皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴

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番外編

皇太子夫婦の日常13

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オルを強制送還したのでリーンは皇帝陛下に帰参の挨拶に向かう。リーンはオルの護衛騎士も世話をやくルオを気に掛ける気は一切ない。
ルオはオルを本気で送り返す気がなかったことがよくわかり、リーンはイライラしていた。

リーンは帰国の道中に散々悩んで決めた。
リーンにとってルーラが他の友人と違うのは兄弟がいないことだ。島国のたった一人の後継で国から出ることも許されない孤独な王族。
自室しか知らなかった幼い頃の自分と重ねていた。でもリーンには頼りになる兄も、甘えられる存在もいたが島国の後継者となるルーラにはいなかった。
リーンはルーラが義妹になると知った時に義姉として、役割を果たそうと決め、これからも孤独な女王として生きる友人の幸せと友人のルオが支えてくれることを願った。

オルにルーラのために一度だけチャンスを与えることにした。先程の様子を見ればオルもルーラを好いている。ただリーンはオルの気持ちはどうでもいい。
ルーラが見切りをつけるならルオを送ろうと思い、ルーラの騎士にリーンへの密書の送り方を教えていた。もともと婿入りするのはルオであり、溶け込むまで苦労しても、自業自得である。ラセルに言われた通りリーンは被害者である。戻ることを拒否したルオに、きちんと責任をとってもらうつもりだった。そしてオルを甘やかして帰国させなかった小国の皇族達に心底呆れていた。

ルーラ第一に育てあげた家臣達はオルが矯正不可能なら斬る。死体さえ見つからなければルオを送れば穏便に終わる。死体の処理も教えてあるので、見つかる愚行はしないと信じていた。
他国への干渉は良くないが、気づかれなければいい。小さく力のない島国ならリーンの力でも対処でき、オルの排除に手を貸すことを決めていた。入れ替わりに巻き込まれた被害者の立場で大国の姫として断罪する気満々だった。愚かな皇族が率いる小国は当初の予定通り大国の属国に。きっと大国の王子が治め、優秀な指導者のもとなら民も安心するだろう。嫁いだ当初より利用価値はあがっているので、国王の興味は引く程度の価値はあると思っていた。
ルーラが女王になっても、ルオならきっと支えてくれる。小さい島国なら執務も少なくルオなら大丈夫と判断した。
リーンはオルが駄目なら正しい形に戻そうと決めていた。リーンはたくさんの幸せをもらいルオがいなくてもラディルがいる。ラディルは大国の容姿なので、大国でも受け入れられる。父に新しい縁談を用意してもらう時に、ラディルと一緒にいられるように頼めばいい。我が子として認められないならラディルをリーンの従者に育てあげて連れて行けばいい。
リーンは小国に思い入れはない。小国で得た大事なものはラディルだけと思うことにした。

皇帝への謁見はすぐに許された。

「リーン、よく戻った」
「ただいま戻りました。島国の女王陛下より贈り物を預かっておりますので献上させていただきます。またオル様は帰国されました。」

皇帝はリーンの言葉に安堵した。帰国を促して乗り気でなかった息子がようやく帰り、皇后は寂しがってもようやく落ち着くと。また不機嫌なルオの機嫌も戻り穏やかな日々が戻ることに笑みを浮かべ、笑みを浮かべるリーンの視線が冷たいことには気付かない。

「御苦労だった。ゆっくり休みなさい」
「ありがとうございます」

リーンは礼をして離宮に向かっていると母の帰宅を聞いたラディルが駆けてきた。

「お母様、おかえりなさい。」

リーンは駆け寄ってくる息子を抱きしめる。

「ただいま。少し大きくなったね」
「お友達は助けられた?」
「ええ。きっと大丈夫。ラディルと同じ瞳の従弟が産まれたわ。いつか一緒に会いに行こうね」
「うん。次は一緒に行く。ラディルは訓練を頑張ったよ。まだお父様に勝てないけど」
「ラディルならきっといつか勝てるわ。お母様は執務があるけど、お膝にいる?デジロ様といる?」
「お膝!!」

にっこり笑ったラディルと手を繋ぎ、リーンは離宮の執務室に足を進める。久々の我が子は可愛いく先程のやり取りで荒んだ心が癒やされていた。
家臣達はリーンの帰りに全員が集まり頭を下げて礼をして控えていた。リーンは久しぶりの大国式の出迎えに笑みを浮かべる。

「頭を上げて。ただいま帰りました」
「お帰りなさいませ」
「一月ありがとう。いかに私の家臣が優秀かよくわかった。島国の女王陛下に感謝されたわ。また今日からお願い。頼りにしてるわ」
「もったいないお言葉です」

リーンの言葉に家臣を束ねる侍従が答え、家臣が一斉に頭をさげる。

「さて、忙しいけど力を貸して」

リーンの言葉に家臣達が頷き動き出す。
リーンはラディルを膝の上に乗せて、支障のない報告を受けていた。ラディルに聞かせられない報告は明日聞くことに。執務は放置できないが、今日は可愛い息子との時間を優先したかった。

「姫様、皇后陛下よりお茶と晩餐の招待が」

イナの言葉にため息を飲み込んだ。ずっと留守にしていたので無視するわけには行かず、呼ばれる理由もわかっていた。
リーンの膝の上で本を読んでいたラディルが顔をあげる。

「お母様、ラディルが行く」
「え?」
「帰った後はお仕事大変でしょ?ラディルがお茶してくるから夜は一緒」

頼もしく成長したラディルを抱きしめた。どこかの無能な皇族とは大違いである。

「今日はイナのお部屋で一緒に寝よう。大きくなったラディルにベッドが狭いかしら…」
「大丈夫。イナの部屋で一緒。」

ラディルはずっとリーンの言葉を守ってルオと過ごしていたがイナの部屋も好きだった。イナの部屋でリーンの話を聞いて眠る時間が楽しかった。
スサナはイナのラディルとの至福の時間を決して邪魔しなかった。乳母なのに、イナから侍女仕事を学んでいることはリーンさえ知らない。スサナはリーンの役に立ちたいので、喜んで覚えていた。

「イナ、ラディルと一緒に引っ越すわ」

イナは久々にリーンの世話を焼きたいので嬉しい命令に笑みを隠して頷く。

「わかりました」
「スサナ、おばあ様の所に行こう。行ってきます」

リーンは膝から飛び降りたラディルに手を振る。

「ありがとう。晩餐はお伺いしますと伝えて」
「うん。」

リーンは頼もしい息子が退室したので、侍従から子供の耳には入れられない報告を聞くことにした。

「謀叛により第一王子殿下と正妃様は王族位の剥奪になりました。生涯を研究棟で終えられるそうです」

大国では重罪人は斬首か被験者。王族の研究棟入りは初めてだった。
罪人に人権はない。大国の研究のために命を捧げさせられる。被験者は罪人のためどんな人道的な扱いも許された。
武の天才の義兄の末路を不憫に思ったが王族の首をさらすのも王家の恥かと考え直した。

「義兄様からなにか?」
「特には。」
「わかったわ。御苦労だったわ」

侍従の報告を聞きながら、手を動かす。
ラディルがお茶を引き受けてくれたおかげで夜にはリーンの執務は片付いていた。

***

リーンにルーラからの手紙が届き、オルと上手くやっていることにほっと息をついた。やはりオルでいいらしい。リーンはルーラが申しわけなさそうにオルがいいという理由が全くわからない。離縁しなくていいなら今まで通り傍にいていいのかと思いイナの部屋から戻ることにした。
その頃ルオは途方にくれていた。

「殿下、大丈夫ですか?」
「リーンが・・・。俺は武力行使しなかったことを悔やんでいる」
「過去はどうにもなりません」
「無能は嫌いって」
「リーン様、忙しかったですから。」
「初勅はリーンに離れないでって言うかな」
「怒られると思いますよ」
「兄上に帰国しないでほしいにするか」
「殿下、落ち着いてください。それはリーン様と相談してください。早く執務を終わらせて会いに行ったらいかがですか?」

落ち込んでいるルオはリーンの引っ越しの理由が怒りだけだと知らない。家臣に諫められ手を動かす主はオルの件では役立たずだったので、誰も慰めようがなかった。
巻き込まれた中で最大の被害者がルオとは誰も気づいていない。
初代の洞窟調査、義兄の訪問、オルの入れ替わり騒動、ルーラの出産等でほぼ休むことなく動き回っていたリーンが正常な判断ができなくなっていたこともルオは気付いていなかった。

***

リーンは離宮の執務室に顔を出したラディルを膝の上に抱き上げる。

「お母様、お忍びしてもいいですか?」

リーンは可愛い我が子に笑った。お忍びは隠れてするものである。

「どこに行きたいの?」

「お母様のお店に行きたい」

ラディルは行事には参加しているが視察は参加させていなかった。小国では子供が参加する執務がほぼなかった。民の暮らしを知るのも大事である。小国には乳兄弟の文化はないのでラディルの周りは大人ばかりである。

「ご飯を食べたら視察に行くわ。その帰りにテトのお店に行く?」
「ラディルも一緒?」
「うん。視察だけはお行儀よくね。そのあとはこっそり抜け出そう」
「うん」

リーンは護衛騎士達に指示を出し準備を整えた。
リーンは学び舎の視察にラディルと訪れた。財源に余裕あったので教育に注ぎこんだ。リーンにとって小国民の教育水準の低さは大問題だった。

「ラディルも授業を受けてみる?」
「いいの!?」

羨ましそうに、見ているラディルの手を引き教師に礼をして一番後の椅子に座る。教師はリーンの意図を読み取り軽く会釈した。ラディルにとっては簡単な計算の授業でも人と一緒に授業を受けるのは新鮮だった。
授業が終わるとリーン達の存在は気付かれてしまった。
リーンは笑いながら用意した差し入れをラディルに渡した。

「ルー殿下より皆様へ差し入れを預かりました。ルー殿下は皆様に期待しています。お勉強のおともに召し上がってください。」


リーンの前に教師の声に従い子供達が整列した。ラディルがお菓子を笑顔で配った。ラディルは子供達と一緒にお菓子を食べて初めて大人以外と鬼ごっこをした。楽しそうに走り回る我が子をリーンは上機嫌で見つめていた。
視察を終えたので、リーンはラディルと一緒にローブを着てテトの店に顔を出す。
サタが二人のローブ姿に笑った。

「旦那は置いてきたの?」
「うん。お忍びデビュー」
「ラディル、お忍び」

そっくりの顔でにっこり笑う二人を見た他の客は正体に気付いたが空気を読んだ。お忍びになってないことはサタは口に出さない。

「光栄ね。好きな席にどうぞ」

ラディルが奥の席に座った。リーンはラディルに好きな物を注文させた。ラディルは初めてのことばかりで目を輝かせていた。
運ばれてきたお菓子を嬉しそうに眺め、行儀よく食べはじめた。

「集客のために是非ローブを脱いでほしい」
「サタ、お忍びよ。私はラディルに物の価値がわかるように育ってほしい。」

サタは目利き以前に物の価値を知らない双子皇子を思い出した。
気になる噂があり、非公式なら遠慮なく聞くことにした。それにうまくいけば、聞き耳を立てている客達が広めるだろうと口元を緩めた。

「リーン、廃墟の教会に泊まったって本当?」

リーンは一月以上前のことを思い出した。

「うん。お忍びに出掛けて、雨宿りしてたら朝になったわ」
「そこで愛の誓いをかわして、生涯の約束をした?」
「なんで!?」

王族の仮面はサタの前では脆かった。

「うちの商人が噂を持ってきたのよ。子供達がリーン達と遊んで旦那がリーンに愛を乞いたって」
「恥ずかしすぎる・・・」
「そこで即位の話をした?」

ルオの即位は告知してありすでに民達に広まっていたので隠す必要はないので感の良いサタに正直に頷く。

「うん。そこで初めて即位する日を聞いた」
「即位の日は何か特別な日?」
「喧嘩して仲直りした日」

サタがにんまり笑った。大好きなお金の匂いがしたので廃墟の教会を立て直す計画を頭に練り上げる。二人が将来を誓い合い皇帝になる決意を固めた場所なら人が集まる。思い出を大事にするルオは、きっとリーンを連れて足を運ぶ。皇太子夫妻の誓いの場、仲睦まじい二人に憧れる者が殺到するのが目に見えたサタはルオに感謝して、お礼をすることにした。

「そう。リーンからの贈り物は全部兄に売られてしまったから買い戻したいって相談されたんだけど、どうすればいい?」

思い当たる兄弟はルオ達だけだった。

「え?」
「リーンの贈り物は全て手元に置きたいって。こないだうちで兄弟喧嘩してたわ」

皇族が民の前で兄弟喧嘩はやめて欲しかった。サタだから問題にはならないが、民の前なら立派な醜態であり、皇家の威信に関わる。大国だったら、首がなくなる。サタが名前を出さないことに感謝した。

「迷惑をかけてごめん」
「いつものことだから。」

サタは苦労しているリーンに笑う。
ずっと笑っているサタを見ながら、リーンの贈り物を泣くほど大事にしてくれたルーラを思い出した。結婚してから一度も贈り物をしなかった。

「そんなに嬉しいのかな…。」
「リーンが贈ればゴミでも喜ぶわ」
「ありえないわ。買い戻すなら同じ物を贈るのに・・・」
「なにか贈ってあげたら?きっと喜ぶわ」

ルオは物欲がないので、贈る必要性も感じなかったが、即位のお祝いを用意することにした。

「ラディル、お父様に内緒で贈り物をするわ。考えてくれる?」

お菓子を食べているラディルが頷く。リーンはラディルと相談しながらサタに紙とペンを借りて、書き出しはじめた。ラディルの言葉に口角をあげたサタがラディルの言葉に合わせて絵を描きはじめる。

「リーン、これ売ってもいい?」

サタはいくつか描いた図案を眺めていた。

「ラディルがいいなら」
「ラディル、私と契約しよう」
「待って、契約はだめ。まだ分別がつかない」
「ラディルの発想は天才よ。装飾職人も夢じゃないわ」

サタは期待に満ちた目でラディルを見た。リーンの留守中は宝物庫はラディルの遊び場になっていた。
宝物庫にはリーンの輿入れの祝いに、各国からのたくさんの贈り物が保管されていた。
宝物庫にあるのは、各国が誇る名匠が鍛えたものばかりである。大国の姫に贈るに相応しい物に囲まれ、イナの解説を聞いたラディルの審査眼は順調に育っていた。

「ラディルが考えて、サタが作る?」
「そう。それを売って、私も国も豊かになる」
「国が豊かになるのは良いことだね。いいよ」

リーンはサタににっこり笑うラディルを見て心が温かくなり抱きしめた。

「ラディルは私が立派な皇族に育てるわ」
「うん。ラディルは頑張る」

サタはリーンの気持ちがよくわかった。双子皇子は頼りにならない。もともとリーンに声を掛けられなければ小国で商売するつもりはなかった。
もしリーンが皇太子妃でなければ、サタはこの国の商売から手を引く。ルオ個人からは全くお金の匂いがしなかった。 

「リーン、定期的にラディルに会わせて。ラディルの名前は出したら駄目?」
「もう少し大きくなるまでは公表は駄目。何か印をつけて、いずれ公表するならいいけど」

お忍びに来たのに、仕事の話になっていることにリーンは苦笑した。
ラディルが楽しそうなので良いかと思い直す。せっかくなのでラディルの考えたものをサタに形にしてもらいルオに贈る手配をする。贈り物でリーンは恐ろしいことを思い出した。
大国から急遽ルオのために剣を取り寄せることにした。第一王子から渡された剣を普段から使わせるのは恐ろしく、新しい剣を贈って、頼りになる兄に第一王子の剣は送ることにした。リーンには罪人から授けられたものの対処方法がわからない。
サタとラディルの打ち合わせが落ち着いたので、帰参した。
この日からラディルの希望で週に1回のお忍びがはじまり学び舎に時々通うようになる。
リーンはラディルの教育の全権を委ねられているので、ルオの許可はもらわなかった。
ルオの剣の取り寄せとラディルのための手配を終えたので、リーンは久々に夫婦の寝室にラディルと帰ることにした。

***

ルオが執務を終わらせ寝室に戻るとリーンとラディルが眠っていた。リーンが部屋に帰ってきたのは帰国して2週間振りだった。
お互い忙しくほとんど顔を合わせていなかった。晩餐はオルが帰り寂しがっていた皇后にリーンが付き合っていたため別だった。
ラディルを抱きしめて眠るリーンをルオはそっと抱きしめ目を閉じた。

リーンは目を開けると久々の香りと熱に笑った。
振り返ると眠っているルオがいた。
最近は忙しくて、顔を合わせてなかった。なにより、ルオを見て決意が鈍るのも避けたかった。
ルオの目元のクマを見つけて、そっと指で撫でた。頼りなくても努力する姿は好ましい。まだまだ成長途中であるが…。
ルーラがルオをいらないならリーンは有り難く受け取ることにした。
ルオは目を開けると自分を見つめるリーンに泣きたくなった。

「リーン、ごめん。頑張るから嫌いにならないで」

リーンは泣きそうな顔のルオに笑う。

「俺は」

「おはよう」

ラディルの声にリーンは振り返る。

「おはよう。ラディル、先にイナの所に行っててくれる?」
「うん。ご飯は一緒?」
「もちろん」

にっこり笑ったラディルがベッドから飛び降りて、寝室を出ていく。
リーンの執務も落ち着いたので、疲労の溜まっているルオの執務を代わり休ませることにした。

「ルオ、今日は休んで。しっかり眠らないと」
「リーンは無能は嫌いって」

呆れてもルオは嫌いではない。リーンは弱った声を出すルオに抱きついた。

「呆れたけど、嫌いになってないわ。私にも気持ちの整理が必要だったのよ。」
「整理?」
「内緒。ラディルと一緒に鍛えてあげる。でも体が一番大事だから休んで」
「離れたくない」
「明日から皇太子宮に戻るわ。」
「執務は前倒しで片付けた。」

ルオはリーン達との別居生活が辛く、無能は嫌いと言った言葉を気にして、夜な夜な執務をこなしていた。寝室に一人でいるのが寂しくてたまらなかった。

「お昼まで休んで。午後はラディルと3人でゆっくりしよう」
「帰ってくる?」
「うん。また後で」

子供のようなルオの額に口づけを落として、リーンはルオの腕を解いて、ラディルのもとに向かう。
ルオはリーンに逆らうのはやめて、二人の温もりが残るベッドで目を閉じた。

***

リーンはルオの島国で過ごすための引き継ぎ資料の処分をイナに頼んだ。分厚い資料を抱えるイナにルオの侍従が声を掛けた。

「持ちますよ。どちらに?」

イナは処分を命じられたが、誰にも見せるなとは言われていなかった。

「姫様に不要な資料の処分を命じられまして」

侍従にとってリーンの資料は貴重で参考になるものが多かった。

「目を通して良いものならお借りしても?必ず処分します」
「姫様には内緒にして下さい。ルオ様のために用意されましたが、もう必要ないと」
「お約束します」

侍従はイナから分厚い書類を受け取り、ルオ不在の執務室で分厚い資料を読んでいた。島国のことがまとめられていた。大国とのやり取り等も丁寧に綴られている。侍従はここまで他国のことを調べあげるリーンの手腕に改めて感服した。ふとルオのためというイナの言葉が蘇った。
ルオの為に見事にまとめたのに、見せずに処分することに疑問に思い、リーンがルオを島国に送ろうとしていることに気付いた。
最愛の妃との別居生活のすえ、捨てられる主が哀れだった。
特に最近は無能が嫌いという言葉を気にして必死に執務に励んでいた主が…。
翌日上機嫌で姿を表したルオに侍従は島国の資料を叩きつけた。自分の心配を返して欲しかった。
ルオがリーンに捨てられそうだった事実に気付いて、慌てる姿をリーンの家臣達は冷たく見ていた。
リーンは皇太子宮で執務をすると言われ家臣達も移動した。ただリーンは午前は視察に出掛けていたためいない。ルオはリーンに笑顔で肯定されるのが、怖くて聞くことはできない。
しばらくしてリーンに即位について相談されたので、捨てられないことに安心して抱きしめた。
リーンは戸惑いながらも穏やかな顔で背に手を回す。リーンはルオが即位を楽しみにしてるのか、おかしくなったのかわからなかったので、デジロに診察してもらったが何も異常は見つからなかった。

***
リーンはルオがラディルよりもべったり離れず戸惑っていた。今まではルオはラディルにべったりだった。手が空くと自分に抱きついて離れない。リーンは視察を終えて、商会を訪ねる予定だった。

「ルー様、執務は?」
「休憩。迎えに来た」

リーンは自分を抱きしめるルオに戸惑った。休憩中に宮殿を抜け出すことにどう反応すればいいかわからない。

「ルー様、これから私事があるんですが」
「付き合うよ。俺の馬に乗ればいい」

お飾りの皇太子妃が民の前で反抗するわけにはいかないためリーンは穏やかに微笑み頷いた。
リーンは侍従に視線を送り、手配を整えるように命じる。
リーン個人が行くのと、皇太子夫妻で行くのでは迎えいれるほうにも準備がいる。
ルオの訪問に慣れているテト達のもとで、時間をつぶしてから目的の商会に向かった。

「この度は、ようこそおこしくださいました」
「私事だ。堅苦しい挨拶はいらない」
「かしこまりました。どうぞ」

商人に案内された席に座ると箱を差し出された。

「ご確認ください。」

リーンは蓋を開けて、急ぎで取り寄せた実用の刀身の細身の剣を確認した。
一刻も早く部屋にある義兄から渡された剣を処分したかった。リーンにはルオにどんな剣が合うかわからない。ただ第一王子がルオに渡したのなら同じ形のものがルオに相応しい。実用なので装飾はいらなかった。
剣の鞘には守りの呪いが彫られていた。剣の呪いを彫ることが許されるのは、名匠だけである。
既製品でよかったのにわざわざ鍛えてくれた知人に笑みを溢した。

「ありがとう。大国の名匠の名に恥じぬ素晴らしいものを」
「伝えましょう。また一人紹介させていだきたいものが」
「許します」

リーンは商人が連れてきた若い男に見覚えがあった。

「お久しぶりです。師匠より内密に皆伝をいただきました。ですが俺には経験が足りないと。」

「歓迎します。貴方は小国一の鍛治師でしょう。いずれ私の息子に剣を捧げてください」

跪いた青年の前に行きリーンは手を差し出した。

「我が腕を王家のために」

リーンの手を取り、口づける青年の言葉に迷ったが雰囲気が壊れるので、聞き流すことにした。

「あなたの腕に恥じないように努めましょう。」

「俺はリーン様に生涯を捧げます」

王家のお抱え鍛治に志願する者はいる。個人に忠誠を捧げるのは王子か王である。姫に捧げる者はいなかったがリーンはありがたく受け取ることにした。

「許します。あなたの腕はリーンと共に。命消える時まで我が心に刻みましょう。」

リーンは握られる手を解いて、青年の額に口づけ、笑みを浮かべる。
青年はリーンを見つめて、ニヤリと笑った。

「親方が拗ねてたよ。リーンの頼みなら最優先で打つってさ」
「親方は忙しいじゃない。まさか貴方が私に腕を誓ってくれるとは思わなかったわ」
「大国には名匠ばかりだ。名を上げるなら、リーンの側が一番だろう?」
「私の側が一番命の保証があるものね。落ち着いたら弟子を取ってほしい。まずは馴染みの商人に預けるわ。工房は贈る。暇になったら息子の剣を見てね」
「給金の分だけ働くよ。リーンは羽振りがいいからな。」
「変わらないわね。頼りにしてるわ。」

リーンは知人が弟子の一人を小国に派遣してくれるとは思わなかった。師匠の許しがなければ、弟子は工房を持てない。剣の名匠を大国から引き抜けば警戒される。また手続きが複雑で非常に面倒である。
大国の剣の名匠を名乗れるのは王家に忠誠を捧げ、王族より認められた鍛冶師だけである。栄誉で鍛冶師の憧れだが制約も多い。大国は優秀な鍛冶師を他国に渡さない。
鍛冶師の忠誠の誓いの儀は盛大に披露させる。国への忠誠なら姫が、個人への忠誠なら指名された者が執り行う。
名匠の下で鍛え上げられた鍛冶師も大国への忠誠を求められる。ただ見習いや名の知られてない者は対象から外れるためよく考えて動いてくれている知人に感謝した。
鍛冶師から剣を受け取り、定期的に感謝を示すのは姫の役割だった。名誉とお金が手に入り美姫に感謝を捧げられる鍛冶師に憧れるものも多かった。
リーンは留学から帰り、留学先の王子へのお礼に守り刀を贈った。そのため頻繁に工房に訪ねていた。
大国の姫として長剣は他国の王子には贈れない。ただ守り刀なら大国の長剣で折れるので贈ることは許されていた。
大国の名匠には素材は全て王家から支給される。王家の素材を使い個人のために鍛え上げた長剣を持つことが許されるのは、王家が許した者だけだった。
ただ抜け道はいくつかあった。
リーンは姉姫達が工房へ足を運ぶのを嫌がったので喜んで引き受けた。いつも剣を笑顔で受け取りにくるリーンは鍛冶師達の間で人気が高く興味津々に質問するリーンに工房の親方や弟子達は打ち解けていった。
ルオとルーラの贈り物は公的には装飾剣としてリーン個人から贈られたものだったので規則には当てはまらなかった。
リーンにとって大国の知人は優秀で優しい人ばかりだった。小国の大人は頼りにならないので国の宝の子供を鍛えることにした。
新米鍛冶師の受け入れ準備は商人が引き受けると申し出るのでありがたく依頼する。無礼な態度で騎士を時々怒らせるがこの国なら問題ないと判断した。鍛冶師は武術の心得もあるので、この国の騎士相手に負けず自衛もできる、いざとなればリーンが取り成せばいいと。
リーンはルオの存在を忘れていた。ルオはリーンと親しい男を睨んでいたが大国の鍛冶師は殺気を向けられても怯えない。騎士の殺気が鍛冶師に向くのは日常茶飯事であり、荒れた騎士に怯えたら真っ当な鍛冶師になれないのは大国の常識である。
リーンはなぜか不機嫌なルオを見てにっこり笑って剣を差し出した。

「ルー様、お部屋にある剣は私にください。その代わり、こちらを。大国の名匠が鍛えあげました。」
「俺の?」
「はい。手入れさえすれば折れることはありません。ルー様の身を守るように呪いも刻まれてます。」
「俺のためにわざわざ?」
「はい。受け取っていただけますか?」
「ありがとう。大事にする」

余計なことを言おうとした新米鍛治師の口を商人は塞いだ。師匠が久々のリーンの頼みに張り切って用意しただけである。リーンの注文にしてはおざなりすぎる物はわざわざ用意した物ではないと。リーンを抱きしめ笑っているが、皇太子であり機嫌はとっておくべき相手とわかっている商人は空気を読んで新米鍛冶師を黙らせる。

「ルー様、離してください。場所を」
「ごめん。嬉しくて」

自分を抱きしめ子供のような嬉しそうに笑うルオにリーンが苦笑した。

「帰りましょう。ラディルが待ってます」

リーンは離宮に帰り、義兄の剣を預かり兄宛に極秘で送り、これで大国のことは片付いたとほっと息をついた。
ルオは上機嫌にリーンから贈られた剣を眺めていたが、リーンの思惑には気付かなかった。
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