妹に婚約者を奪われた上に断罪されていたのですが、それが公爵様からの溺愛と逆転劇の始まりでした

水上

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第26話:漂白の怒り

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 爆発事件の直後、ソフィアは王城の一室に運び込まれた。

 幸いにも火傷は軽微で、頬が少し赤くなった程度だったが、精神的なショックは大きかった。
 アレックスは宮廷医師を下がらせると、自ら氷嚢をソフィアの頬に当て、その場から一歩も動こうとしなかった。

「……痛むか?」

「いいえ、もう平気です。アレックス様がすぐに冷やしてくださったおかげで……」

 ソフィアは気丈に振る舞おうとしたが、アレックスの瞳に見つめられると、強張っていた心が解け、また涙が滲んできた。

「ごめんなさい。せっかくの夜会を、台無しにしてしまって」

「謝るな」

 アレックスは短く遮ると、ソフィアの手を強く握った。

「台無しにしたのは君ではない。あの害虫どもだ」

 その声は低く、地を這うような重低音だった。
 普段の彼が使う皮肉やジョークの色は消え失せ、純粋な怒りだけが煮えたぎっている。

「マリアンヌは拘束された。殺人未遂の現行犯だ。王家主催の夜会での凶行となれば、ベルベット家とてタダでは済まない。……だが」

 アレックスの瞳の奥で、冷たい炎が揺らめいた。

「法による裁きだけでは生ぬるい。牢屋に入れて終わりなど、彼女が犯した罪――君の肌に傷をつけ、恐怖を植え付けた罪の重さに釣り合わない」

「ア、アレックス様……?」

「ソフィア。私は君に誓ったな。君を守る裏地になると」

 彼は氷嚢をサイドテーブルに置き、ソフィアの顔を両手で包み込んだ。

「裏地の役割は、表地を守ることだけではない。表地を汚す原因を排除することも含まれる。……シミ抜きと同じだ」

 アレックスは、呪文のように恐ろしい言葉を、愛おしげに囁いた。

「君を傷つける奴は、僕が全て漂白してやる。存在ごとね」

 ――漂白。

 それは、汚れを落とすことではない。
 色素を破壊し、無色化し、痕跡すら残さず消し去ることだ。

「マリアンヌという個人の暴走で片付けるつもりはない。彼女にあの綿火薬を渡した者、そして彼女の歪んだ虚栄心を育てた実家……、ベルベット商会そのものを標的にする」

 アレックスは立ち上がり、窓の外の夜景を見下ろした。
 王都の灯りが、彼には獲物の群れに見えているようだった。

「ベルベット家の資金源は、古臭い伝統にあぐらをかいた藍染めと、国軍へのテント納入だ。これらをすべて奪い取り、彼らを経済的に干上がらせる」

「そんなこと……、できるのですか?」

「容易いことだ。彼らの技術は一世紀前のものだ。私の科学力で、市場ごと上書きすればいい」

 彼は振り返り、ニヤリと笑った。
 それは魔王の如き凶悪な笑みだったが、ソフィアには頼もしく見えた。

「まずは青だ。彼らが誇る天然の藍染めを、もっと安く、もっと美しく、もっと大量に供給できる合成インディゴで駆逐する。……彼らの商売の色を、完全に抜いてやるのさ」

 徹底的な報復宣言。

 本来なら恐ろしい話だが、ソフィアの胸には温かいものが満ちていた。
 怒ってくれている。
 自分のために、本気で。

 世界を敵に回してでも守ろうとしてくれる人がいる。

「……アレックス様」

 ソフィアはベッドから起き上がり、彼の背中に抱きついた。

「ありがとうございます。……でも、あまり無理はしないでくださいね。漂白剤は、強すぎると生地まで傷めてしまいますから」

「ふっ……。君に心配されるとはな」

 アレックスは振り返り、ソフィアを抱きしめ返した。
 その腕の中は、先ほどの怒りが嘘のように穏やかだった。

「安心しろ。君という生地には指一本触れさせない。私は君専用の、最高に過保護な漂白剤になるつもりだからな」

 彼はソフィアの赤くなった頬に、労わるように口付けた。

「さあ、帰ろう。ここは空気が悪い。……明日からは忙しくなるぞ。ベルベット家を更地にするための、最高に楽しい実験の始まりだ」

 二人は夜明け前の王城を後にした。

 マリアンヌの逮捕は序章に過ぎない。
 クロード公爵家による、ベルベット商会への容赦なき経済制裁が、いま幕を開けようとしていた。
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