妹に婚約者を奪われた上に断罪されていたのですが、それが公爵様からの溺愛と逆転劇の始まりでした

水上

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第41話:天然素材の愛

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 断罪の法廷から戻ったその夜、クロード公爵家のタウンハウスは、いつになく静かな空気に包まれていた。

 使用人たちは、主人たちの勝利を祝って豪華な食事を用意してくれたが、アレックスとソフィアは早々に自室へと引き上げていた。
 騒がしい称賛や、勝利の美酒に酔う気分ではなかったからだ。

 バルコニーに出ると、王都の夜風が火照った頬に心地よかった。
 ソフィアは手摺りに寄りかかり、月を見上げていた。

「……終わったんですね」

「ああ。すべて終わった」

 アレックスが背後から近づき、ソフィアの肩にショールをかけた。
 マリアンヌたちが去り、ベルベット商会が解体され、敵対していた勢力は一掃された。
 明日からはもう、誰に怯えることもなく、好きな布を織り、好きな服を作ることができる。

「不思議です。もっと晴れやかな気分になるかと思っていました。でも、今はなんだか……、静かな気持ちです」

「ピークが過ぎれば、波形はフラットに戻る。それが正常な反応だ」

 アレックスは隣に並び、同じ月を見上げた。
 彼はいつものように理屈っぽかったが、その横顔は憑き物が落ちたように穏やかだった。

「それに、戦いはあくまで手段だ。目的ではない。……我々の本来の目的は、ここからだろう?」

 彼はソフィアの方を向き、ポケットから小さな箱を取り出した。
 それは、以前マリアンヌが証拠隠滅に使おうとして失敗した箱とは違う、シンプルだが上質なベルベットの小箱だった。

 パカッ、と蓋が開かれる。
 中に入っていたのは、宝石ではなく、指輪の形に編まれた糸だった。
 銀色の糸と、青い糸が複雑に絡み合い、決して解けない結び目を作っている。

「アレックス様、これは……?」

「以前、君にイオン結合だと言ったな。あれは訂正する」

 アレックスは指輪を摘み上げ、少し照れくさそうに視線を逸らした。

「化学的な結合は強力だが、条件次第では解離することもある。それに、合成された物質は均一すぎて、どこか冷たい」

 彼はソフィアの左手を取り、薬指にその指輪を通した。
 金属の冷たさはなく、繊維の温かみが指に馴染む。

「私の愛は合成繊維じゃない。天然素材だ」

 アレックスは、ソフィアの瞳を真っ直ぐに見つめて言った。

「天然繊維は不均一で、手がかかる。縮んだり、シワになったりもする。……だが、年月が経つほど風合いが増し、柔らかくなり、肌に馴染んでいく」

 彼は自分の指にも、対となる指輪をはめた。

「君と過ごす時間は、まさにそれだ。最初はゴワゴワしていた私の心も、君という柔軟剤のおかげで、随分と着心地が良くなった気がするよ」

「ふふっ。……はい。私もです」

 ソフィアは薬指の糸の指輪を愛おしげに撫でた。
 宝石のような煌めきはない。
 けれど、これは二人で紡いできた時間と信頼そのものだ。

「合成繊維のように強く、変わらない愛も素敵です。でも私は、洗うたびに馴染んで、傷んでも繕い直せる……、そんな天然素材の愛のほうが、ずっと好きです」

 ソフィアが答えると、アレックスは満足げに微笑んだ。

「交渉成立だな。……では、契約期間を更新しよう」

「期間は?」

「繊維が風化して土に還るまで……、いや、原子に分解されて宇宙の一部になるまでだ」

 壮大すぎる契約期間に、ソフィアは笑い声を上げた。
 アレックスもつられて笑う。
 月明かりの下、二人の笑い声がバルコニーに溶けていく。

「さて、ソフィア。明日からは忙しくなるぞ」

「ええ。工場の拡張に、新作の発表会。それに……」

「結婚式の準備だ」

 アレックスはサラリと言った。

「君のウェディングドレスだが、私が設計した世界で一番美しい布を使いたい。だが、縫製できるのは世界で一人、君だけだ」

「まあ。……それは大変な仕事になりそうです」

「報酬は弾むよ。私の生涯をかけてね」

 アレックスはソフィアを引き寄せ、深いキスを落とした。
 それは、これまでのどんなキスよりも自然で、温かく、日常の匂いがした。

 戦いの火花は消えた。
 あとに残ったのは、陽だまりのような温もりと、これから織りなしていく長い長い未来への希望だけだった。
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