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しおりを挟む勧められるがまま、チーズやサンドイッチなどの軽食とともにシャーチル伯爵夫妻はワインを飲み干していく。
招かざる客たちの焦点が揺らぎ始めたのを確認し、執事は小さく笑みを零した。
「ところで、伯爵。この度はどのようなご用件でいらっしゃったのでしょうか?」
「む、何故貴様ごときに話さなくてならぬの、だ?」
伯爵の言葉尻が不自然に揺らぐ。
「ふ、ふふふふふふふふ」
伯爵夫人は壊れたように笑い始めた。
「どんなに愉快なことなのでしょう?是非我々にもお聞かせ下さいませ、夫人」
執事が促す。
「何も、愉快ではないわ。当たり前の、そう、当たり前のこと。これは、必然」
ゆったりとした口調で、虚ろな目のまま、夫人は単語を覚えたての子供のように話す。
「必然。そうだ、必然だ」
俯き、ブツブツと伯爵が夫人のセリフに反応し始める。
「ヨハンナ名義の遺産、おかしい、何故彼奴の名義なのだ、おかしい、おかしい、全てマーリアを着飾るために使ってやった」
「あの娘は犠牲になるべき、あの娘が犠牲になるべき」
「私は何も悪くない、何も、何も悪くない」
「隠さなくては。全て、全て押し付けなくては」
夫妻はそれぞれ壊れたゼンマイ仕掛けの人形のように、ぎこちなく四肢を震わせてブツブツと呟き、時折笑う。
何とも奇妙な光景だ。
しかし。
壁越しに一連を見ていたヨハンナは驚くほど冷静だった。
「あの様子ですと、わたくしに罪を擦り付けるため、悪事の証拠となるような品をここまで持参しているのかもしれませんわね」
「………すまないな、ヨハンナ。どうやら張り切りすぎた執事が自白剤の量を誤ったようだ」
「その自白剤とやらが抜ければ自我を取り戻すのなら問題ございません。彼らがいっそ赤の他人でしたら哀れみの一つくらい湧いたかもしれませんが、今更ですのでお気になさらず」
一般的には、絶縁しても尚傷つくものではないかと思うのだが、ヨハンナは別らしい。無理をしているなどの様子もなく、どう見ても平然としている。色々と突き抜けて達観すれば誰もがその領域に辿り着くのだろうか。
ヨハンナをそこまでの領域に押し上げたのは他でもない彼らなので、マーリアの時同様に自業自得としか思えず、同情の余地はない。
「奴らの愛娘同様、取り敢えず国で引き取りに来るまではそれぞれ独房に入れておくか」
声がする、声がすると、独房にいるマーリアは両耳を塞ぎ、頭を左右に激しく振り乱しているとの報告を受けても、ヨハンナは不思議そうに首を傾げるばかり。
「あの子はおかしくなってしまったのでしょうか?」
「いや、気の所為ではない。換気用のパイプが通っていて、外で働く使用人たちの会話が聞こえるらしい。ハッキリとは聞こえず断片的なものだから、知らないとそれなりに怖いのかもしれないな」
朝食の話題としてはどうなのだろうと思ったが、ヨハンナに気分を害した様子はないので、まぁいいかとライナスも応える。
「まぁ、そうでしたか。きっと、後ろめたいことがあるからこそ、他人事とは思えず、自身を責める声に聞こえるのでしょうね」
後ろめたいことがなければ、他人事として聞き流せるだろう、恐れることも無い。そういう理論のようだ。ライナスは魚のムニエルを味わいながら、目を閉じ、想像してみる。
───後ろめたいことがなくても、わからない声は怖いのでは?
そうは思ったが、新妻に弱いところなど見せたくないライナスは考えるのを辞めた。
「マーリア嬢には楽しんで頂けているようで何よりだ」
「伯爵夫妻はどうなさってますの?」
「伯爵は、ひたすら岩のように丸まって震えている。夫人は目を覚ましてすぐに夫の名前を叫んでいたが返事がないとわかると、暗闇の中でも平然と動き回り、脅しのために入れていた古いギロチンの刃が錆びている事に気づいては大笑いするなど終始ご機嫌で室内を物色していたとのことだ。最終的には割れた鏡を隠していた布を毛布代わりにして眠ったらしい」
ナプキンで口を拭いつつ、ヨハンナは困ったように微笑む。
「夫人は強いですわね」
「強いな。どうせ命まではとられぬと開き直っているようだ」
確かに現時点では命までとらない。国の司法に委ねるためだ。国を、王を頂点に据える貴族だからこそ、己の感情だけで罰するわけにはいかない。
いくらヨハンナを虐待してきた奴らが憎かったとしても、だ。私刑にならないギリギリのラインでしかライナスたちはシャーチル伯爵一家に関われない。───殺せない。
埃臭い独房に入れるのが精々だ。
「シャーチル伯爵は第二王子と手を組んでいた証拠をわざわざ持参して下さったのです。もちろんそれは私を貶めるためのものでしたが、結果としてライナス様が守って下さった。お陰で、わたくしは随分と救われましたわ」
ライナスの苛立ちを察したヨハンナが宥める。その様に控えていた使用人たちは安堵の吐息を漏らす。自分たちの主が新妻を溺愛するあまり、残忍な方法で彼らを殺すのではないかと危惧していたようだ。
連中は死刑になるだろう。ヨハンナは既に絶縁しているし、巻き添えになる心配はない。だが、それだけだ。極刑にはならない。
ライナスは、密かに口元を歪めた。
極刑にする方法はある。ヨハンナの心をこれ以上壊さないよう、敢えて口にはしないが、密かに手を回すつもりだ。
国費の横領と国宝の窃盗を第二王子と共謀した罪に加えて、国防の要である辺境伯領を脅かすためにヨハンナに罪を擦り付けようとしたと糾弾すればいい。
単なる保身のためにヨハンナを利用しようとしたのではなく、国を危機に陥れるためにヨハンナに近づいたのだと。
入国審査の際に没収した品の中に偶然あった、隣国で流通している高級な布を夫人の荷物に紛れ込ませた。もちろん、それが隣国と繋がっているという証拠にはならないが、疑いは深まるはず。国王主導の元、さぞかし激しい尋問がなされることだろう。
「ヨハンナ。俺は何があろうとも君の家族だ」
「わたくしも、ライナス様の家族ですわ」
微笑み合う2人と、それを見守る者たちには、断末魔など聞こえない。
作られた平和の上で幸せだと、互いに愛しいと囁きあった。
[完]
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