妹に婚約者を奪われた上に断罪されていたのですが、それが公爵様からの溺愛と逆転劇の始まりでした

水上

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第33話:軍需産業の覇者

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 ガストン伯爵らの逮捕により、ベルベット商会は経営破綻寸前に追い込まれていた。

 だが、腐っても王都随一の老舗である。
 彼らにはまだ、一つの巨大な利権が残されていた。
 それは、国軍へのテント納入権である。

 折しも、隣国との国境付近で小競り合いが発生し、軍事的緊張が高まっていた時期だ。
 国は大量の物資を必要としていた。
 ベルベット商会の残党幹部たちは、この軍需景気にしがみつき、なんとか生き延びようと画策していた。

「我が社のテントは、建国以来、王立騎士団に愛用されてきた伝統の品だ! ポッと出の公爵になど負けるものか!」

 そんな彼らの悪あがきを、アレックスが見逃すはずがなかった。

     *

 雨が降りしきる王立騎士団の演習場。

 泥濘んだ地面には、二つのテントが設営されていた。
 一つは、ベルベット商会が納入している従来型の麻のテント。
 もう一つは、クロード公爵家が開発した新型のキャンバステントだ。

 視察に訪れた軍需局長や将軍たちを前に、アレックスは傘も差さずに立っていた。

「……局長。この雨は絶好の実験環境ですね」

「うむ。兵士たちからは、テントの中で寝ているのに溺れそうだという苦情が絶えなくてな」

 局長が渋い顔で言う通り、ベルベット商会のテントは悲惨な状態だった。

 粗く織られた麻布は雨水をたっぷりと吸い込み、その重みでポールがたわんでいる。  
 そして何より、天井からポタポタと雨漏りがし、内部は泥水浸しになっていた。

「これでは使い物にならん。……だが、公爵のテントはどうだ?」

 局長がアレックスのテントを見る。

 それは、驚くべき光景だった。
 激しい雨打たれているにもかかわらず、そのテントの表面は水を弾き、玉のように転がり落ちていく。
 生地はピンと張り、少しもたわんでいない。

「どうぞ、中へ」

 ソフィアが入り口の幕を開ける。
 中に入った将軍たちは驚嘆の声を上げた。

「……乾いている! 床もサラサラだ!」

「これが科学の勝利です」

 アレックスが濡れた指先を拭いながら解説を始めた。

「まず、生地の構造が違います。従来のテントは単なる平織りの麻ですが、我が社のテントは帆布(キャンバス)――複数の糸を撚り合わせ、極限まで高密度に打ち込んだ厚手の綿織物です」

 彼はテントの生地を内側から叩いた。ボン、と太鼓のような良い音がする。

「高密度ゆえに、水を通しにくい。さらに、この生地にはパラフィン(蝋)加工と油引きを施してあります」

「パラフィン……?」

「石油から精製した蝋です。これを繊維の表面にコーティングすることで、極めて高い撥水性を持たせました。水は生地に染み込むことなく、表面張力によって弾き返されます」

 アレックスは、外で雨水を吸ってぐったりとしているベルベット商会のテントを指差した。

「あちらは水を吸って重くなり、繊維が腐敗しやすくなっています。対して、こちらのテントは水を弾き、通気性も確保されている。……戦場で兵士を休ませるべき場所が、カビと湿気の温床であってはならないはずだ」

 その言葉は、軍人たちの胸に深く刺さった。

 彼らは長年、雨漏りと重さに耐えるのが当たり前だと思っていた。
 それが技術不足による怠慢だったと知らされたのだ。

「……勝負あり、だな」

 局長が重々しく頷いた。

「ベルベット商会のテントは、だ。我々が必要としているのは、兵士の命を守る盾だ。……クロード公爵、全軍のテントを貴殿の製品に切り替える!」

 その瞬間、ベルベット商会の最後の命綱が断ち切られた。

 数日後。

 王都の大通りにあったベルベット商会の本店から、王家御用達を示すロイヤル・ワラント(王室認定証)の看板が取り外された。
 借金取りが押し寄せ、従業員たちは散り散りになり、かつて栄華を誇った商館は廃墟同然となった。

 その様子を、アレックスとソフィアは向かいの店の窓から静かに見つめていた。

「……終わりましたね」

「ああ。これで彼らの資金源は完全に絶たれた。再起不能だ」

 アレックスは紅茶を一口啜った。

「彼らは伝統を守っているつもりで、実は停滞していただけだ。変化を拒んだ繊維は、腐り落ちる運命にある」

「……はい」

 ソフィアは、取り外されていく看板を見つめ、小さく手を合わせた。
 それは勝利の祈りではなく、一つの時代が終わったことへの鎮魂のようだった。

「さあ、感傷に浸っている暇はないぞ、ソフィア。軍からの発注書が山のように届いている。テントだけじゃない、リュックサックや水筒カバーまで『帆布で作れ』とのご要望だ」

「ふふ、大変ですね。また工場長が悲鳴を上げそうです」

 軍需産業という巨大な市場をも制覇したクロード公爵家。
 その経済的基盤は盤石となり、もはや国一番の大富豪と言っても過言ではなかった。
 
 だが、追い詰められた鼠は猫を噛むという。
 全てを失ったマリアンヌが、最後の悪あがきとして用意していた呪いが、まもなくソフィアに襲いかかろうとしていた……。
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