妹に婚約者を奪われた上に断罪されていたのですが、それが公爵様からの溺愛と逆転劇の始まりでした

水上

文字の大きさ
25 / 44

第25話:爆発するドレス

しおりを挟む
 偽りのモーブの件で赤っ恥をかき、逃げるように会場を後にしたマリアンヌ。
 だが、彼女は帰宅したわけではなかった。
 王城のゲストルームの一室で、彼女は鏡に映る自分の顔を睨みつけ、ギリギリと奥歯を噛み締めていた。

「許さない……、許さないわ、ソフィア! それに、あの公爵……。私が主役になるはずだったのに、私の家宝を偽物呼ばわりして……!」

 プライドをズタズタに引き裂かれた彼女の目には、狂気じみた光が宿っていた。

 彼女は手元にある小箱を撫でた。
 それは、実家の商会に出入りしていた怪しげな錬金術師から、最新の技術で作った、シルクのように艶やかで、羽のように軽いレースとして売り込まれたものだった。

「これよ……。このレースをあの子のドレスに付ければ、きっと……」

 マリアンヌは歪んだ笑みを浮かべ、ベルを鳴らして買収済みの侍女を呼んだ。

     *

 その頃、ソフィアは夜会の喧騒を離れ、王城のテラスで夜風に当たっていた。
 アレックスは国王への挨拶と、ビジネスの商談のために一時的に席を外している。

「……ふぅ」

 夢のような時間だった。

 アレックスのおかげで、誰も自分を馬鹿にしなかった。
 むしろ、多くの貴族が「そのドレスはどこで買えるのか」と興味津々に話しかけてきた。
 緊張が解け、心地よい疲労感に包まれていると、背後から侍女が近づいてきた。

「ソフィア・リネン様ですね?」

「はい?」

「マリアンヌ様からです。『先ほどは取り乱して申し訳ありませんでした。謝罪の印に、このショールをお使いください』とのことです」

 侍女が差し出したのは、白く透き通るような美しいレースのショールだった。
 繊細な光沢があり、見るからに高級品だ。

「マリアンヌが、これを……?」

 ソフィアは戸惑った。
 あの義妹が素直に謝るとは思えない。
 だが、衆人環視の王城で、毒物を渡すようなリスクは冒さないだろう。

 それに、受け取らなければまた「姉は冷たい」と騒がれるかもしれない。

「……分かりました。ありがとうと伝えてください」

 ソフィアは警戒しつつも、肌寒かったこともあり、そのショールを受け取り肩に羽織った。
 驚くほど軽い。
 まるで空気のようだ。

(……少し、酸っぱい匂いがする?)

 微かな違和感を覚えたが、新しい糊の匂いかと思い、深くは気にしなかった。

 その時、テラスの入り口付近にマリアンヌの姿が見えた。
 彼女は柱の陰から、じっとこちらを見つめている。

 その視線が、ソフィアの背筋を凍らせた。
 謝罪をする人の目ではない。
 獲物がかかるのを待つ、蛇の目だ。

「ごきげんよう、お姉様」

 マリアンヌがゆっくりと近づいてくる。

「夜風が冷えますわね。……暖房をお持ちしましょうか?」

 マリアンヌの手には、燭台が握られていた。揺らめく蝋燭の火。
 彼女はわざとらしく躓くふりをして、その火をソフィアの方へ突き出した。

「きゃっ!?」

 ソフィアが避けるよりも早く、蝋燭の炎が、肩に羽織ったショールの端にかすった。

 普通なら、布に火が移っても、燃え広がるには時間がかかる。
 慌てて叩けば消えるはずだ。
 だが――。

 音を立てて、ショールが爆発的に発火した。

 それは燃えるという生易しい現象ではなかった。
 オレンジ色の閃光が、一瞬にしてソフィアの上半身を包み込んだのだ。

「いやっ……!」

 熱さと恐怖で悲鳴を上げる。
 布が肌に張り付く暇もなく、炎は生き物のように舞い上がり、ソフィアの髪を焦がそうとする。

「ソフィア!!」

 雷鳴のような叫び声と共に、黒い影が飛び込んできた。

 商談を切り上げて戻ってきたアレックスだ。
 彼は迷わず自分の燕尾服を脱ぎ捨てると、炎に包まれたソフィアに覆い被さり、強引にショールを引き剥がして地面に叩きつけた。

 地面に落ちたショールは、一瞬で燃え尽き、白い灰すら残さずに消滅した。

「はぁ、はぁ……、ソフィア! 無事か!?」

 アレックスがソフィアの体を抱き起こす。
 幸い、アレックスの素早い対処と、ソフィアが着ていたドレス(難燃加工された綿)のおかげで、火傷は頬が少し赤くなった程度で済んでいた。

 しかし、恐怖で震えが止まらない。

「あ、あら大変! ごめんなさいお姉様、手が滑って……! でも、綿のレースなんて着ているから、よく燃えたのですわ!」

 マリアンヌが白々しく口元を押さえる。

 事故を装うつもりなのだろう。
 だが、アレックスはソフィアを抱きしめたまま、ゆっくりと顔を上げた。
 その瞳には、今まで見たこともないほどの激しい怒り――殺意に近い冷徹な光が宿っていた。

「……よく燃えた、だと?」

「え、ええ。綿は燃えやすいものですもの」

「ふざけるな」

 アレックスは立ち上がり、燃え尽きずに僅かに残ったショールの断片をハンカチで拾い上げた。

「綿(セルロース)の燃焼速度は秒速数センチメートルだ。だが今、この布は閃光を発し、一瞬で消失した。これは燃焼ではない。爆発だ」

 彼はマリアンヌに詰め寄る。

「貴様、この布に何をした? ……いや、聞くまでもない」

 アレックスは拾い上げた断片の匂いを嗅ぎ、確信を持って断言した。

「硝酸の匂い。そしてこの激しい燃焼性。……これはただのレースではない。綿を硝酸と硫酸の混酸で処理したニトロセルロース――またの名をガンコットン(綿火薬)だ!」

「め、綿火薬……?」

 聞き慣れない言葉に、周囲に集まってきた貴族たちがざわめく。

「そうだ。見た目は綿と変わらないが、分子構造が違う。セルロースの水酸基がニトロ基に置換された、極めて危険な可燃性物質だ。わずかな火花や衝撃で爆発的に燃焼する。……火球そのものだ」

 アレックスは、その化学式を暗唱した。
 そして、そのあと冷酷に告げた。

「それがこの殺人兵器の正体だ。貴様はそれを謝罪の品としてソフィアの首に巻かせ、火を近づけた。……これは過失ではない。明確な殺意を持った、爆殺未遂だ!」

「ち、違いますわ! 私はただ、綺麗なレースだと聞いて……!」

「黙れ!」

 アレックスの怒号がテラスを震わせた。

「知らなかったで済む話ではない! もし私が来るのが一秒遅れていたら、ソフィアの顔は大火傷を負い、命さえ危うかった! 貴様のその浅はかな虚栄心と悪意が、私の大切な人を灰にしようとしたのだ!」

 マリアンヌは腰を抜かし、ガタガタと震え出した。
 アレックスの剣幕と、爆殺未遂という言葉の重みに、言い逃れができないことを悟ったのだ。

「衛兵! この女を拘束しろ! 現行犯だ!」

 駆けつけた衛兵たちがマリアンヌを取り囲む。
 騒ぎを聞きつけたギルバート王子もやってきたが、アレックスの鬼気迫る表情を見て、助け船を出すどころか立ち尽くすしかなかった。

「……ソフィア」

 アレックスは震えるソフィアを再び抱きしめた。
 その腕は強く、けれど壊れ物を扱うように優しかった。

「すまない……。目を離すべきではなかった。怖かっただろう」

「アレックス様……」 

「許さない。君を傷つけようとした奴は、この私が社会的に、物理的に、徹底的に漂白してやる。……存在ごと消し去ってやる」

 耳元で囁かれたその言葉は、ソフィアへの愛情を示すと同時に、敵への死刑宣告だった。
 マリアンヌが連行されていく背中を見ながら、ソフィアはアレックスの胸に顔を埋めた。

 ドレスは少し焦げてしまったけれど、二人の絆は、炎の試練を経てより強固なものへと変わっていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

一年後に離婚すると言われてから三年が経ちましたが、まだその気配はありません。

木山楽斗
恋愛
「君とは一年後に離婚するつもりだ」 結婚して早々、私は夫であるマグナスからそんなことを告げられた。 彼曰く、これは親に言われて仕方なくした結婚であり、義理を果たした後は自由な独り身に戻りたいらしい。 身勝手な要求ではあったが、その気持ちが理解できない訳ではなかった。私もまた、親に言われて結婚したからだ。 こうして私は、一年間の期限付きで夫婦生活を送ることになった。 マグナスは紳士的な人物であり、最初に言ってきた要求以外は良き夫であった。故に私は、それなりに楽しい生活を送ることができた。 「もう少し様子を見たいと思っている。流石に一年では両親も納得しそうにない」 一年が経った後、マグナスはそんなことを言ってきた。 それに関しては、私も納得した。彼の言う通り、流石に離婚までが早すぎると思ったからだ。 それから一年後も、マグナスは離婚の話をしなかった。まだ様子を見たいということなのだろう。 夫がいつ離婚を切り出してくるのか、そんなことを思いながら私は日々を過ごしている。今の所、その気配はまったくないのだが。

【完結】男装して会いに行ったら婚約破棄されていたので、近衛として地味に復讐したいと思います。

銀杏鹿
恋愛
次期皇后のアイリスは、婚約者である王に会うついでに驚かせようと、男に変装し近衛として近づく。 しかし、王が自分以外の者と結婚しようとしていると知り、怒りに震えた彼女は、男装を解かないまま、復讐しようと考える。 しかし、男装が完璧過ぎたのか、王の意中の相手やら、王弟殿下やら、その従者に目をつけられてしまい……

【12月末日公開終了】これは裏切りですか?

たぬきち25番
恋愛
転生してすぐに婚約破棄をされたアリシアは、嫁ぎ先を失い、実家に戻ることになった。 だが、実家戻ると『婚約破棄をされた娘』と噂され、家族の迷惑になっているので出て行く必要がある。 そんな時、母から住み込みの仕事を紹介されたアリシアは……?

愛しの第一王子殿下

みつまめ つぼみ
恋愛
 公爵令嬢アリシアは15歳。三年前に魔王討伐に出かけたゴルテンファル王国の第一王子クラウス一行の帰りを待ちわびていた。  そして帰ってきたクラウス王子は、仲間の訃報を口にし、それと同時に同行していた聖女との婚姻を告げる。  クラウスとの婚約を破棄されたアリシアは、言い寄ってくる第二王子マティアスの手から逃れようと、国外脱出を図るのだった。  そんなアリシアを手助けするフードを目深に被った旅の戦士エドガー。彼とアリシアの逃避行が、今始まる。

虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました

たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。

「陛下、子種を要求します!」~陛下に離縁され追放される七日の間にかなえたい、わたしのたったひとつの願い事。その五年後……~

ぽんた
恋愛
「七日の後に離縁の上、実質上追放を言い渡す。そのあとは、おまえは王都から連れだされることになる。人質であるおまえを断罪したがる連中がいるのでな。信用のおける者に生活できるだけの金貨を渡し、託している。七日間だ。おまえの国を攻略し、おまえを人質に差し出した父王と母后を処分したわが軍が戻ってくる。そのあと、おまえは命以外のすべてを失うことになる」 その日、わたしは内密に告げられた。小国から人質として嫁いだ親子ほど年齢の離れた国王である夫に。 わたしは決意した。ぜったいに願いをかなえよう。たったひとつの望みを陛下にかなえてもらおう。 そう。わたしには陛下から授かりたいものがある。 陛下から与えてほしいたったひとつのものがある。 この物語は、その五年後のこと。 ※ハッピーエンド確約。ご都合主義のゆるゆる設定はご容赦願います。

お子ちゃま王子様と婚約破棄をしたらその後出会いに恵まれました

さこの
恋愛
   私の婚約者は一つ歳下の王子様。私は伯爵家の娘で資産家の娘です。  学園卒業後は私の家に婿入りすると決まっている。第三王子殿下と言うこともあり甘やかされて育って来て、子供の様に我儘。 婚約者というより歳の離れた弟(出来の悪い)みたい……  この国は実力主義社会なので、我儘王子様は婿入りが一番楽なはずなんだけど……    私は口うるさい?   好きな人ができた?  ……婚約破棄承りました。  全二十四話の、五万字ちょっとの執筆済みになります。完結まで毎日更新します( .ˬ.)"

婚約者を奪った妹と縁を切ったので、家から離れ“辺境領”を継ぎました。 すると勇者一行までついてきたので、領地が最強になったようです

藤原遊
ファンタジー
婚約発表の場で、妹に婚約者を奪われた。 家族にも教会にも見放され、聖女である私・エリシアは “不要” と切り捨てられる。 その“褒賞”として押しつけられたのは―― 魔物と瘴気に覆われた、滅びかけの辺境領だった。 けれど私は、絶望しなかった。 むしろ、生まれて初めて「自由」になれたのだ。 そして、予想外の出来事が起きる。 ――かつて共に魔王を倒した“勇者一行”が、次々と押しかけてきた。 「君をひとりで行かせるわけがない」 そう言って微笑む勇者レオン。 村を守るため剣を抜く騎士。 魔導具を抱えて駆けつける天才魔法使い。 物陰から見守る斥候は、相変わらず不器用で優しい。 彼らと力を合わせ、私は土地を浄化し、村を癒し、辺境の地に息を吹き返す。 気づけば、魔物巣窟は制圧され、泉は澄み渡り、鉱山もダンジョンも豊かに開き―― いつの間にか領地は、“どの国よりも最強の地”になっていた。 もう、誰にも振り回されない。 ここが私の新しい居場所。 そして、隣には――かつての仲間たちがいる。 捨てられた聖女が、仲間と共に辺境を立て直す。 これは、そんな私の第二の人生の物語。

処理中です...