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第27話:青の衝撃
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マリアンヌが逮捕された翌日。
彼女の実家であるベルベット商会の当主、ガストン・ベルベット伯爵は、王都の執務室で怒り狂っていた。
「おのれ、クロード公爵め……! 我が娘を牢にぶち込むとは、何の権限があって!」
彼は机を叩き、ブランデーを煽った。
マリアンヌの弁護士を雇おうにも、王家主催の夜会での爆発騒ぎだ。
誰もが関わり合いになるのを恐れ、手を引いていく。
だが、ガストンにはまだ余裕があった。
「ふん。娘は可愛そうだが、我が商会が揺らぐことはない。我々は、この国の青を握っているのだからな」
ベルベット商会の主力商品は、伝統的な藍染めだ。
植物から抽出するその深い青色は、騎士団の制服や貴族の礼服に欠かせない。
生産には熟練の技術と長い時間が必要で、他社には真似できない独占産業だった。
「クロード公爵がいくら新しい布を作ろうと、この高貴な青だけは作れまい。騎士団からの定期注文がある限り、我々は安泰だ」
ガストンは高笑いした。
だが彼は知らなかった。
その高貴な青こそが、アレックスが定めた最初の標的であることを。
*
同時刻。
クロード公爵家の実験室。
アレックスは、ビーカーの中でキラキラと輝く青い粉末をソフィアに見せていた。
「綺麗……。まるでサファイアを砕いたようです」
「これが、ベルベット家を葬り去るための兵器だ」
アレックスは冷徹に告げた。
「藍染めの主成分はインディゴチンだ。従来、これはタデ藍などの植物を発酵させ、何ヶ月もかけて泥状のすくもを作り、そこから抽出していた。天候に左右され、手間がかかり、品質も安定しない。だから高価になる」
彼は青い粉末を指先で弾いた。
「だが、この粉末は違う。石油由来の化学物質から、分子構造を人工的に組み上げた合成インディゴだ」
「人工的に……、これ全部が、ですか?」
「そうだ。植物を育てる必要も、腐らせる必要もない。工場でフラスコを振れば、純度100%のインディゴが、天然の百分の一の時間とコストで無限に作れる」
アレックスは、染め上がったばかりの布を広げた。
それは、マリアンヌの実家が作る藍染めよりも遥かに鮮やかで、深く、吸い込まれるような青色をしていた。
「天然物は不純物が混じるため、色がくすむ。だが合成品は純粋だ。この鮮烈な青……、これからはクロード・ブルーと呼ぶべきか」
アレックスは、その布をソフィアに手渡した。
「ソフィア。これを市場に流す。価格はベルベット商会の十分の一だ」
「じゅ、十分の一!? そんな安値で売ってしまっていいのですか?」
「利益は度外視だ。目的は金儲けではない。洗浄だ」
彼の瞳は、実験の成功を喜ぶ科学者のものではなく、敵を殲滅する指揮官のものだった。
「市場をこの青で塗り潰し、彼らの在庫をただのゴミに変える。……行くぞ。ショータイムだ」
数日後、王都の繊維市場はパニックに陥っていた。
クロード公爵家の店舗前に、見たこともないほど長い行列ができていたからだ。
「おい、聞いたか? クロード様の店で、最高級の藍染めが銅貨数枚で売られてるぞ!」
「嘘だろ? 藍染めなんて、金貨一枚はする高級品だぞ」
「本当だ! しかも、色が段違いに綺麗なんだ!」
人々が奪い合うように買っていくのは、合成インディゴで染められたシャツや手ぬぐいだ。
洗濯しても色落ちしにくく、ムラのない均一な青。
それが信じられない安値で手に入る。
平民だけでなく、ベルベット商会の常連だった貴族や騎士たちまでもが、こぞって列に並び始めた。
「な、なんだこれは……!」
騒ぎを聞きつけてやってきたガストン・ベルベット伯爵は、目の前の光景に愕然とした。
自分の店は閑古鳥が鳴いているのに、向かいのクロード家の店は山のような人だかりだ。
「おい! こんな安値で売って、偽物に決まっているだろう! 騙されるな! 本物の藍染めは、もっと泥臭くて深みがあるものだ!」
ガストンが客に向かって叫ぶが、誰も耳を貸さない。
そこへ、アレックスが悠然と姿を現した。
「やあ、ベルベット伯爵。ご自慢の伝統の青は売れていないようですね」
「き、貴様クロード! 魔法を使って粗悪品をばら撒いたな! これはダンピング(不当廉売)だ!」
「粗悪品? ……ソフィア、比較実験だ」
隣に控えていたソフィアが、二枚の布を水に浸し、強く擦り合わせた。
一枚はベルベット商会の天然藍染め、もう一枚は合成インディゴ染めだ。
「ご覧ください。ベルベット商会の布は、不純物が多いため、洗うと色が濁り、他の布に色移りしてしまいます。対して、こちらの合成インディゴは……」
水から引き上げたクロード家の布は、鮮やかな青を保ったままだ。
水もほとんど汚れていない。
「化学構造は同じでも、純度が違う。これが科学の力です」
ソフィアが凛とした声で告げる。
アレックスは、ガストンの目の前に青い布を突きつけた。
「貴殿が伝統にあぐらをかいて技術革新を怠っている間に、世界は進化したのだよ。貴殿の青は、もはや古いのではない。汚いのだ」
汚い。
その言葉に、ガストンは顔を真っ赤にして後ずさった。
周囲の客たちが囁き合う。
「確かに、こっちの青の方がずっと綺麗だわ」
「今までの高い藍染めは何だったんだ?」
「もうベルベットの店で買う理由なんてないな」
市場の評価は残酷だ。
より良く、より安いものが現れれば、古いものは駆逐される。
「お、終わりだ……。騎士団の納入契約も、これでは……」
ガストンはその場に膝をついた。
主力商品が売れなくなれば、商会を維持する資金は枯渇する。
マリアンヌの保釈金を積むどころか、明日のパン代にも困ることになるだろう。
アレックスは、崩れ落ちる伯爵を見下ろし、冷たく言い放った。
「これはまだ第一段階だ。次はテントの防水加工について、商工会議所でプレゼンを行う予定だが……、聞く気力は残っているか?」
「ひぃっ……!」
ガストンは悲鳴を上げて逃げ出した。
その背中を見送りながら、アレックスはふぅ、と息を吐いた。
「……まずは一色、漂白完了だ」
「アレックス様。少し、やりすぎでは?」
「いいや。彼らは君を燃やそうとした。これくらいの経済的熱傷は負ってもらわないと割に合わん」
アレックスは、鮮やかな青の布をソフィアの肩にかけた。
「それに、この青は君によく似合う。……良い色だ」
「ふふ。ありがとうございます」
王都の市場を青一色に染め上げたその光景は、ベルベット家の没落と、クロード家の完全勝利を鮮烈に印象づけるものとなった。
彼女の実家であるベルベット商会の当主、ガストン・ベルベット伯爵は、王都の執務室で怒り狂っていた。
「おのれ、クロード公爵め……! 我が娘を牢にぶち込むとは、何の権限があって!」
彼は机を叩き、ブランデーを煽った。
マリアンヌの弁護士を雇おうにも、王家主催の夜会での爆発騒ぎだ。
誰もが関わり合いになるのを恐れ、手を引いていく。
だが、ガストンにはまだ余裕があった。
「ふん。娘は可愛そうだが、我が商会が揺らぐことはない。我々は、この国の青を握っているのだからな」
ベルベット商会の主力商品は、伝統的な藍染めだ。
植物から抽出するその深い青色は、騎士団の制服や貴族の礼服に欠かせない。
生産には熟練の技術と長い時間が必要で、他社には真似できない独占産業だった。
「クロード公爵がいくら新しい布を作ろうと、この高貴な青だけは作れまい。騎士団からの定期注文がある限り、我々は安泰だ」
ガストンは高笑いした。
だが彼は知らなかった。
その高貴な青こそが、アレックスが定めた最初の標的であることを。
*
同時刻。
クロード公爵家の実験室。
アレックスは、ビーカーの中でキラキラと輝く青い粉末をソフィアに見せていた。
「綺麗……。まるでサファイアを砕いたようです」
「これが、ベルベット家を葬り去るための兵器だ」
アレックスは冷徹に告げた。
「藍染めの主成分はインディゴチンだ。従来、これはタデ藍などの植物を発酵させ、何ヶ月もかけて泥状のすくもを作り、そこから抽出していた。天候に左右され、手間がかかり、品質も安定しない。だから高価になる」
彼は青い粉末を指先で弾いた。
「だが、この粉末は違う。石油由来の化学物質から、分子構造を人工的に組み上げた合成インディゴだ」
「人工的に……、これ全部が、ですか?」
「そうだ。植物を育てる必要も、腐らせる必要もない。工場でフラスコを振れば、純度100%のインディゴが、天然の百分の一の時間とコストで無限に作れる」
アレックスは、染め上がったばかりの布を広げた。
それは、マリアンヌの実家が作る藍染めよりも遥かに鮮やかで、深く、吸い込まれるような青色をしていた。
「天然物は不純物が混じるため、色がくすむ。だが合成品は純粋だ。この鮮烈な青……、これからはクロード・ブルーと呼ぶべきか」
アレックスは、その布をソフィアに手渡した。
「ソフィア。これを市場に流す。価格はベルベット商会の十分の一だ」
「じゅ、十分の一!? そんな安値で売ってしまっていいのですか?」
「利益は度外視だ。目的は金儲けではない。洗浄だ」
彼の瞳は、実験の成功を喜ぶ科学者のものではなく、敵を殲滅する指揮官のものだった。
「市場をこの青で塗り潰し、彼らの在庫をただのゴミに変える。……行くぞ。ショータイムだ」
数日後、王都の繊維市場はパニックに陥っていた。
クロード公爵家の店舗前に、見たこともないほど長い行列ができていたからだ。
「おい、聞いたか? クロード様の店で、最高級の藍染めが銅貨数枚で売られてるぞ!」
「嘘だろ? 藍染めなんて、金貨一枚はする高級品だぞ」
「本当だ! しかも、色が段違いに綺麗なんだ!」
人々が奪い合うように買っていくのは、合成インディゴで染められたシャツや手ぬぐいだ。
洗濯しても色落ちしにくく、ムラのない均一な青。
それが信じられない安値で手に入る。
平民だけでなく、ベルベット商会の常連だった貴族や騎士たちまでもが、こぞって列に並び始めた。
「な、なんだこれは……!」
騒ぎを聞きつけてやってきたガストン・ベルベット伯爵は、目の前の光景に愕然とした。
自分の店は閑古鳥が鳴いているのに、向かいのクロード家の店は山のような人だかりだ。
「おい! こんな安値で売って、偽物に決まっているだろう! 騙されるな! 本物の藍染めは、もっと泥臭くて深みがあるものだ!」
ガストンが客に向かって叫ぶが、誰も耳を貸さない。
そこへ、アレックスが悠然と姿を現した。
「やあ、ベルベット伯爵。ご自慢の伝統の青は売れていないようですね」
「き、貴様クロード! 魔法を使って粗悪品をばら撒いたな! これはダンピング(不当廉売)だ!」
「粗悪品? ……ソフィア、比較実験だ」
隣に控えていたソフィアが、二枚の布を水に浸し、強く擦り合わせた。
一枚はベルベット商会の天然藍染め、もう一枚は合成インディゴ染めだ。
「ご覧ください。ベルベット商会の布は、不純物が多いため、洗うと色が濁り、他の布に色移りしてしまいます。対して、こちらの合成インディゴは……」
水から引き上げたクロード家の布は、鮮やかな青を保ったままだ。
水もほとんど汚れていない。
「化学構造は同じでも、純度が違う。これが科学の力です」
ソフィアが凛とした声で告げる。
アレックスは、ガストンの目の前に青い布を突きつけた。
「貴殿が伝統にあぐらをかいて技術革新を怠っている間に、世界は進化したのだよ。貴殿の青は、もはや古いのではない。汚いのだ」
汚い。
その言葉に、ガストンは顔を真っ赤にして後ずさった。
周囲の客たちが囁き合う。
「確かに、こっちの青の方がずっと綺麗だわ」
「今までの高い藍染めは何だったんだ?」
「もうベルベットの店で買う理由なんてないな」
市場の評価は残酷だ。
より良く、より安いものが現れれば、古いものは駆逐される。
「お、終わりだ……。騎士団の納入契約も、これでは……」
ガストンはその場に膝をついた。
主力商品が売れなくなれば、商会を維持する資金は枯渇する。
マリアンヌの保釈金を積むどころか、明日のパン代にも困ることになるだろう。
アレックスは、崩れ落ちる伯爵を見下ろし、冷たく言い放った。
「これはまだ第一段階だ。次はテントの防水加工について、商工会議所でプレゼンを行う予定だが……、聞く気力は残っているか?」
「ひぃっ……!」
ガストンは悲鳴を上げて逃げ出した。
その背中を見送りながら、アレックスはふぅ、と息を吐いた。
「……まずは一色、漂白完了だ」
「アレックス様。少し、やりすぎでは?」
「いいや。彼らは君を燃やそうとした。これくらいの経済的熱傷は負ってもらわないと割に合わん」
アレックスは、鮮やかな青の布をソフィアの肩にかけた。
「それに、この青は君によく似合う。……良い色だ」
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