の音も中の音も遮断する静寂の空間だ。
「……さて」
アレックスは口を開く前に、ポケットから小さなコインを取り出し、テーブルの上に弾いた。
硬質な金属音が部屋に響き、そして微かに反響して消えた。
アレックスの眉がピクリと動く。
「ソフィア。あのカーテンを触ってみろ」
「えっ? はい」
ソフィアは指示通り、窓際の深紅のカーテンに近づき、そのひだを手で掴んだ。
「……あれ?」
「どうだ? いつものベルベットか?」
「いいえ……、見た目は同じですが、手触りが違います。パイル(毛)の弾力がありませんし、なんだか表面が硬くて、コーティングされているような……」
ソフィアは布の裏地を確認し、ハッとした。
「アレックス様! これ、裏側が樹脂で固められています! 織り目が完全に塞がっていますわ!」
「やはりな」
アレックスは満足げに頷き、声をひそめて解説を始めた。
「音というのは空気の振動だ。そして、柔らかく多孔質(穴だらけ)な素材――ウールやベルベット、スポンジなどは、音のエネルギーを繊維内部の摩擦熱に変換して吸収する性質がある。これが、吸音だ」
彼は部屋の壁をコツコツと叩いた。
「この部屋は本来、吸音率の高いカーテンや絨毯で満たされ、話し声が外に漏れないよう設計されていた。……だが、誰かがカーテンを吸音しない素材にすり替えた」
「吸音しないと、どうなるのですか?」
「音は吸収されずに反射する。部屋の中で反響を繰り返し、減衰することなく壁やドアに衝突する。つまり、この部屋全体が巨大なスピーカーボックスになり、壁の向こう側に音を伝えやすくしてしまっているんだ」
アレックスはニヤリと笑った。
「極めて科学的な盗聴工作だ。盗聴器などという高価な魔道具を使わず、ただ内装を変えるだけで会話を外へ漏らすとはな」
「そ、それじゃあ、私たちの今の会話も……?」
「ああ、途中までは廊下にいるネズミには筒抜けだろうな。途中で小声に切り替えてからは、完全に漏れていないとは言えないが、内容を正確には聞き取れなかったはずだ。……だから、餌をくれてやろう」
アレックスは人差し指を口元に当て、悪戯っ子のような顔をした。
そして、わざとらしく大きな声で喋り始めた。
「あー、それで例の不老不死の秘薬の件だが!」
「えっ!? ふ、不老不死ですか!?」
「そうだ! その重要成分は……、トカゲの尻尾の干物とカビたパンの粉末、そして隠し味に、靴下の煮汁だ!」
ソフィアは吹き出しそうになるのを必死で堪えた。
アレックスは真顔で続ける。
「これを黄金の鍋で煮込み、満月の夜に逆立ちして飲む! これが我が家のトップシークレットだ! 絶対に他言無用だぞ!」
アレックスは目配せをし、ソフィアと共に音を立てずにドアの方へ忍び寄った。
そして、勢いよくドアノブを回し、扉を開け放った。
「――確保だ、セバスチャン!」
ドアの向こうには、メモ帳を片手にドアに耳を押し当てていた若い男がいた。
屋敷に最近雇われたばかりの下働き、トムだ。
彼は突然ドアが開いたことに驚き、尻餅をついた。
「うわあっ!?」
「逃がしませんよ」
控えていた執事のセバスチャンが、逃げようとするトムの腕を素早くねじり上げた。
「あ、痛てて! 離してください!」
「……やれやれ。私のジョークを熱心にメモするとは、殊勝な心がけだ」
アレックスはトムが落としたメモ帳を拾い上げた。
そこには震える字で『トカゲ、カビパン、靴下』と書かれている。
「だが、このレシピを盗んだところで、作れるのは不味いスープだけだぞ。……雇い主は誰だ?」
「し、知らない! 俺はただ、頼まれただけで……!」
「嘘をついても無駄だ。お前のポケットに入っているその小瓶」
アレックスはトムのポケットから、小さなガラス瓶を抜き取った。
「これはカーテンに塗られていた樹脂硬化剤と同じ匂いがする。繊維のプロを前にして、証拠を身につけたままとは愚かだな」
科学的な証拠を突きつけられ、トムは観念したようにうなだれた。
「……マリアンヌ様だ」
「何?」
「マリアンヌ・ベルベット様の実家の商会から、金を貰った。『公爵家の新商品の秘密を探れ』って……。もし秘密を持ち帰れば、借金をチャラにしてやるって言われて……」
またしてもマリアンヌの名が出た。
ソフィアは悲しげに目を伏せた。
義妹は、まだソフィアを――いや、クロード公爵家を陥れることを諦めていなかったのだ。
「なるほど。ベルベット商会か。布屋の娘なら、カーテンの素材を変えれば音が漏れることくらい知っていて当然か」
アレックスは冷徹な眼差しでトムを見下ろした。
「セバスチャン、この男を憲兵に突き出せ。そして、屋敷中のカーテンと絨毯をすべて点検し直すんだ。……吸音率の低下は、セキュリティホールと同じだ」
「畏まりました」
連行されていくトムを見送りながら、アレックスはソフィアの方を向いた。
「ソフィア。これでネズミは一匹捕まえたが、敵の巣穴(マリアンヌたち)はまだ健在だ。……王都の夜会への招待状が来ていたな?」
「はい。来週開催される、王家主催の舞踏会です」
「そこが決戦の場になるだろう。向こうが音を盗もうとしたのなら、我々はもっと大きな音を鳴らしてやろうじゃないか」
アレックスはニヤリと笑った。
「世界を驚かせる、青い衝撃をな」
スパイ騒動は幕を閉じたが、それは嵐の前の静けさに過ぎなかった。
次なる舞台は煌びやかな夜会。
そこで二人は、化学の粋を集めた青で、マリアンヌたちを迎え撃つことになるのだった……。
アレックスはいつもと変わらぬ涼しい顔で、屋敷の使用人たちを集めた。
「本日午後、応接室にて極秘会議を行う。次なる新商品の配合レシピについてだ。外部への漏洩は許されない。部屋には誰も近づけるな」
その声はよく通り、使用人たちの緊張感を煽った。
だが、これはアレックスが仕掛けた罠だった。
午後二時。
アレックスとソフィアは、重厚な扉を閉ざし、密室となった応接室に向かい合って座っていた。
部屋の窓には分厚いベルベットのカーテンが引かれ、床には毛足の長い絨毯が敷き詰められている。
本来なら、外の音も中の音も遮断する静寂の空間だ。
「……さて」
アレックスは口を開く前に、ポケットから小さなコインを取り出し、テーブルの上に弾いた。
硬質な金属音が部屋に響き、そして微かに反響して消えた。
アレックスの眉がピクリと動く。
「ソフィア。あのカーテンを触ってみろ」
「えっ? はい」
ソフィアは指示通り、窓際の深紅のカーテンに近づき、そのひだを手で掴んだ。
「……あれ?」
「どうだ? いつものベルベットか?」
「いいえ……、見た目は同じですが、手触りが違います。パイル(毛)の弾力がありませんし、なんだか表面が硬くて、コーティングされているような……」
ソフィアは布の裏地を確認し、ハッとした。
「アレックス様! これ、裏側が樹脂で固められています! 織り目が完全に塞がっていますわ!」
「やはりな」
アレックスは満足げに頷き、声をひそめて解説を始めた。
「音というのは空気の振動だ。そして、柔らかく多孔質(穴だらけ)な素材――ウールやベルベット、スポンジなどは、音のエネルギーを繊維内部の摩擦熱に変換して吸収する性質がある。これが、吸音だ」
彼は部屋の壁をコツコツと叩いた。
「この部屋は本来、吸音率の高いカーテンや絨毯で満たされ、話し声が外に漏れないよう設計されていた。……だが、誰かがカーテンを吸音しない素材にすり替えた」
「吸音しないと、どうなるのですか?」
「音は吸収されずに反射する。部屋の中で反響を繰り返し、減衰することなく壁やドアに衝突する。つまり、この部屋全体が巨大なスピーカーボックスになり、壁の向こう側に音を伝えやすくしてしまっているんだ」
アレックスはニヤリと笑った。
「極めて科学的な盗聴工作だ。盗聴器などという高価な魔道具を使わず、ただ内装を変えるだけで会話を外へ漏らすとはな」
「そ、それじゃあ、私たちの今の会話も……?」
「ああ、途中までは廊下にいるネズミには筒抜けだろうな。途中で小声に切り替えてからは、完全に漏れていないとは言えないが、内容を正確には聞き取れなかったはずだ。……だから、餌をくれてやろう」
アレックスは人差し指を口元に当て、悪戯っ子のような顔をした。
そして、わざとらしく大きな声で喋り始めた。
「あー、それで例の不老不死の秘薬の件だが!」
「えっ!? ふ、不老不死ですか!?」
「そうだ! その重要成分は……、トカゲの尻尾の干物とカビたパンの粉末、そして隠し味に、靴下の煮汁だ!」
ソフィアは吹き出しそうになるのを必死で堪えた。
アレックスは真顔で続ける。
「これを黄金の鍋で煮込み、満月の夜に逆立ちして飲む! これが我が家のトップシークレットだ! 絶対に他言無用だぞ!」
アレックスは目配せをし、ソフィアと共に音を立てずにドアの方へ忍び寄った。
そして、勢いよくドアノブを回し、扉を開け放った。
「――確保だ、セバスチャン!」
ドアの向こうには、メモ帳を片手にドアに耳を押し当てていた若い男がいた。
屋敷に最近雇われたばかりの下働き、トムだ。
彼は突然ドアが開いたことに驚き、尻餅をついた。
「うわあっ!?」
「逃がしませんよ」
控えていた執事のセバスチャンが、逃げようとするトムの腕を素早くねじり上げた。
「あ、痛てて! 離してください!」
「……やれやれ。私のジョークを熱心にメモするとは、殊勝な心がけだ」
アレックスはトムが落としたメモ帳を拾い上げた。
そこには震える字で『トカゲ、カビパン、靴下』と書かれている。
「だが、このレシピを盗んだところで、作れるのは不味いスープだけだぞ。……雇い主は誰だ?」
「し、知らない! 俺はただ、頼まれただけで……!」
「嘘をついても無駄だ。お前のポケットに入っているその小瓶」
アレックスはトムのポケットから、小さなガラス瓶を抜き取った。
「これはカーテンに塗られていた樹脂硬化剤と同じ匂いがする。繊維のプロを前にして、証拠を身につけたままとは愚かだな」
科学的な証拠を突きつけられ、トムは観念したようにうなだれた。
「……マリアンヌ様だ」
「何?」
「マリアンヌ・ベルベット様の実家の商会から、金を貰った。『公爵家の新商品の秘密を探れ』って……。もし秘密を持ち帰れば、借金をチャラにしてやるって言われて……」
またしてもマリアンヌの名が出た。
ソフィアは悲しげに目を伏せた。
義妹は、まだソフィアを――いや、クロード公爵家を陥れることを諦めていなかったのだ。
「なるほど。ベルベット商会か。布屋の娘なら、カーテンの素材を変えれば音が漏れることくらい知っていて当然か」
アレックスは冷徹な眼差しでトムを見下ろした。
「セバスチャン、この男を憲兵に突き出せ。そして、屋敷中のカーテンと絨毯をすべて点検し直すんだ。……吸音率の低下は、セキュリティホールと同じだ」
「畏まりました」
連行されていくトムを見送りながら、アレックスはソフィアの方を向いた。
「ソフィア。これでネズミは一匹捕まえたが、敵の巣穴(マリアンヌたち)はまだ健在だ。……王都の夜会への招待状が来ていたな?」
「はい。来週開催される、王家主催の舞踏会です」
「そこが決戦の場になるだろう。向こうが音を盗もうとしたのなら、我々はもっと大きな音を鳴らしてやろうじゃないか」
アレックスはニヤリと笑った。
「世界を驚かせる、青い衝撃をな」
スパイ騒動は幕を閉じたが、それは嵐の前の静けさに過ぎなかった。
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